ぶらり旅日記
高千穂の秋
高千穂に行くにはいくつも橋を渡る。昔に比べると道も良くなった。沿道の黄葉が紅葉にだんだん変わっていくのを見ておしゃべりしているうちに高千穂の町に着いた。
まず国見ヶ丘に登った。ここからは一望のもとに森や畑の中に点在する人家などが見渡せる。秋色の風景である。山の向こうは大分県ですよ、と友が言った。阿蘇山も遠望できる。
古代人はここに立ち遠大な気を養ったのだろうか…。彼らが今ここに居たとして、車で上って来た我々を見たら、カプセルのような箱から出てきた「宇宙人」と思うだろう…。文明は進化したが、心は古代人のほうが豊かであったかもしれない。神話伝承の雄大なスケールを聞くにつけそう思う。時空を超えた感慨にしばし浸った。
真名井の瀧から川淵を上っていくと紅葉の景色があった。観光客の群れとすれ違いながら見上げた。山のきれいな空気が晩秋の紅色に染まっていた。
きっと人のいなくなった夜のしじまに紅い葉は幹と会話する。
「もうすぐお別れですね。…この幹の下に落ちたらあなたの根から吸い上げられて幹になるでしょう。花や実になるかもしれない…姿を少し変えてあなたのそばに居られます。でも強い風がふいて小川に飛ばされたら、私は水面を漂って遠くに行ってしまいます。長い間のお別れになるので、私のいちばん美しい姿を見てもらってからサヨナラします…。」こんな会話をしていることだろう。
森に美しさがあるのは生命ある樹木のせいだ。今は散る前の化粧姿の華麗なひとときだ。人間はそのドラマの観客にすぎない。
美しいものを見つけてカメラを向けるのはカメラマンの習性だろう。
これは紅葉を通り抜けてくる秋の陽ざしが美しかった。西に傾いた太陽から放たれた斜光が紅葉の裏葉ではじけていた。赤だけでは美しさは100点ではない。それを取り囲む光りの輝きがあって満点になる。女性が愛する人の視線を受けて輝くのと同じである。秋風にそよいで陽光と遊んでいる紅葉の美しさに魅かれてシャッターを切った。
なんでもない田舎の駅のプラットホーム。ふだんは子供やお年寄り、家族、学生たちの声で賑わう所だ。しかし写真右前方を見ると信じがたい光景がある。線路が切れている。恐ろしい夢を見ているみたいだ。これが台風(平成17年9月の台風14号被災)で途絶した高千穂線の現実である。線路と共に夢も断絶された。
存続か否かを現地の人だけに責任を負わせるのは酷すぎる。誰もが再興を願っても巨額の費用にたじろぐ。日本にお金はないのか?外国に援助する前に自国の困窮を救うべきではないか?
信号機を見ると電気回線だけは復旧したのか赤いランプがついている。青に変わることのない信号機かもしれない。人の薄情さを恨むように寂しく立っている。
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