歯科材料と環境ホルモンと自閉症


 自閉症の原因には遺伝的要因説や環境要因説などがあり (いずれにおいてもまだはっきりしていません)、その環境要因説の一つに環境ホルモンがあります。

 この環境ホルモンでよく知られているものとしてはゴミ焼却炉などによって発生するダイオキシン、一部のプラスチック製品に含まれるビスフェノールA、などがあります。歯科ではこのビスフェノールAがむし歯治療の詰め物に使われるコンポジットレジンや予防充填材のシーラントといった歯科材料の一部に含まれるとしてマスコミなどに取り上げられました。

ではその真相はどうなのでしょうか。ちょっと調べてみました。




まずは環境ホルモンについて簡単に説明します。
 環境ホルモンとは正しくは 『外因性内分泌撹乱化学物質』 いい、女性ホルモンと類似した作用を示すことで人体の内分泌を撹乱させてしまうとされています。生体は内分泌系、神経系、免疫系のそれぞれが互いに関連・制御して適正な状態を維持します。しかし環境ホルモンによって内分泌系が撹乱されると神経系、免疫系にも異常が出て、この神経系の異常の一つが自閉症ではないかという仮説があります。

 従来、化学物質は量が増えれば健康被害を受けると考えられていましたが、環境ホルモンはピコレベル (このピコレベルという量はタンク車660台のジンにトニックを1滴たらす量と例えられています) という超微量でタイミングが悪いとワンヒットで影響を受ける可能性があること、またその影響が次世代に現れる可能性があり、他の化学物質などとの相乗作用も考えられること、そして何より地球規模と言っても過言ではないほどに身の回りに環境ホルモンを含む可能性のあるものがたくさんあることなどが懸念されています。では環境ホルモンによって起こると疑われている人の異常(仮説)について何があるのか、それを表1に示します。


表1  環境ホルモンによって起こると疑われている人の異常*
男性 女性 両者
精子の減少と質の低下
停留睾丸
尿道下裂
ペニスの発育不全
精巣ガン
前立腺ガン
半陰陽者
攻撃的行動
子宮内膜症(不妊)
膣ガン
子宮ガン
卵巣ガン
乳ガン
早熟
アトピー
多動症
知能障害
パーキンソン病

*参考文献
北条祥子 『ダイオキシン・環境ホルモンの健康への影響』月刊保団連 1997.7 No620




 上記の理論は一見、科学的で確かに説得力はあります。しかしこれは所詮、仮説や推論に過ぎず証明されたものではありません。世界中でそうした研究や情報収集がされているので、人体への影響があればそのような研究データがいっぱい出てくるはずですので環境ホルモンの影響について私の知る限り更に調べてみました。しかし結果をいいますと、環境ホルモンによる人体への影響でガンになったとか自閉症児・者が増加したなどというのは、出てくるのはやはりどれも仮説ばかりで、それを証明するのに信頼出来る報告やデータなどは一切ありませんでした。

 ではなぜ『環境ホルモン=危険』などという図式が私たちにあるのでしょうか?
 これにはマスコミの報道による影響が大きいと思います。例えば歯科においては一部の週刊誌や新聞に『虫歯の詰め物に”猛毒”環境ホルモンが使われている!』とか『歯充てん材に環境ホルモン』などとセンセーショナルな見出しで不安を煽り、科学的検証が不十分であるのに人類存亡の危機であるかのような報道が度々されてきました。アメリカでもこうした騒ぎはありましたが、その時アメリカ歯科医師会(ADA)はすぐに研究チームを立ち上げ科学的な調査研究をし、その結果、最終的に国民に向けて安全宣言をしました。日本の対応はそれより数年遅れましたが日本歯科理工学会の歯科器材調査研究委員会がビスフェノールAと歯科材料に関するQ&A(資料1)を出し、事実上の安全宣言をしました。私はこのADAと日本歯科理工学会の見解を全面的に支持します。



資料1 
ビスフェノールAと歯科材料に関するQ&A
  日本歯科理工学会歯科器材調査研究委員会 より
1.平成10・11年度の歯科器材調査研究委員会への会長諮問事項、『内分泌撹乱作用が疑われる、ビスフェノールAを主とする化学物質と歯科材料との関わりについて』に関して、2年間にわたる調査研究により報告書をまとめ平成12年3月に西村会長へ提出した。同時に、この報告書に基づいて、歯科臨床において最も関心のあると思われる20項目にわたる設問Qを選択し、簡潔な回答Aを作成した。


2.以上のような経緯を勘案する時、それぞれのQ&Aについてより詳細に理解する上から、それらの背景についても十分に把握する必要性はきわめて高いと思われる。したがって、読者はQ&Aの原本ともなった報告書を併せて確認されることを強く推奨する。


3.報告書ならびにQ&Aの基となった調査研究は、平成12年3月までの資料による。



Q1:どのような経過でビスフェノールA(BPA)が歯科界で問題になったのですか。
A1:内分泌撹乱物質(環境ホルモン)が社会問題になっている時に、環境ホルモンとされるBPAが、シーラント材やコンポジットレジンから口腔内に溶け出すことが指摘されたためです。


Q2:歯科用レジン材料にBPAが使われているのですか。
A2:モノマーを作る時の原料となっています。直接的には使われていません。


Q3:シーラント材やコンポジットレジンの基本的な組成とBPAはどのような関わりがありますか。
A3:シーラント材やコンポジットレジンにBis−GMAモノマーが使用されています。このモノマーを合成するのにBPAを使いますが、反応しなかったごく微量のBPAがBis−GMAに混じり込んできてしまいます。


Q4:歯科材料の中にBPAが含まれているとしたら、どの程度含まれているのですか
A4:製品により差かあります。材料1g当たり、コンポジットレジンで1〜5μgシーラント材でl〜15μgとされています。これらの製品はBis−GMAのみで作られるわけではありません。ほかのモノマーや無機質フィラーなども混ぜて作りますので、製品中のBPAの量はごく微量なのです。


Q5:治療後にBPAが唾液中に溶け出してくることはありませんか。
A5:ごく微量ですが、溶け出してきます。最も多く出たとしてもそれは全く心配のないほどの微量です。


Q6:シーラント材やコンポジットレジンが口腔内で化学的に分解して、BPAになることはありませんか。
A6:Bis−GMAやそれが硬化したレジンが分解して、BPAになることはありません。


Q7:シーラント材やコンポジットレジンがすり減ったものを飲み込んで大丈夫ですか。
A7:硬化したレジンは、ごくわずかずつ磨耗します。しかし、それを飲み込んでも胃酸や消化酵素によりBPAに分解されることはなく、そのまま排泄されますので大丈夫です。


Q8:ほ乳びんや食器などで問題となったポリカーボネートレジンが、歯科でも使われていると聞きましたが。
A8:−部のレジン製の矯正用ブラケット、暫間クラウンや義歯床などに使われています。


Q9:それらの歯科用ポリカーボネート製品からBPAは溶け出してきますか。
A9:ごく微量ですが溶け出してきます。


Q10:もしごく微量のBPAが生体に入ると、どのようなことになるのですか。
A10:歯科材料から溶出するようなきわめて微量のBPAが、生体に何らかの影響を及ぼすというようなデータは、今のところ動物実験では出されていません。


Q11:ごく微量のBPAの生体への影響は、動物実験では出されていないそうですが、それに代わるようなデータはありませんか。
A11:細胞を使った実験データがあります。それをヒトに換算しますと、体重1kg当たり0.2μg以下であれば、生体に異常を引き起こすようなことは全くないということになります。歯科材料からBPAが出たとしても、0.2μg以下の全く影響のない超微量です。


Q12:BPAの溶出がごく微量でも、それが体内に蓄積することはありませんか。
A12:BPAはあまり蓄積することはありません。排泄されやすいことが動物実験で示されています。


Q13:BPAが生体に及ぼす影響について、そのほか分かっていることはありませんか。
A13:動物実験によりますと、BPAがホルモン様作用を示すのは、胎仔、新生仔の段階とされています。したがって、もしヒトで注意しなければならないとすると、妊婦、新生児ということになります。そのほかのヒトは影響を受けないと考えてよいでしよう。


Q14:歯科治療以外のルートでBPAが生体に取り込まれることはありませんか。
A14:大いにあります。ポリカーボネート食器類、缶詰のコーティング材などからBPAが溶出し、社会問題になりました。そのほか、食べ物、水もBPA汚染が進んでいます。これらのルートから体内に入るBPAの量は、歯科治療のルートで取り込まれる量に比べ,ずっと多いと推定されます。普通のヒトで、体重1kg当たり1〜2μgのBPAが体内にあるというデータが最近になって報告されています。


Q15:現在のシーラント材やコンポジットレジンを使い続けても大丈夫でしようか。
A15:BPAのホルモン様作用ということで問題になることはありません。通常の歯科治療をして溶け出してくると考えられるBPAの量は、細胞への影響が全くないとされる量と比較しても、それを下回る超微量です。


Q16:ポリカーポネートレジンはどうなのでしようか。
A16:ポリカーボネート義歯床では、使用されるレジン量が多いため、BPAの溶出量もやや多くなります。しかし、それは問題になるような量ではありません。なお、矯正用ブラケットおよび暫間クラウンにおいては、その使用量がさらに少なく、したがって問題になる量ではありません。


Q17:シーラント材やコンポジットレジンに使われているBis−GMAは問題ありませんか。
A17:Bis-GMAにホルモン様作用は認められていません。また、現在使用されているシーラント材やコンポジットレジンについても、ホルモン様作用は報告されていません。動物実験でBis-GMAの影響が現れたとする報告もありますが、歯科治療では考えられないほどの多量を用いて得られた結果です。


Q18:BPAを含まない材料はないのですか。
A18:Bis-GMAの代わりに、ウレタン系モノマーを使用した材料がありますが、合成過程での触媒等について留意が必要であるとの指摘もあります。


Q19:安全な代替材料はありませんか。
A19:シーラント材、成形修復用や義歯応用材料には代替材料がありますが、それぞれ生物学的問題点の報告や論争点があります。したがって、その有効性ならびに安全性と患者への問診や既往歴等の診査資料とを総合的に判断した上で、十分なインフォームトコンセントを図りつつ、材料選択を行うことが求められます。


Q20:歯科材料の生物学的安全性はどのように調べられているのですか。
A20:国際的にはISO7405:1997が、我が国では厚生省による製造(輸入)承認のためのガイドラインがそれぞれあります。しかし、これらのいずれもが内分泌撹乱作用を示す化学物質については、規定していません。



 マスコミの中には他にも、数年前に起きた神戸の少年による児童殺傷事件を例に挙げ、環境ホルモンの影響によって攻撃的行動が増すと言っているジャーナリストもいます。しかし攻撃性というのは男性ホルモンによるものであって女性ホルモンと類似した作用を示す環境ホルモンでは攻撃性はむしろ弱まるはずです。少し変な気がします。他にも魚の雌化やワニのペニスの発育不全などの一例に関して、魚類やは虫類や両生類における異常を種族の違う哺乳類の人類にも起きるかのように当てはめる非科学的な報道も過去にしばしばされてきました。


 例えばコアラは人間と同じ哺乳類ですが有袋類に属しユーカリの葉しか食べません。ですからいくらコアラがかわいいからといってコアラに私たちが好むような寿司やステーキといった御馳走を与えても絶対に食べませんし、逆に私たち人間はユーカリの葉しか与えられなかったら死んでしまいます。これが種族の違いといったものです。ですから魚類やは虫類の一部に異常(効果)が起きたからといって人類にも全く同じ異常(効果)が出ると決めつけるのは非科学的ではないかというのであります。余談ですがプロポリスやロイヤルゼリーが歯や歯ぐきの健康に良いと思いこんでいる人もいますが、蜂にとってはいいものであっても人間にとっては何の効果もないということは、この理論からもお分かりいただけるかと思います。

 しかし誤解のないように述べておきますが、私はビスフェノールAやダイオキシンといった環境ホルモン類をこのまま放置してよいと言っている訳ではありません。重金属汚染や化学物質過敏症の人も多くいる訳ですから、もちろん厳重な検討並びにWHOの指針に沿った規制は当然必要だと思います。




 非科学的な報道といえばダイオキシン報道はその代表格でもあります。そもそもダイオキシン類は木を燃やしただけでも発生しますから言うなれば太古の昔から地球上にダイオキシン類は存在した訳です。何もここ最近出てきた物ではないのです。よくダイオキシンは猛毒で家庭用ゴミ焼却炉などは猛毒のダイオキシンが発生するので健康被害を被り危険だと言って大騒ぎする人たちがいますが、ところでその人たちは身近で最もダイオキシン濃度が高い物を知っているのでしょうか。次の表を見て下さい。


表2 平均ダイオキシン濃度
発生源 平均ダイオキシン濃度 (ng/Nm3)
産業廃棄物焼却炉
一般廃棄物焼却炉
金属精練施設
たばこの煙
1.7 〜 490
290 〜 1700
320
5256


河合 尚樹 『ダイオキシンの真相』より



 最もダイオキシン濃度が高いのはタバコの煙です。つまりいくら家庭用焼却炉を使わないようにしたとこで喫煙者であればもちろんのこと、また家族に喫煙者がいれば受動喫煙によって日々ダイオキシン汚染にさらされる危険があります。ですから喫煙者がダイオキシン汚染を声高く訴えるのは実に滑稽な話で、ダイオキシン類をはじめとする環境ホルモンの追放運動をするならまず日本国内だけでもこれが原因で年間10万人以上の人が死んで害のはっきりしているタバコの追放運動をした方が賢明というものです。


 タバコはさらに妊娠中の喫煙により死産も増える、そして他にも妊娠初期に毎日タバコを吸っていた母親から生まれた子どもたちは自閉症の発症する危険が4割も増すという報告もあります。


 リスクとベネフィットという考えがあります。例えば車に乗ることによって交通事故にあう危険が増す訳ですが、私たちはなぜ車に乗るのでしょう。それは事故にあう危険性(リスク)よりも利便性(ベネフィット)の方が高いと認識しているからです。今の文明化の世の中には環境ホルモン類とされる物が溢れています。しかし言い換えるとだからこそ今の文明社会があるのです。ですからもし(リスクのはっきりしていない)環境ホルモン類を徹底的に避けようと思えば周りに文明も何もない無人島で自給自足の生活を送るしかありません。




 最近は『自閉症児・者の数が増えている』と言われ、自閉症スペクトラムの人の割合は約100人に1人との報告もあります。しかしこの背景には診断スクリーニング精度の向上により今までは自閉症スペクトラムと診断されなかった人たちも診断されるようになったということもあります。つまり単に『自閉症児・者の数が増えている』のではなく『自閉症(スペクトラム)と診断される人の数が増えている』というのが正しい表現だと思います。前述しましたようにダイオキシン類などの環境ホルモン類は太古の昔から存在したこと、そして自閉症児・者が増えたといっても診断スクリーニング精度の向上を検討に入れた評価がなされているかなどの点が最低限しっかりしていなければ、環境ホルモンの影響で急激に自閉症児・者が増えたと結論づけるにはまだまだ無理があります。ましてや健康上、害のはっきりしているタバコと比べると、歯科材料と自閉症発症との危険性の関係などは結論づけるには相当無理があります。リスクとベネフィットとの関係を理解した上で、これからも安心して歯科治療は受けて下さい。


 今後もこうして様々な物と自閉症との関連が言われると思います。ですが、研究が進み自閉症の原因が究明されたとしても、その治療法や特効薬が確立するまでには更に時間が必要です。もし特効薬などが出たらそれこそノーベル賞もので、この時こそは医師の主導の下、飛びついても良いと思います。それまでは特に『親であれば効いた、効果があったとされるものは何でも試してみたい』という弱みにつけ込むようなマルチまがいの通販健康食品やサプリメント(本当に効果があれば通信販売よりはるかに効率の良い保険適応薬の承認を受け大量に幅広く売るはずです。会社にとってその方が当然利益になりますから。)、また水銀排出療法や環境ホルモンといったマスコミの曖昧な情報などには振り回されず、環境を整え日々療育に励むのが安定した生活を送るうえで最も現実的、かつ近道であると思います。



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