<2008年6月>
【サプライズの花束】 6月30日(月)
まだ疲れが残る体をひきずって帰宅すると、妻がカゴいっぱいの花を持って待っていた。
「Eさんから、さっき届いたよ!」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
なんと、前妻が結婚祝いをわざわざ送ってくれたのだった。
先日娘の誕生祝を送ったとき、再婚のことと新しい住所を伝えてはいたんだけど。
今までずっと一方通行だったから、突然のことでビックリした。
「ご結婚おめでとうございます。
いつも、気にかけていただいてありがとう。
そろそろ、ご自分の幸せを…と思ってました。
末永くお幸せに! E」
10年ぶりに見る、前妻の文字。
離婚前後から今までいろいろあったけど、やはり一度は人生のパートナーに選んだ女性だった。
Eさんありがとう、心から感謝します。
私はこの10年間、彼女の新しい家庭の邪魔をするつもりは毛頭なかった。
願ったのは、娘の健全な成長と幸せだけ。
そのためには、家族みんなが仲良くしてもらわないといけないから。
最終的な望みは同じでも、そこに至るプロセスに意見の違いがあっただけだと思っている。
お互い悪意を持たず、誠実な関係を続けていれば、いつかわかり合えると信じてやってきた。
「やっちゃん、もう少しだよ…」と、すべてを理解している妻が言ってくれて、二人で涙ぐんだ。
披露宴は妻のサプライズばかり考えていたけど、まさかこんなビッグサプライズがあろうとは。
そのうち娘にも、私と自由に会える日が来るような気がする。
一生懸命世話をした祖父母である私の両親には、元気なうちに絶対に会わせてやりたい。
*****
【心やさしき人たち】 6月29日(日)
仕事が超多忙な時期の、グアム挙式と宮崎披露宴という2大プロジェクト。
それらにまつわる、準備や打合せ。
楽しいんだけれど、それなりに妻も私も毎日ヘトヘトだった。
イベントって何でもそうだけど、やる側は見た目よりも本当に大変。
参加する側が、ついうらやましくなったりもする。
終わってみれば、「ああすればよかった、こうすればよかった」などと後悔するものだ。
いちばん気になるのが、「お客さまは楽しんで、満足して帰ってくれただろうか?」ということ。
その意味で、披露宴に来てくれた人たちの多くから喜びの声が聞けたのは、単純に嬉しかった。
ご自身のブログで、写真入りで好意的に紹介してくれた人もたくさんいた。
びっくりしたのが、デジカメで撮影した写真のデータをCDにまとめて送ってくれた人がいたこと。
自分たちではできなかったことだから、この配慮はありがたかった。
手紙には、(妻が一生懸命に選んだ)引出物がよかったと、おほめの言葉まであった。
みんなやさしいなあ、と思う。
行き届かなかった面が多々あったのは、自分たちがいちばんよくわかっているのだ。
祝い事ということで、心広く目をつぶり、よかった部分だけを語ってくれる人は尊敬に値する。
昨夜は北海道や東京から来てくれた友人たちと、夜中まで飲んでいた。
みたいなことを書いてみたいな〜、といつも思っているのだが、私だけはノンアルコールカクテル(笑)。
そして怒涛のような2ヶ月間が終わった…。
「今日は一切、何もしないぞ〜!」と妻と誓って、いきなりマンガ喫茶でダラダラ過ごす。
二人ともほとんど無言のまま、連続6時間という新記録を樹立した。
その後サウナに行き、マッサージを受けて、天ぷら屋で打上げ、帰宅して爆睡。
*****
【披露宴の少し長い落書き】 6月28日(土)
海沿いのホテルのレストランを会場に、結婚披露宴を開いた。
家族と親戚、そして二人が出会ってから縁のあった友人だけの、カジュアルなパーティー。
それでも遠くは北海道から、約90人がお祝いに駆けつけてくれた。
グアム挙式からちょうど1ヶ月、予想以上に多忙な日々を送ってきた。
前日だというのに、昨夜は遅くまで配席表を作るというダンドリの悪さ。
睡眠不足のためか、会場に着いてブーケを忘れたことに気づき、自宅に取りに帰るというドジぶりだった。
今朝までに、旧交のあった全国の友人たちから、たくさんのメールをもらった。
「文武両道」の読者じっくんさんや、台湾の芸能人大谷主水さんをはじめ、思わぬ人たちからの祝電も読み上げられた。
たとえその場に行けなくても、ちゃんとお祝いの言葉を届ける心配り、今後見習っていきたい。
テコンドー同好会の初代キャプテンN君からは、たくさんの色紙を受け取る。
なんと、初代から現部員まで、全員からの寄せ書きだった。
教師冥利につきるとは、このことだ。
悲しいときの慰めも心にしみるが、嬉しいときのお祝いの気持ちはもっとありがたい。
同情には時として優越感が見え隠れするが、お祝いは嫉妬を克服して、自分が幸せでないと本当にはできないから。
私たちがおつき合いしているのは、ハッピーな他人を自分のことのように喜べる人たちだ。
99パーセント女性のためといわれる披露宴で、私がリクエストしたのはただ1つ。
一緒に入場する場面で、エルビス・コステロの「she」を流してもらうこと。
映画「ノッティングヒルの恋人」(3分の部分から見てください)のテーマソングだ。
小さな書店を経営するバツイチ中年男が、街角で偶然出会った美人女優と恋に落ちる、ロマンチックコメディ。
離婚した10年前から今まで、いったい何十回くり返しこの映画を見ただろうか。
今は落ちぶれたオレだけど、いつか復活して運命の出会いを…なんて、ずっと夢に描いてきた。
「she」をバックミュージックに妻と歩きながら、実はちょっとヤバかった。
10年間ずっと我慢してきた感情が、一気にあふれ出そうで。
一度はどん底に落ちた男が、夢物語を実現させた瞬間だったと思う。
第1部は、参加者のための異業種&異人種パーティー。
各分野で活躍している著名人が多いこともあって、各自A4サイズのチラシを100枚ずつ持参してもらった。
せっかく時間とお金を使って来てくれるんだから、「元を取って」帰ってほしいと思った。
乾杯は、二人からみなさんへ「ありがとう」の気持ちを込めて。
大画面のテレビで、グアム挙式のDVDを流した。
ケーキ「入場」では、妹が作ってくれた「かれん」のケーキのロウソクを吹き消し、夫婦誕生のバースデーソングを合唱。
着物姿の妻が、オープニングで相方さんと日本舞踊を披露。
来週宮崎で国際的なコンサートを開く、塩屋龍也さんによる、フリューゲルホルンの演奏。
友人の浅田さんは、華麗なスパニッシュダンスを踊ってくれた。
撮影に走り回ってくれた、コーチングとファシリテーションのプロ、たぬきコーチ。
第2部は、二人と家族のためのセレモニー。
妻の父親の「おやじバンド」による「いとしのエリー」をバックに、妻がウエディングドレスで母親と入場。
24年前、妻の両親の結婚式で、父親が歌った思い出の曲なのだそうだ。
父親と一緒に、私も「いとしのエリー」をレイ・チャールズバージョンの英語で歌う。
この日のために彼らとスタジオで練習し、生まれて初めての「1人カラオケボックス」も体験した(笑)。
夜にコソコソ出て行く私を不審がっていた妻も、このサプライズのためだったと知って、ようやく納得。
みやさん食品株式会社の会長、樋渡光明さんによる、今度は私たち二人と家族のための乾杯。
妻の妹たちによるピアノ演奏。
おやじバンドは、アリスの「冬の稲妻」の替え歌、「康夫は稲妻」でウケていた。
爆笑しながら、ちょっぴり感動していた。
私と妻の年の差は21歳、父親はわずか4つ上。
実は正式に挨拶に行くまで、まともに話したこともなかったが、認めてくれた寛大さに感謝している。
+++++
1 康夫は 稲妻のように 突然家にやってきた
青ざめた親父 引きこもる 一人部屋で 焼酎飲む
飲みすぎた 記憶なし
飲みすぎた 二日酔い
忘れない 康夫が 我が家に来た その日のことは
2 康夫は 稲妻のように 入籍前にマンション借りた
着々進む 結婚準備 もう止められない どうしよう
家具がきた 娘好み
車買った 娘のため
わかったよ 康夫の 娘への 熱い想いは
忘れない 娘の 幸せそうな 笑顔だけは
康夫は 稲妻のように 子どもをつくる 期待してる
青ざめた親父 楽しみにしてる 自分そっくりの 孫を見ることを
+++++
続いて、私の書いた手紙を、司会でウェディング・プランナーの税田美津子さんが朗読。
BGMは、妻が大好きなnavy & ivoryの「指輪」にした。
+++++
今、グアム島のホテルの部屋で、この手紙を書いています。
夜明けに目覚めてしまって、君のお母さんからいただいた珈琲をいれました。
君は、まだベッドですやすやと眠っています。
ベランダに出ると、外は雨が降っています。
いつものスコール、にわか雨だから、そのうちに止んで、晴れ渡ることでしょう。
今日はいよいよ、グアムでの結婚式です。
出会った頃は、二人ともまだ不安定な状態でしたね。
なかなか本当の自分を出すことができず、強がってばかりいたような気がします。
まさか、まさか、この年の差を超えて君とつき合い、「もう二度としない」と思っていた結婚まで、たどり着くことになろうとは…。
もし奇跡というものがあるとすれば、二人にとって、めぐり逢うまでのプロセスそのものが奇跡でした。
辛いことや悲しいこと、我慢していたこともありました。
でも、そのどれか1つでも欠けていたら、僕たちの人生が交わることはなかったのですね。
今までマイナスと思い込んでいたことが、実はこの素晴らしい日までの、ちょっと辛口な道しるべだったことに気づきます。
過去に傷つけあった人、どん底だった日々、怒りのやり場もなかった出来事さえ、ありがたく思えてきます。
こんな考え方ができるようになったのも、すべて君のおかげです。
「ただでさえいろいろ言われそうなカップルだから、隠さず堂々とつき合おう」と、話し合って決めましたね。
そんな二人を、周りの人たちはみな、意外なほど温かく見守ってくれました。
1日1日は長かったけれど、過ぎてみれば、あっという間の4年間でした。
君のご両親に挨拶をするために、高城の実家まで行った日のことは、一生忘れられません。
こんな僕を快く迎えてくれた、君のお父さんとお母さん。
いったいどんな気持ちで、この結婚を笑顔で受け入れてくださったのでしょう。
君が僕の実家に来て、母と笑い合って話している時。
父に優しく声をかけてくれたり、妹と仲良くしているのを見る時。
この女性を選んで本当によかったと、いつも心の中でつぶやいています。
人生は、本当にわからないものですね。
そんなことを考えながら、今、君の寝顔を見つめています。
生まれてきてくれて、僕の前に現れてくれて、本当にありがとう。
君が大切に思っている妹、RちゃんとYちゃん。
おじいちゃん、おばあちゃん。
ありがとうございます、心から感謝しています。
雨が止んで、少しずつ陽が差してきました。
そしてなんと、幸運の2本の虹、ダブル・レインボーがかかりました。
まるで映画のワンシーンのように、グアムの空が二人の結婚を祝福してくれています。
「ノー・レイン、ノー・レインボー」。
そう、虹が姿を現すためには、雨が必要なのです。
僕たちの大好きな雨は、美しい虹を見るための、幸せの前兆です。
二人の家族が、みんな元気でグアム島まで来てくれたこと。
このエメラルドグリーンの海を、君と一緒に見渡すことができたこと。
挙式はまだこれからだけれど、僕はもう、それだけで十分です。
「止まない雨は、ない」。
落ち込んでいる人を励ます時、よくこの言葉を使います。
でも、もし止まない雨があるのなら、これからは僕が、君の傘になります。
+++++
続いて、妻の母親からの手紙。
BGMは竹内まりやの「うれしくてさみしい日」。
+++++
Mちゃんへ
何百回言っても言い足りないほど、今日のMちゃんはきれいです。
思えばMちゃんが産まれたあの日、
嬉しくて愛しくて、保育器の中の小さなMちゃんが涙で見えなかったあの日、
我が家の全ての歴史が始まりました。
病院の歴史に残るほどの大難産で、命がけで産んだと思っていましたが、それは違いましたね。
Mちゃんの方が命がけで産まれてくれたことに、今さらながら気づいたママです。
パパが「花嫁のパパ」という映画が大好きだったのは、知っていますよね。
花嫁のお父さんのうろたえぶりや行動がおかしくて、今までに何回見ても笑っていましたが、
今回のMちゃんのことに関しては、その動揺ぶり、うろたえぶり、腹立ちは、映画のパパ以上でしたよ(笑)。
どのカップルにも結婚に至るまではドラマがあるものですが、
Mちゃんとやっちゃんのドラマも、とてもステキなストーリーでしたね。
どんどんきれいになって、どんどん優しくなって帰ってくるたびに、
品よくステキな女性になっていくMちゃんの変化を感じるにつけ、
Mちゃんのそばにいる男性がどんなにすばらしい人であるかが、ママにはよくわかりました。
1+1が2ではなく、3にも4にもなる人を、
お互いに選んだMちゃんとやっちゃんの幸せストーリーは、今始まったばかりです。
出逢ったのは奇跡じゃない。
人は出逢うべくして自分にピッタリの人と、ちゃんと出逢うようにできているのだと、そう思います。
最初で最後の本音を言わせて下さい。
Mちゃんと過ごしたのはたった22年。
一緒に暮らしたのはたった18年。
せめてもう少し、私たちのそばにいてほしかった。
Mちゃんの結婚は最高に嬉しいけど、とてもさみしいものですね。
Mちゃんがいてくれた。
ただそれだけで本当によかった。
願うことはたった一つ。
ただひたすら、Mちゃんの幸せだけ。
Mちゃんはとても泣き虫だから、最後に一つだけパパとママは約束します。
忘れないで。
これから先、何があっても私たちは、Mちゃんとやっちゃんを守ります。
たとえ、世界中の人が二人の敵になったとしても、パパとママは二人の味方です。
私たちの娘に産まれてくれてありがとう、Mちゃん。
心からおめでとう、Mちゃん。
嬉しくてさみしいママより
+++++
二人の両親には、「命の米」のセレモニー。
プランナーの税田さんのアイディアで、生まれたときの体重分の米を両親に渡し、その重みを改めて感じてもらうというもの。
米は日本人にとって生きる源であるし、「一粒百行」といって、米一粒ができるまで、農家は百の手間をかけねばならないという。
私は3,700グラム、妻は2,800グラム。
二人とも大変な難産で、帝王切開でこの世に生まれてきた。
赤ん坊を初めて腕に抱いた瞬間を、私の両親には44年ぶりに、妻の両親には23年ぶりに思い出してもらった。
最後のあいさつでは、もう言葉が出てこなかった。
ただ、今日お祝いしてくださったたくさんの方に、「本当にありがとうございました」をくり返すのみだった。
それでも今ふり返って、もっともっと「ありがとう」を言いたい気分だ。
夜に親戚同士での食事会をしたときに、叔母から言われたことが印象的だった。
「あんたは、不幸なのか幸せなのかわからん人だね(笑)」
たしかにね…。
(ロゴ入り写真提供:ローズペタル)
*****
【憂うつ症を全快させる方法】 6月24日(火)
昨日、久しぶりに気持ちのバランスを崩したことを反省し、今日は心機一転。
かつて心がけていた、いくつかの基本に戻る。
ある程度のレベルに達したと思って、ここ最近油断していたのだ。
十分な睡眠、朝の軽い運動。
水分補給、野菜とフルーツ中心の食事。
笑顔を保ち、プラスの口ぐせ。
陸上の大会で入賞した男子生徒に会って、大いにほめる。
クラスの相談をしてきた担任の話を、作業の手をとめてしっかり聞く。
仕事にひと手間をかけてくれた同僚に、心からお礼を言う。
そんな当たり前のことをするだけで、すっかり元気になった。
そして、精神分析医のアルフレッド・アドラーの助言を思い出した。
彼は憂うつ症の患者に対して、いつも同じことを言った。
「この処方どおりにしたら、2週間で全快しますよ。
どうしたら他人を喜ばすことができるか、毎日考えてみることです」
*****
【仕事に助けられている】 6月23日(月)
この3週間担当してきた教育実習生が、お礼の手紙やお菓子と一緒に、実習日誌を提出してきた。
英語の発音がよく、勉強熱心で、こちらの指導を素直に受け入れて実行する前向きさがあった。
ただ、生徒たちと向き合った時の心の弱さが課題だと、謙虚に反省していた。
強くならなくてもいい。
強くなると、人の心の痛みに鈍感になってしまう。
私はそう思っているが、人の前に立つ仕事である以上、やはりリーダーシップは必要だ。
彼女には、そんなメンタル面の話もいくつかした。
しかしそれは、半分以上は自分に言い聞かせる内容だったと思う。
生徒の反応や態度に傷つき落ち込む彼女は、今思えば、私自身の弱い面の鏡でもあった。
午前中の授業で、一部の生徒たちのだらけた様子に、私は不機嫌になった。
それらしいゴタクを並べて説教し、その後フォローしたものの、後味の悪い授業となった。
教職20年のベテラン選手が、大学4年生の実習生と同じレベルで悩む図式だ。
最も大切なことは、人間関係の技術ではなく、物事の見方を変えることでもない。
自分の「状態管理」である。
体調と気分を良好に保ってさえいれば、簡単にへこたれることはないし、ユーモアでかわすことだってできる。
要するに私は、とても疲れていた。
体と心は、密接につながっているのである。
「元気があれば何でもできる!」とは、アントニオ猪木さんの言葉だが、実はすごく深い。
午後、別の教室で授業をした。
ノリのいいクラスで、よく乗せられて雑談に持ち込まれてしまう。
今日も最後のほうで脱線したが、娘の話だったので真面目に聞いてくれて、気持ちよくしゃべらせてもらった。
仕事にウンザリしながらも、仕事に助けられている。
経済的にも、精神的にも。
もし午後の授業に行かなかったら、私の気持ちは曇ったままだったろう。
*****
【私の「父の日」】 6月18日(水)
今年の父の日は6月15日で、娘の誕生日と重なった。
お祝いを買いにデパートに行ったら、どこも父の日一色で、なんとなく寂しくなった。
妻に「一応オレも『父』なんだけど…」と愚痴る(いつもスマン)。
月曜日の放課後、一人の女子生徒が顔を出した。
事情で物心つく前に父親と離れ、相談に乗っていた子だ。
ずっと母親に気をつかって、「会いたい」という気持ちを言えずにいた。
私は口だけでなく行動すると決めているので、彼女の母親と話をした。
「明るい娘が、まさかそんなことを考えていたなんて…」と、決して後ろ向きではない返事をもらった。
そして彼女には、「会えるまでオレが父親代わりだ」と宣言したのだ。
その子が今日、ネクタイをプレゼントしてくれた。
「初めて、父の日のプレゼントをもらった」と言ったら、
「初めて、父の日のプレゼントをしました」。
ちょっと感動の場面だった。
もうひとつ。
今日、卒業生の男子学生が、携帯にメールをくれた。
「プレゼンテーションをする父親を見ていた、娘さんの気持ちがよくわかります」。
彼が小学生の頃、父親(音楽関係で有名な人)が学校に来て、みんなの前で息子の話をしたそうだ。
「照れくさかったけど、とても嬉しかったです」
恥かしいけれど、ちょっとだけ誇らしい子どもの姿が想像できて、なんかすごくいい。
ちなみに当時は、お互い寝ている姿しか見ていないほど、すれ違いの日々だったそうだ。
「娘さんを思う気持ちは絶対に、絶対に絶対に伝わっていると思います。
どんなに離れていても、父親はやはり父親です。
尊敬する中元先生へ」
泣けた〜、思わず。
この文章を読んでくれている、全国の同じ境遇のあなたへ。
…そうなんだって!
忘れてはいけないのは、こんな私にわざわざ時間をとって、気持ちを伝えてくれる人がいるってこと。
掲示板にも、温かい書込みをたくさんいただいた。
コラムに「ノー・レイン、ノー・レインボー」って書いたけど、たくさん流した涙も、いつか虹に変わるのかもね。
*****
【世界一娘を思っているパパ】 6月15日(日)
5月24日以降、ホームページを更新していなかった。
5月29日〜6月2日まで、結婚式を挙げるためにグアム島へ。
出発前までの数日間は、旅行の準備や残務処理でドタバタ。
帰国後はたまった仕事や悩み相談に忙殺され、週末は披露パーティーの前撮り。
昨日が3週間ぶりの「何もない休日」で、迷わず喫茶店のモーニングからスタート。
すっかりリラックスして、グアムであれこれ考えたことを、「コラム」にまとめてみた。
スコール人生論
No Rain, No Rainbow.
職場に復帰してからしばらくは、ちょっとヤバイ状況だった。
せっかく意気揚々と戻ってきたのに、あまりの相談件数と仕事量にお手上げ状態。
授業と相談と教育実習の指導、部活動まで手が回らず、ようやく事務処理を始めるのが夜になる。
朝6時30分出社、夜9時30分帰宅の、15時間勤務が続いた。
そんな実情を知らず、次々仕事を依頼され、要望が寄せられる。
プチノイローゼ気味になり、新婚生活早々、セラピストの妻に愚痴りまくりの大失態を演じてしまった(ゴメン)。
記念すべき日もあった。
6月12日、娘の通う中学校から呼ばれて、生徒全員の前で学校の説明をする機会があった。
500人以上いたから目を合わすことはできなかったが、10年ぶりに父親が語る姿を見てもらえたと思う。
「私には、とても大切に思っている、大好きな中2の娘がいます。
その娘にも、ぜひ来てほしいと思えるほどいい学校だし、そうありたいとがんばっています」
感動の場面と言いたいところだが、超多忙で準備できなかったのと、娘を意識しすぎて、私にしてはあがってしまった。
言いたいことの半分も言えず、なんともぶきっちょなプレゼンテーション。
かっこいいパパを見せたかったのに、かんじんなところでダメなオレ。
休憩でロイヤルホストに寄って、「食べるアサイー」と「飲むアサイー」をダブル注文。
情けない話だが、仕事中の妻にしょんぼりメールを送ったら、しばらくして返事があった。
ヘトヘトになって、いちばん大切な山場を越えた時だったから、読んでちょっとウルウルした。
「Sちゃん(娘)の前で、Sちゃんのことを思いながら話したことが、いちばん大切だよ。
同じ空間にパパがいて、自分に向けて話してくれてることが、Sちゃんには嬉しかったはず。
ずーっと大好きな、いちばん大切な娘の前で話すんだもん、不器用になってあたりまえ。
世界一娘を思っているパパだよ、私は誇りに思う」
今日は、娘の14歳の誕生日。
S、おめでとう。