<スコール人生論>
5月の終わりから6月にかけて、グアム島で過ごした。
メインイベントは、海の見える教会での結婚式。
一生の思い出に残る、素晴らしい挙式だった。
実弾射撃、ジェットスキー、パラセーリング。
久しぶりにビッグに、思う存分遊びまわった。
夜はビーチサイドでバーベキュー、リゾート気分満喫である。
何日目かに、ホテルでインターネットを覗いてみた。
ブログに「死ね」と書かれて自殺した、女子高校生のニュースが載っていた。
申し訳ないけれど、ものすごい違和感を感じた。
気持ちのいい風が吹き抜けるロビーから、コバルトブルーの空と真っ白い雲が見える。
ホテルのプールで昼寝したあとだから、髪はまだぬれたままだ。
こんなサイコーな世界だってあるのに、携帯の小さな画面で見た卑怯者の書込みで命を絶つとは…。
バイトですぐ稼げるようなお金で、3時間ちょっと飛行機に乗れば、目の前に別世界が広がっている。
カウンセラーとして人の悩みを聞き続けてきたが、そんな深刻な日々さえバカバカしく思えてくる。
悩みの解決に時間とエネルギーを浪費するくらいなら、さっさとこっちにおいで!という気持ちになる。
グアムの人々は、悩まない。
少なくとも、日本人が悩むようなことでは。
そんなこと、「どうでもいい」のだ。
スズキというありがちな名前のユニークなガイドから、最初に言われたこと。
「ホテルの時計を見て時間を合わせた人、それ、間違ってますから」
どの時計も狂っているが、特に支障もないので、誰もそれを正そうとしない。
教会の時計も、数年間止まったまま。
ずっと前に閉店した建物も、放置したまま。
台風で飛んだ屋根も、ほったらかし。
約束をしても、時間通りに現れる人はまずいない。
約束自体を忘れている場合が、ほとんどだ。
政府主催のイベントでさえ、時間通りに始まることは珍しい。
スーパーのレジで長い列ができていても、店員がお客さんとペチャクチャしゃべっている。
これだけ自然が豊かなのに、漁業や農業がまったく発展しない。
できるだけ働かないで遊んでいよう、そんなアイランドスタイルが見え見えだ。
電柱が、半分くらい傾いていた。
「まだちゃんと立ってますから」
ヤシの木が倒れていた。
「放っておけば生命力が出てきて、勝手に太陽に向かって伸びますから」(優れた教育論だ!)
「戦争当時の日本軍の戦車が、外に展示されています」
絶対ウソだ。
道ばたにサビた戦車は置いてあったが、動かすのが面倒くさくて数十年過ぎただけに決まってる。
元日本兵の横井庄一さんは、戦争が終わったことを知らず、28年間もグアム島に身を隠していた。
脅威の記録といえるが、こんな小さな島で、彼を28年も発見しなかった島民たちもどうかと思う。
何人かは横井さんを見かけたと思うが、彼らならきっと「ま、いっか」と流したに違いない。
ガイドのスズキ氏が何度もくり返していた言葉が、
「さまざまな移り変わりがあります」
「なるようにしかなりません」
力の抜けた投げやりな語りだったが、よく聞いてみると深い。
実際こっちに住めば、日本人ならイライラすると思う。
それでも、彼らの独特なフィロソフィーには、私たちが学ぶべき点が多い。
台風などの被害もほったらかしと書いたが、じゃあ、どうするのか。
彼らはただ、アメリカ合衆国が復旧の資金援助をしてくれるのを待つ。
無理に自分から動こうとせず、誰かが助けてくれるのを待ちながら、それはそれとして日々を楽しむ。
このノンビリしたこだわらない生き方の秘密は、何か?
私は、南の島独特の天気、「スコール(にわか雨)」が関係していると見た。
名づけて「スコール人生論」である。
この島には、「いい天気」も「悪い天気」もない。
どんなに晴れた日でも、突然のどしゃ降りにみまわれる。
と思ったら、あっという間に雲が消えて、抜けるような青空が広がる。
晴れていても、「どうせすぐ雨が降るんだし」。
雨が降っていても、「そのうち晴れるんだから」。
なるようにしかならないよ、というこだわりのなさが、自然と培われるのではないか?
島も次々と観光化され、いろんな店ができてはつぶれ、知事が変わるたびに物価が上下する。
そんな「移り変わり」を受け入れるというか、どーせどーにもならんからどーでもいい、と関心を示さない。
日本人が必死で求めている、「開き直る」「こだわらない」「手放す」境地が、ナチュラルに身についている。
「人生、晴れの日もあれば雨の日もある」なんて、日本の結婚式のスピーチみたいな言葉がある。
でも日本の晴れや雨は、グアムと比べてそのスパンが長いのだ。
一日中雨だったりするから、いずれ晴れるんだという発想が、生活に定着しにくい。
じゃあ、どうするのか。
年に一度くらいは、グアムに来いである。
たまには心にデッカイ刺激を与えて、人生をリセット、少なくとも微調整はしていかないと。
山に登って遠くに街を見下ろすと、なんであんなちっちゃな場所であくせくしてたんだろう、って思う。
でも、その狭くてゴチャゴチャした街の生活に戻ると、またくだらないことで悩み始める。
人は「悟り続ける」ことはできないんだから、時々山に登る体験を、意識的&定期的に持ったほうがいい。
それを逆バージョンで実感したのが、実は帰国後のことである。
職場に復帰したその日から、子どもたちがたった数人との友人関係の悩みを、切々と訴えてくる。
親たちが、傷ついてるぞどうしてくれるんだと、学校までやってくる。
いくら語り合っても、虚しい無力感だけが残る。
マイナス面をいちいち気にするより、メチャおもしろいプラスをどんどん入れたほうが元気になるのに。
エメラルドグリーンの海を、波しぶきを浴びながらジェットスキーで飛ばせば、そんなことどうでもよくなるのに。
狭く暗い部屋に引きこもってないで、夏のビーチサイドで、砂まみれになって肉にかぶりついてごらんよ。
眠っていた野生のパワーが、腹の底からよみがえってくるから。
いつまでもグチってないで、パラセーリングで空高く飛んで、熱風を感じてみろよ。
生きている実感がわいてくるから。
世界最強と言われたブラジルの柔術家、ヒクソン・グレイシーは言った。
“You lost your job? Go to the beach, man. Get some waves.”
(仕事をクビになった?それじゃあ、ビーチにでも行って、波を楽しもうよ)
この意味は、テレビなんかで見てもダメで、直接行って肌で感じてこそわかるのだ。
(2008/6/14)