<心のDNA〜50万アクセスに思う>

2008年3月27日18時に、このホームページ「文武両道」が50万アクセスを達成した。
2000年2月27日のスタートから、約8年後のことだった。
といっても、本人はカウンターをつけたことすら忘れているありさまで、50万まであとわずかのときに友人がメールで教えてくれた。

「文武両道」のスタートとプロセスについては、よかったらこの2つの文章を読んでください。
http://nakamoto.bunbukikaku.com/memories1.html
http://nakamoto.bunbukikaku.com/memories2.html

8年間で50万ということは、1日平均170件ほどのアクセスになる。
もちろん、50万回といっても、50万人の人が読んでくれたというわけではない。
私自身のアクセス回数も入っているし、1人が何十回もクリックしてくれたかもしれない。

「そのうち1万回くらいは、私かもしれません(笑)」と、掲示版に書き込みしてくれた人もいる。
かつて私と同じような心の痛みをかかえ、8年間も「気まぐれ更新」につき合ってくれた「じっくん」さんだ。
彼は私よりずっと優秀なお医者さんなのだが、「文武両道」を立ち直りのペースメーカーとして使ってくれたなら嬉しい。

仮に半分冗談だとしても、1人が1万回もアクセスしてくれるようなサイトこそ、私の理想なのかもしれない。
5千万人が2回ほどちらっと見て終わるのではなく、2人が価値を認めて5千回読み込んでくれるほうが、文章職人としてははるかに大きな喜びだ。
その意味で、500,000は私にとって、「たかが数字、されど数字」ということになる。

最近よく掲示版に感想を書いてくれる「アキ」さんのように、携帯からのアクセスもあるようだ。
「文武両道」は携帯に対応していないし、コメントも掲示版だけなので、不便をかけていることと思う。
魂を込めて書く側としては、文章の感想ほどありがたいものはない。

記念すべき50万回目のアクセスが、「とし坊」さんだったことも、偶然とは思えない。
私と似たような辛い体験を乗り越え、私と同じくらい素晴らしい出会いに恵まれ、幸せをつかんだ男だ。
格好ばかりつけていた私が彼から学んだのは、私の文章にも大きな影響を与えている、「自分をさらけ出す勇気」だった。

今回のことで、たくさんの人からお祝いのメッセージをいただいた。
1つ1つ、一生懸命読ませてもらいました。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。

その中に、北海道で不動産会社の社長をしている「俊也」さんから、「Mちゃんとこんなやりとりがあった」とのメールがあった。
今回、私がいちばん心を打たれた内容だ。
Mちゃんは大学時代の友だちで、先日20年ぶりの同窓会で再会した女性。

ちなみに、「きよし」とは私(中元)のこと。
学生時代、内山田洋とクールファイブの大ファンで、前川清のモノマネをしてついたニックネーム。
オフ会をやっていただくことがあれば、いつでもご披露いたします(笑)。

+++++(ここから)

<俊也>

Mちゃんとさっきやりとりしたメールに、きよしのこと書いていたので転送します。
ホント、色んな人を救うHPなんやね、きよしのHPは。
以下転送。

<M>

きよしのHPは時々覗いて、パソコンの前で涙したり、拍手したり。
きよしは覚えていないと思うけど、学生時代に言われたある言葉をよく思い出します。
私のようにぐずぐずした生き方ではなく、太陽に向かってしっかりと顔を上げて駆けていると思っていたきよしの日常の中での葛藤に驚きました。

でもどの出来事の中でもキラキラと輝く感性と、少年なように真っ直ぐな心とで一生懸命考えて、生きてきたんだなと感じさせられる素敵な文章ばかりで、初めて読んだ時は涙が止まらず、声を出して泣きました。
そして俊也のblogでも同じ感動を覚えました。
人は気付かないうちに、その存在だけで他の人の心を支えたり励ましたりできるんだなとあらためて思いました。

+++++(ここまで)

「人は気づかないうちに、その存在だけで人の心を支えたり、励ましたりできる」

この言葉は胸に響いた。
こんなダメなオレでも、失敗ばかりでたくさんの人を傷つけてきたバカな男でも、役に立つことがあるんだと。
掲示版やメールでは姿の見えない、私の知らないどこかでは、ひょっとして感謝されているのか?
もちろん、思いもよらず不愉快な気持ちにさせていることもあるだろうが…。

Mちゃんのメッセージに感謝しながら、1つひっかかったことがある。
私が当時Mちゃんに言ったという、「ある言葉」とは何か?
俊也さんに頼んで聞いてもらったら、次のメールが転送されてきた。

+++++(ここから)

<俊也>

学生の時きよしは何て言ったの?

<M>

「Mちゃん、みんな自分のことは最後は自分で決めるんやで」って。
他の人に言った言葉を気にする私に、その人は自分で決めたんだから気にしなくていいという意味からでしたが。
「自分のことは最後は自分で決める」という当たり前の言葉の中の重みがいつも大切な場面で励まして、背中を押してくれます。

+++++(ここまで)

22年前の私が、そんなことを言っていたんだ。
そしてはからずも、その何気ない一言が22年もの間、一人の女性に影響を与えてきたという。
この意味は、私にとってとても大きなことだった。

人には、2つの「死」があるという。
1つは、肉体的な死。
2つ目は、人々の記憶から消える死。
思い出は「存在」の証だから、その人は本当の意味で死んではいない。

さらに、3つ目の「死」があることに気がついた。
いや、最初から3つの「生」と書けばよかったか。

ある人が語ったこと、行動したこと、学んだこと。
これらが、後に残った人たちに、無意識のうちに何らかの「影響」を与えているとしたら。
たとえこの世から肉体が消え、人々から忘れ去られたとしても。
「心のDNA」は脈々と受け継がれ、誰一人として人生は無駄にはならず、「永遠の生」もありうることになる。

10年前に離婚して、2年後には愛する娘に会えなくなった。
寂しさと悲しさと悔しさがエネルギーとなって、その後8年間、こうして書き続けてきた。
43歳の私に、Mちゃんを通じて、20歳の頃の私が語りかけてくる。

「康夫、みんな自分のことは最後は自分で決めるんやで…」

(2008/4/6)

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