<いい感じ>
前回に続いてきわめて個人的な話で、お役には立たないかもしれません。
100回記念のコラムとして自分のために書きましたが、よかったら軽く読み流してください。
一昨年の秋、40を過ぎて人生初のハーフマラソンに参加した。
東国原知事の影響だが、その知事と幸運にもスタートが隣になって、3km地点まで並んで走ることができた。
日頃ジョギングくらいしかしないのでキツかったが、再婚前のケジメとしてもいい思い出となった。
その時に走りながら決めたのが、落書き「2007年10月」あたりに書いた、
「今日限りで、勝敗・記録・数字・単位を追うような生き方は、やめる」ということ。
人生という長距離を走り抜くのに、自分のペースを乱して他人と競い合ってどうする?と痛感。
その後、あくまでも「自分自身との闘い」にシフトチェンジ。
ところがどうしたことか、なかなか心が静まらない(コンセプトが間違ってる証拠)。
そのあたりを妻に説教された話は、コラム「プラスアルファ思考」に書いた通り。
よくスポーツの選手が「ライバルは自分です」などと言う。
「克己(自分に勝つ)」などと紙に書いて壁に貼るとか。
立派だとは思うが、相手が他人だろうが自分だろうが、敵として争うのは同じことだ。
そう、私はまさに自分と「戦って」いたのだ。
「おまえなんかに負けるもんか」って。
言い換えれば、現状の自分を受け入れず、嫌っていたともいえる。
それで、まあ年も年だし、そろそろ自分に優しくしようかと思うようになった。
最後まで絶対に離れず、一緒に死んでくれるのは、この自分だけだしな。
なんでそんな有り難い唯一の存在を、いつまでもイジメなあかんねん。
「人に厳しく、自分にも厳しい」から、
「人に優しく、自分には厳しい」そして、
「人に優しく、自分にも優しい」へ。
さて最近、またフィットネスジムに通い始めた。
昨年夏の大怪我以来、なんとなく足が遠のいていた。
「アップ→筋トレ→有酸素→ストレッチ」のパターンは同じだが、内容をガラリと変えた。
以前は格闘家としても通用する、「弾丸のような肉体」をめざしていた。
いかんいかん、それじゃあ自分に厳しすぎる。
というわけで、ボディビル的なトレーニングはやめ、健康優先で軽めのウェイトを使っている。
そこでつかんだ体と脳の感覚が、このキーワード。
「いい感じ」
言葉で説明するのは難しいのだが、とにかく「いい感じ」にもっていく。
英語の勉強も、「いい感じ」になるように。
読書も執筆も、「いい感じ」になるように。
仕事も家庭も、「いい感じ」になるように。
今さらボディビルダーやK-1の選手になるわけではない。
国際会議の通訳をするわけでも、作家になるわけでもない。
楽しくて豊かで幸せになるために、「いい感じ」を増やしていけばいい。
「勝敗・記録・数字・単位を追うような生き方」は、一昨年の秋にやめた。
今年の春は、「自分自身との闘い」もやめる。
なんでもかんでも、やめちゃう。
ふと思い出したんだけど、「決断」なんてのも、やだねったら、やだね。
「決めて断ち切る!」とか、なんだかツラそう。
不向きなことを無理して行動に移すより、自分の中に「いい感じ」を重ねたほうが、エレガントに成功できそうな気がする。
(2009/3/5)