<2007年10月>
【ハーフマラソン(4)】 10月31日(水)
自分が折り返し地点を回ってみたら、意外とまだ多くの人が後にいたことがわかった。
坂を上ってくる人たちを、「あと少しで折り返しですよ」と励ます。
ヘトヘトになった年配の男性が、「ハイ!」と答えたのが印象的だった。
折り返し地点が21キロの半分とはとても思えなかったが、それは正しかった。
それからず〜っと走り続けて、別の川沿いの道に入てしばらく行くと、ようやく「中間地点」の表示。
マジかよー!?である。
しかし、この中間地点は、私にとって大きな意味を持つ。
なんせこっちは、このマラソンを勝手に人生にたとえているのだ。
ターニングポイントだった「40歳」から、どういう「走り方」をするか。
足はまったく平気、スタミナも十分。
自分だけにとらわれるのではなく、他人のことを気づかう余裕も残っている。
これこそ、「がんばらない」ことの本当の意味なのだ。
走るのがキツくなって歩き始めた年配のカップルに、「大丈夫ですか」と声をかける。
畑仕事の手を止めて応援する老夫婦、タッチしようと手を伸ばす子どもたち一人一人に、「ありがとう」を言う。
水分補給のポイントでも、「ああ生き返った〜」と喜ぶ。
と、一人で悦に入っていたら…。
ガクーン!ときた。
さっきまで軽かった足どりが一変して、ふくらはぎが爆発しそうなくらい痛くなった。
まだゴールまで、8キロ以上。
えらくキツイなあと思って、トイレに入って鏡を見たら、顔面蒼白になっていた。
これはヤバイ。
ここで意地を張って無理をしないのが、人生後半のルール。
焦らずストレッチをして、また少しずつ走り始める。
っていうか、早歩きのほうが速いくらいヘロヘロ状態だった(笑)。
しかし、そこで私は、まったく予想もしていなかった光景に出合った。
(11月へ続く)
*****
【ハーフマラソン(3)】 10月30日(火)
「今日限りで、勝敗、記録、数字、単位を追うような生き方は、やめる」
何度も何度も、この言葉が私の脳裏をよぎった。
なんだこれは?
すでに、「立ち止まる・手放す・求めない」生き方を選んだはずだったのに。
これが、「体感」「実感」というものなんだな。
まだまだ、頭で考えていただけだったんだ。
要するに、私は「飽きた」のだ。
「勝敗、記録、数字、単位」に。
それらは時としてエキサイティングだが、長期的に人を幸せにはしない。
いや、決してそのような生き方を否定するわけではない。
目標の達成に頑張っている人の気持ちは、十分にリスペクトできる。
あくまでも「私を」幸せにしなかった、ということだ。
ここ数年、インターネットや書店をにぎわせている、「成功」「独立起業」「お金儲け」etc.。
彼らはマインドの部分でもひとつの文化を形成し、方向性を見失った人たちに貢献した。
このホームページのコンテンツも、いくつかその恩恵にあやかっている。
家族を失って無一文になった私も、一度はめざした分野だった。
しかし、もうすっかり興味を失った。
購入者をあおるような情報商材の広告や、結局はそれに誘導する目的のメルマガも、読まなくなった。
特別な運と才能に恵まれた「成功者」に憧れて、何とか自分も…と、あえいでいる人がたくさんいる。
その人と同じやり方をしたからといって、もともとの器が違うのだから、同じ結果が出せるとは限らない。
「お金」というひとつの価値を追い求めて、「時間」という何よりも貴重な資産を失い続けている。
マラソンのトップを走っている人たちを、「成功者」にたとえてみる。
素人ランナーが、彼らの練習方法を「モデリング」してみたところで、「成功者」になるのは難しい。
人はみな違う存在で、時期やタイミングも絡んでくるのに、小手先だけ真似ても意味がない。
少しでも気をゆるめたら、あっという間に追い抜かれる。
そんな厳しい位置で、本当に今後も走り続けたいのか?
自分に真剣に問うた答は、「ノー」だった。
もちろん、ぶっちぎりで爆走しながら、ちゃんと沿道の声援に応えているランナーもいる。
人からどう見えようとほっといてくれ、という感じで、本人は余裕で楽しんでいるのだろう。
しかしそうであればなおさら、そんな少数の天才をめざすのは無謀ということになる。
ニンジンは、ニンジンのままで「完全」なのだ。
ダイコンになろうとしても無理なことで、ダイコンもまた、ニンジンには絶対なれない。
ダイコンになることを手放したとき、もっと立派なニンジンになれるということだ。
うどんとラーメンと、どっちが正しい、などということはない。
「好き・嫌い」はあっても、「良い・悪い」「上・下」などないのだ。
自分がうどんだったら、ラーメン屋で売れようなど考えず、うどん好きの人を探せばいい。
マラソンの話なのに、ワケわかんなくなってきたな(笑)。
とにかく私は、「一抜けた」なのだ。
競争から降りた、ご隠居さんなのだ。
*****
【ハーフマラソン(2)】 10月29日(月)
東国原知事の後姿が小さくなってからも、マイペースでジョギング。
綾町は自然が美しく、マラソンコースも、川沿いにゆるやかな山道や田んぼ道を走る。
晴れ渡った秋空と、緑の香りが気持ちいい。
沿道では、たくさんの町の人たちが応援してくれる。
中には、思わずツッコミたくなるような声もあったが。
「まだまだよ〜!」(そんなこと言うか?)
「これからは下り坂!」(ってことはその先は…)
「根性、根性!」(byすっごく太ったオバサン)
ボランティアの人たちが、水の入った紙コップとぬれたスポンジを、手早く渡してくれる。
これをポーンと投げて走り去るのがカッコイイのだろうが、素人ランナーとしては申し訳ない。
いちいち立ち止まってお礼を述べてから、またボチボチ走り始める。
しかし、こんなノンキなことをやっているのは、我々後半組だけである。
トップの人たちは、早くも折り返し地点から引き返してきて、短距離のようなスピードですれ違っていく。
みんな、すごい形相である。
マラソンはよく人生にたとえられるが、けっこう当たってると思う。
必死に走る先頭グループの人たちを見ながら、私はかつての自分の姿を思い出していた。
少しでも早くゴールに到着し、記録タイムを更新することだけを考えていた自分。
一人でも多く追い抜き、目立ち、結果を手に入れ、評価を求めていた日々。
ゴールだけに価値があり、プロセスには意味を求めなかった。
(マラソンに真剣に取り組んでいる方々とは無関係の、たとえ話です)
今日の私は、まったく違う「走り方」をしている。
透き通った川の水、道ばたに咲く草花、日かげの涼しさ。
そういったものを、しみじみと味わいながら。
「こなす」人生から、「味わう」人生へ。
誰からもほめられないけれど、ゆっくりと、みんな笑顔で仲良く。
こんな生き方もあったんだ。
「今日限りで、勝敗、記録、数字、単位を追うような生き方は、やめる」
心地よい汗をかきながら、頭の中にそんな言葉が浮かび上がってきた。
ゆるやかな上り坂の向こうに、折り返し地点が見えてきた。
*****
【ハーフマラソン(1)】 10月28日(日)
綾・照葉樹林マラソンで、ハーフマラソン(21.0975キロ)初挑戦。
きっかけはミーハーで、憧れの東国原知事と一緒に走りたかったから(笑)。
そこでこの数ヶ月間、ジムで鍛えながら、夜に外を走っていた。
願望をイメージすると現実化する、少なくともその現象を引き寄せるという。
私は、またしても証明してしまった。
参加者7145名の群衆の中で、なんと私のすぐ隣に、知事が並んでくれたのだ。
超ラッキー!
スタート直前に、
「どうもどうも、失礼します〜」
と、手刀を切りながら入ってこられた。
いつもながら腰が低いので、知事のあの頭が目の前にあってビックリした(笑)。
同じく私の横におられた、元宮城県知事の浅野史郎さんは、次のように語っていた。
「目標は完走、自分のペースを守りながら最善を尽くす。人生と同じです」
いい言葉だ。
私の目標は完走というより「完ジョグ」、下手すると「完歩」(笑)。
どれだけ他人に影響されず、最後尾でも恥じずにペースを崩さないか。
若者とは違う、中年男の余裕?を自分自身に問いたかった。
大会後にマッサージを予約するあたり、前夜からして若い頃とは覚悟が違うのだ。
スタートから3キロ地点までは、東国原知事と一緒に走った。
一瞬で引き離されると思っていたが、アップ代わりだろうか、しばらくは談笑しながらのジョギングだった。
まさに夢の実現、かつて思い描いた通りの場面がそこにあった。
沿道からの「知事がんばって〜!」という声援に、手を振ってこたえる。
テレビの全国放送だろう、走りながらの飛び込み取材にも、笑顔で応じる。
折り返し地点から戻りながら、あとから来る人たちに声をかけて励ます。
あれだけ真剣に政治に取り組み、多忙な公務をこなしながら、本当にいい人だ。
さて、結果から書くと、なんとかヨロヨロとゴールまでたどり着いた。
途中でふくらはぎが破裂しそうなくらい痛くて、引きずるほど足が重くなった。
最後は歩いたほうが早かったかもしれない(笑)。
東国原知事は、18キロ地点でヒザが動かなくなり、13年間のマラソン人生で初のリタイア。
公務への支障を避け、大事をとって救護車を頼んだら、救急車が来てビックリしたそうだ(笑)。
無理もないよ、あれだけすごい日々を駆け抜けてきたんだから…。
それでもそのあとに、別の祭りと講演会パーティーに出席したそうだ。
それにしても、21キロって長すぎ。
フルマラソンはこの倍なんて、人間業じゃない。
私には、ハーフマラソンが限界というか、人生経験としては十分だと悟った。
東国原知事と3キロも並んで走れたし、何も思い残すことはない。
この21キロの道のりで、いろいろなことを考えた。
いくつか決めたこともある。
それを明日から書いていこうと思う。
*****
【この人となら】 10月27日(土)
「この人となら、幸せになれる」
そう思って結婚する人がほとんどだろう。
しかし、結婚は「夢」ではなく、「現実」である。
「ゴール」ではなく、「スタート」である。
シュールな「物語」ではなく、リアルな「生活」が突きつけられる。
血のつながりのない、生まれも育ちも性格も違う赤の他人同士が、契約の上でひとつ屋根の下に過ごす。
今まで見えなかった部分と、毎日毎週毎月毎年一生、直面し続けなければならない。
相手の兄弟姉妹から負担を強いられることもあり、相手の両親の介護問題も引き受けねばならない。
見知らぬ親族の人々とも、合う合わないにかかわらず、否応なしに関係が広がってしまう。
「この人となら、幸せになれる」
という判断が、いかに甘く危うい感覚であることか。
そんなとき、ある再婚者がつぶやいた次の言葉に、
現実を知り尽くした者の、深い覚悟が感じられるのだ。
「この人となら、不幸になってもかまわない」
*****
【その値段は高くない】 10月26日(金)
脱サラして喫茶店を始めた夫婦を、ひそかに応援している。
出張やドライブの帰りに、立ち寄ることにしている。
カウンターに座ってコーヒーを注文し、雑誌を読んだり、マスターと話をする。
1時間近く長居をしてしまった日も、マスターは立ちっぱなし。
私が立ち上がると、レジを打ちながら、マスターが言う。
「350円です」
350円!
大の大人の時給が、たったの350円。
原価と諸経費をマイナスすれば、300円弱。
ありえない、なんか申し訳ない気持ちになった。
何でもかんでも、二言目には「高い」と言う人がいる。
自分側の生活の視点でしか、ものが見えない人だ。
その商品を提供するまでのエネルギーや、お金や、時間や、場所にまで想像力が及ばない。
店の華やかな表面がすべてで、舞台裏の戦場の様子を知る由もない。
普通にサラリーをもらって、お客さんでいることが、いちばん楽なのだ。
逆の立場になったら、今まで高いと思っていたものが、どんなに「安い」かがわかる。
ハンバーガー1つとっても、もし自分で最初から作るとすれば、どうなるだろう。
まずは畑を耕して、パンを作るための小麦と、タマネギやレタスを栽培する。
たった1個のハンバーグを作るためにも、牛1頭を育てる必要がある。
実践すれば生活が一変するほどの情報が書いてある、1冊1500円の本。
宮崎牛(今年は内閣総理大臣賞で日本一の栄冠に輝いた!)ステーキの、5000円のコース料理。
私にとっては、両方とも「超格安」だといえる。
*****
【両極端を味わう】 10月25日(木)
健康の秘訣でよく言われるのが、次の3つ。
(1)食事はバランスよく、腹八分目に。
(2)睡眠時間は少なすぎず、多すぎず。
(3)運動は軽すぎず、激しすぎず。
要するに、
「適度に、ほどほどに」
ということ。
しかし、これが簡単なようで、意外と難しい。
実は極端なものほど、ついやってしまいやすいのだ。
(a)暴飲暴食、または無理なダイエット。
(b)睡眠不足、または惰眠をむさぼる。
(c)運動不足、または過度なトレーニング。
せっかく(1)(2)(3)を守っていたのに、ある日何かのきっかけで、ペースが崩れてしまう。
1日くらいはいいやと思った(a)(b)(c)が何週間も続いてしまい、自己嫌悪に。
こんなパターン、くり返してませんか?
でも考えようによっては、悟った聖人みたいに危なげなく真ん中を歩くよりも、
せっかくの人生、たまには不良になって、バラエティに富んだ両極端人生を楽しむのも悪くない。
(a)(b)(c)ぜ〜んぶやってみて、週単位などトータルで(1)(2)(3)につじつまを合わせるのってどうだろう。
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【今やろうと思ってたのに】 10月24日(水)
映画監督の、スティーブン・スピルバーグさんのお話。
彼が子どもの頃、兄弟ゲンカが始まると、お母さんは両方の話をじっくり聞いた。
それから、いつもゆっくりと言った。
「わかったわ、それじゃあ、今からケンカを始めなさい」
人間って、アマノジャクなもの。
「やれ」と言われたらしたくなくなり、「するな」と言われたらやりたくなる。
子どもたちは、すっかりケンカする気を失ったそうだ。
「勉強しなさい」
「今やろうと思ってたのに…」
よくあるパターンだ。
言われたために意識してしまって、かえってそうならなくなる。
言わなければ(意識しなければ)、普通にそうしていたのに。
緊張する一瞬。
「リラッークス!」
できないって(笑)。
この心のクセは、意外とやっかいかもしれない。
なんせ意識して言葉にした瞬間、それが消えていくんだから。
「これからは自分らしくいこう」
「きっとうまくいく、大丈夫」
「私はできる、私はできる…」(笑)
プラス思考がうまくいかないのは、こんなところに原因があるのかも。
そういえば、誰かの言葉にこんなのがあった。
「幸せとは?などと考えたとたんに、幸せは消えていく」
何でもないようなことが〜、幸せだったと思う〜のだ。
よけいなことを考えず、流れに身をまかせていればいい。
いかん、そう意識したとたんにできなくなるんだった(笑)。
*****
今朝窓から見えた朝焼け
【言ってるうちは同レベル】 10月23日(火)
「噂をすれば影」という。
これって、何度も冷や汗をかいた体験から、かなり真実に近いと思われる。
噂をするから相手が引き寄せられるのか、相手が近づいているから噂をしてしまうのか、わからないけれど。
人は、自分が発した「言葉」に同調するものと、出合う可能性が高いようだ。
ということは、「裏切られた」とか「許せない」なんて言っている人は、次のことを宣言していることになる。
「言ってるうちは、私も同レベル」。
*****
【判断はあてにならない】 10月22日(月)
好きでたまらなくて告白したのに、つき合ってみたら大嫌いになることもある。
生涯の伴侶だと確信して結婚したのに、数年後には冷たい空気が流れていることも。
こんな体験って、何のためにすると思う?
「人の判断なんて、意外とあてにならないものだ」
と学ぶため、じゃないだろうか。
それなら逆に、「最悪だ」と思ったことが、あとで「最高!」に変わることだってあるはず。
判断があてにならないということでは、同じことでしょ?
どうせなら、こっちの発想を生活に役立てたいよね。
*****
【知る者は言わず】 10月21日(日)
「善い人間の在り方について云々するのはもういい加減で切り上げて、
善い人間になったらどうだ」
(アウレリウス)
いや、まったくその通り。
著名人について熱く語って、自分はぜんぜんうまくいっていないなんてこと、よくあるよね。
「笑顔が大事」なんて言いながら、自分はブスッとしていたり(笑)。
老子は、次のように言った。
「言う者は知らず、知る者は言わず」
語っているうちは、まだまだってことか。
生き方の本なんかが好きで、何冊も読んでいて、人に勧めたりする人がいる。
でも、必ずしもその人が幸せそうに見えなかったりする。
本なんか読んでなくても、書いてある通りの生き方を黙々と続けている人もいる。
歩みは遅く地味でも、根がしっかり張って安定している。
*****
【あっ、そうだった】 10月20日(土)
昨日の落書き「ひとりごと」について、2人の読者の方からステキな書き込みがあった。
ミクシィやブログ全盛の今、旧式の掲示版にわざわざコメントしてくれるなんて、ありがたい。
私自身、とても好きで数年間読み続けているホームページでさえも、「読み逃げ」しているのに。
これだけ恩恵を受けているのに、作者に申し訳なかったなあと、今さらながら反省。
だからこそ、自分も同じ立場を体験させられているのだろうが。
アキさんからは、
>「更新されてない日はガッカリ」よりも、「更新されていると心が弾む」という感じです。
この視点、すごくいいなあ。
じっくんさんからは、
>「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」
という、「言志四録」(佐藤一斉)からの言葉をもらった。
座右の銘だそうだが、まさに私の理想でもある。
さて、以前どこかに書いたかもしれないが、埋もれていたメモをあさっていて、いい言葉と再会した。
「あっ、そうだった!」と思った。
何度も同じ話を聞いてしまう、読んでしまうというのは、まだ自分がそのレベルをクリアしていないということ。
私はそう考えている。
だから、授業で同じジョークを使ってしまったときも、生徒のせいにして開き直るのだ(笑)。
(1)何を得るかより、何を手放すか。
(2)何を目標にするかより、いかに途中を楽しむか。
(3)何をするかより、何をしないか。
(4)他人や社会を批判するより、自分がどう生きるか。
(5)人の期待に応えるよりも、自分の心に忠実に。
(6)新しく何かを求めるよりも、今の環境をどう楽しむか。
*****
【ひとりごと】 10月19日(金)
部活動(テコンドー同好会)の女子生徒から、このホームページを読んでいると言われた。
けっこう役に立っていると言われて、ちょっとオドロキ。
私が高校生の頃なんて、つき合っている女の子のことや、ケンカの勝ち方くらいしか考えていなかったから(笑)。
そんな私も今や、早朝と寝る前に読んでいるのが、
「修身教授録」や「言志四録
」なんていうんだから、変われば変わる。
マンガも大好きだけどね!
数年ぶりにトップページのカウンターをちゃんと見たら、49万件を超えている。
マジかよ、ビックリした。
私は東国原知事の「そのまんま日記」を毎日読んでいるのだが、更新されていない日はちょっぴり残念。
「文武両道」も、もしかして、どこかの誰かにそんな思いをさせているのか?(笑)
離れて暮らしている娘が、いつか読んでくれたらいいなあと思って、本名で文章を書き続けてきた。
2000年2月27日スタートだから、もう7年半が過ぎたんだな。
「文武両道」は、娘が二十歳になる2014年6月15日で完結する。
それにしても、最近は朝夕が涼しく秋らしくなった。
珈琲が美味い季節だ。
この時期から年末年始にかけては、私の「プチ哲学脳細胞」はフル回転する。
次から次へと「ことば」が湧き上がってくる、いや、「降ってくる」が適切か。
そのたびに、手帳やノート、喫茶店の紙ナプキン、そのあたりの紙切れにメモする。
読み返して意味不明なもの、字が汚くて読めないものもある(笑)。
文章化すると時間がかかってキリがないので、今後はそのまま「落書き」していこうと考えている。
感性が似ている人ならピンとくると思うが、ワケわからんという人は読み流してください。
■大切にしていること
「何をするか」ということよりも、
「どのようにするか」ということよりも、
「どんな気持ちでするか」を大切にする。
「どこへ行くか」ということよりも、
「いつ行くか」ということよりも、
「誰と行くか」を大切にする。
人生の目的が、
「何かを得ること」でも、
「何かをすること」でもなく、
「心が安らかであること」だから。
*****
【私のスケジュールの秘密】 10月18日(木)
40を過ぎたここ2〜3年で、私の手帳のスケジュール欄は、ずいぶん「白く」なった。
30代までは、とにかくどんどん予定を入れて、忙しくしているのが充実の証だった。
今のように空欄が目立っていると、なんとなく不安のようなものを感じていた。
でも、それでは体も心も休まるときがない。
自然の中で、深呼吸する時間もとれない。
夜、静かな部屋で本を読むこともできない。
忙しいというのは、心が騒いでいるだけだ。
たくさんのことをやろうとするのは、安心感がないから。
心が満たされていたら、いつも悠々としていられるはず。
あれこれと情報を集めるのも、同じこと。
インターネットが広がり、大量のゴミ情報の中で溺れている人がたくさんいる。
自分の生活や人生に直接関係する情報なんて、実はほんのわずかなのに。
そのことに気づいて、まず、好奇心にまかせてやってきた習い事を、全部やめた。
最近はよほどのことがない限り、新しいことを始めることを自分に禁じている。
だって、忘年会の数が増えるから(笑)。
ネットサーフィンもやめた、テレビも見ない、新聞も読まない。
「それって不便で、孤独じゃない?」
まったくそうは感じない。
それどころか、心の安らぎ度が一気にアップしたのはどういうこと?
それでもちょっと気をゆるめると、あっという間に予定が入ってしまう。
それを防ぐための、忙しくならないスケジューリングの秘密を教えよう。
「予定を書き込む欄が小さい手帳を使うこと」
それ以上、入れようがないから(笑)。
*****
【大人の義務】 10月17日(水)
子どもは、「親よりも幸せになってはいけない」と感じている、と聞いたことがある。
親が嫉妬して不機嫌になることを、無意識で恐れているからだそうだ。
この「幸せ恐怖症」は、特に娘と母親の関係に強く現れるとか。
もしそうだとすれば、親がとるべき態度はひとつ。
「自分が150%くらい、おもしろおかしく毎日を過ごすこと」
そうすれば、子どもは100%幸せになれるでしょ?(笑)
子どもの自殺の理由はさまざまだろうが、
「生きていることがつまらない」
「自分の将来に希望が持てない」
ことは大きいのではないか。
これは、大人の責任だと考える。
「生きていることが楽しくてたまらない」
「自分の将来は希望でいっぱい」
という表情で毎日仕事や生活をしている大人が、果たして何人いるだろうか。
大人たちは、子どもの将来の姿なのだ。
カウンセリングを受けさせたり、「死ぬな」というメッセージを新聞に載せるのもいいだろう。
でもその前に、見るからにうれしそうに生きている大人が増えるべきじゃないか。
それが大人の義務だ。
だから私は、職場でもいつもニコニコ過ごすようにしている。
カンペキじゃないけど、少なくともそうしようと心がけている。
*****
【感情は変化する】 10月16日(火)
カウンセラー養成講座で半年以上、「傾聴」という概念とスキルを徹底して叩き込まれた。
傾聴とは、うなずき・あいづち・短い応答を入れながら、相手の話にじっくりと耳を傾けること。
質問やアドバイスなどは控え、まずはひたすら聞き、相手の言葉や態度に表れる感情を受容、共感する。
今までの私は、ヤル気はあるが一時的に落ち込んでいる人に、モチベーションを与えてきた。
コーチングの「質問」を使って本人に気づかせたり、発想を転換するアイディアを与えていた。
相手のかかえている「問題」をなんとかして「解決」してやろうと、熱くなっていた。
「傾聴だけで、ほんとにいいのかよ」
カウンセリングを学びながらも、けっこう長い期間、疑問に感じていた。
カウンセラーとして現場で実践するようになって、少し考え方に幅が出てきた。
何百という人の悩みを聞いているうちに、ある共通項が見えてきたからだ。
・多くの人は、ちゃんと話を聞いてもらうだけで、かなりスッキリする。
・どんな感情に苦しめられてきたか、誰かに理解してほしい。
時間をかけてじっくり話を聞いてくれる人って、意外と周りにはいないものだ。
たとえ家族でも、「聞いて」いるようで、「聴いて」いないのである。
誠実な傾聴のプロセスがあれば、こちらのアドバイスも素直に聞いてもらえる。
でも、ここ数ヶ月でいちばん大きかった気づきは、次のこと。
この一行が書きたくて、前置きが長くなったのだ。
「人は、いつまでも同じ感情のままではいられない」
どんなに怒っていても、悲しんでいても、同じレベルでキープできるものではない。
まるで天気のように、どんな感情もいずれは過ぎ去り、変化していく。
このことを生活の知恵として「知って」いれば、ひとかどのカウンセラーとしてやっていけるだろう。
*****
【何もないけど毎日幸せ】 10月15日(月)
明日から中間テストで、今日の授業は復習とテスト対策。
生徒たちの机の間を回っていると、一人の女子生徒が笑顔で声をかけてきた。
この子はいつもニコニコとハッピーそうで、今日も週明けの朝から元気をもらった。
「先生、最近何かいいことあった?」
「昨日、週末カフェを開いた。○○は?」
「私は何もないけど、毎日シアワセ」
いいよね〜、こういうの。
楽しい毎日があるんじゃなくて、毎日を楽しく過ごす自分がいるだけ。
社会人の仕事も、学生の勉強も同じ。
「何もないのがシアワセ」
ここまでくると、人生の達人かも。
だって、たとえば歯が痛かったり、ヒドイ風邪をひいてたりすると、
「これさえなくなれば、何も文句なし」
って気分になるもんね。
それなのに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」で、また不平不満の日々に。
わかっちゃいるけど、やめられない。
人間って、ホントどうしようもない生き物だ。
「どうしてそんな発想ができるようになったの?」
「すごく大きな失恋を乗り越えたから」
なるほどな〜。
マイナスを経験したからこそ、プラスを感じ取れるセンサーが身につく。
プラスもマイナスもごちゃまぜの、彩りある人生のほうが、思い出が増える。
別の生徒は、この前まで恋愛がらみで悩んでいたのに、今日は満面の笑顔。
最近、気になる男の子を見つけたらしい。
それも本人ががんばって、本当ならもっと言ってもいいはずの文句を止めたから。
あれほど落ち込んでいても、時が過ぎれば、こんな表情もできるようになる。
これって、周りの友人は、じっくりと観察しておくべきこと。
実際そうなんだから、自分が落ち込んだときも、いずれこんな日が来ると信じよう。
「先生、どうしても元気がない時は、どうしたらいいんですか?」
最近何かあったらしい、他の生徒からの質問。
「無理に元気を出そうとせずに、元気のない自分も認めてやったらいい」
不自然にテンションを上げようとすると、心が疲れてしまう。
天気だって変わるんだから、たかが人間、日によっていろんなバージョンがあってもいい。
ダメな日の自分にもオーケーを出して、それなりに時を過ごすこと。
そのうちに、雲もうっすらと晴れていくものだ。
「調子のいいときの君は好きだけど、調子の悪いときの君は嫌い」
そんなこと言われたら、信頼して愛し合うことなんかできないよね。
自分に対しても同じことで、調子がよくても悪くても、「ぜ〜んぶひっくるめて好き」じゃないと。
本当の自分を受け入れられない人が、本当の他人を受け入れられるはずなんてないんだから。
そんな会話が、たまたま今日は重なりました。
カワイイ生徒たちから「何がシアワセか」を教わって、ラッキーな日。
英語の勉強もがんばってくれよ〜(笑)。
*****
【夢が現実に】 10月14日(日)
学生時代から、長年の夢だった喫茶店。
週末カフェとして、本日小さな一歩を踏み出すことができた。
かつてイメージした場面が、現実に目の前にある。
しかも、天職である英語教師とカウンセラーを続けながら。
贅沢な人生だよね〜。
オープンしたら流そうと思っていた曲を、店内に流す。
MASAYAのピアノ・インストゥルメンタル。
ドラマ「優しい時間」のテーマソング。
とっておきの豆を手動のミルでガリガリとひいて、口の細い銅ポットで静かにお湯を注ぐ。
立ち上る湯気とともに、店内に広がる珈琲の香り。
小説「Cafe Shelly」のように、カウンター越しにお客さんの話を聞く。
と言いたいところだが、実際は朝から遅れてドタバタと準備。
落ち着くまで、珈琲はエスプレッソマシンにまかせっきり。
腹が減って焼きそばUFOにお湯を注ぐと、店内に広がるソースの臭い(笑)。
カウンター越しに、友人たちと爆笑。
それでも私にとっては、一生忘れることのない一日だった。
ずっとサポートしてくれて、今日も一緒にカウンターに入ったパートナー。
今回のきっかけをつくってくれた妹。
貴重な休日に、わざわざ店に来てくれた友人のみなさん。
ありがとう!
初めてのことで、手際が悪かった部分はゴメンね。
今月末に霧島から珈琲の師匠を呼んで、豆の焙煎から特訓してもらう予定。
さらに珈琲の技と心を磨きます。
感動はそのままに、「文武両道」のポリシーとしては、体験による気づきと学びをプラス。
頭ではわかっていても、やってみないと実感できないってことは多い。
今回印象に残ったのは、オープンにあたって言われた、妹の次のひとこと。
妹はこの9年間、手作りケーキと焼き菓子の店「かれん」の経営者兼職人であった。
「好きなことを仕事にすると、逃げ場がなくなるよ」
たとえば、OLが週末に趣味のケーキ作りを楽しんで、ストレスを発散する。
人に食べてもらったら、とても評判がいい。
そこで、独立して大好きなケーキの店を持とうと決心する。
自分の店を出すとなると、職人としてだけでなく、経営者としての能力も問われる。
家賃、人件費、雑費など、お金はどんどん出ていくし、煩雑な事務や税金対策もやらねばならない。
人に頼むと人件費や人間関係の問題が起きて、全部自分でやると体力がもたず、病気になる。
夢を追っていた頃は予想もしなかった、これらのストレスを、どう解消すればいいのか?
そうだ、趣味だ。
「休みの日に、大好きなケーキを作ろう!」
しかしそれは、すでに仕事なのだ…。
逃げ込む場所は、すでに消えてなくなった。
ちょっと恐怖だな〜。
結論として妹が言うには、やはりちゃんとした仕事を持って、定収入を得ること。
その上で、趣味の延長として店を持つのが正解とのこと。
なら、これでいいじゃん。
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【明日Cafe Shellyプチ・オープン】 10月13日(土)
週末だけのCafe Shelly、明日プチ・オープン。
相棒が起きられたら(笑)朝10時くらいから、
私が飽きなければ^^ゞ夕方5時くらいまで、
二人でゆる〜くやっているので、よかったらどうぞ。
明日の私的オススメは、写真にもある次の3つ。
1.ネスプレッソ珈琲
写真にあるカプセルから、お好みの珈琲を選んでもらいます。
東京の某超高級ホテルで、○○○○円で出しているという話です。
専用のエスプレッソマシンで、1杯ずついれます。
2.ハーブティー(ペタル)
オーストラリアのペネロッピ・サッチ氏オリジナルのオーガニックハーブティー。
レモングラス、ラベンダー、レッドクローバー、ローズヒップ、ローズペタル、カモミールのブレンドです。
3.タロッコジュース
イタリア・シチリア産の、赤いオレンジジュース。
行きつけのイタリア料理屋さんで、一目惚れならぬ一味惚れしたジュースです。
濃縮還元じゃないですよ、絞った果汁そのものです。
ランチはやらない、禁煙の店なのでよろしく。
まあ、明日は練習半分ってことで、大目に見てください。
※誤解のないよう、このページ8日の落書きも見てくださいね。
私か相棒の友だち限定で、来てくれる人には地図を送るので、こちらまでメールを。
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【教師より生徒がスゴイ】 10月12日(金)
全日本合唱コンクールで第2位を獲得した、合唱部の演奏(というらしい)を聞く。
ウチの生徒はすごいよ、鳥肌が立った。
全国トップの合唱を生で聞けるなんて、うちの高校は教師も生徒もラッキーだ。
英語の授業ではボーッとしているような印象の生徒も、専門分野になると別人だ。
日頃エラそうに指導している教員を、はるかに上回る才能を持っている。
そこで思った。
教師より、生徒のほうがスゴイ。
教師は、自分の得意な教科だけを教えている。
生徒は、自分の苦手な教科まで勉強している。
しかも、部活動でも大活躍する生徒さえいる。
お坊さんより、庶民のほうがスゴイ。
お坊さんは、立派なことを言うのが仕事。
庶民は、それを聞いて生活の中で実践する。
理屈を語るよりも、行動するほうが大変だ。
その意味では、
ヘリクツをこね回している「文武両道」の作者より、
それを読んで実行する読者のほうが、ずっとスゴイのだ(笑)。
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【20キロ走破】 10月11日(木)
内藤vs亀田のボクシング世界戦を見たあと、20kmジョギング。
今まででいちばん長い距離を走った。
素人にとっては、さすがに長かった。
宮崎の人にしかわからなくて申し訳ないが、コースは次の通り。
大塚台〜大塚町〜高松橋を渡る〜堤防沿いを宮崎大橋・平和台大橋を過ぎて相生橋を渡る。
生目〜跡江〜生目台〜大塚町〜また高松橋を渡る〜宮崎大橋を渡る〜大塚台。
止まらず、しかしゆっくり走ったので、夜9時半に出て、帰ったのが午前0時。
なんと2時間半もかかってしまった。
明かりのまったくない田舎道や山道を夜中に独りで走るのは、ちょっとコワかった。
今日は最初から20km走ろうと決めていたから、10kmまでは楽勝だった。
おととい10km走ったときは、バテバテだったのに。
やはり、目標は高く設定したほうがいいってことか。
ちなみに計画では、15日に20kmを走る予定になっていた。
28日の大会から逆算して、少しずつ距離を伸ばしてきたのだ。
ゴールを決めて紙に書くと、その実現が前倒しになるのはよくあること。
とりあえず、これで綾のハーフマラソンを完走する自信はできた。
あとは無理せずに調整して、当日の大会を楽しむだけだ。
ついに、「東国原知事と一緒に走る」という夢が叶う。
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【Cafe Shellyが現実に】 10月8日(月)
将来の夢は、喫茶店をやること。
「センセイ」を卒業したら、「マスター」と呼ばれたい。
その第一歩として、週末カフェをやらせてもらうことになった。
もちろん、これで収入を得ようというのではない。
あくまでも趣味として、友人だけを招待して楽しむものだ。
大淀川の近くの小さな店で、相棒と二人で日曜日だけのオープン。
夢というのはおもしろいもので、ある日「ひょっこりと」実現する。
「是が非でも願望を達成したい」とこだわると、結果は思わしくない。
それは、運命に対する「ワガママ」であるから、運命に邪魔をされるのだろう。
「やりたいな〜」と思って、あとは大きな力にオマカセする。
すると思わぬ時に、思わぬ人から、思わぬ話が舞い込んでくる。
それは、運命に対する「従順な態度」であるから、運命が加担してくれるのだ。
コール・ミー・マスター、バディ!
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【Cafe Shellyが小説に】 10月7日(日)
親友のたぬきコーチさんが、私たちをモデルに、小説を書き始めた。
タイトルは「カフェ・シェリー」。
http://plaza.rakuten.co.jp/tanukicoach/
舞台は、私たちの夢である喫茶店「シェリー」。
名前の由来は、「文武両道」の読者の方なら、わかっていただけるだろう。
そう、離れて暮らしている、私の愛する娘の愛称だ(本名は漢字3文字)。
おもしろいことに、この小説がスタートした今、不思議なシンクロ二シティが起きている。
リアルタイムでも、「カフェ・シェリー」ができるかもしれないのだ。
明日それが決まるのだが、小説と同時進行の喫茶店なんて、楽しいと思わない?
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【焼肉】 10月6日(土)
今日は妹が、家族と親類に焼肉をオゴってくれた。
手作りケーキと焼き菓子の店「かれん」を閉じて、実家への引越しが終わるのに約2ヶ月。
身を粉にして働いた我々に、ようやく落ち着いた今、お礼がしたいとのこと。
いや〜、食った食った!
とろけるような宮崎牛の霜降り特上ロースで、腹いっぱい。
お酒も飲んで(私以外)、他のメニューも遠慮なしに追加しまくった。
それでも7人で2万円とは、宮崎って本当に食べ物が安い。
一応断っておくと、チェーンの格安店じゃないです。
改めて、宮崎最高(出資者の妹も今日だけは最高)。
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【回転寿司】 10月5日(金)
妹の誕生日なのに、なぜか父の希望が優先されて、近くの回転寿司でお祝い。
私はエビアレルギーで、海産物がダメなので、一流の寿司屋より回ってるほうが好きだが。
食べたのは、焼肉、とんかつ、ウインナー、タマゴサラダ、玉子焼きとかが乗ってるやつ。
典型的な子どもメニュー(笑)。
ちなみに私の大好物は、カレーライス、ハンバーグ、オムライス、スパゲティーなど。
ラーメン、チャーハン、お好み焼き、やきそば、たこ焼きのたこ抜き(笑)。
といっても、実はプチベジタリアンなので、野菜はたくさん食べている。
以前、講演したあとの接待で、高級料亭に連れて行かれた。
すごい会席料理だったんだけど、私は和食ギライで酒も飲めない。
せっかくごちそうしてくれるなら、ちゃんと好みを聞いてほしいよ。
これって、本当によくあること。
せっかくの好意が、「中年男なら和食と酒は誰でも好き」という思い込みで無駄になる。
ボクは、刺身よりもポテトサラダが好きなんだい!
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【プロのライフスタイル】 10月3日(水)
日々、授業の合間に、生徒や保護者の悩み相談を受けている。
自分では意識しなくても、けっこう疲労のたまる作業ではある。
話の内容は、少なくとも明るく前向きなものではないし。
話に聞き入ってしまうと、どうしても感情移入してしまう。
自分の体験と重なる部分があったりすると、つい目頭が熱くなったり。
逆に、「そんなことで…」と思ってしまうこともないではない。
本人にとっては深刻な問題なので、そんなことではいけないのだが。
プロのカウンセラーなら、避雷針のような立場で聞くのだろうか。
感情をぶつけられても、地面にスーッと分散させるような感じで。
それでいて冷たくなく、穏やかにサポートするような。
私にはまだまだ、そんな域には達することができない。
だから少なくとも、コンディションだけは整えておこうと思うのだ。
特に睡眠と休養。
体調が万全でないと、余裕を持って相手の話を聞くことができないから。
毎朝早くから出勤して、毎晩遅くまで残業してヘトヘトになっていたら、プロとして失格。
いつもゆとりを持って、ニコニコして、のんびりした雰囲気をかもし出していたい。
理想としては、勤務時間が終わったら早めに帰り、夕方以降は明日のために英気を養うこと。
組織の中でそのようにしていると、多少の誤解を生むだろうが、やむを得ない。
「隣の芝生は青い」ではないが、他の部署のことはわからないから、楽そうに見えるだろう。
そんなことで左右されないのが、プロのライフスタイルを貫くということなのだろうな。
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【脂肪が燃えれば情熱も燃える】 10月1日(月)
「体が柔軟だと、心もやわらかくなる」という。
そうすると、「脂肪が燃えると、情熱も燃える」のだろうか。
いや、冗談じゃなくて、本当にそうかもしれない。
今日は、久しぶりに外を走った。
28日にハーフマラソンを走るので、そろそろ準備に入らないと。
今月は月・水・金は外を走り、火・金・土はジムで鍛える。
疲れていても、ちょっと運動して汗をかくと、スッキリとする。
頭がクリアになる。
かえってやる気がわいてくる。
「疲れているから、今日はゴロゴロしよう」
それも素敵なことだけど、皮肉なことに、かえって疲れやすい体質になっていく。
日頃から体を動かしとけば、美味しいものも好きなだけ食べられるし。