■村上華岳



村上 華岳

MURAKAMI Kagaku
1888-1939(明治21-昭和14)




晩年の華岳
日本画家。大阪市に生まれる。旧姓武田。本名震一。
1901(明治34)年13歳の時に父が没し、1904年伯母の婚家である神戸の村上家の養子となる。同年、京都市美術工芸学校に学び、同校専攻科を経て京都市立絵画専門学校に入学。卒業制作である<二月の頃>が文部省美術展覧会(文展)で褒状を受け、早くから異色ある画才で注目をひいた。

初期文展時代に<春耕図>や<阿弥陀三尊>(特選)を発表したが、1918年、絵画専門学校時代の同期生の土田麦僊・榊原紫峰・小野竹喬・野長瀬晩花と、新たな日本画の創造をめざして国画創作協会を結成。<日高河>や<裸婦図>などの意欲的な作品を次々に発表した。土田麦僊の華麗な絵画的傾向に対して、宗教的・文学的な味わいのある作風を展開している。

1923年、京都から兵庫県精進村(現芦屋市)に隠退し、国展後期からしだいに画壇を離れがちとなり、1927年(昭和2)神戸市花隈(生田区)の旧居に帰り住んでからは、病気と戦いながら仏画と山水画に集中し、内省思索に努めるとともに独自のやわらかな深みのある画境に到達した。
1939年喘息のため死去。

彼の芸術は、「製作は密室の祈り」とその『画論』の言葉に示されているように、宗教性と美的感性が密接にからみあい、昇華された独自の世界を形成している。多数の仏画と山水画は彼の宗教性と美的感性の濃い純な境地を示すものであり、没後に及んでますます高い評価を得ている。



 ■作品一覧

裸婦図

拈華観音像

牡丹(絶筆)

太子樹下禅那之図

拈華観音

観世音菩薩

雲中散華

羅漢

仏陀国の聖迦●(口+云)爾

崔嵬繊月

崔嵬月光図

秋谿図

青楓谿澗

秋晩楓岳図

寒椿之図

紅白椿花図
   

  [参考文献] 「巨匠の日本画9 村上華岳」(学研)1994