冒険物語
中学時代の思い出
 @由良半島で植物採集
 A観音岳へ植物採集 
    「由良半島で植物採集」                         濱田義勝とひろりん
  
柏で育った子供の頃は、柏崎、須ノ川、そして菊川あたりまでが私の行動範囲でした。なかでも柏坂から観音岳、大浜、諸手の浜、柏崎の石切り場あたりへはよく遊びに行きました。
須ノ川は遠かったのですが、年一度の「お観音さま」の縁日にはもちろん歩いて行きました。海へは小舟で櫓をこいで、少し沖合へ出てから魚釣りをしました。よく鯛や鯖などが釣れました。そんな私ですが、一度だけ由良半島まで歩いて回ったことがあります。

それは中学ニ年生の春休みの時で、理科の植物採集の活動を兼ねて、朝早く大野先生引率で友達の樫元くんと先輩二人で須ノ川に向かって歩き始めました。須ノ川をやっとすぎ村境の鳥越トンネル手前で左へ折れると由良半島です。当時のトンネルは岩石を荒々しくくり抜いただけでなんか怖いようでした。道は砂利道です。平婆をすぎて家串にでます。ここにもトンネルがありました。しかしバスはとおらず、やっと人や荷車が通る程度にあけた狭いトンネルでした。小さな漁村です。小さい小学校があります。道はさらに狭くなりました。

デコボコだらけの歩きにくい山道が段々畑の端を縫うようにありました。魚神山、網代、と小漁村が半島の小湾のすそにありました。途中の船越は「昔、大津波の時に舟が山を越えたことからついた地名」と言われている所なので、立ち寄ってみました。山の背がそこだけ低くなっており小高い岡のような所でした。かけ登って見下ろすと隣村の宇和海が目の前でした。現在は小型の漁船が通る程度の小規模な運河が開通しています。このあたりは…道の不便さとは反対に、海の青さ、幾重にも入り組んだ半島の山並みの美しい風景の連続で、思わず「いい眺めだなあ…」と声が出ました。

そうしてやっと由良岬に到着。高台に立って見渡せば目前の豊後水道、その向こうには九州の海岸線がうっすらと目に入り、まさしく「海はひろいな大きいな…」の歌のとおりの世界でした。しばし眺めて休憩しました。ここは戦時中は見張りの宿舎があったらしく、その名残が大きい建物の跡として残っています。

帰りは岬を右に曲がり、宇和海を見ながら鳥越トンネルまで帰り、やっと柏まで帰ってきました。すべて徒歩でした。中学生の足でしたから約8時間かかりました。植物はあまり珍しいものは採取できませんでしたが、今思うに、中学生で柏から由良半島を歩いて回ってきたのはめずらしいでしょう。貴重な体験でした。柏の海岸も美しいですが、由良半島の景色の素晴らしさはそれに勝るもので、今も私の中で忘れがたい思い出です。
  
                                       (由良半島の写真)

                     柏坂のつわな峠から望む
     「観音岳へ植物採集」                               樫田ナミ子

中学2年生の時に、両親や大勢の人に心配をかけたことがありました。それは日曜日、植物採集に須ノ川へ山本トミエさんと二人で行くことにしていました。ところが樫元の洋ちゃんから「観音岳に植物採集に行くけど…一諸に行こうや!」と誘われて、行き先を変更して男の子たちと一諸に山登りをすることにしました。メンバーは今では正確には忘れてしまいましたが、5人か6人だったと思います。元気に山頂に登り…眺めも良く、下のほうには一面に黄色い菜の花の畑も見え、とてもうれしい気分でした。

峠の木陰で昼休みをしたあと、上槇(カンマキ)という山の集落に通ずると思われる山道をしばらく歩いて行ってみることになりました。冒険心旺盛な頃です。しかし昼のお弁当を持って来なかった二人ぼどは、ふもとへ引き返すことになりました。木陰の枯葉道だったので軽く歩いて行きました。人数も多かったので、おしゃべりしながら楽しく歩きました。いつしか道は下り道になっていて足もはずみました。…しかし、いくら歩いても人家にたどりつきません。どこかの岐れ道で方向を誤ったのかもしれません。引き返そうか…と後を見ましたが、森の中の道は方角もはっきりせず、それに疲れてきたので…このまま道を下りることにしました。

それからまたずいぶんと歩きつづけました。やっと畑のある所まで下りるとホッとしました。しばらく歩くと農家があったので場所をきくと「僧都」と言われました。知らない所です。いつの間にかあたりは夕方になっていました。疲れた足を引きずりながらまた歩き続けました。夕暮れの中にやっと町が見えてきました。城辺です。バス停に行くと、柏方面へのパスの最終便が出た後でした。そこの公衆電話で、洋ちゃんがトッ子さんからお金をかりて柏の高橋商店に電話をかけました。

それから私達は柏への道を歩きました。商店街の明るさとは反対にフラフラしながら歩いていました。長崎の近くで小松くんが「柏の映画館にフイルムを運ぶ小型トラックが御荘から出るぞ、それに乗せてもらおう!」といい出し、運よくその車の前に飛びだし停めて帰る途中、菊川で柏からの迎えの農協のオート三輪が門屋先生と一諸に来てくれました。途中で採った貴重なギンリョウソウを指さして「これがあれば怒られないかもしれん」と言いました。翌日の学校の朝礼で、私達のことが報告され、どこかに行く時はかならずお金を持って行くように、という注意がありました。私達はきまりが悪く…その後はこの話にはなるべく避けるようにしてきました。今でも柏に帰るとこの話が出ます。

兄が「おまえが帰ってこんので心配しよったら、奥の畑で仕事をした人が「男の子5〜6人と女の子2人が観音岳へ登って行くのを見たぜ!」と言うので、大騒動になったんぞ!消防団にも出てもらい親父ら皆が必至で観音岳へ捜しに登ったんぞ!おまえはどこえ行くやらわからん子やった…」
それにしても、山を越えてどれだけ歩いたのか…、遅れると、先に歩く人が立ち止まって待ってくれて、疲れ具合のちがう同級生が気づかい合って歩いたことは忘れられません。失敗だった植物採集…トッ子さんには少しごめんと思っています。中学時代の観音岳登山はさまざまな思いが含まれている懐かしい事件です。
                                         −中学時代の思い出−

   観音岳782メートル
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