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ラジオの洋楽番組で「ユァヒットパレード」があり、高校生の頃よく聞いていたMRTの番組だった。
「夢みるシャンソン人形」とかパットブーンとかビートルズを聴き夢中になった。その若き頃のリスナーとDJが偶然出あった。 |
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洋楽が好き!中須一男さん |
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樫元 洋アナウンサー |
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僕が洋楽を関心を持ち始めたのは中学の時でした。友達からシン
グル盤をもらったのをポータブル電蓄できき、日本の歌曜曲とはち
がう音でいっぺんに興味を持ちました。高校になって本格的にラジ
オをききはじめ「霧のカレリア」「アイドルを探せ」、ビートルズの「ツ
イスト&シャウト」など次々に好きになりました。
ベンチャーズのパイプライン、ビリー・ヴォーンの真珠貝の歌など
演奏曲が流れるのも歌謡曲とちがってよかったです。
そのころ宮崎市民会館でザ・スプートニクスの生演奏を聞きました。
すごく上手でした。都会から帰って来て医療関係の仕事に就き、ま
た40年代のなつかしい曲をきき、気分は今もヤングです。 |
昭和32年にユァヒットパレードをはじめた小田アナウンサーが東京支
社に帰り、つづいて小森アナウンサーが熊本に帰るため辞め、新人の
私が後継になった。1965年、昭和40年のことだ。洋楽は好きだが番
組の担当となるとちがう。一人で50分、しかも毎週だ!洋楽のファン
はなかなか詳しい。
西村楽器店によく行ってはファンの気持をしらべた。ミュークライフは月
刊誌だがこれを読み情報誌は少なかった。でも自分が好きなことでし
ばらくすると慣れた。民放のラジオ局は宮崎ではMRTだけでよく聴か
れていた。自分の好きな番組は初めて担当した「ユァヒットパレード」
だった。いまでも音楽ファンの中には「昔よく聴いていましたよ!」とい
う声をきくことがある。
中須さんは医療のことでお世話になっていますが、「私むかしユァヒット
パレードのファンでしたよ!」といい今でもラジオをよく聞きます。とおっ
しゃるとおり45年まえの番組を昨日のことのように憶えていた。
ベンチャ−ズも熱狂しましたね、宮崎市民会館に来た時見にいきまし
たよ、四人でノーキー・エドワーズもいて…と話が合うのに驚いた。
先日ノーキー・エドワーズがシーガイアに来た時、誘い会ってコンサー
トに行ってみた。79歳になっていたが、まだまだダイアモンド・ヘッド
やパイプラインなど往年のテクニックであった。
1964年小森さんのヒットパレード 1965年私の頃のヒットパレード
1位、ポエトリー、 1位、 アイドルを探せ
2位、ラスベガス万歳 2位、 恋のアドバイス
3位、悲しき水兵さん ¸3位、 ¸真珠貝の歌
4位、ツイスト&シャウト 4位、 夢みるシャンソン人形
5位、サスピション 5位、 カレリア
6位、マイボニー 6位、 ヘルプ
7位、エンゼルトーク 7位、 アパッチ
8位、寂しいだけじゃない 8位、 夜空のトランペット
9位、恋はスバヤク 9位、 ドナウ河の漣
10位、キャントバイミーラブ 10位、 パイプライン
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シルヴィ・ヴァルタン |
ザ・ベンチャーズ |
ビリー・ヴォーン楽団 |
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