話し方クラブ
はじめに…

 私たちは何故「話し方」を勉強するのでしょうか?その理由に…

 自分は口下手だ… ・ 人前でしゃべるのがニガ手だ ・ あがり症だ ・ 会合で時々人前でしゃべらなければいけない… ・ 結婚式の祝辞を頼まれている

など様々な理由があります。ふだん仲間内で話すことにはまったく苦労もせず、楽しいのだけれども、ちょっと改まった席で自分ひとりで何かを話す…となると困る人が多い。なかにはその日が近ずいてくると体調を壊す人もいる。なんとかその役を逃れようと「親の遺言の中に〈お前は人前で話すな〉というのがあるのでお断りします、という落語みたいな話もある。

話し方が突然うまくなる《特効薬》というのはありません。話し方はスポーツに似ています。野球、ゴルフ、柔道…上手な選手の試合を何度見ても、見ているほうはすこしも上手になりません。知識はふえますが…。「話し方」はスポーツと同じで自分が何度も実際に「練習」してみることで上達するものなのです。では、どこで「練習」するか?…それがこの「話し方教室」です。

会社の会議とかPTA総会とか結婚式とか…いわゆるプライベートではない場で話す時に「あがる」のです。何故か、それは、そういう機会が少ないからです。めったにないから緊張してあがる。練習する場もない、いきなり本番では誰でもアガリます。ところが世の中には「話しが上手」な人がいます。しかしそんな人も実は蔭でちゃんと練習しているのです。

宮崎交通の創始者であった岩切章太郎さんは「やさしい話し」が得意だった。MRTが放送を開始した頃、もう50年も40年も前になりますが、当時MRTの会長をしたことがあります。そんなことでお正月あけの「社員新年の挨拶」には岩切さんも出席して「お話し」をされることがありました。当時の社長は岩切さんの弟で黒木芳郎さんでした。黒木社長は「社員の皆さん、放送業界はいずれは電波を空から飛ばして、その衛星から受信するような時代がくる。我々が想像もしないようにコトになる」と言います。きいている社員は、「え〜そんな先の時代のことを言われても…ピンとこないなあ、」という顔をしてきいている。

次に来賓の岩切さんの話になると、こんな話をする。

「みなさんねえ、まだテレビ受像機が高いですね、ウチの近所の奥さんが、MRTは安くテレビを売らんじゃろかい?って言んですよ、テレビ局じゃからテレビを安く売ってくれるんじゃないの?(当時はまだ白黒テレビです。それでも一般の家庭では高かった。映画の「オールウェイズ三丁目の夕陽」の場面のように、近所でテレビを買った家があると、人気番組のときはそのお宅にお邪魔して見せてもらう…時代でした)

だから岩切さんは、MRTもテレビの電波を放送するだけじゃなくて、一般の人が安くテレビを買えるような月賦システムをなんとかできないだろうか?」というようなことを話す。聞いているほうは、将来の衛星放送の話より現実味があるので、つい「そうだなぁ〜」ときき入ってしまう。生活に密着した身近な話のほうが気持に入ってくるのです。

岩切さんの話はやさしくわかりやすい…という評判でした。岩切さんが亡くなって数年後に関係者が資料整理に倉庫を整理していたら、そこで岩切さんの書いた原稿がたくさん見つかった。
アドリブじゃなくて実は原稿があったのです。岩切さんは何か話しを前にして「原稿」を書き、それをお手伝いさんの前で読んできいてもらって、お手伝いさんが、「そこはちょっとわかりにくい…」と言うと、そうかそうか、と書き直し、これではどうかね、と言って、お手伝いさんがわかる程度の表現に変えて練習して、ちゃんと憶えて、あたかもアドリブのように話したのだ…ということがわかったのです。

話上手といわれた岩切さんでも原稿を書く。話がニガ手な私達が原稿も書かず、ぶつつけ本番でしゃべってもいいスピーチになる筈がない。

できるかな、どうかな…と不安をかかえて演壇に出ても、いい結果にはならない。

結婚式の祝辞なども、忙しいのでやっと前の日になって原稿を書いて二三度読んで練習して、よしこれでヨシと思って本番に出ると、やはり不安だ。そこで懐から原稿をとり出して読み始めると一行間違えて支離滅裂になりわけがわからなくなる。

原因はただひとつ「練習不足」です。話し方はスポーツと一緒で《練習・練習》です。十分な練習をして本番に臨む。この「話し方教室」はまさに「練習」の場であります。教室という名称ですが、実際は《道場》なのです。道場で鍛えておくと本番で効果を発揮できます。

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