<2007年11月>

【目の前に一点集中】 11月30日(金)

生徒たちを見ていて教えられたんだけど…。
うまくいっている生徒は、今目の前にあることに集中している。
そうでない生徒は、今目の前にないことに心を奪われている。

たとえば、試験勉強をしているときに、遊びのことを考える。
逆に遊んでいるときに、試験のことが気になる。
勉強のときに勉強に、遊んでいるときに遊びに集中できない。

恋愛にたとえると、もっとよくわかる。
失敗するパターンは、いつも同じ。
目の前の相手を愛することに飽き足らず、別の人のことを考えている。

大人も同じだな。
ハッピーじゃない人って、過去を悔やんだり、未来を心配してばかりいる。
文字通り、過去は過ぎ去って、未来は未だ来ないのに。

というより、明日も未来もないんだよね、本当は。
明日になってしまえば、それは結局「今」になるんだから。
うまくいくたった1つのシンプルな秘訣は、「目の前のことに一点集中」。

*****

【メッセンジャー】 11月29日(木)

「多く説くからといって、彼が道を実践しているのではなない」(ブッダ)
耳が痛〜い(笑)。

私なんかセンセイという職に就いてしまい、形だけは英語やものの考え方について教えているが、当人はまったくのダメ男。
失敗だらけの人生だから「反面教師にして」と言っているのに、いい人だとかお金持ちだとか、激しくカン違いされる。
ファッションセンスがいい、服はブランド物ばかりかと聞かれたときには、思わず吹き出してしまった。

ホームページの文章は自分に言い聞かせてるだけで、本当の姿はエッセイ集「HOW TO 旅」みたいなヒト!
ベンツに乗ってるのは、外車ディーラーの友人から勧められて、中古を100万円以下で買ったやつ!
シャツもネクタイも、イオンで彼女が選んだのをそのまま着てるだけで、休日ははジーンズとサンダル!

偉そうに人生について語りながら、自分の私生活はデタラメじゃないか、といった批判を聞くことがある。
でも、それがどうしたというのだろう。
家族や身近な友人じゃないんだから、問題はその内容を「自分が」実践するかどうかだと思うんだけど。

いい話のメッセンジャーは、プライベートでも「実践ジャー」であるとは限らない。
言動が完全に一致している人がもしいたらスゴイが、そうでなければ、少なくとも次のどちらがいいだろう。

(1)言ってることとやってることに矛盾はあるが、とてもためになる話をしてくれる人。
(2)言ってることとやってることに矛盾がある上、他人の陰口や噂話ばかりしている人。

冒頭のブッダの言葉は、次のように続く。
「この世でたとえ教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を体得し、怠って道からはずれることのない人。
彼こそ道を実践している人なのである」

その通りだろうけどさ。
ほとんどの人は私のような凡人だし、凡人はちゃんと言ってもらわないとわからないんだよな。

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【てげてげ・ぼちぼち】 11月28日(水)

メンタルヘルスの講演会を聞いてきた。
タイトルが「てげてげ・ぼちぼちのすすめ」。
頑張るのはいいけれど、頑張りすぎないようにという内容。

NHKテレビのニュースで、真剣にメモをとる私の姿が放映されたらしい。
眠ってなくてよかった(笑)。
いつもアウトプット、つまり人に伝えるつもりで学んでいるので、メモの量は膨大だ。

「てげてげ」とは、宮崎弁で「ほどほど、適当」という意味。
今まではいい加減な意味合いが強かったが、東国原知事(またかよ!笑)の登場以来、印象がよくなった。
たしかに「がんばりすぎない」という意味では、方言ながらピッタリの言葉だ。

先日の「スマスマ」で紹介された、東国原知事作詞の「宮崎てげてげ音頭」、全国のCDショップに注文殺到らしい。
私?もちろん買いました(笑)。
CD「そのまんま東へ」の頃を思えば、どん底からよくここまで巻き返したなあと感心する。

■人生は旅

人生は「旅」にたとえられることが多い。
目的のある旅、ない旅。
旅にはいろいろなスタイルがある。

多くの旅をしてきた。
北海道の野宿旅、オーストラリアの貧乏旅行。
原則はいつも、「身軽・自由・お金をかけない」。

結論は、「荷物が小さいほど、その旅は大きなものになる」。
なんだ、これを逆に人生に使えばいいんだ。

■多目的ホール

職場に、「多目的ホール」というのがある。
会議、授業、食事など自由に使われている。

多目的ホールは、1つしかない。
でも目的は1つではなく、いろいろだ。
どれが良くて、どれが悪いということもない。

一人の人生もまた、多目的。
価値観や評価は1つではなく、いろいろあっていい。
どれが正しくて、どれが間違っているということもない。

■賞味期限

食べ物に賞味期限があるように、
悩み事にも賞味期限がありそうだ。
どう長くても、せいぜい半年だろう。

賞味期限を過ぎて食べると、お腹をこわす。
賞味期限を過ぎて悩むと、心をこわす。
思い切って、処分することだ。

「この問題も、賞味期限の半年間の辛抱か」
そう開き直ったら、それが半月に短縮される。
あってないような、不思議な賞味期限。

*****

【こなすスピード】 11月27日(火)

また東国原知事の話になるが(大ファンなんで)、彼の殺人スケジュールには本当にビックリする。
いくらマラソンで鍛えているとはいえ、倒れないのが不思議なくらいだ。
あれだけの仕事をこなしながら疲れを見せないだけでも、異才な知事だといえる。

昨日はスマップの料理番組に出ていたが(宮崎は2週間遅れらしい)、宮崎人にとっては超ありがたかった。
マイナーな南国の無名県だったのに、キムタクが宮崎の海について語ったり、地元の食材が次々と出てきたり。
宣伝効果としては、数千万円じゃすまないような内容だ。

そんなスゴイことをやっていながら、たしか「そのまんま日記」では「収録に行った」と、1行しか書いていなかった。
綾マラソンにしても、私にとっては一大イベントだったのに、彼にとっては一日にいくつもこなす仕事の1つにすぎない。
「社会は確実に動いていて、僕は2倍のスピードで動いている」と書いていたが、まさにそん感じで、次元が違う。

私は低血圧(45〜95くらい)で疲れやすいので、仕事後の用事は1つだけ、と決めている。
食べるのも昔からゆっくりで、一時が万事だから、仕事もじっくりやるタイプ。
知事のようなスピード感がないのだ。

本を出してテレビに出て道場を運営してイベントを企画して習い事をかけもちしてスケジュールぎっしりで…。
そんなオソロシイ生活をしていた頃を思い出すと、ゾッとする。
最近はすっかり、ノンビリ屋の晴耕雨読オジサンなのだ。

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【ウソがないこと】 11月26日(月)

「ウソがないっちゅーのは、気持ちがよかですよー!」

第4回県民フォーラムの東国原知事の話で、いちばん印象に残っている言葉。
彼が命をかけて取り組んでいる、地方政治のことだ。
パンツにトカゲを入れて走り回っていたコメディアンが、総理大臣とも対等に話せる根拠はそこにある。

愛人の子として生まれ育ったこと、風俗でダマされた「不祥事」、出版社殴りこみ事件、2度の離婚。
こんなハチャメチャな過去を持った知事は、全国でも珍しいだろう。
しかしそれをまったく隠そうとしないから、仮に非難されても「その通りです」で終わってしまう。

東国原知事の今月の給与は、215,928円。
裏金問題の県への返済分を差し引いた金額だそうだ。
とにかくウソがない。

しかしよく考えると、ウソがない気持ちよさがわかるのは、ウソがある不快さも知っているからだ。
つまり東国原知事は、そのまんま東さん時代に、ウソや隠し事のある人生もあったのかもしれない。
そういうところも共感できて、ますます好きになった(笑)。

同じように、何かとトラブル続きだった人ほど、何も起きない平凡な日々のありがたさがわかるものだ。
朝目覚めて夜床につくまで、健康で普通に生活できるだけで、どれだけ感謝の気持ちがわいてくるか。
それに気づかずに不平不満を言っている人に、ではわからせてあげましょうとばかりに、不幸が訪れるような気がする。

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【プチ悟り?】 11月25日(日)

今日で3日連続のモーニングだァ!(笑)
ああ、おれは本と珈琲があって、ゆっくり文章が書ければそれでシアワセ。
安上がりな男なのだ。

心が大きくなる坐禅のすすめ」という文庫本に、「十牛図」が載っている。
人が悟りに至る道筋を表した、10枚の絵だ。
あれこれ段階を踏んで悟りに至るわけだが、8枚目では無の境地に至って、絵もなくなる。
9枚目では、「あるがままの自然に気づく」とある。

それで終わりかと思っていたら、10枚目を見て笑った。
山奥の仙人のような暮らしから、結局は俗世間に下りてきて、愚か者のようなふるまいで庶民と交わる。
結局、「自分探しの旅」を始めた当時と、やっていることは何も変わらないのだ。
しかしどこか突き抜けていて、人々はその人といるだけで、なぜか幸せな気分になる。

なるほど、これかあ!と、一人でナットク。
そういえば本当にスゴい人は、あんまりスゴく見えない。
言っていることも、シンプルなことばかりだ。
キレ者に見えるうちは、まだまだということか。

悟りにはほど遠い自分をふり返ってみても、非常に低いレベルで(笑)、似たようなプロセスをたどっている。
何かを志して奮闘努力し、見事それを達成しながら、アッサリ手放してバカに戻る。
その小さなサイクルを頑張って、すぐ飽きて、また平凡な日々を愛することのくり返し。
「それなら、最初からやらなきゃよかったのに」と、自他ともにツッコミが入る。

高校時代、クラスメートに言われたことがある。
「哲学の本とか読んでるけど、かえって悩みが増えるだけやろ?
 それなら最初から難しく考えずに、気楽に生きたほうが得やん。
 どうせおまえも、結局は平凡なサラリーマンになるんだから」

彼の予言した通り、私は今の彼と同じく、平凡なサラリーマンになった。
築き上げてきたものも、集めてきたものも、ど〜でもよくなってきた。
当時バカにしていた、仕事が終わったら家に帰って「メシ、フロ、ネル」のオトーサンに近い。

でも、何かほのぼのとシアワセなのだ。
バカな私を見て、人が少しでも元気になれば、もうそれで十分満足。
見かけは同じかそれ以下でも、どこか見えない部分が変わっているのかもしれない。
変わってなくても、別にいいけど。

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【格差社会を生きる知恵】 11月24日(土)

うちの家族は、母も妹もグルメで、私も食事にはお金を惜しまないタイプ。
しかし父はまったく逆で、洒落たレストランや高級な食材の価値をまたく理解しない人。
だから、外食をするときの店選びにいつも困る。
「コース料理 vs ちゃんぽん」みたいに、意見が真っ二つに分かれるからだ。

話題の「MICHELIN GUIDE東京2008」で三ツ星を取った寿司屋が、テレビに出た。
エビアレルギーで海産物を食べない私が見ても、実に美味しそうな寿司だ。
小沢さんと同じ「壊し屋」の異名を持つ父が、そこで一言。
「こんなもん、小僧寿しと何も変わらん」

長年修行を積んだ職人の技と心が光る、三ツ星店の寿司と、小僧寿しが同格。
小僧寿しの人でも、とりあえずはひっくり返る、爆弾発言である。
しかしこれは父の本音であり、「腹の中に入ればみんな同じ」なのだそうだ。

特選宮崎牛のヒレステーキや、伊勢海老の生きづくりを食べさせても、何も感じない。
定食屋の焼き魚か、うどん屋のほうがマシだと毒づく。
というより、家でごはんと味噌汁があれば、本当に何もいらないという人なのだ。

しかしこれって、ますます広がる格差社会において、最強の生き方かもしれない。
格差は、比較することから生まれる。
リング上で闘うから、勝者と敗者に分かれるのだ。

我々は「勝ち組、負け組」などと聞いて、つい二者択一のワナにはまってしまう。
しかし、最初からリングに上がる気もない生き方だってあるのだ。
父はある意味、執着やこだわりを手放した、老子哲学の究極の具現者かもしれない。

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【酷評について】 11月23日(金) 

久しぶりに体調バッチリ。
喫茶店でモーニングのあと、犬を連れて墓参りに行く。
その後、評判のいいイタリアンをテラスで楽しむ。

夕方から映画「象の背中」を見て、涙を流す(以下3行、ネタばれ!)。
48歳の男が肺ガンで余命半年を宣言され、治療を拒否し、死ぬ前に会っておきたい人たちを訪ね歩く。
「死ぬまでは、生きていたいんだ」
最期はホスピスで家族と過ごし、「死期を悟ったら消えていく像にはなれなかった」で終わる。

この映画は、主人公に愛人がいたことで、特に女性から酷評されているようだ。
あえて不倫を設定したこと、作品としての価値、俳優たちの演技までバッサリ切り捨てる。
心の広い妻や素直な子どもたち、サラリーマンにしては大きな家や車を「ありえない」と非難する。
受け入れられないトラウマがあるのかもしれないが、映画は現実を見に行くものかなあ。

私は、「毒舌」や「酷評」が好きになれない。
大衆ウケするものを否定することでスッキリしたり、キレ者に見せたいのかもしれないが。
聞かされているほうは、ウンザリしていることがほとんどなのに。

リングの上で闘っている選手を見て、あれこれ言う観客。
そのひょろい腕と出っ張ったお腹でよく言えるなあ、と思ってしまう未熟な私。
「じゃあ、アンタがリングに上がって相手してやったら?」と言いたくなる。

Amazonの本のレビューを見ると、必ずといっていいほど「ぜんぜんダメ」みたいな評がある。
本を書いたことのない人だ。
1冊の本を書くのがどれだけ大変か、どれだけ多くの人が、どれだけの思いをもってかかわったか。
想像力のカケラもない。

と、毒舌で酷評を熱く語る私である(笑)。
でも矛盾するようだが、絶対に批判をしない、いいことばかりを言う人もまた困るのだ。
「この人が評価するなら」と、インターネットで実にくだらない情報商材を買ってしまったことがある。
敵をつくらないようにホンネを隠すのはズルイともいえるし、難しいとこですな。

*****

【10日間総括】 11月22日(木)

しばらくぶりの「落書き」更新。

■13日(火)〜15日(木)
風邪が治らないので、再度病院に行って薬を変えてもらう。
症状が少し落ち着く。

■16日(金)

元テコンドーオリンピック候補の大谷君が、テコンドー同好会の指導に来てくれた。
台湾でプロのモデルとしても活躍中のスターで、生徒たちも大喜び。
まだ声の出ない私も助かったが、こんな気のいい男が慕ってくれることがありがたい。

■17日(土)
学校の参観日。
声も少し戻り、なんとか授業をこなす(使用教材)。

■18日(日)
英検の面接委員。
受験生たちは緊張の面持ち。
この前まで彼らの側だった自分が、今はエライヒトみたいに扱われている。
より自戒して謙虚に、やさしくならねば。

■19日(月)
何もない休日がない病み上がりの週明けは、さすがにキツい。
部活動(テコンドー同好会)は、来月放映の「学校へ行こう!MAX」の撮影。
家に帰って、文字通りバタンキュー(死語)。

■20日(火)
トップクラスの宮崎牛を出す焼肉屋で、がんばったごほうびと風邪の全快祝い。
日本一に輝いた牧場から落札したとろけるような特上ロースを、バンバン注文する。
究極のシアワセ。

その後、映画「ALAYS続・三丁目の夕日」を見る。
「こんなベタな映画で感動するのはバカだ」という論もあるが、私、バカでいいです。
ハッピーになるために映画を見てるんだから。

■21日(水)・22日(木)
三連休をめざして、ひたすら働く。
といっても、声が出てスムーズに授業ができるだけでストレスフリー。
風邪で2週間ほど無言状態を通して実感したのは、私たちは日頃しゃべり過ぎってこと。

*****

【ノックアウト】 11月12日(月)

昨夜は寝ると咳き込んでしまい、ベッドに座ったまま眠るしかなかった。
今朝起きてもまだ声が出なくて、授業も部活もできそうにないので、やむなく仕事を休む。
哲学の秋?ということで、ヘンな人と思われる覚悟で、メモの中から適当に抜書きしてみた。

■「良い」「悪い」

自然界に「良い」「悪い」はない。

太陽は、「悪い人には降りそそがない」とは言わない。
空気も、「良い人にだけ吸わせてやる」とは言わない。

なぜ、自然の一部にすぎない人間が、
他人のことを「良い」「悪い」と裁けるのか。
傲慢ではないか、浅はかではないか。

海も山も川も空も、雲も月も星も、
どんな善人にも、どんな悪人にも、
その美しい姿を見せてくれる。

人間だけが、差別をしている。

■西行

西行は、「仏を一体つくるつもりで」歌を一首詠んだという。
私もまた、そんな気迫で文を打っている。
たとえそうは見えなくてもね。

■武道家の心得

我が身を謹んで、これを正しく保つ。
心を高ぶらせず、静める。

■大人の条件

自己哲学の確立。
理想の生活の明確化。

■2つの覚悟

教師として、人の前に立つ覚悟。
カウンセラーとして、心を扱う覚悟。

■珈琲の飲み方

まず、香りを楽しむ。
次に、ブラックでそのまま味わう。
好みで、ミルクや砂糖を入れる。

珈琲の飲み方は、
私たちの感情にも、応用できるのではないか。

まず、その感情がわいてきたことに気づく。
次に、そのままの感情をじっくり味わう。
好みで、プラス思考やマイナス思考を入れていく。

■行き詰る理由

うまくいかないのは、理由がある。
方法まちがっているから。

行き詰るのにも、理由がある。
別の道があるから。

■一番大切

「一番大切」というからには、
それは「1つ」しかないはず。

それなら、「一番大切」と言いながら、
他に気持ちが移ったりするのは、
「一番大切」にされていないからだろう?

■信じる

「信じていたのに、裏切られた」
考えてみたら、変な言葉だ。

「信じる」というのは、「疑わない」ということ。
本当に信じているなら、裏切りさえ認識しない。

「信じていたのに、裏切られた」とは、
「本当は信じていなかった」
の裏返しかもしれない。

■よくやった

「よくやった!」というのは、
成功した者に対する、成果についての言葉のようだ。

しかし、たとえ失敗に終わったとしても、
実際に行動に移したのだから、
「よくやった!」ではないだろうか?

■卒業

「もう○○からは卒業!」そう言う人を、
最初から○○をしていなかった人は、せせら笑う。
結局、自分たちと同じになったからだ。

だが、卒業するためには、まず入学する必要があった。
その間に、数年間の学びと気づきがあった。
入学を拒んで卒業もしなかった人たちとは、
見かけは似ていても、どこか一味違う。

■善因善果・悪因悪果

善いことをすれば善いことがあり、
悪いことをすれば悪いことがある。

科学的な根拠はないが、経験則から真実に近いと思える。
ずっと昔から、釈迦もキリストも言っていることでもあるし、
まず信じて間違いのない原理の1つだろう。

■得意平然・失意泰然

勝っておごらず、平然としていろ。
負けて悔やまず、泰然としていろ。
勝海舟の信条だ。

すべては変化していく。
得意は失意の、失意は得意の、前ぶれにすぎない。

■あとはおまかせ

「絶対に願望を達成したい」という気持ちでは、
達成されないか、一時的に達成できても、結果は悪くなる。
運命に対して、ワガママだから。

「精一杯やってあとはおまかせ」という心境なら、
運命に対して従順な態度だから、運命が味方をしてくれて、
夢がかなうものだ。

■リストアップ

「夢や目標をリストアップしましょう」
成功や幸せのセミナーで、よく言われることだ。

しかし、大事な視点が抜けている。
「その人の器以上のものは、手に入らない」

誰もが、「テイクのリスト」しか作らない。
今すぐ、「ギブのリスト」を作ろう。

「ギブのリスト」で人を喜ばせた結果として、
「テイクのリスト」以上のものが与えられるだろう。

■ありがとう

「ありがとうを、たくさん言いましょう」
そうすれば、感謝するようなことが起きてきます。

これまた、講演会などでよく聞く話。
同じように、何かが足りない。

ありがとうを「たくさん言われる生き方」もまた、
幸せなものではないだろうか?

■トイレ掃除

いつも赤字が出ている会社があった。
店長に「君は何をしているのだ」と聞いたら、目を輝かせて、
「私は毎日、トイレをピカピカになるまで磨いています」

「店を繁盛させることを一生懸命に考えるのが店長の役目で、
そんなことは新入社員にやらせればいいではないか」
「研修で、トイレ掃除をすれば繁盛すると教わったんです」

何が大切で、今いちばん何をしなければならないか、わかっていない。
経営コンサルタントは、ため息をついた。

■欠点という名の穴

欠点ばかりで「穴だらけ」の人は、魅力的だ。
発想を変えれば、輝くチャンスに恵まれている。
穴を気にせず、心の中に「火」をともすことだ。

「穴だらけ」の容器の中で、ロウソクをともす。
穴から光がもれて、暗闇の中で美しく映える。
穴から酸素が入って、ますます火は燃えさかる。
穴が多いほど、より個性が引き立つ。

■職業

職業そのものは、夢や目標の対象ではない。
「何になりたいか」ではなく、
「どんな○○になりたいか」こそ大切である。

昔、武士は武士、商人は商人にしかなれなかった。
「どんな武士(商人)になるか」というテーマしかなかった。
だからこそ、立派な武士や商人も出てきたのだ。

今は、努力次第で何にでもなれるという時代。
だから逆に、「どのような○○に」「どのレベルの○○に」なる、
という志が失われてきている。

職業名より、その仕事を通じて何がしたいのか。
それさえハッキリ自覚していれば、極端に言うと、仕事は何でもいい。
私はこのことを、オーストラリアの田舎のロッジで窓ふきをしていた、
一人の陽気なオジサンの、笑顔と口笛に学んだ。

*****

【ダウン】 11月11日(日)

6日(火)・7日(水)
なんとか仕事をこなし、早めに家に帰り、できるだけ寝る。

8日(木)
県民フォーラムで、東国原知事の真ん前に座って話を聞く。
改めて思ったが、この人は日本一の知事だ。

9日(金)
昨夜から咳が止まらず、授業をしていたら、声がまったく出なくなった。
病院に行ったら、はやりの風邪という診断。

10日(土)
久しぶりの、何もない休日。
風邪がますますヒドくなったので、部屋で本を読んだり、ビデオを見て過ごす。

11日(日)
7ヶ月に渡って週末をつぶしてきた、産業カウンセラー養成講座の最終日。
よりにもよって風邪で欠席したが、とにかく終わった。

あいかわらず声が出ないし、体が重い。
本当にハーフマラソンを走ったのと同じ体なのか?(笑)

*****

【ダウン気味】 11月7日(水)

2日(金)
母、古稀の誕生日。
家族で食事(宮崎観光ホテルの「一木一草」)。

3日(土)
月刊「タウンみやざき」主催の、フリーマーケットに参加。
一番人気で、ブランド服300円がバカ売れ。

4日(日)
産業カウンセラー養成講座(来週末で終わり)。
夜は「ミヤチク」のステーキで打上げ。

5日(月)〜今日
風邪でダウン気味。
仕事はなんとかこなすが、夜は8〜10時間寝ている。

週末カフェ、ハーフマラソン、ジムでのトレーニング、フリーマーケット、カウンセラー養成講座。
週末なしで動きすぎた、反省。
年明けにはカウンセラーの試験もあるし、当分の間、仕事意外の活動は休止。

しばらくは表舞台から消えて、雲のようにの〜んびり暮らします。
あしからず。

*****

【ハーフマラソン(5)】 11月1日(木)

もう止まってしまおうか、とさえ思っていた矢先。
私たちは、思いもよらない人たちからの応援を受けた。
ある施設の前を、通り過ぎようとしたときのことだ。

車椅子に乗ったおじいちゃん、おばあちゃんたちが、一列になって拍手している。
自分たちは歩けないのに、みんな一緒に、満面の笑顔で。
泣けた、これには泣けた。

もし自分が逆の立場だったら、果たしてあんなスゴイことができるだろうか。
いろいろ偉そうなことを言っている人は多いけど、私もヘリクツばかりこね回しているけど。
あのおじいちゃん、おばあちゃんのほうが、人間としてずっとずっと上じゃないか。

足が痛い?ふざけるな。
あの人たちは、自分はもう歩くことさえできないのに、健康な足で走っている私たちを応援している。
残された手段である、拍手と、笑顔で。

金がない、時間がない、能力がない、健康じゃない、仕事がキツイ、人間関係がイヤだ。
文句ばかり言ってないで、今自分にある能力を使いつくせよ、少しくらいは他人のために。
この光景を私に見せるために、ハーフマラソンに出場させたんだな、「何か」が。

私にとっては長い長いハーフマラソンも、そろそろ終わりに近づいていた(ように思えた)。
だって曲がり角の手前で、人のよさそうなおばあちゃんが、ニッコリ笑って言ったんだ。
「どうも、お疲れさまでした〜」って。

そのカーブを過ぎたら、待ちに待ったゴールのゲートが…なーい!
その代わりに、「あと2キロ」という看板が。
マジ体力が残ってたら、今来た道を戻って、ばあちゃんの首しめようかと思った(笑)。

「アメがありますよ〜」
カゴいっぱいのアメを配ってくれたおばちゃんには、本当に助かった。
疲れきった体に、黄金糖の甘さは効いた。

まだ小さくて可愛らしい女の子が、
「あと1キロ、がんばって〜」
自分の娘から言われたみたいで、苦しかっただけに、ウルウルしてしまった。

やっとの思いで最後の橋を越えて、なんとかゴール、一応完走だ。
誰も迎えてくれることのない、一人きりの静かで地味なゴール(笑)。
東国原知事と同じ道を走りたかっただけの、ミーハー中年男の無謀な挑戦が終わった。

ふと思い立って、私よりさらに遅い人たちを応援しに行く。
本当に苦しそうな表情の、同じ21キロを走ってきた仲間だ。
見知らぬ間柄なのに、励ましの声をかけると、心に温かいものが通い合った。

結果は、途中でバテてしまった分、予想の2時間半を超えた。
しかし、必死に頑張ってあと30分や1時間縮めたところで、何になる?
そんな中途半端な記録より、楽しみながら気持ちよく走れるほうが、私にとっては100倍いい。

人生のどん底からでも、40を過ぎても、また輝けることを教えてくれた東国原知事。
ありがとう。
よくやった、お疲れさん、自分。

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