創作神楽曽我兄弟(宮崎伝説) 
宮崎千年神楽シリーズ4

プロローグ
 曽我兄弟の父、河津三郎祐泰(すけやす)が工藤祐経(すけつね)の家来、大見小藤太と八幡三郎によって暗殺されたのは、安元二年(1176) 十月、伊豆奥野で行われた狩の帰途でした。暗殺の背景には、祐泰の父伊東祐親と工藤祐経との間に伊豆久須美荘をめぐる所領争いがあったといいます。父を失ったとき、兄の曽我十郎祐成(すけなり)は5歳、弟の曽我五郎時致(ときむね)は3歳でした。兄弟は武士道の面目にかけて仇討の達成を念願しましたが兄弟の母は、身辺の平穏を望み、わが子に仇討ちの志を捨てさせようとしました。しかし、兄弟の父への思慕と、仇祐経に対する憎しみは強くなっていきます。

一幕 小袖
十郎)そもそもこの所に進み居でたる者、曽我十郎祐成と申し候。(礼)また、これなるは我が弟にして曽我五郎時致と申す者にて候。(礼)我この所に出できたる事は、余の義に有らず。今をさか登れば18年前、伊東の赤沢において工藤左衛門祐経の家来、大見小藤太と八幡三郎により父河津三郎祐泰は闇討にあいし候。工藤左衛門祐経は頼朝公と富士の巻狩を行っていると聞き及びては、我々兄弟は父の仇を討つために工藤左衛門祐経の陣屋に討ち入り本懐を遂げようと思いし候。されど、その前に母に会いに駒足を進めばやと思うなり。
     ・・・・・・舞・・・・・
(十郎)母上に申し上げ候。父を殺した工藤左衛門祐経を討ちに行く前に母に別れを告げるため弟・五郎と参りし候。そして母の意に背むき元服した弟・五郎時致の勘当を解いてもらいたきに候。
(母)十郎は存知あげておりますが、五郎時致とは誰れのことです?そういえば箱根の寺に出家させた箱王という愚か者がそうでありました。その者は母が出家せよと申したのに聞きもせず元服し、勘当したのにここまで来るとは、ますます許すことが出来ませぬ。
(十郎)これから父の敵を討ちに参りし候が、我一人では力が足らず弟・五郎時致を頼みにするほかございませぬ。母より五郎の勘当を解かれずば、父の本懐を遂げることはできませぬ。なにとぞなにとぞ五郎の勘当をお許しくだされや。
(母)河津三郎祐泰が闇討に会いしことは、悲しいことではありますが、天下泰平と汝らの平穏を望むのが母の気持です。
(五郎)お久しゅうございます母上、五郎時致です、父上や母上のことを思い、毎日お祈り申し上げ、忘れることは出来ませんでした。武士の本懐を遂げるため兄と共に父の仇を討ちに行くことをお許しくだされや。
(十郎)母上、弟五郎に顔をよく見せてくれませぬか。兄弟で母上の顔を見るのはこれで最後となります。弟五郎の元服を許されずとも我々兄弟の気持は変わりませぬ。これで今生の別れとなります。母上、母上も末永く元気でおられますようにとお祈り申し上げ候。
       ・・・・・・立ち去る・・・・・
(母)十郎、五郎!母は涙であなたたちの顔が見えませぬ、この小袖が母からの最後の祝いの門出の品となります。
(十郎)母上、ありがたしもったいなし、もうこれ以上のものはありませぬ。されば最後に別れの踊りを舞いし候。
        ・・・・・舞・・・・・
(母)母はあなたたちが本懐を遂げられるよう観音菩薩へ祈願に参ります。


二幕 大巻狩 

   ・・・・・・入場・・・・・
(祐経)そもそもこの所に進み居でたる者、工藤左衛門(すけつね)と申し候。(礼)また、これなるは我が家臣にして仁田四郎忠常と申す者にて候。(礼)この所に出できたる事は、余の義に有らず。18年前我が家来、大見小藤太と八幡三郎により河津三郎祐泰を闇討にし候、よって伊豆久須美荘所領を奪い源頼朝公とりなし・・・今日は、源頼朝公が富士山麓にて大巻狩を催し、最後の狩場として白糸の滝付近に陣を構えし候。されば、陣屋に帰り最後の奉公をいたせし候。
         ・・・・・・舞・・・・・
(祐経團三郎、陣屋にいかなるものも通さぬように申しつけるぞ。
團三郎)心得申して候
           ・・・・・・退場・・・・・
三幕  白糸の滝 
                  ・・・・・・入場・・・・・
團三郎)そこに立ち向かいたるは、汝如ら何なる者ぞ。その顔を見てみれば、亡き我が主君河津三郎祐泰の面影がありし、我は河津三郎祐泰に使えた團三郎なり、もしや、曽我の兄弟にてましますか?
(十郎)いかにも、我ら曽我の兄弟、自らは十郎、これなるは五郎なり。
(十郎)父の仇工藤左衛門祐経は頼朝公と富士の裾野で巻狩を行っていると聞き及びて候、されば工藤左衛門祐経の陣屋に討ち入り本懐を遂げようと思いし候。團三郎殿、なにとぞ、なにとぞ工藤左衛門祐経の陣屋にお連れ下されや
團三郎)十郎殿、我も祐経に捕われ18年亡き主君の仇を討つため汝らをお助け申し候。

四幕 本懐  
祐経)汝らいかなるものぞ
(十郎)そもそも自らは河津三郎祐泰の子、曽我十郎祐成。また、これなるは我が弟にして曽我五郎時致なり。ここに居でしは、我が父、河津三郎祐泰の本懐を遂げんと来し候。
祐経)我を工藤左衛門祐経と知っての振る舞いか!
(十郎)我らも、天地神のご加護を受け、ここに工藤左衛門祐経を速やかに成敗いたさん。
           ・・・・・・刀を合わせる・・・・・
祐経飛んで火に入る夏の虫。汝らを返り討ちにしてくれようぞ。いざや立会い勝負、勝負
            ・・・・・・舞・・・・・
(十郎)祐経の首を討ち取り、河津三郎祐泰の仇討ち本懐遂げたり。
           ・・・・・・礼・・・・・
五幕 兄十郎斬殺
(十郎)そこに立ち向かいたるは、汝らいかなるものぞ・・・
仁田四郎忠常)自らは工藤左衛門祐経の家来、仁田四郎忠常なり。主君工藤左衛門祐経を討ち取られたなれば、ここに汝らを退治せばやと思うなり。我がこの切っ先受けそうらえや。
(十郎)汝一命を惜しむものならば、早々にこの処を立ち去るべし、立ち去らざるによっては、天つ御神の御稜威を背に受け、汝一命射とどめんこと只今なり。いざ勝負・勝負。
          ・・・・十郎斬られる・・・
仁田四郎忠常)十郎を討ち取ったり!我も鬼と化し曽我一族らを討ち取らんとぞと思うなり。
團三郎)あいや待った、五郎殿をお助け申す。
      ・・・・仁田四郎忠常斬られる・・・
(五郎)あら残念なり無念なり、父の本懐とげたるも、兄十郎はやつらの剣の錆になるとは無念なり。團三郎殿、最後まで共に戦いたきものであるが我が母上に父の本懐を遂げたことをお伝え申し候。
團三郎)心得申して候。
(五郎)さらば我は頼朝公の寵臣工藤左衛門祐経を討ち取りたるは頼朝公に刀を向けたも同然。只今より頼朝公に拝謁いたさんと喜び勇んで立ち返らん。
      ・・・・・・舞・・・・・・・・・
プロローグ
弟五郎は頼朝の御前目指して奔参しましたが、大友能直に制せられ、小舎人五郎丸に捕らえられてしまいました。翌29日。五郎に対する尋問が行われ、五郎は、将軍に拝謁を遂げた後は面前で自害するつもりだったといい、皆を驚かせました。兄弟の仇工藤祐経は、頼朝の寵臣でしたので、その人を討つということは、頼朝を中心とする東国の武家秩序に対する反逆でありました。従って仇討ち成就は死を覚悟しての行動であったのです。頼朝は五郎が稀代の勇士であるため助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆きを見て、断首による処刑を申し渡しました。彼らが使用した刀は、箱根神社に奉納されています。現在も工藤祐経の墓や兄弟が密談をしたといわれる曽我の隠れ岩や源頼朝の命によって兄弟の霊をなぐさめるためにつくられた曽我八幡社があります。曽我兄弟御霊を鎮めるため、ここに神楽を奉納し仇討ち伝説を神楽で残すものです。

原稿作:Kanai             曲:日向橘寿獅子七人衆       協力:       
曽我 工藤一族 演奏
曽我十郎祐成小林学 工藤左衛門長友芳立 大太鼓 :金井
曽我五郎時致石村卓也 仁田四郎忠常未定 締太鼓 :清水
曽我兄弟の母:畑中勇人 笛   :山下
團三郎未定
手打鉦  :伊崎