プロローグ
時は、奈良朝時代、百済の国は、西暦660年、唐と新羅の連合軍により滅亡。百済の王族・武官たちは日本に逃れた。安芸の厳島へ上陸するも、安住の地とはならず、再び海路を南にとる王族の一団、二艘の船があった。一隻には、王の禎嘉王と第二王子の華智王。また一隻には、第一王子の福智王と王妃たちがあった。
途中激しい風雨に襲われ、日向のお金ヶ浜に漂着した禎嘉王たちは、占いにより南郷村神門に、また蚊口浦に漂着した福智王は、球を投げ定住の地を占い木城村比木にそれぞれ仮の宮居を定め、国王たちは安息の日々を過ごした。しかし、平和な生活も長く続かず禎嘉王たちの所在を突き止めた追討軍は神門に攻め入って来た。
禎嘉王は坪谷の伊佐賀坂に陣を張り、敵を迎え撃った。だか形勢に利なく、第二王子華智王は戦死を遂げた。やむなく王は名貫の里まで退却、追討軍を前に、野に火を放った。追討軍は火勢に悩まされて後退したが、禎嘉王も流れ矢に当たり傷ついた。これを伝え聞いた比木の福智王は石河内、中股、雉野、渡川の豪族七人衆を率い父王を助けに来た。援軍を得、味方の士気は大いに上がり、ついに追討軍を打ち破り、勝利を治めた。しかし、王の禎嘉王は矢傷がもとで他界、共に王に仕えた多くの人達も殉死した。
後に、福智王は永くこの地を治めた、里人の尊敬を集め比木神社に神として、同じく禎嘉王は神門神社に、王の妃、此伎野は大歳神社に、華知王は伊佐賀神社にそれぞれ祭られた。1300年余の時間を超え、散り散りになった王族の御霊を鎮めるため、ここに神楽を奉納するものである。
一幕 宮居定め
禎嘉王:そもそもこの所に進み居でたる者、百済の王族こと、禎嘉王と申し候。(礼)また、これなるは我が第二王子にして、華智王と申す者にて候。(礼)我この所に出できたる事は、余の義に有らず。こたび唐、新羅との戦にて、我が国、百済は滅び倭の国に逃れきたるところなり。神門大明神の導きにより南郷は神門に宮居を定めんとし駒足を進めばやと思うなり。
♪故郷を追われて幾歳か 火棄を 隠れの里ときめ 急ぐ旅路に姫君の 幼き命 露と消ゆ あーあーあーあー 時うつろいて 今もなお 憐れを誘う 宿の坂♪♪
・・・・舞・・・・
二幕 追討
興元将軍:そもそもここに忍び現れたるは、百済の国を滅ぼしたる新羅のけい衿憧軍団の興元将軍とは我がことなり。またこれなるは、軍師豆迭と儒史の伊屑儒と云う者なり。今度、百済の国を滅ぼしたるが、新羅の国より兵を従え百済の王族を追討すべく倭の国に渡りし候。倭は日向の国、神門に百済の王族が逃れ来て潜んでいると聞きおよびては、今より神門に立ち向かい百済の王族を討ち取る所存成り。
・・・・舞・・・・
三幕 伊佐賀坂の陣(第二王子の戦死)
興元将軍:そこに立ち向かいたるは、汝如は何なる者ぞ。
禎嘉王:自らは百済の王族、禎嘉王なり。如何なる者にてましますか。
興元将軍:おお我はこれ、新羅のけい衿憧軍団の将軍興元なり。新羅より倭の国へ海を渡り汝らを討ち取らんとするものなり
禎嘉王:汝一命を惜しむものならば、早々にこの処を立ち去るべし、立ち去らざるによっては、神門大明神のご加護を頂き、天つ御神の御稜威を背に受け、天の弓、天の神剣の威徳をもって、汝らが一命射とどめんこと只今なり。
興元将軍:あーら面白きことを申すかな、いざや立ち合い勝負・勝負。えい、・・・(斬り付ける)
とおっ
・・・舞・・・・禎嘉王弓に当る
禎嘉王:
華智王!
華智王:父上!
・・・・舞・・・・華智王討ち取られる
興元将軍:第二王子華智王を討ち取ったり!我ら夜叉となりまた、我も鬼と化し百済王族らを討ち取らんとぞ思うなり。
四幕 援 軍
福智王:そもそも自らは百済の王、禎嘉王の第一王子、福智王なり。また、これなるは倭は日向の豪族、益見太郎なり。(礼)ここに居でしは、我が父禎嘉王をお助けせよとの夢に現われし神門大明神のお告げにより、益見太郎ら七人衆と共に神門へと駒を急ぎ進めんと思うなり。♪虫の音しげき 秋のくれ 突如湧きたる 暗雲に いざ出陣と 兵士らの 上げたる雄叫び こだまする あーあーあーあー 小丸伝いに 征く空に 百済王家の 幸祈る♪♪
・・・・舞・・・・
福智王:我、福智王参上つかまりしこと、我が父、百済の王、禎嘉王に申し上げ候。
禎嘉王:おっ、待っていたぞ、第一王子、福智王よ・・・・。
福智王:倭は日向の豪族、益見太郎とともに憎っくき唐・新羅の追討軍を成敗すべくここまで急ぎ来候。
禎嘉王:第二王子華智王は、残念、無念、唐・新羅の追討軍の刃に掛かり討ち取られたり。
福智王:何と!あら無念なり。百済の国も滅ぼされ、第二王子の一命も落とすとは、我が弟よ・・返す返すも無念なり。亡き百済王族に誓い、必ずこの仇を打ち取る所存なり。
我ら神門大明神、引木大明神の護身徳を得、天地神のご加護を受け、ここに唐・新羅の追討軍を速やかに成敗いたさん。
・・・・舞・・・・
五幕 最後の戦
・・・・舞・・福智王・益見太郎・・・
えい、とおっ・・・(斬り付ける)
興元将軍:汝らいかなるものぞ・・・
福智王:自らは百済の王族、禎嘉王の第一王子福智王なり。また、これなるは倭は日向の豪族、益見太郎なり。父禎嘉王を助けんがためまかりこしたなれば、ここに汝らを退治せばやと思うなり。我がこの切っ先受けそうらえや。
興元将軍:何のこれしきの援軍、百済王族打ち滅ぼしてくれようぞ。いざ立会い勝負・勝負。
・・・・追討軍二人が切られる・・・・
興元将軍:あら残念なり無念なり、我、鬼となり千年も万年も生き長らえて百済の王族を滅ぼさんと思いしが、今我が兵ら、汝らの神剣の錆になるとは無念なり。さらば我が妖術をもって汝らを討ち取らん。
・・・・舞・・・・
六幕 勝利の舞
福智王:あら、嬉しやの、神門大明神、引木大明神のご加護により唐・新羅の追討軍も退治し、天下泰平となりたるうえは、この地、神門に我が百済王族を祭らんと思うなり。また、ここ神門、木城に宮居を定めんとし喜び勇んで立ち返らん。♪ あら嬉しや あら喜ばしや これやこれ あーあーあーあー 舞い奉る 栄まします栄まします あーあーあーあー♪♪
・・・・舞・・・・
エピローグ
神門神社には百済王の遺品とよばれている二十四面の銅鏡、馬鈴、馬鐸、須恵器がある。銅鏡の中には奈良の正倉院と同一の物をはじめ、飛鳥の渡来人を代表する鞍作氏の氏寺といわれる坂田寺跡から出土した鏡と同じものが三面あり、長屋王邸跡から見つかった鏡と同型の物など、現在日本にある唐式鏡300面のうち17面がある。よってここに百済王族と益見太郎七人衆の伝説を神楽で残すものである。
原稿作:Kanai | 曲:日向橘寿獅子七人衆 | 協力:宮崎市大坪保育園 | |
百済王族 | 新羅花郎軍 |
演奏 | |
禎嘉王(ていかおう):小林学 | 大太鼓 :金井善嗣 | ||
華智王(かちおう):未定 | 軍師 |
締太鼓 :清水三貴 | |
福智王(ふくちおう):石村卓也 | 笛 :山下礼生奈 | ||
益見太郎(ますみたろう): 未定 |
手打鉦 :伊崎知可子 |