創作神楽鍵屋之辻(綾伝説) 
宮崎千年神楽シリーズ6

プロローグ
 寛永111634)年、伊賀上野(三重)鍵屋の辻で剣豪荒木又右衛門が義弟の渡辺数馬の助太刀をして、父のかたき河合又五郎を討つ。このとき、又右衛門が倒した4人のうちの1人に竹内玄丹がいる。その玄丹は綾の深山の洞くつに住み、「鬼玄丹」と言われていた。
 寛永6年、武者修行中の又右衛門は、旧知の佐土原藩武術指南役・諸口一宇斎を訪ね、そのとき法華嶽寺参拝を勧められ、法華嶽下門前(しももんぜ)に現れた。又右衛門は傍らの標識を見ると、急ぎ足で上門前の参道へ消えた。
 ここ上門前に破れ法衣をまとい、腰に荒縄を巻き、素足で右手に六尺棒を握り、目は鋭く、あたかも仁王のような荒法師がいた。彼は又右衛門の前に立ちふさがり、又右衛門が「そこをのいてくだされ、参拝の者だ」と言うと、玄丹は大声で「名を名乗れ、われは当山きっての荒法師玄丹であるぞ」と応じ、2人の間に決闘が始まる。
 しかし、天下の柳生新影流の前には、さすがの玄丹も平伏。又右衛門は「本来ならこの場で切って捨てるところだが、寺の門前で殺生は好まぬ。心改めて仏門に励め」と諭して別れた。
 玄丹は試合に負けたのが悔しかったのであろう。その後、洞くつで自然を相手に剣の修行に励み、暮らしは米、麦、野菜に獣肉と川魚を炊き込んだものを常食とした。これが綾町に残る「玄丹鍋」の起こりと伝えられている。
 たまに腕だめしに、佐土原に出掛けた。当時の佐土原は商家が軒を並べにぎわっていた。薩摩藩の支藩で、剣客も集まっていた。玄丹は道場を荒らしたり、商家に押しかけ、無理を言っては施しを受けたりしたため、後年この所業が大げさに伝えられた。
 あるとき、玄丹は人吉へ修行に行った。ここで河合又五郎が旗本の手を離れ、九州へ落ちのびることを知った。途中、又右衛門などの襲撃が予想され、いま一度又右衛門に見参したいと、5年余りの洞くつ暮らしから京都へ上り、又五郎一行に加わった。
幕 荒法師 
玄丹)そもそもこの所に進み居でたる者、綾の深山の洞くつに住みつく竹内玄丹と申し候。()
綾の山は我の治めるものなれば、いかなる者も勝手に通さじと思うなり。
   ・・・・・・舞・・・・・

二幕  法華嶽寺参拝
又右衛門)そもそもこの所に進み居でたるそれがしは、荒木又右衛門と申すものにて候。()この所に出できたる事は、余の義に有らず。武者修行中の身なれど旧知の佐土原藩武術指南役・諸口一宇斎を訪ねし候。こたびは、法華嶽寺参拝を勧められ、法華嶽下門前(しももんぜ)に駒足を進めばやと思うなり
     ・・・・・・舞・・・・・
又右衛門そこをのいてくだされ、冷厳新たなる法華嶽を参拝するものにて候
玄丹)我こそが綾で名だたる荒法師玄丹であるぞ。我の剣の相手をしなければ身包み脱いで置いていくのだ。
又右衛門)何と!盗賊ごとき行い、我を静に通し候や。
玄丹)無駄な説法・・いざや立会い勝負、勝負
       ・・・・・・舞・・・・・
又右衛門本来ならこの場で切って捨てる候なれど、寺の門前で殺生は好まぬものなり。心改めて仏門に励むがよい。三幕  洞窟
(法華岳和尚)そもそもこの所に進み居でたる者、我が名は法華嶽寺の和尚チン斎と申すものにて候。毎晩この寺に妖怪が出ると聞き及びて今夜は我が法力で捕まえようと思うなり。
      ・・・・・・舞・・・・・
1.ここに楽団がいるけど、しゃべることができんけん、おいが自己紹介しちゃろうと思います。一回しか言わんけんの、よう聞いちくだされ。我は法華嶽寺の和尚◎◎と申すものにて候。またこれなるは、またこれなるは、またこれなるは、またこれなるは、申すものにて候。
2.妖怪退治するためには妖怪を誘い出さんといけんちゃ。宮崎県知事も推薦する郷土料理でも作ろうと思っち、冷や汁が縁じゃなかろうかと思うて、まず門川で取れた小アジなどの白身の魚を焼き、身をほぐし、香ばしく焼いた麦みそを合わせて、すり鉢ですりつぶし、・・・・・だし汁でのばして、青ジソ、ゴマ、キュウリなどを混ぜ、麦めしにかけて食べるちゃが。まこち暑い宮崎の夏ならではの最高の料理、熱いご飯に冷たいかけ汁をかけてサッと食べるとてげうまいちゃが。県知事より宣伝してしもた。これなら妖怪も来るじゃろうて。
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おう!誰か来たので、木の陰から様子を伺うことにしょうと思うなり。
太鼓の後ろに隠れる
       ・・・・・・入場・・・・・
玄丹
洞窟にて自然を相手に剣の修行に励んみ大権現の力をいただき修行の満願を得たり。
      ・・・・・・舞・・・・・
(法華岳和尚)あいや!待った妖怪の正体見たり。
玄丹)よいところに現われた。我が妖術を試してくれようぞ。
      ・・・・・・舞・・・・・
玄丹)しからば我が妖術をもって憎っくき荒木又右衛門を討ち取らんぞと思うなり。
四幕 鍵屋の辻の決闘
又右衛門)汝らいざ待たれよ。河合又五郎一行とお見受けいたす。
玄丹)いかにも、これにおわすは河合又五郎なり。汝らいかなるものぞ。
又右衛門)待っていたぞ憎っくき又五郎!これなるは、又五郎に殺害されし渡辺源太夫の弟渡辺数馬と申すものなり。我、荒木又右衛門が助太刀いたす。
玄丹)待っていたぞ、又衛門。我こそは日向の国は法華嶽下門前にて汝に恥じをかかされし荒法師玄丹なり。我が妖術をもって汝の首を討ち取らんぞと思うなり。
又右衛門)何と!我を柳生新影流の使い手、荒木又右衛門と知っての振る舞いか!
玄丹飛んで火に入る夏の虫。汝らを返り討ちにしてくれようぞ。いざや立会い勝負、勝負
    ・・・・・舞・・・・・

又右衛門今回は容赦せぬここに汝を退治せばやと思うなり。我がこの切っ先受けそうらえや。
       ・・・・・・舞・・・・・
五幕 勝利の舞
又右衛門心を改め、坊主として修行に励むよう申したのに、残念なり無念なり、玄丹と言えども坊主にあることはまちがいなし、これより供養し天下の平安を祈らばやと思うなり。
     ・・・・・・退場・・・・・・・・・

 
 又五郎は大阪から船で九州へ向かうと見せ、実は伊賀から伊勢のコースをたどった。その途中、鍵屋の辻の決闘となり、玄丹は深手を負って落命したのである。このとき、又右衛門は「心を改め、坊主として修行に励めと言ったのに、今度は容赦せぬぞ」と言ったという。

鍵屋の辻の決闘とは
 寛永7年(1630)7月11日、備前国岡山藩士の河合又五郎が、同僚の渡辺源太夫を、私情から出た突発的な理由をもとに殺害したことに始まり、兄である渡辺数馬が姉婿である荒木又右衛門を筆頭に4人の助太刀のもと、悲願である又五郎一行を見事討ち果たした(寛永11年)、日本三大仇討ちの一つに残される実伝である。

原稿作:Kanai 曲:日向橘寿獅子七人衆   協力:上村自治会
荒木又右衛門小林学 竹内玄丹:長友芳立 演奏
渡辺数馬石村卓也 河合又五郎畑中勇人 大太鼓 :伊崎知可子
法華岳和尚鈴木智子 締太鼓 :山下礼生奈
笛   :清水三貴
手打鉦  :金井善嗣