ふるさとの思い出
母と子供たち
 
私が中学生の頃、弟妹そろって写った数少ない写真。
春、畑に桃の花がきれいに咲いたので、それを背景に父が撮影した。

いつも厳しい父なので子供が緊張して直立不動で写っている。
宴席以外では笑顔を見せることが少ない父だった。
私が高校3年の時だ。大阪で働いている浜田義勝くんが冬に帰ってきて写真をとってくれた。町で働いていると田舎の景色がなつかしい、といって何枚か撮った。
弟の隆と母が普段の格好のままカメラに写った。母の笑顔が「ほら、お母さんより背がちよっとたかいよ、」と喜んでいる。貴重な写真である。
昭和37年の冬の日のこと。母は病気になり小康の日に写真をとった。写真の裏に自分の筆跡で書きのこしている。長女 節子小五 長男 洋日大一年 次男 朗中三 私四十二才。隆は中学の野球部の練習だった。 四人の子供おいてさそかし心中は無念だったろう。 母が柏の婦人会長をしていた時の写真をのせる。
昭和34年、柏の婦人会長をした。この写真は私が1999年平成11年に柏で樫田のか〜やんの家で「なんか大阪時代のナミちゃんの写真があったらビデオに写したいのでちょっと貸してもらえんやろうか?」といった時に「そういえばお前のお母ちゃんの写真があるぞ、これもっていけや」と婦人会の記念写真を見せてくれた。

樫田のおばちゃんも写っているけどそれは後ろでちいさくて、母が最前列で大きく写っている。初めて見る写真だ。没後40年たって、柏の皆さんと一緒に立間に研修に行ったときの記念写真がでてきた。ありがたくもらった。高橋のおばちゃんや松本 栄さん松村ヤスエさんもいる。
親父を忘れてはいけない。お宮の祭りの時に「浦安の舞い」を入れたり、田植えのとき「お田植えまつり」を若い女の子がカスリに手甲姿で早苗をとる姿を復活、ビデオに収め目を細めていました。神社振興に尽くしたとして神社本庁から勲章をもらったり、村からは「村民功徳章」を議長をつとめたりして2003年にもらいました。

平成18年7月1日92歳で没。業績は素晴らしいが、家庭的にはむつかしい人でした。運搬用の耕運機にのっている機嫌のいいときにパチリと撮りました。
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