昔の風習
盆めし
夏休みになると恒例行事が「ラジオ体操」や「昆虫採集」だった。そういう学校レベルの課題とは別に、地域の子供たち(小学校の低学年生)は「盆めし」という風習に参加した。すこしお姉さんも加わって半日キャンプのような楽しい行事であった。
私らが小学生の頃の風習です。夏のお盆の時期になると、近くの川原で子供達だけがグループを作って自炊しました。水のきれいな所に陣取って、前日から石で囲ったおくどを作り、薪を近くで集めてきて用意しておきます。
当日は朝から鍋や釜を持参、さらに茶碗や箸など食事に最低限必要なものをカゴなどに入れて持ち寄ります。幼少の子はただ連いてくるだけです。それからさきは女の子の出番です。たいていはカボチャを切って煮ます。ダシはイリコやコンブです。男の子は飯釜の火が順調に燃えるよう火の番をします。そうしているうちにカボチャの煮鍋からうまそうな匂いがしてきます。

お漬物などを小皿についで、煮物を椀に配り、車座になって皆で昼食をします。この風習を「盆めし」といいました。子供たちの盆の行事でした。柏の奥に三軒小島といって小島さんという家が三軒並んで建っていました。そこの絹ちゃんの話しでは、自分たちは「女の子だけ」で盆めし行事をして、ご飯は「あずきご飯」だった、と言っています。男の子に「元服式」があるように女の子も少女から「女性」の仲間入りをするハレの儀式の意味もあった、と解説している本もあります。昔は各地で行われていました。

しかしお盆に行われたのは、やはり先祖の霊を迎え、また川や海に送り流す風習の一環でしょう。供養されない無縁仏は子供の姿をかりて現われる、という言い伝えもあり、それらの供養のため子供たちだけでする行事だったのかもしれません。あるいは「亡くなった子供の霊」を慰める意味があったのか、いずれにしても慰霊の行事でありました。…いつの頃からかこの行事もすたれていき、現在では「昔話」として残るだけです。
なつかしい子供時代の思い出です。
   
 「雛あらし」
これに似たような行事に春の「雛あらし」というのがありました。春のお節句になると、重箱にご馳走を詰めて野山の風光明媚な所(…といっても主に海辺だが)に行き、ゴザなどを敷いて一家や親戚縁者で会食をするのである。この時かならずカンテン羊羹を作ってくれ、これを食べるのが私は楽しみだった。
ほかに手作りタルトや魚で包んだチラシ寿司などかなり豪華なご馳走であった。春の節句には柏の海岸にはあちこちに、そんな団欒風景が見られた。旧の節句だから4月はじめで、野山に行っても温かい季節である。

この風習は年中休みのない農家の貴重な休日としてだけでなく、宗教的には「盆めし」同様に、先祖の霊を慰める意味があったのだろう…その証拠にたいていが海辺や川辺で会食をすることが多かった。たまにヤケノなど山にも行った。この時「お雛さま」を持参し飾って小皿に食べ物を供えた。宴が終わるとその「お雛さま」をわざと壊してしまいます。
それは女の子の厄をその「お雛さま」に背負って行ってもらう…厄払いの意味があるとききました。昔の風習・行事はこのように深い意味が込められているものばかりです。
「暮らしぶり」は今よりも貧しかったのに、精神世界は現在よりも豊かな時代でした。
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