小説・天は赤い河のほとり

小説・天は赤い河のほとり

願い


第1章

第二章

第三章

第四章

最終章




第1章


「ユーリ様そのような事は下働きにお任せください」

手馴れた様子で愛馬アスランに飼葉を与えるユーリにルサファは哀願した

「べつにちょっとの時間ぐらいアスランといてもいいでしょう、

たまにはアスランに会いに来ないとこの子拗ねてしまうから、ねえアスラン。」

ユーリの言うことはもっともだというようにアスランは嘶く。

エジプトとの戦いも終わり落ち着きを取りもしたヒッタイトで

以前のようにアスランに跨りユーリが駆け回る機会は少なくなってきた。

カイルの正妃となる日が近づきその地位が今までよりもユーリの自由を制限する事は必須であろう。

宮廷の中ぐらい自由にしたい。

これがユーリの本音であった。

ユーリ様らしいと言えばユーリ様らしい・・・。

無邪気に愛馬と戯れるユーリの姿を見ながら幸せを感じルサファにも笑みが自然とこぼれる。

他人が見たらこの小柄な黒髪の少女が未来の皇后だと誰が思うであろう。

そのそばでは精悍な顔立ちの上級将校が自分の生命をかけて守り付従ってるのである。

ユーリを崇拝するルサファにとってユーリの副官という任務は適任であった。

「ユーリ様まだ、ナキア皇太后が見つかっておりませんので、一人での行動は御つつしみを。」

「判ってる」

ユーリは緊張した面持ちでうなずいた。

ウルヒがつかまり自殺し、その後ナキア皇太后は姿を消した。

ユーリがこの世界に来るとき着ていた洋服を持って・・・。

ナキアを見つけなければユーリはまたどこかに飛ばされるかもしれないのだ。

宮廷の中はナキア捜索で緊張した日々が続いていた。

静かな昼下がりの一時を突然かき乱すように、ユーリの手から餌をもらっていたアスランが突然前足を数回踏みしめ西を見て嘶いた。

「アスランどうしたの?」

アスランの手綱を握り締め、たてがみをなだめるように優しくユーリはなでた

「西の方が少し騒がしいようですね、確か向こうには泉があったはず・・・」

見てきますのでユーリ様はここで待っていてください」

そう言うとルサファはユーリを残し駆け出した

「安全が確認できるまで動かないで下さい」。

好奇心旺盛なユーリの性格を考慮して数歩走った後ルサファは振り返り、ユーリに念を押すことを忘れなかった。

西の泉の側には水をくんでるらしく数人の女官がいた。

その中の一人の足元には水がめを落としたらしく水がめの破片が散乱していた。

「どうかしたのか?」。

ルサファは破片を避けるように女官に近づき声をかけた。

「あれを・・・」。

女官は驚きのためか強張った表情で泉を指差しそう言うだけが精一杯であった。

他の女官は抱き合い震えながら泉を見ようとさえしなかった。

震える女官の指先をルサファの視線が追った。

泉の中から丁度黒髪の人影が上がろうとしているところであった。

ルサファは警戒しながらも剣をさやからすばやく抜くとその人影近づき剣先を首筋に当てた。

「何者だ」。

ルサファは相手を威圧するようにだが冷静に突然の侵入者の正体を突き止めようとした。

泉から侵入者を引き出し、身動きできないように石畳に身体を押し付けルサファは相手を観察した。

身長はルサファとあまり変わらぬようであったがルサファを見上げる顔は、まだあどけなさを残す青年には達してない少年のようだった。

「外国人か?」。

少年の肌の色はヒッタイト人でもエジプト人のそれとも違っていた。

相手は何か言ったようではあったがルサファにその意味を理解する事は出来なかった。

少年は自分の置かれている状況を理解できないらしくルサファのなすがままであったが、少年から敵意が感じられないと知るとルサファはやや警戒心を解き

少年を押さえつけてた腕を外した。

だが相変わらず剣先は少年の動きに反応できるよう少年を見つめていた。

「この風貌、肌の色どこかで見た気がする」。

ルサファは自分の記憶を正確にたどろうとしていた。

「ルサファなにがあったの?」。

しびれを切らしたユーリはとうとうルサファの警告も無視し騒ぎの起きてる泉にやってきてしまった。

「ユーリ様、お待ちするよう申しあげていたはずですが」、 ルサファはため息をつきながら背中の方にいるユーリに振りむいた。

「氷室・・・」。

ルサファが振り向いて見たユーリの表情はこれまで見たこともないような驚きと緊張に包まれていた。




第二章




事の起こりは数時間前にさかのぼる

氷室はユーリの家に向っていた

ユーリが行方不明になって3年が過ぎていた

確かにあの時、数秒前までユーリと会話楽しんでいたはずだった

しかし振り向いたらもうユーリの姿は消えていた

まさに煙のように・・・

水溜りにはさっきまでユーリの肩にかかっていたリュックだけがぽつんと残っていた

リュックを拾い氷室はあたりを見回した

「ユーリ」

必死にユーリの名を呼び探したがあたりからは何の返事も帰ってこなかった

ユーリのリュックを持ってユーリの家の玄関のチャイムを押した

ユーリが出てきたら小言の一つも言ッてやろうと玄関のドアが開くのをまった

「あれ?夕ちゃんは?」 氷室を出迎えたのは、氷室を怪訝そうに見つめる絵美だった

それからの鈴木家の騒動は言うまでもないことだ

家出?誘拐?事故?あらゆる捜査にもなんの手がかりもないまま3年が過ぎた

なぜあんな数秒の合間なのに手がかりがないのか・・・

最後の目撃者となった氷室は自分を責めた

その気持ちが毎週のように学校が休みの日はユーリを探すことに時間を費やしていた

氷室は足早にユーリの家にむかい、手馴れた様子で玄関のチャイムを鳴らした

ドアが開くまでの時間がもどかしく感じる

「そんなに慌ててどうかしたのかい?」

ドアを開けたユーリの父親は驚いたように氷室を見つめた

「おじさん実はユーリの手がかりがわかるかもしれません、これをみて下さい」

氷室は乱れた息を整える事もせず、手に握り締めていた1枚の紙を父親の目の前に突きつけた

「なんでも世界でも有名な占い師みたいです、この占い師、今までに行方不明の人を

何人も見つけたと言う事です。水を操る不思議な力もあるとか、

なにかユーリの手がかりが見つかるかも」

その紙には、その占い師に会う段取りがついていることが書かれてあった

氷室は持てる限りのコネを使ってユーリの行方を占ってもらう段取りをつけた事を

口早に語った

「今日占ってもらえるんです、行きましょう」

何事が起こったかと見守る鈴木家の人々をせかし氷室&鈴木家4人はその占い師の元へ急いだ



通された1室はカーテンを締め切り薄暗かった

その奥のソファの一つにベールで顔を隠した人影は静かに5人を見つめていた

占い師の前の机には水晶と、その横の年代のたった水瓶にたっぷりと水がはられ妖しく光っていた

今までの経緯を話す前に占い師は話し始めた

「お嬢さんが行方不明だとか・・・」

占い師の両手が静かに水晶になでる

「現代にはいらっしゃらないようだ・・・」

静かに低い声で占い師は言った

「死んだということですか?」

倒れこむユーリの母を抱きかかえながらユーリの父は声をあらわげ聞き返した

「死んではいない・・・別な世界にいるといったほうがいいでしょう」

占い師は慌てることなく落ち着き払った様子で答えた

「もっと解るように説明してもらえませんか」

氷室は占い師に詰め寄り机の上をこぶしで叩いた

「これをみて下さい」

氷室の怒りを静めるように冷静にしかし威圧ある声で占い師は横にある水瓶を指差した

「これは・・・」 水の中には、馬の鬣をなぜながら飼葉をやり楽しそうに馬と戯れるユーリの姿が写しだされていた

「ユーリ・・・」 5人は食い入るように水瓶の中を見つめた


第三章


「夕ちゃんかわいそう・・・お馬の世話してる」

ポツリと絵美がつぶやく、それを合図のようにいっせいに占い師に詰め寄る

「どうすればユーリを連れ戻せる」

みんなの願いはただそれだけであった

「それは無理です、」その願いを打ち砕くように占い師は言った

「でも方法がないわけではない」

「その方法を教えてください、なんとしてもユーリを連れ戻したい」

ただ一筋の糸でも取りすがるような気持ちで氷室は聞いた

「方法はあるが、ただ確実に娘を連れ戻せる保証は出来ない、

こちらから向こうの世界に1人だけなら私の力で送ることは可能だが・・・

そして、一緒にならこの世界に戻せるだろう。ただし、うまく娘に会えるか保証は出来ない」

私の力が届くタイムリミットは48時間それをすぎたら永遠に二人とも元の世界には戻れないだろう」

占い師の言葉は重苦しくあたりを包む

「私が行こう」最初にそう口を開いたのはユーリの父であった

「あなた・・・」「お父さん・・・」父は家族を強く抱きしめながら占い師を見つめた

「僕に行かせて下さい」氷室はユーリの父親に食い下がった

「ダメだ、そんな危険な賭けに君を巻き込むことは出来ない、 今までのことだけでも君には感謝してるよ」

氷室は自分の手でユーリを取り戻したかった

水瓶の中には手に届きそうなユーリがいた

3年前の春に別れたままのユーリがそこにはいた

ユーリの姿を見た瞬間から氷室はそんな強い欲求に支配され、突き動かされていた

「では、この水瓶に入ってください」

占い師がユーリの父を促し、一つの水晶を渡した

「もといた場所に戻る時は、その水晶を持って異世界との最初につながった場所に飛び込めば 戻ることができるはず」

そう言って占い師はなにやら呪文を唱えだした

「わかった」ユーリの父はその水晶を受け取り握り締め水瓶に片足を掛けた

「やっぱり、僕が行きます」

氷室はユーリの父から水晶を奪い取ると、父親を押しのけ、止めるまもなく

水瓶に飛び込んだ

後には尻餅を付いて呆然とするユーリの父親と、何も写らなくなった水瓶を覗き込む絵美

ただ見守るだけの母と、姉が残されていた

水瓶の中は不思議と苦しくはなかった

一瞬のうちに目の前が明るくなり、水の中を通り抜けた

水面へ浮き上がると、目の前に石畳の風景が広がった

すると突然女性の悲鳴が上がり、あたりのざわめきが、氷室を躊躇させた

泉から出ようとした次の瞬間自分の首筋を冷たく剣先がとらえてる事に氷室は気が付いた

精悍な顔立ちの若者が氷室を捉えていた

若者は氷室に何か言ったが、氷室はその言葉を理解する事は出来なかった

泉から引き出され石畳に身体を押し付けられながらも、氷室は抵抗しようとは不思議に思わなかった

それは、この若者から殺気的なものも悪意も、感じられなかったせいかもしれない

青年の手が緩んだ瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた

振り向いて氷室の目に飛び込んだのは青年の後ろにたたずむ、紛れもないユーリの姿であった




第四章


「ユーリ・・・」

聞きたいことは山ほどあった、だが突然の再会に言葉が見つからなかった

ユーリは足早に氷室に近づき氷室を立たせるために右手を差し出した

「どうしてここに?」

ユーリの言葉が終わらぬうちに、差し出された右手を氷室は自分の右手でぎゅっとつかみ

ユーリの身体を自分の方へ引き寄せ両手で抱きしめた

「ユーリ、ずっと探してた・・・会いたかった」

抱きしめた腕から逃れられないようにしっかりとユーリを抱きしめ氷室は両腕に力をこめた

「氷室・・・苦しいよ」

そのユーリの声に反応するように氷室は自分の手の力を抜いた

「すまない、ユーリついうれしくなって・・・」

「私もうれしいよ、まさかここで氷室に会えるなんて・・・」

ユーリは思わず涙がこぼれそうになり指で涙をすくった

「ごめん、君の服も濡れてしまった・・・」

氷室は自分がずぶぬれである事を気が付くとともに、ユーリを抱きしめたことで

ユーリの服もぬらしてしまった事にようやく気が付いた

水に濡れてしまった服はユーリの身体にまとわり付き、裸体をかすかに浮き出させ

かすかな色気を漂わせ、氷室は目のやり場を失っていた

たった3年の月日がユーリを少女から女性に変化させたというよりもカイルに愛され

ユーリが少女から大人へ脱皮していった事を氷室は知らない

「ユーリ様」ルサファはすかさず自分のマントをユーリの肩にかけ身体を覆った

「ありがとう、ルサファ、こんなとこカイルに見られたら大変だね」やや顔を赤らめながらユーリが言った

たいへんな問題になりますよ.ルサファは口にこそださなかったが心の中でため息をついた

「氷室、ここでは落ち着いて話せないから私の部屋に行きましょう」

「ユーリ様、私もお供します」ルサファが二人の間を割って入った

後宮に戻ると驚く3姉妹に自分と氷室の着替えを頼み、ユーリは氷室に着替えるように言うと部屋の奥へと消えた

大体の経過をルサファに聞いた3姉妹は氷室という名前に聞き覚えがあることを思い出した

「姉さん・・・まさか、氷室ってユーリ様の初恋の人じゃなかったけ?」とリョイ

「じゃあ、ユーリ様を探してここまで来たという事?」とシャラ

ユーリを見つめる3人を尻目にユーリは濡れた服を素早く脱ぐとハディが慌てて差し出した真新しい服を身にまとった

「ユーリ様・・・あの男の方は、ユーリ様のお国の方ですよね?」

「なぜその方がヒッタイトに・・・?」

突然現れた異国の訪問者にユーリが連れ去られるような不安を隠しきれない3姉妹であった

「私もなぜ突然氷室が現れたのかわかんないのよね、でも久しぶりに会えたのは本当にうれしいの」

3姉妹の不安を知ってか知らずかユーリはのんびり鼻歌でも歌いそうな口調でそう答えた

着替え終えた氷室とユーリは、久しぶりに向かい合い椅子に腰掛けた

部屋の中に夕日の光がやさしく差し込み二人の姿を映し出していた




最終章


「何から話せばいいのか、言葉が見つからないよ」。最初に言葉を発したのはユーリであった。

「元気そうで良かった」。

聞きたいことはたくさんあるはずなのにそんなありふれた言葉しか出てこない氷室であった。

ユーリはこの3年どんな生活をしてたのか氷室には判らないがけして粗末には扱われてないらしい。

そのことはユーリに付き従う3姉妹たちの態度からも推測された。

「ユーリ、君を迎えに来た。」

ユーリをつれて帰れる時間には限りがある。そのことが氷室の言葉を早急にさせていた

「帰るって・・・日本に帰れるの?」

思いがけない氷室の言葉にユーリは腰掛けていた椅子を倒し立ち上がった

「ユーリ様」二人の言葉を理解できないハディが心配そうにユーリに駆け寄った

「ハディ心配しないで・・・」そういいながらユーリは氷室を見つめた。

日本に帰れるのなら帰ってみたい。そんな気持ちがないといったらうそになる。

だがユーリは知っていた。

カイルの側から離れることが二度と出来ないことを。

「遅いよ・・・氷室・・・」

思いがけないユーリの言葉に氷室は耳を疑った。

「何が遅いんだ?君がいなくなって僕も、君の両親も気が狂いそうだったんだ」

ユーリの側に詰め寄り、氷室はユーリを抱きしめた

「ごめん、氷室」

「日本には帰りたい、家族のみんなにも会いたい。」

「最初はとても心細くて日本に帰ることだけを考えてた。でもあれから3年の間にいろんなこともあった。」

「私はここで自分の居場所を見つけたの、愛する人とも出会ってしまった。氷室と付き合っていた頃の私には戻れない」

ユーリは自分を抱く氷室の腕を静かに自分の体から離し、氷室の両手をぎゅっと握り締めた

ユーリの決心が固いことはわかったがどうしても引き下がることは出来なかった

「僕が来たことは無駄だったのかい?」

「そうじゃない、でも帰ることは出来ない判って。」

哀願するようにユーリは氷室を見つめた

「ユーリ、泉から人が現れたと聞いたが?」

ハディがカイルの訪問を告げる暇もなくユーリの部屋のドアが開きその言葉の主は現れた

長身の精悍な顔立ちは気品にあふれ、周りのものを威圧する風格も備えており氷室を圧倒していた

「カイル・・・」

やや顔を赤らめユーリは慌てて氷室の手を離した

ユーリが帰れない原因がこの突然現れた青年にあることはユーリの態度から直感的に氷室にも理解できた

そして二人の間を引き裂くすべがないことも・・・

僕の知っているユーリはもういない、そう納得するしかない、それは氷室にとってもっとも酷な決断であった

「一人で帰るしかなさそうだね」そう氷室はつぶやいた

「氷室ごめんね、でも本当に会えてうれしかったよ」

ユーリはカイルの様子を気にしながらも氷室の側に近づいて手を握った

それからしばしの間氷室はユーリからこれまでの出来事や、もうすぐ結婚する話を静かに聴いた

それは考えもよらない物語で氷室をユーリの世界へ引きよせた

側にはユーリを見守るようにカイルがたたずんでる

ユーリの住む世界はこちらだったのかもしれない

不思議と氷室はそんな考えに傾いている自分に気が付くと、自然にユーリとカイルを祝福できた

「そろそろ帰らないと、僕まで帰れなくなる、送ってくれるかい」

短すぎる再開に分かれ辛い気持ちはあったが、明るく氷室はユーリを促した

「氷室・・・この手紙を両親に渡して。」

泉の前にたたずむ氷室にユーリは一枚のパピルスを渡した

会うことの出来ない両親に幸せでいると書き綴ったユーリの思いであった

「必ず渡すよ」

手紙を受け取りながら氷室はもう一度ユーリを抱きしめた

「僕は元気な君にもう一度会えることを願っていた。これからは君の幸せを願おう」

「これくらい君の陛下も許してくれるよな」

耳元でそうつぶやいて氷室はユーリの頬に軽くキスをして笑った

不機嫌な面持ちのカイルとは対照的にすがすがしい表情のユーリを残して

氷室が飛び込んだ水面は波紋を静かにたたえ何事もなかったように静けさを取り戻した




戻る