小説・天は赤い河のほとり

小説・天は赤い河のほとり

ウルスラ哀歌


第1章

第二章

第三章

第四章

最終章




第1章


ウルスラの生まれ育った村は、ヒッタイトのはずれにある
小さな貧しい村であった
村人はその日の食べ物をやっとしのぎ細々と暮らしていた
ウルスラの家族も例外ではなかったが
家族で一つのパンを分け合い、助け合いそれなりにウルスラは幸せに暮らしていた
ウルスラの周りには小さな弟達の笑い声とそれを優しく見守る両親の姿がいつもあった
だがその小さな幸せをもウルスラから奪う出来事は突然ウルスラ達家族を襲ってきた
ウルスラが十歳の夏を迎えようとしていた年
例年にも増して作物の育たない、飢饉の年を迎えていた
ひび割れた大地は今年の収穫が絶望的であるのを村人達に知らしめていた
村人達を脅かしたのはそれだけではなかった
食べ物がなく体力の衰えた村人を、病が襲い次々と高熱をだし倒れていった
まず最初の犠牲となったのは小さな子供達であり
ウルスラの生まれたばかりの弟も、高熱を出し三日目に息を引き取った
徐々に体力の衰えていった赤ん坊は泣き声を上げる力も、母親のお乳をくわえる力も
奪い取ってしまっていた
「このままでは村が滅んでしまう」
誰もがそう思い、大人達はどう乗り切るべきかを話し合った
そして一度村を離れ、この災いが去る間近くの町に避難をと結論が出た時
町から代官の命令だと、数人の役人が村外れに現れた
「この村から一歩も出る事は許されない、この命令に叛くものは処刑される」
剣と槍を手に手にもった役人達は威圧的に村人に言い放った
「それは私達に死ねという事ですか」
悲痛な叫びが村人の間から漏れてきた
「災いを町にもたらすことはできない、被害を最小限にくい止めるためだ」
村人達のほとんどに抵抗する力もなにも残っていなかった
「せめて元気な子供だけでも町に連れていってもらえませんか」
村人達の最後の願いも役人達は打ち消し冷たく言い放った
「駄目だ、災いが入りこんでいるかもしれない者を預かるわけには行かない」
「さあ、みんな村の中へ入れ」
「この村がなくなっても誰も困らぬは」
役人達の横暴さがウルスラには許せなかった
だが自分になんの抵抗する力も、誰も救ってくれないことをウルスラは知っていた
「父さん」
おびえるウルスラを優しく抱き寄せ言った
「どんな事があってもお前だけは助けてやる、この命に代えて守ってやる」
そう言うと母親譲りのつややかな黒髪そっと撫ぜウルスラを抱く手に力をこめた
その日の夜村人は残っている子供達を集め村を抜け出させた
「いいか、私達で役人達を引き付けておく、その間にお前達は暗闇に紛れ村を抜け出すんだ」
ウルスラの母親はわずかな食べ物をウルスラの両手に握らせた
ウルスラの手のひらは母の涙で濡れていた
「母さん、やだ」
そう言うとウルスラは母親の首筋に両手を巻きつけ、初めて泣き声をあげた
「心配しなくても、母さんも父さんも後から行くから」
ウルスラの両手を首筋から外しながら、そう言うと優しく額にキスをし
母親はウルスラをもう一度抱きしめた
この別れが最後になることをみんな感じていた
だがその事を口に出せるものは誰もいなかった
「さあー急いで」
大人達は子供達を突き放す様に言い放った
暗闇に紛れ子供達は駆け出していた
背中越しに大人達の叫び声と剣の打ち合う音だけが響いていた




第二章


どのくらい走っただろう
ウルスラの後ろからはなんの音も聞こえなかった
あんなに恐ろしく響いた剣の交じり合う音も、村人達の叫び声も
もうなにも聞こえず、ウルスラの目の前には静かに夜の闇だけが広がっていた
一緒に逃げていたはずの子供達もはぐれ一人取り残されたウルスラを
不安と、恐怖だけが支配していた
ウルスラは草むらを見つけると身体を隠すようにそっと手足を丸め横たえた
いつのまに眠ったのか朝露がウルスラのほほを濡らし、朝の光がウルスラを照らし出していた
その時小さな影がウルスラの身体を覆っているのに気づくと
驚いた様にウルスラは反射的に上半身を起こした
そのウルスラをのぞき込み心配そうに見つめる一人の少年がいた
金色に輝く髪と、琥珀色の瞳を持つ少年はやさしくウルスラに手を差し伸べた
「恐がらなくていいよ、君一人なの?」
ウルスラは小さくうなずくと少年の差し伸べた手につかまり身体を起こした
少年はウルスラより頭一つほどに身長が高く、ウルスラより2〜3才年上である事が感じられた
「どこからきたの」
ウルスラは答える変わりに東の空を指差した
ウルスラの警戒心が言葉を発することを戸惑わせていた
「名前は?僕はハンス」
「ウルスラ」
名前を小声で告げるとウルスラは再度口をつぐんだ
「ちょうどこの森のはずれにテント張っているんだ、一緒に来るかい」
ウルスラは返事をする変わりにハンスの上着の裾をぎゅっとつかんだ
ハンスはウルスラに優しく笑いかけるとウルスラの手を握り歩き出した
ハンスは歩いている間ウルスラになにも聞かなかった
この時代何らかの事情で孤児になる事はよくある事であったし
疲れ果てて倒れている子供がいてもなんの不自然さもなかったのだ
ハンスは自分がある劇団の子供であり、いろんな町を旅して歩いていること
いずれは楽士となるために学習している事などをウルスラに聞かせた
いつのまにかウルスラの身体から警戒心は解かれていた
「さあー着いたよ」
そういうとハンスは一つのテントへウルスラを連れていった
「かあさん、森で女の子見つけた、助けてあげて」
近所の友達を遊びに連れてきたような軽い感じで、ハンスはウルスラを母親に紹介した
ウルスラは二人のやり取りを戸惑いながら眺めていた
「お願いです、どこも行くとこないんです、ここへ置いてください」
ハンスと別れたくない気持ちがウルスラを動かしていた
「可愛そうに・・・」「なかなか可愛い子ですね」
そう言うとハンスの母親は優しくウルスラの頭を撫ぜた
それは最後の両親との別れをウルスラに思い出させた
「ここに置くのはかまわないけど、女の子は辛い事もいっぱい経験しなくてはなるかもしれない」
「特に器量のいい子は親方がほっとかないよ」
母親は誰に話すともなくそう言葉を付け加えた
「なんでもします、お願いします」
孤児が一人で生きていくにはそれも仕方ない
自分もそうであったように・・・そう母親は思い返しウルスラを抱きしめた
だが現実の辛さを理解するにはウルスラはまだ幼かった
ただ、これからの生活が保証されたことだけでウルスラは助かったという思いにあふれていた
親方の前に連れていかれたウルスラを、その男はなめる様ね目つきで
ウルスラの足の先から頭まで値踏みする様に見つめた
「置いてやってもいいだろう、お前に任せるしっかり仕込んでやんな」
ハンスの母親のほうを振りかえると、そう言い親方と呼ばれた男はハンスに視線を落とした
「ハンスなかなかいい子を拾ってきたな」
そう言うと足早に三人の前から消えていった




第三章


ウルスラがハンスに拾われて、いくどめかの春を迎えていた
ハンスは少年から長身の青年へと成長し
ウルスラも少女よりかすかな色気を漂だよわせる様になっていた
2人は劇団の中でも人目を引いた
ハンスは楽士として、ウルスラは踊り子として1番の売れっ子となっていた
ウルスラは呼ばれた先で男達の目線を受け、時には酒の相手もさせられた
男達の下心がなんなのか、そのあしらい方もウルスラを実際の歳よりも大人に見せていた
だがそれだけで終わらない事をウルスラは知っていた
自分の運命も他の劇団の女の子と同じように商品でしかないことを知っていた
親方は商品を高く売る瞬間を待ってたに過ぎなかった
その時が来た時ウルスラは自分の運命を受け入れるしかなかった
それは突然訪れた、誰も助けてはくれない、ハンスさえも・・・
その日呼ばれた貴族の屋敷でウルスラ一人残された
通された部屋のベットで、酒くさい息をさせ男は待っていた
動く事の出来ないウルスラを男は押し倒した
ウルスラは抵抗する事も出来ずただ身を堅くするだけだった
ウルスラは男の顔も覚えてなかった、ただざらざらとした男の手の感触だけが
ウルスラの全身に悪寒として残っていた
そんな生活がいくど繰り返されたろう
いつかこの生活から抜け出すという思いがウルスラを強くさせていた
だがハンスの前では、出会った頃の自分に戻る事が出来た
ハンスと過ごす一時がウルスラを素直にさせた
ある日ハンスは興奮した様に貴族の屋敷から帰ってきた
「ウルスラ、今日は女神に会ったよ、僕は一目で恋に落ちた」
ハンスは琥珀色のひとみを輝かせ、早口に喋り出した
その女神との出会いの興奮の中から抜け出せない様であった
こんなハンスを見たのはウルスラははじめてであった
ウルスラの中の淡い恋心と伴に兄とも慕うハンスの告白は
ウルスラの心に痛みをもたらしたが、そんなウルスラの気持ちなどハンスは知るよしもなかった
だがその日を境にハンスは何か考えこみ、人の和を外れ一人考えこむ時間を過ごすことが多くなってきた
そんなハンスの変わり様にウルスラは心痛めたがハンスに訳を聴く事を戸惑わせていた
そんなある夜、ハンスは岩陰に腰を下ろし、1つため息をついた
月明かりがハンスの横顔を照らし憂いを帯びたその横顔を浮びあがらせた
その横顔をウルスラは静かに眺めているだけで、近づく事が出来ずにいた
その時ウルスラの足元で小枝を踏む音がハンスの耳元に届き
ウルスラの存在をハンスに知らせる結果となった
「ウルスラ」一瞬戸惑いにも似た表情をハンスはウルスラに見せたが
すぐに笑顔を作るとウルスラを手招き自分の横に座るように導いた
「ウルスラ、僕は迷っているこんなに人を思う事が辛いとは思わなかった」
「あの方をこの腕に抱いた時、僕の願いはかなったと思った」
「だが、あの方の心には僕はいない・・・」
愛は人を貪欲にさせるその事実がハンスを苦しめていた
ギュゼルとの逢瀬はハンスにとっては夢物語にも似ていた
ギュゼルを愛すれば愛するだけハンスの思いは迷路を抜け出せずもがき続けた
ハンスはウルスラに応えを求めてはいなかった
ただ自分の心のうちを聞いてもらいたいだけだったのかもしれない
ウルスラもそのハンスの気持ちに応えるかのようにただ黙って側にいるだけであった
その日がウルスラがハンスを見た最後の夜となった




第四章


ハンスが姿を消した後もウルスラの生活はなにも変わらなかった
ウルスラは何もかも忘れるかのように人前で踊りつづけていた
そんなある日、神官らしいその男は突然ウルスラの目の前に現れた
「今の暮らしから抜け出したくはないか」
「私の言うとうりにすれば、贅沢も栄華もお前は手に入れることが出来るだろう」
男はウルスラの気持ちを見透かした様に静かにだが有無を言わせぬ強さで言った
「なぜ私に・・・」
黒髪と黒い瞳の美しい娘を探していた、だが入らぬ詮索はしない事だウルスラ」
金髪碧眼の美形の男はその容姿からは思いもつかぬ冷たさで
ウルスラに考える余裕を与えなかった
このウルヒとの出会いがウルスラの運命を大きく変えていった
ウルヒはウルスラを町外れの屋敷に連れていくと姿を消した
その日からウルスラの生活は一変した
この屋敷での生活は今までウルスラが見てきたどの貴族の生活より豪華であった
ウルスラは幾人もの召使にかしずかれ、豪華な宝石、衣装を身にまとい
今まで口にした事もない食事をとり一日中を遊んで過ごした
こんな生活が続くのであれば、神官の正体などウルスラにとってはどうでもよくなっていた
ウルスラもイシュタルの噂は聴いた事があった
だがウルスラにとってイシュタルの存在など異次元の出来事でしかなかった
ウルヒはウルスラをカパタに連れていくとウルスラをイシュタルとして
市長に紹介した
ウルスラは一瞬驚いたがもう後戻りは出来なかった
この事が露見すればただではすまないことをウルスラは知っていた
だが、本物のイシュタルが出現した事でウルスラの夢は途絶えた
その瞬間にウルヒに利用されただけの持ち駒でしかなかった事がウルスラにも理解できたが
ウルスラは後悔してなかった
ユーリの判断はそんなウルスラを思いもかけない言葉で救った
極刑をも逃れられないウルスラを自分付きの女官にと言ってくれたのだ
ウルスラは自分の浅はかさに気づき初めて後悔した
そしてユーりへ心より使える事を誓った
ヒッタイトへ戻り、ユーリに使える生活はウルスラにとって、家族を失った後
久しぶりにおとづれた安らぎであった
ハディ、リョイ、シャラの存在もウルスラには優しかった
カッシュの憎まれ口もウルスラには心地よかった
カッシュと顔を合わすと喧嘩ばかりであったが、その事が
偽イシュタルとして過ごしたウルスラの傷跡を埋めていくようでうれしかった
カッシュが気になりだしたのはそれだけではなかった
いままでウルスラに近づく男達は皆下心を持っていた
最初逢った時からカッシュはウルスラに対しての態度を変えなかった
それがカッシュに対しての好意に変わっていったのかもしれない
なかなか素直になれない二人を機転を利かせ結び付けてくれたのはユーリであった
「一緒に暮らさないか ウルスラ」
そうカッシュは言いウルスラを強く抱きしめた
ウルスラは初めて無償のあふれる愛情と優しさが自分だけに向けられてる事を感じ
カッシュの胸の中で幸福感をかみ締めながら涙を流した
その幸福感と比例する様にウルスラの心の中に
ユーリの為に役に立ちたいと思いにあふれていった
ナキア皇太后の不穏な動きをウルスラが察知したのはそんな時であった
その情報をウルスラは急いでユーリに知らせた
その事がユーリをナキアの陰謀の渦の中に巻き込んでいく事を
この時ウルスラは知るよしもなかった




最終章


ナキア皇太后の思惑はユーリを皇帝暗殺の犯人に仕立て上げる事であった
ユーリは窮地に追いこまれハットウサを三姉妹と伴に後にした
自分の浅はかな行動がユーリをナキアの罠にはめる結果となった事に
ウルスラは胸を痛めた
ユーリの為になにも出来ない自分が悔しかった
気がついた時ウルスラの足は宮廷に向っていた
皇帝暗殺の犯人が捕まればナキアの策略は失敗に終わる
アイギル議長の前に進みでたウルスラは言葉をかみしめるように言った
「申し上げます、皇帝陛下を殺し奉ったのは私です」
ウルスラはユーリを救うため自分が暗殺犯として名乗り出る事を選んだ
それが自分の死を意味する事を十分に承知で・・・
ウルスラの裁判は形だけで終わり絞首刑と決まった
牢屋の中で刻々と近づく処刑の時間もウルスラは平静であった
不思議と死に対する恐怖もなかった
そんなウルスラの前にカッシュはあきらめきれない表情で現れた
「一緒に逃げよう、どこか遠くで二人で暮らそう」
愛するカッシュの言葉もウルスラの決心を変える事は出来なかった
カッシュの言葉はうれしかった
あんたと暮らす事夢見たわ カッシュ」
「でも私もっと大きな夢を見てしまった、ごめんカッシュ」
ウルスラはそう言うと自分の黒髪にカッシュが置いたナイフをあて
惜しげもなく切り落とすとカッシュに一房渡した
ウルスラの決心の固さにカッシュは自分の思いを呑みこむことしか出来なかった
ウルスラは民衆の前に引き出され処刑の紐が首にかけられた
「女 なにか言い残す事はないか」
神官の声が冷たく響いた
「なにもございません」
思い残す事は何もない、カイル殿下が皇帝となり、ユーリ様が皇妃陛下となれば
この国はもっと豊かで住みやすくなる
そして自分のような辛い思いをする子もなくなるだろう
ウルスラにはその光景を思い描く事が出来た
ウルスラの足元から踏み台が外され処刑は実行された
ウルスラの重みが細い紐にかかりウルスラの身体が小さく揺れた
民衆の間から歓喜の声が上がった
ウルスラの真実を知り涙を流すのは一握りのカイル、ユーリの側近達だけであった




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