憧れの人
 その人は母、遠い記憶の中の憧れの人です。今は存在しない永遠の女性
なのです。
 幼児の一番古い記憶は4〜5歳の頃で、お寺の保育園か幼稚園に通って
いました。通園バスなど無かった当時、家の前から幼稚園前まで公共バスの
料金は片道5円。はっきりした記憶があります。
 朝の日課でその人は、手のひらに5円を握らせ5円をカバンの中に入れて、
すぐ前のバス停で見送ってくれました。
2枚の5円がないとき、帰りは何故か歩きになりました。
 車掌さんに10円を渡したおつりの5円を受け取ると、バスを降りたすぐ前の
駄菓子屋さんで、5円の当たりくじ付き風船ガムを買い、帰りのバス代がなかっ
たからです。
 「お菓子を買うとバスに乗れ無くなるから、お菓子を買わずにちゃんとバスで
帰ってきなさい」そんな風に言われていた様な・・・無い様な。それ以上の記憶
はありませんが、相変わらず5円のおつりは風船ガムに変わり、帰りはトボトボ
歩いて帰る子供時代。
 それからも、その人から大きな声でしかられたりぶたれたりした記憶は、一度
もありません。いつも優しい眼差しで、声のない「慈愛に満ちた言葉」を伝えてく
れた印象が残っています。
 時とともに姿は変わっているものの、いまでも愛しいものへ注ぐ眼差しは
変わることはありません。

 色とりどりのケーキやチョコレート、クッキーやおせんべい、美味しいものが、いつでも何でも
手に入るこの頃。当時も、ものが無い訳では無かったけど、食卓にケーキやチョコが並び、
お茶をする習慣なんてありませんでした。
 1年を通しての大イベントは、お正月におひな様5月の節句にお盆、合間に親戚の冠婚葬祭
など。大抵そんなものでした。
 12月24日にクリスマスケーキをもらえる子供は、どのくらい居たでしょうか。そんな生活習慣
がなかったので、多分、多くはなかったことでしょう。
 昼間の仕事、家事の仕事ですっかり夜も更けた頃からケーキ作りが始まり、翌朝早くに出来上
がっていました。大きなケーキは、バタークリームで真っ白、ピンクや水色のバラが取り囲み銀色
に光るものがちりばめられて、子供にとってはもう夢の世界でした。
 早朝から待ち遠しくて、ほおばる時のシアワセ。思い出すと当時味わった至福の時がよみが
えります。
そうして、その人のケーキは声のない「慈愛に満ちた言葉」として心の奥深く残り、今でも心を
満たしてくれます。

 
 そんな憧れの人の様に、愛しい人達へ声のないメッセージを送ってきたでしょうか?
自分自身に問いかけるまでもありません。ものや情報が氾濫し、素敵なプレゼントや
メッセージを伝える方法も色とりどりで・・・。
 だからこそ、 幼児の時に出会ったその人は、永遠の憧れで追いつけない人。 
 いまでも、慈愛に満ちた眼差しを注ぎ続けてくれる母なのです。
M社長
モットーになった友