まこち よか旅
旅めし・よかめしアラカルト
 
 
 先日、ふと思い立って、私の旅先の膨大な写真の中から、「食べ物」の写真を抜き出してみたら、あるわあるわ、何と数百枚のショットが
出てきました。我ながら生来の食い意地のすさまじさに改めておどろいています。
 というわけで、このコーナーを新たに立ち上げて、少しずつご紹介していこうかなと思います。私の独断的な分類で、次の9つのカテゴリーに
わけました。

 メニュー1:弁当・定食編⇒主食と副菜がそろった形のもの メニュー2:めし・丼物⇒ご飯を中心としたもの  メニュー3:麺類編⇒洋の
東西を問わず、穀類を麵状に加工した料理  メニュー4:パン・粉もの編⇒名前通り穀類を発酵させたり焼き上げたりして加工したもの  
メニュー5:カレー・鍋物・汁物編⇒液体ベースもしくは半固形の調理をほどこしたもの  メニュー6:肉・魚介・卵・野菜編⇒これらの食材が
わき役ではなく、堂々と主役をはっている調理品  メニュー7:寿司・おにぎり・天ぷら・揚げ物編⇒名前通り  メニュー8:スイーツ・飲み物
編⇒食事のシメのデザートとして供されたり、それ自体を楽しんだりする甘味類、果物類、リキュール類、ソフトドリンクなど メニュー9:
みやざきのグルメ編⇒ぜひご紹介したいわが宮崎限定の“うまいもん”

 何といっても、数百枚の画像があり、まだまだ増えていきそうなので、少しずつ内容を入れ替えていきます。ぜひこ゜らんください。
(文中のリンクは、そのお店の公式サイトのみとし、食べログなどのグルメサイトや個人のブログなどは除いてます。)
                                                                          (29.4.13)

メニュー1 弁当・定食編 
栗おこわ定食(小布施)  かてもの御膳(米沢)  ワンコインランチ(東京/赤羽)
  長野県の北東部の小布施は昔から栗の
産地として知られています。
  その名も小布施堂という菓子店が開く
レストランで栗の入ったおこわをいただき
ました。人気店らしく、お菓子も食事も
ちょっとした行列ができてました。
 やっとテーブルに座り、ご覧の定食が
出てきました。大粒の栗がゴロゴロと・・・
まではいきませんが、そこそこに入って
いて、おいしくいただきました。
 私たちのテーブルの横は一面のガラス
張りになってて、外は見事な和風庭園が
広がっていました。
  かつて財政危機に瀕していた米沢藩を
立て直した上杉鷹山が、少ない食料を
補うために、摂食可能な野草などを、
かてもの(=加える物)として紹介したことに
因んだ、地元の料亭「上杉伯爵亭」の
メニューです。
 鷹山が垣根に植えさせたうこぎの若芽
の混ぜご飯や、雑草のヒョウを使った
煮つけなど、今の時代では却って希少な
食材が使われた高級料理です。

  何年か前、赤羽のビジネスホテルに
泊まったことがありました。駅から
ホテルまでは商店街になっていて、ある
飲食店でご覧の晩飯を食いました。
 何の変哲もないとんかつ定食で、味も
それなりにうまかったんですが、値段が
なんと税込みで500円(!)ポッキリでした。
 私的には、とんかつは贅沢なメニューで
定食になると一般的には1500円前後は
するという先入観があったんですが
東京にもこんな価格破壊が押し寄せて
いるのを実感しました。一方で、学生や
ビジネスマンたちの懐が、こんな値段で
ないと持たない状況なんだと思います。
飲食業の方たちの苦労が思いやられます。

 ふくしまの味弁当(新幹線なすの車中)  舞茸弁当(天竜浜松線車中) ランチョンセミナーの弁当
(佐賀で開かれた学会)
 
 松花堂弁当のように、おかずがきれいに
仕分けられるとともに、幕の内弁当の
ように、日の丸型の梅干しや緑鮮やかな
グリーンピースが添えられたご飯が
ボリュームたっぷりに鎮座していて、
ふたを開けた時に、彩りのみごとさに
うれしくなりました。
 弁当の右上に、わずかに缶ビールが
見えてますが、これをグビッとやりながら
チーズカツ、おひたし、卵焼き、たづくりなど
を次々とつまみ、窓の外に広がるみちのく
の田園風景を眺めていると、少しずつ
ホロ酔い気分に包まれていく・・・旅の
至福のひとときです。
 まだ震災前の福島県の駅で求めた弁当
です。まだ先の長い復興途上ですが、
こんな弁当がさらににぎやかに出回るように
なっていけばいいなと思います。
  静岡の掛川と浜名湖畔の五所川原を
結ぶ天竜浜名湖線(通称「天浜線」)は、
途中、森の石松のふるさと遠州森や、
縄文時代の人骨が見つかった三ケ日など
を経由し、浜名湖の北側を回るローカル線
です。
 舞茸弁当はこの線の二俣駅でのみ、
しかも土日買えない駅弁で、1日10個
程度の販売なので前もって電話で予約
しておかないとすぐ売り切れるレアもの
です。
 舞茸も特産品とはいえ、とても地味な
キノコですが、他の具も含めて丁寧な
味付けで好感の持てる駅弁です。

 仕事で学会に行くとランチョンセミナー
がよくあります。耳慣れない方もいるかも
しれませんが、Luncheon(昼食会)+
Seminor(勉強会)・・・つまりお昼ご飯を
食べながら聞く研修会のことで、開催地の
名物が盛り込まれた弁当と紙パックの
お茶という組合せが一般的です。
 飯をパクつく聴衆の前で講演を行う
演者や座長が気の毒ですが、これも
学会の限られた時間を有効に使おうと
する知恵なんだと思います。
 約1時間のセミナーの時間中に、
机無しの椅子だけの席で、しかも講義の
メモも取りながら食すこととなるため、
ご飯も具も、少しずつつまめるように
3×3=9枡の松花堂形式になっている
ものが多い気がします。
  


メニュー2 めし・丼もの編 
 海鮮丼(小樽)  ソースカツ丼(敦賀/ヨーロッパ軒)  玉ひでの親子丼(東京/人形町)
 海鮮丼は各地でそれぞれ出されています。
値段も当然高くなるため、私もそんなに
食べたわけではないのですが、感想と
しては、冬場のものか、日本海沿岸や
東北・北海道など北国で食べたものが
とりわけうまかったような気がします。
 ご覧のものは、小樽駅からほど近い
三角市場(敷地も屋根も三角形なのでこの名が
ついたそうです
)の食堂で食べた海鮮丼です。
 いくら、ウニ、カニ肉がメインでしたが、
量がはんぱでなく、ご飯は丼の底の方に
小さくうずくまっているような感じで、
箸を進めてもなかなか掘り当てられません
でした。値段も、数百円くらいが相場の私
の昼飯にしては、結構高くて税込み2000円
でした。
 ここまで豪勢だと、どこから食べたら
いいのか、本気で迷いました。どこから
食べてもうまかったんですが・・・
 
 丼めしの上に無造作にとんかつが3枚
乗せられ、ウスターソースがドバっと
かけ回されている・・・一見、がさつで食欲
が無くなるような気がしますが、違うんです。
 厳選された軟らかい豚肉が丁寧に
揚げられてて、ご飯もほっこりとたき上げて
います。そして何よりもソースがまろやか
で、カツとご飯を仲良く結びつけています。
そこらの市販のものではなく、きちんと
メーカに作らせたオリジナルのものだ
そうです。
 ヨーロッパ軒という店名もすごいと思い
ます。何でも、大正時代にドイツに留学
していた創業者が現地のソースを使って
考案したんだそうです。店の雰囲気も
レトロ一色です。
 
  人形町の玉ひでは18世紀から続く
とり料理の老舗で、当初は初代の夫と妻の
名から一文字ずつとって「玉鐡(たまてつ)」
という店名だったそうです。
 何代目かの主人が秀さんという方で
「玉鐡の秀さんの店」というわけで玉ひで
に変わったとか・・・
 この店が、鶏鍋の残りに卵を入れて
丼に盛ったご飯の上にかけたメニューを
考案したことが親子丼の始まりだそうです。
 ただ、高級料亭の玉ひでが、“下品な
汁かけ飯”を出したと言われ、最初は
こっそりと出前の場合だけ作っていたとの
こと。今ではお昼時に、場合によっては
人形町駅まで行列ができるそうで、私も
1時間ぐらい並んだのちに食べることが
できました。
 鶏肉ではなく、しゃも肉が使われていて、
メニューが何種類かありますが、濃厚で
臭みのない味はくせになりそうです。

 花咲がにの釜めし(根室) かやくご飯(大阪/道頓堀)   「山」の飯ごう雑炊(福岡/中洲)
  花咲ガニは全身とげで覆われて見た目の
悪いカニですが、中身はプリプリして
とても濃厚な味です。名前の由来は、
根室の花咲港で水揚げされるからとも、
茹でると花が咲いたような華やかだから
とも言われてますが、流通量は極めて
少なく、現地根室まで行かないとなかなか
食べられない種類のようです。
 その花咲ガニを、これでもか、これでもか
と炊きこんだ釜めしを、根室郊外の道の駅
で食することができました。
 レストランの大きなガラス窓からは風連湖
の風光明媚な景色を楽しむことができ
ました。冬は白鳥がやってくるそうです。
  大阪の道頓堀付近でうどん屋に入った
ときに、うどんにくっついて出てきたのが
この「かやくご飯」でした。いわゆる混ぜ
ごはんですね。かやくは「加薬」すなわち、
ご飯に加える具のことで、この時のもの
は、油揚げ、人参、海苔なんかが入って
ました。
 酢めしに具を混ぜ込んだ五目寿司でも
なく、油で炒めた炒飯でもなく、濃厚に
下味をつけて炊きこんだ釜めしでもない
・・・かやくごは飯あっさりとした味わいで
うどんと一緒にいつのまにか食べ終わって
いた、そんな感じでした。
 もう40年以上前に学生時代を過ごした
博多での思い出の味です。コンパで
したたか飲んだ帰りに、中洲のこの店に
立ち寄り、雑炊を食べてました。
 店名通り、登山のときの山小屋のような
造りで、飯ごうに入れた雑炊と、どこそか
山から組んできたという冷たい水が、
酔い覚ましに心地よかったのを覚えて
います。
 数年前に出張で福岡に行ったら・・・・
何とまだ続いてたんですよね。懐かしかった
です。もちろん食べてきました。私の好み
は、餅とめんたいのトッピングです。 


メニュー3 麺類編 
 喜多方そば(福島/喜多方)  旬彩庵のへぎそば(新潟)  信州そば(松本)
  会津若松の北にある喜多方は、ラーメン
で知られた枡が、実は蕎麦も有名なんだ
そうです。
 冬場に訪ねた時に、ちょうど何かの
集まりがあってて、打ちたての蕎麦に
ありつけました。寒い時でもツルツルと
のどごしが良かったです。
 
  初めてへぎそばを食べたのは、仕事仲間
と出張で新潟にいった時だった。少し緑が
かった色で、一口大にいくつも丸められて
いて、複数の人数で食べるのに適して
いました。ツルツルといくらでも入りました。
 あとで聞くと、フノリという海藻をつなぎに
使っていて、「へぎ=片木」というのは四角
の容器のことだそうです。
 もともとは新潟の小千谷など魚沼地方で
食べられていたそうですが、私は新潟市で
しか食べたことはありません。
 写真は、新潟駅北口にある旬彩庵の
へぎそばです。この店では、ほかにも
新潟の地酒や魚など色々と味わえます。

  「信州信濃の新そばよりも、わたしゃ
あんたの傍がいい
」とふるくから言われて
いるように、信州長野地方を抜きにして
蕎麦を語ることはできないようです。
 松本や安曇野に行くと、白い蕎麦の花が
畑一面に咲いている風景をよく目にします。
今は長野産の粉で作った蕎麦は、東京でも
わが宮崎でも味わううことができますが、
やはり現地で、青空に映える日本アルプス
を仰ぎ見ながら、おおらかにかきこむときの
味わいはなんとも言えません。
 
 横手やきそば(秋田/横手)  八重山そば(沖縄/竹富島)  六傳屋の黒ゴマ担々麺(京都/先斗町)
  秋田の横手市は東北の冬の風物詩
“かまくら”で有名ですが、もう一つの名物
が、このやきそばです。麺はちぢれていない
ストレート麺で、焼いたのち皿に盛ってから
目玉焼きをちょんと乗せるのが横手流
だそうです。ネーミングも「焼きそば」では
なく、全てひらがなの「やきそば」とし、
その理由は漢字の「横手」の文字が
目立つからだそうです。(横手やきそば
暖簾会HP)
 かまくら祭りに立ち寄った際に、泊まった
ホテルのすぐそばの店で、食べました。
ソースは濃いめですが、目玉焼きをつき
崩しながら一緒に食べるとまったりとした
味で、確かにやみつきになりそうです。

  そばといっても、本土のそばというよりは
どちらかというと中華めんに近い気がします。
聞いたところによると蕎麦粉は一切入って
おらず100%小麦粉つくり、しかも中華麺
と同様に灌水で打っているのだそうです。
 那覇で2~3回ソーキそばを食べましたが
今回、竹富島で出た八重山そばとの違いが
よくわかりませんでした。ソーキ(豚の
スペアリブ)が入っているかどうかということ
ではなく、太くちじれた沖縄そばに比べて、
石垣や竹富などの八重山そばは麺が細くて
まっすぐなんだそうです。ちなみに八重山
でもソーキをトッピングすることはあるそう
です。
 この店に入り、そばがテーブルに運ばれて
きたとき、「お好みでどうぞ」と渡されたのが、
島とうがらしを何かに付け込んだ小瓶でした。
「入れすぎると辛いですよ」と言われ、おそる
おそるふって食べました。タバスコみたいな
ものなのなんでしょうね。

  関西方面の学会が終わった後、仕事仲間
たちと、夕食を食べに京都先斗町を歩いて
いたら、土手焼きのおいしそうな店を
見つけて入りました。六傳屋といいます。
 2階に通され、ビールで乾杯し、土手焼き
をはじめいろいろなメニューが運ばれた
中に、この担々麺がありました。
 部下の女性があまりにもおいしそうに
食べているので、私も小皿に盛ってもらい
口に入れたら、強烈なスパイスの香りが
鼻に突き抜け、口の中に痛いほどの刺激
が走りました。すぐに冷たい水をのみながら
彼女に、「これ、辛すぎない?」と尋ねたら
この辛さがいいんじゃないですか、と
こともなげに返されました。私的には
とても耐えられる味ではなかったのですが、
ほかの若い部下たちは口々に、うまいうまい
と食べていました。


メニュー4 パン・粉もの編 
 Pan de Pan のパン(北海道/阿寒湖)  木村屋のあんパン(銀座)  おやき(松本)
 観光バスで、阿寒湖に降り立ったときが
ちょうどお昼時で、湖のそばをうろうろ
していたら、イートインできるパン屋さん
見つけて入りました。
 ご覧の3個のパンと抹茶オレを購入し
真っ赤な色の椅子・テーブルで食べました。
北海道産の小麦を用い、阿寒湖の伏流水
でこねられているそうです。

  銀座の木村屋は、明治の初めに、酒種
とあんこという日本古来の材料を使って
あんパンを世に出しました。この和洋折衷
の食べ物を明治天皇がたいそう好まれた
という話が伝わっています。
 店内に入ると、独特の甘い香りが
ただよい、木枠の大きなケースに、たくさん
の種類のパンがずらりと並び、いつも
おおぜいのお客さんが列をなしています。
 若いころは、何個も買って帰り、家に着く
のを待ちきれずに、飛行機のなかで
つまみ食いもよくやってました。

  なす、野沢菜、かぼちゃ、大根・・・・・
平凡な食材を使っただけなのに、小麦の
生地にくるんで焼いたら、中華マンや
ピザに勝るとも劣らない絶妙の味が
生まれます。
 信州を旅する時は、いつも各地のおやき
を味わうのが楽しみです。もともと囲炉裏の
灰の中にくべて焼いていたらしいのですが、
最近ではごま油などで中華風にシャーッと
炒め焼きしたものも売られてます。
 私的にはかいかにピリッとした感じの
野沢菜あんのものが好みです。

月島のもんじゃ焼き(東京)  角煮まん(長崎/中華街)  だるま煎餅(川崎大師)
  名前は古くから知ってましたが、初めて
もんじゃ焼きを食べたのは、40代に
なってから、東京の月島ででした。
 関西のお好み焼きに比べて、どっしり感に
欠け、ゆるくて、はかなげで、見た目が
頼りない気がしました。使う道具も、お好み
焼きの堂々とした大きさのコテに比べ、
“はがし”と呼ばれるちっちゃなスプーン状
のもので食べろと言われたときは、正直
いってセコい食い物だなあと思いました。
 焼き方も独特で、お好み焼きのように
一気にドバッと鉄板に広げたり、ひっくり
返したりするのではなく、まず“固形物”
リッチな部分を丸くワッカを作るように
乗せて“土手”をつくり、そのわっかの中に
ゆるい“水溶物を”トロトロと流し込んで
いきます。程よく焼けたら、土手と中味を
少しずつ混ぜながらいただきます。焼くのも
食べるのもけっこう手間がかかりますが、
その分、ビールなどをグビグビやりながら
楽しむことができます。多分イラチな大阪人
には耐えられないスローペースなので、
関西では敬遠されるのかもしれません。
 最後に、鉄板に張り付いて少しこげた
小片をしめに食べると、香ばしさが口中に
広がります。もんじゃ通の人は、“せんべい”
と呼んでいるそうです。
 
  横浜、神戸と並んで日本の3大中華街の
一つ、長崎中華街で見つけたファストフード
です。
 ハンバーグ、ホットドック、ドラ焼きなど
具剤(あん)を炭水化物の生地にはさんで
さっと食べるやり方は、世の東西をとわず
ふるくからありましたが、豚の角煮を
はさんで食べる中華風の角煮まんも
なかなかの味でした。
 トロトロに甘辛く煮込まれた角煮が
ふわっとした生地に包まれていて、
かみしめるとふわっ⇒とろっ⇒ふわっ⇒
とろっの繰り返しの後、混然一体になって
香りが口中に広がります。
 中華街って、立ち食い、歩き食いが
できるので、旅人にとっては、たまらない
魅力なんですよね。
  羽田空港から都内に向かうには、バスは
別として、モノレールか京急線に乗りますが
京急線は、蒲田から西に向かえば、川崎、
横浜、横須賀と神奈川県内に足をのばす
ことができます。
 妻と一緒に横浜に住む彼女の叔母夫婦
を訪ねる途中、時間があったので、
京急川崎で下車し、川崎大師に行って
みたことがありました。
 お大師さんということは、弘法大師空海に
ゆかりのお寺なのですが、今を去る890年
前、川崎で漁師をしていた平間兼乗と
いう人が、夢枕に立った弘法大師の指図
で海に網を入れたところ、木像が引揚げ
られ、これを祭って平間寺を開山したと
いうのがその起こりだそうです。
 参道はいつも人通りが多く、黄な粉餅、
くづ餅、揚げまんじゅうなどいろいろな
お土産が売られてますが、私は醤油の
香ばしい香りを漂わせる昔ながらの
煎餅が目にとまりました。中でも川崎大師
の縁起物として売られているダルマを
かたどったダルマ煎餅に手が伸びて、
ついつい食べ歩きをしてしまいました。


メニュー5 カレー・鍋物・汁物編 
中村屋の印度カリー(新宿)  胡月のカレー(福岡)  三吉おでん(仙台)
 新宿東口、かつてフジテレビの番組
「笑っていいとも」が毎日生で放映されて
いたスタジオアルタ前から50mほど東に
行くと中村屋のビルが見えてきます。
 中村屋で出されるのは「カリー」で
カレーではありません。最初は“どこが
違うの?”と思ってましたが、食してみて
何となくわかったような気がします。
 我々がカレーと言っているのは、思うに
日本の家庭食・・・ふだん自宅や近所の
レストランなどで食べられる日本人の
舌に合わせたジャガイモ、ニンジン、
タマネギなどがゴロゴロ入って、肉も
ビーフやポーク中心で、しかも最初から
ライスとルーが仲良くひとつの皿に
盛られたものではないかなと思います。
 創業して約120年の中村屋のルーは
本場インドのカリーそのものでね薫り高い
スパイスと鶏肉で構成されています。
(ちなみにインドでは穢れているとされる豚と
尊い神の動物とされる牛は、それぞれの
理由で食されないのだそうです。)
 私は、日本のカレーも、印度カリーも
どちらも大好きです。
 大学に入学して、福岡で一人暮らしを
始めた私は、大人の味のカレーを知りまし
た。それまで、母が作るあのジャガイモや
肉がゴロゴロと入った即席カレーしか
知りませんでしたが、サークルの先輩に
連れられて中洲の電停近くにあった胡月と
いうレストランで、具の形がほとんどなく、
スパイスの強烈な香りがするサラサラの
辛口のカレーを食べて、大人になった気が
しました。歳もちょうど二十歳ころだったと
思います。
 コンパでの飲み会や映画館に行った
帰りによくこの店に通い、ヤミつきになる
ほど食べました。昭和が終わるころまで
この店はあったようです。
 写真は当時のものではなく、10年ほど前
出張で博多を訪れたとき、このカレーの
ノウハウを受け継ぐ方が天神で始めた
という店で撮ったものです。かなり似ては
いますが、あの当時の強烈な食感は残念
ながら味わえませんでした。ひょっとしたら
カレーが変わったというよりは、私の舌や
感性が老化したのかも・・・ちょっと寂しい
感じですが、しょうがないですね(笑)

 仙台の三吉おでんには、懐かしい思い出
があります。三十代の終わりころ、仕事上
の2週間の研修を埼玉の所沢で受けていた
頃、中日の土日の休日に、仙台まで遊びに
行きました。一緒に研修を受けてた宮城県
庁の方が、「三吉おでんで夕食を取って
ごらん」と勧めてくれたので、立ち寄って
みました。
 カウンターとテーブルで30人くらいの席は
全て埋まり、あらためて地元の人気店だ
と思いつつ帰ろうとしたら、カウンター内に
いたねじり鉢巻きのマスターから「どこから
来たの?」と聞かれました。「九州の宮崎
から」という私の答えをきくやいなや、カウ
ンターに座っていた常連のサラリーマン風
の二人連れを追い立てて私を座らせて
くれました。この二人は私に向かって
にっこり笑い、「この店はうまいから味
わって帰ってね」と出ていきました。
 九州では珍しいはんべんやねじり
鉢巻きのタコなどを、あっさりと澄んだ
ダシでいただきました。
 何年か前にまた仙台に行き、訪ねたところ
この時のご主人は亡くなられたそうですが、
息子さんが跡を継がれたとのことで、
店も味も健在でした。

 ちゃんこ鍋(両国) タケヤ味噌工場の味噌汁(諏訪)   きりたんぽ鍋(秋田/横手)
  やっと日本人横綱稀勢の里が誕生した
大相撲ですが、画像のちゃんこを両国で
食べた日は、ちょうど初場所千秋楽で
モンゴル人の横綱白鵬が何度目かの
優勝をした直後でした。全盛のときでした。
 国技館から出る優勝パレードを見送った
後、予約していたちゃんこ屋に、妻や娘と
行きました。
 普通、鍋料理というと、すき焼きの牛肉、
水炊きの鶏肉、石狩鍋のシャケ、土手鍋
のカキといった感じに、入れる具が特定
されるものですが、ちゃんこだけは、何でも
ありなのではと思いました。むしろスープや
具の名前を冠にして〇〇ちゃんこといった
具合に懐の大きな鍋なのだと思います。
 この日食べたのは、鶏のツミレを中心とし
たソップ炊きのちゃんこでした。特にスープ
が抜群で、お代わりを重ねてしまいました。
  真冬に諏訪に行ったことがあります。
諏訪湖の「御神渡り」が始まるころで、湖面
は完全に凍結し、キリキリと痛いような寒さ
の日でした。湖のすぐそばにタケヤという
地元で味噌を作る工場
があり、併設された
売店では、1杯100円で、味噌汁が売られて
ました。
 体が凍えきっていた私は、もちろんこの
味噌汁を所望しました・・・優しい、ほっかり
するような香りと味でした。

 きりたんぽは、ご存知のように、杉の棒に
半ば潰したご飯を塗り付けて作る秋田の
特産品で、真剣ではない稽古用の槍の
たんぽ(白い布でくるんだ穂先の部分)に
似ていることから、この名がついたそうです。
 きりたんぽ=切りたんぽなので、切って
ない原型のものは、単に「たんぽ」と呼ぶの
が正しいとか・・・どうでもいいことですが。
 このきりたんぽ、食べ方は大きく分けて
①そのまま味噌をつけて囲炉裏で焼く、
②鍋の具として煮込むの2通りのようです。
 旅人がたべる場合は、①は、観光地
などでも売られているファストフードで、
食べ歩きできますが、②は料理店や旅館で
作ってもらうか、お土産として持ち帰って
自宅で料理することになります。
 横手のかまくら祭りに行ったとき、泊まった
ホテルのレストランで鍋を食べましたが、
シンシンと冷え込む雪の夜に、フーフー
しながらかきこむ、たんぽは最高でした。


メニュー6 肉・魚介・卵・野菜編 
牛タン(仙台) ホタテ(北海道/利尻島) ハンバーグ・クリームコロッケ(京都/四条)
 仙台の繁華街にある「一福(いっぷく)」と
いう名店の牛たんです。皿の左側3枚が
味噌漬け、右3枚が塩焼きです。これに
ごはんとテールスープが付いた定食を
食べました。ほかにも角切りの煮込み、
ユッケ、カレー、弁当などバラエティに
富んだメニュー構成でした。
  店の入り口に貼られたポスターに、
「(仙台に来たら)まずは牛たん」と書かれて
います。そもそも何で仙台はこんな牛たん
文化が開いたのか?調べてみるとそれほど
古いわけではなく、戦後仙台に進駐した
米軍が大量に牛肉を消費した結果、不要
となった舌(タン)としっぽ(テール)が大量に
廃棄されていたそうです。
 地元の焼き鳥屋さんがこれに目を付け、
タンを塩焼きに、テールをスープにして
出したのが始まりとのこと。
 最初は珍味扱いで市内の家庭で食べら
れることはなかったのが、県外からの
転勤族に圧倒的にウケて、今では仙台の
名物となったんだそうです。

  三度目の北海道の旅のときは、思い
切って、北の果ての離島、利尻・礼文まで
足を延ばしました。
 利尻の漁師小屋みたいな出店で、この
肉厚でジューシーなホタテが炭火に乗せ
られ、なんとも言えない香ばしいにおいを
放ってました。
 2個買ってまず周りのヒモの部分を
味わいます。コリコリとした食感がたまり
ません。そしてモッチリ、シコシコの貝柱へ
・・・瞬く間にたいらげて、貝の底の
スープをすすると、これがまた絶妙の
味でした。2個目は少し余裕をもってと
思ったのですが、あっというまに、胃の中に
収まってました。利尻の磯の香りのする
漁師小屋で、とれたてのホタテを味わう・・・
至福のひとときでした。

  京都四条のとあるレストラン(名前は忘れ
ました)で食べた洋食メニューです。
 普通のハンバーグとコロッケですが、
きちんと仕事がしてあって、それなりに
旨かったのを覚えてます。
 子どもの頃、たまに行く洋食レストランで
こうしたメニューを家族と食べるのは、
ハレの日の大イベントだったように思い
ます。

サラダ(京都/ハーベスト) 温泉たまご(別府/Hうみね) ゴーヤチャンプル(那覇)
 よくは覚えてませんが私の小さいころは、
家庭で野菜を生で食べるという習慣は
無かったように思います。せいぜい大根、
白菜、ニンジン、タマネギなどが味噌汁や
カレーなどの一部としてに加熱されて出され
てたように記憶しています。
 小学生のころ、近所のおばさんの家に
お呼ばれで夕ご飯をごちそうになったとき、
生の野菜に酸っぱい液体の調味料を
かけて食べるように言われてなんだか
ウサギにでもなったような心持ちで口に
入れましたが、この液体調味料が強烈に
のどや鼻を刺激し、むせかえってしまい、
全然美味しいという感じではありません
でした。酢と油と胡椒から成るこの調味料
が「ドレッシング」というものであることは、
だいぶあとになって知りました。
 今は、写真の店のように有機農法などの
育て方や、ドレッシングにこだわったサラダ
の美味しいレストランが普通に存在する
ことに隔世の感を持っています。

 数年前、私の妹が大分の病院で足の
手術をしたことがあり、彼女を見舞い
方々、別府の温泉に一泊どまりの旅を
しました。
 別府といえばいわずと知れた有数の
温泉町・・・ひと風呂浴びて、夕食を楽しんだ
のですが、色とりどりの料理のはじっこに
この温泉卵が置かれてました。
 もともと卵好きの私は、卵焼き、目玉焼き、
ゆでたまご、卵かけごはんなど普段から
よく食してますが、温泉卵はなかなか作る
のが難しくて、味わう機会があまりありま
せん。
 酔っぱらっていい心持ちになったあとの
シメに、いっきに蓮華ですくい取り、ツルン
と口にいれたら、絶妙のあじでした。
 今は沖縄料理の定番として知られた
ゴーヤですが、わが宮崎でも古くから
ニガウリとかニガゴリと呼ばれて
食べられてきました。厳密には何らかの
違いがあるのかもしれませんが、ほぼ
同じ食材のような気がします。
 何といってもあの生命力には驚かされ
ます。真夏の太陽のもとで、放っておいても
グング゛ンとツルを延ばし、でっかい実が
いくつもいくつもぶら下がっています。
 私は中年のころまで、あの苦さが
なじめずに、ほとんど食べたことはありま
せんでしたが、老境にさしかかり、苦味を
美味しさのひとつと感じれるようになった
ことや、最近は少ない苦味のものが主流
になったこともあって、普通に食べられる
ようになりました。
 ゴーヤの代表的な調理法のチャンプルは
ゴーヤの苦味と、卵のマイルドな甘みが
合体して、焼酎によく合います。


メニュー7 寿司・おにぎり・天ぷら・揚物編 
 
寿司(石巻) お好み寿司(下関/唐戸市場) 柿の葉寿司(奈良/吉野)
 東北の寿司は、近海ものの新鮮なネタと
米どころ自慢のピカピカのシャリで握られる
ためたまらない魅力があります。
  この画像は、平成23年2月上旬に行った
石巻の駅近くの寿司屋さんで食べたときの
ものです。つまり、あの大震災の約1か月
前のときです。カウンターとテーブル
合わせて10席程度の小さな店でしたが、
文句なしにうまかったのを覚えています。
 津波が石巻全体を襲う映像をTVで
見ながら、あのときの小さなお寿司屋さん
のご夫婦のことを思い出していました。
御無事であればいいがと案じています。

  九州から本州への入り口、下関港にある
唐戸(からと)市場では、土日に一般向けの
「活き活き馬関街」というイベントが行われ
ています。
 市場の各店が、広い場内でそれぞれ
腕をこらした寿司、刺身、天ぷらなどを並べ
集まった客は、思い思いにあちこちを回り
手にしたトレイにお好みのものを乗せて
もらいます。下関特産のフグやプリプリの
えびなどをつまみながら、缶ビールを
プシュッと開け、グビグビと飲み干すし、
また何かつまむ・・・至福のときです。
  奈良盆地では、古くから酢でしめた
サバやシャケなどを酢飯に乗せ、柿の
葉っぱでくるんだ寿司が食されてきました。
 柿の葉には殺菌力があり、内陸部で
新鮮な魚介類が手に入りにくかった奈良
地方ならではの知恵だったようです。
 流通が迅速、自由にできるようになった
今でも、柿の葉を開くときのちょっとした
高揚感や独特の香りが、この寿司の
たまらない魅力です。
 
若芽のおにぎり(青森/金木町) 葵丸進の天ぷら(浅草) 串カツ(大阪/新世界)
 若芽とは、ワカメではなく昆布の若い芽の
ことです。金木町の斜陽館(太宰治の生家)
を訪ねた時、隣にあったレストランで食べ
ました。軟らかい歯触りの若芽をぷっちり
とかみ切ると、口の中いっぱいに昆布の
香りとプチプチの触感がふわっと広がり
ましたる。
 海苔巻き、高菜巻きなど、ご飯を植物性の
何かで包むおにぎりは、食べたことは
ありますが、昆布の若芽というのは、
このときが初体験でした。

 元々、丸進(まるしん=角を立てずに進む)
という店名だったそうですが、創業者の
出身地茨城の殿様、水戸徳川家の家紋の
葵をいただいて「葵丸進」に変えたそうです。
 最初に出張で上京し、浅草周辺をぶらっ
と歩いてたときに偶然飛び込み、東京らし
からぬ“白い”天ぷらに舌つづみを打ったの
を思い出します。関東の天ぷらは黒くて
甘辛いものが多くて、それまではあまり
食べなかったのですが、この葵丸進の
天ぷらはサクサクしててあっさりした味
なので、浅草にいったときは、よく入るように
なりました。
 店頭でもテイクアウトの販売をしていて、
お昼ころには、けっこう人だかりができて
います。

 大阪のシンボル通天閣の周辺は新世界
・・・失礼な言い方ですが“ガラの悪い”
街が広がっています。朝から酒を飲んで
いる大阪のオッチャンたちが、赤い顔を
して関西弁で声を張り上げています。
 こんなディープな街ですが、旅人に
とっては、日の高いうちから堂々と飲んで
フラフラと歩き回っても浮き上がらずに
歩ける場所でもあります。
 ここの名物はなんといっても串カツ。
お好みの具を選んで、ハイボールを一緒に
注文すると、すぐに出てきます。
 もちろんタレは二度着け禁止・・・揚げ
たてのカツを大口でほおばり、冷えて
シュワシュワのハイボールを流し込むと、
口の中に“新世界”が広がります。




メニュー8 スィーツ・ドリンク編 
柴又の草だんご(東京) かき氷(日暮里/ひみつ堂) 氷ぜんざい(沖縄/恩納村)
  映画「男はつらいよ」シリーズで、主人公
車寅次郎の生家は、葛飾柴又の参道沿い
にある「とらや」というだんご屋さんという
ことになっていました。
 おいちゃん夫婦が営む小さな間口の
この店では、妹さくらが忙しそうに、客に
だんごとお茶を出し、裏の印刷工場では
タコ社長と、さくらの夫ひろしがこれまた
忙しそうに働いている・・・昭和の繁栄を
もたらした庶民的な中小企業の風景が
描かれていました。
 柴又の帝釈天に至る参道を歩くと、
実際に何軒ものだんご屋が連なり、ご覧の
ような草だんごを食べることができます。
このだんごに使われるヨモギはどうしている
んでしょうか・・・そういえば映画の何作目
かに、近くの江戸川の堤防で、さくらが
ヨモギを摘む風景が描かれていたように
思います。今もそういう風景であってほしい
と私は思います。
  私は、かき氷に目がありません。昨今は、
電動かき氷機で荒めに削った氷に人工着色
の甘味料をかけ、て発泡スチロールのカップ
に入れた夜店風のかき氷を目にすることが
多くなりました。
 私の理想のかき氷、それは・・・うだる
ような真夏の午後、昔ながらの手回しの
機械で、透き通ったブロックの氷を細やか
にかいて、ふんわりと切子のガラスに盛り、
みぞれでもミルクでも何でもいい、とにかく
人工甘味料なしのお好みの蜜をかけて
いただく・・・そんな店があったんです。
 東京は日暮里駅の西口から延びる
商店街「谷中銀座」、「夕焼けだんだん」と
呼ばれる階段を下りて左側の路地に
入ったところにある「ひみつ堂」です。
 日光の三ツ星氷室というところで、冬の間
じっくりと凍らせた天然氷を使い、果物や
ミルク、ヨーグルトなどを使って作った
オリジナルの蜜を用いて、手回しの削氷機
でかくと、ご覧のような絶品が出来上がり
ます。私はまだ2回しか行ったことありま
せんが、いずれも40~50分くらい、
汗をかきかき並んで食べました。

  9月に、私たち夫婦と娘、長男夫婦と
2歳になる孫娘の6人で恩納村のビーチ
ホテルに泊まりました。
 ホテルの傍の道の駅で食べたのが
この氷ぜんざいです。甘い小豆が乗った
かき氷で、普通、氷金時とか氷あずきと
呼ばれるものだと思うのですが、沖縄では
必ず「ぜんざい」というそうです。
 この小豆は、沖縄名産の黒砂糖で炊か
れていて、濃厚な甘さです。
 沖縄の9月というと、まだまだ猛暑の
最中で、小豆を氷の中に突き崩しながら
ひとさじ、ひとさじ口に運ぶと汗が少しずつ
退いていくのがわかりました。

梅が枝餅(福岡/大宰府) 甘酒(神田明神) サントリー工場のハイボール(京都/山崎)
 学問の神様菅原道真を祭った大宰府
天満宮の参道で売られている焼き餅です。
餅の中央に道真ゆかりの梅の花が刻印
されてますが、別に梅の実が入ってたり
梅の香りがするわけではありません。
 ほのかに甘いこし餡を薄い餅の生地で
包み、特製の4個分の鉄製焼き型に
はさんで火にかけて焼き上げます。
 持ち帰って食べてももちろんおいしいの
ですが、天満宮の境内で焼き立てを
ふーふー言いながらかぶりつくのが格別
です。

 江戸は神田の明神下というと、野村胡堂
の名作「銭形平次」が有名ですが、もう
一つの名物が参道入り口で商われている
甘酒です。
 神田明神には3度ほど行きましたが、
なぜかいつも真冬の寒い時期で、熱々の
ほっこりした甘酒が体を温めてくれました。
何とにく冬の飲み物と思われがちですが、
実は汗をかいてバテ気味になる真夏こそ
疲労回復にぴったりで、別名「飲む点滴」と
言われているそうです。
 江戸の昔から、真夏に甘酒売りがかけ
声をあげながら売っていたそうで、「甘酒」
は俳句では夏の季語なんだそうです。

 大阪と京都の中間地点、あの本能寺の
変のあと、明智光秀と羽柴秀吉の合戦が
行われた山崎の地に、ウィスキーメーカの
サントリーの工場があります。
 工場見学を予約すると、有料ですが、
見学の最後にウィスキーの試飲をさせて
くれます。ストレート、水割り、ロックなど
ウィスキーの楽しみ方はいろいろありますが
私は、炭酸で割ったハイボールが一番
好きです。
 このとき案内をしてくれたコンパニオンの
女性が何と娘の大学時代の友人だったと
いうオチまで着いてました。

 


メニュー9 みやざきのグルメ編 
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 ①項目地名 
趣旨
     
      
     


   
 

 ②項目地名 
趣旨