メニュー1 弁当・定食編 |
栗おこわ定食(小布施) | かてもの御膳(米沢) | ワンコインランチ(東京/赤羽) |
長野県の北東部の小布施は昔から栗の 産地として知られています。 その名も小布施堂という菓子店が開く レストランで栗の入ったおこわをいただき ました。人気店らしく、お菓子も食事も ちょっとした行列ができてました。 やっとテーブルに座り、ご覧の定食が 出てきました。大粒の栗がゴロゴロと・・・ まではいきませんが、そこそこに入って いて、おいしくいただきました。 私たちのテーブルの横は一面のガラス 張りになってて、外は見事な和風庭園が 広がっていました。 |
かつて財政危機に瀕していた米沢藩を 立て直した上杉鷹山が、少ない食料を 補うために、摂食可能な野草などを、 かてもの(=加える物)として紹介したことに 因んだ、地元の料亭「上杉伯爵亭」の メニューです。 鷹山が垣根に植えさせたうこぎの若芽 の混ぜご飯や、雑草のヒョウを使った 煮つけなど、今の時代では却って希少な 食材が使われた高級料理です。 |
何年か前、赤羽のビジネスホテルに 泊まったことがありました。駅から ホテルまでは商店街になっていて、ある 飲食店でご覧の晩飯を食いました。 何の変哲もないとんかつ定食で、味も それなりにうまかったんですが、値段が なんと税込みで500円(!)ポッキリでした。 私的には、とんかつは贅沢なメニューで 定食になると一般的には1500円前後は するという先入観があったんですが 東京にもこんな価格破壊が押し寄せて いるのを実感しました。一方で、学生や ビジネスマンたちの懐が、こんな値段で ないと持たない状況なんだと思います。 飲食業の方たちの苦労が思いやられます。 |
ふくしまの味弁当(新幹線なすの車中) | 舞茸弁当(天竜浜松線車中) | ランチョンセミナーの弁当 (佐賀で開かれた学会) |
松花堂弁当のように、おかずがきれいに 仕分けられるとともに、幕の内弁当の ように、日の丸型の梅干しや緑鮮やかな グリーンピースが添えられたご飯が ボリュームたっぷりに鎮座していて、 ふたを開けた時に、彩りのみごとさに うれしくなりました。 弁当の右上に、わずかに缶ビールが 見えてますが、これをグビッとやりながら チーズカツ、おひたし、卵焼き、たづくりなど を次々とつまみ、窓の外に広がるみちのく の田園風景を眺めていると、少しずつ ホロ酔い気分に包まれていく・・・旅の 至福のひとときです。 まだ震災前の福島県の駅で求めた弁当 です。まだ先の長い復興途上ですが、 こんな弁当がさらににぎやかに出回るように なっていけばいいなと思います。 |
静岡の掛川と浜名湖畔の五所川原を 結ぶ天竜浜名湖線(通称「天浜線」)は、 途中、森の石松のふるさと遠州森や、 縄文時代の人骨が見つかった三ケ日など を経由し、浜名湖の北側を回るローカル線 です。 舞茸弁当はこの線の二俣駅でのみ、 しかも土日買えない駅弁で、1日10個 程度の販売なので前もって電話で予約 しておかないとすぐ売り切れるレアもの です。 舞茸も特産品とはいえ、とても地味な キノコですが、他の具も含めて丁寧な 味付けで好感の持てる駅弁です。 |
仕事で学会に行くとランチョンセミナー がよくあります。耳慣れない方もいるかも しれませんが、Luncheon(昼食会)+ Seminor(勉強会)・・・つまりお昼ご飯を 食べながら聞く研修会のことで、開催地の 名物が盛り込まれた弁当と紙パックの お茶という組合せが一般的です。 飯をパクつく聴衆の前で講演を行う 演者や座長が気の毒ですが、これも 学会の限られた時間を有効に使おうと する知恵なんだと思います。 約1時間のセミナーの時間中に、 机無しの椅子だけの席で、しかも講義の メモも取りながら食すこととなるため、 ご飯も具も、少しずつつまめるように 3×3=9枡の松花堂形式になっている ものが多い気がします。 |
メニュー2 めし・丼もの編 |
海鮮丼(小樽) | ソースカツ丼(敦賀/ヨーロッパ軒) | 玉ひでの親子丼(東京/人形町) |
海鮮丼は各地でそれぞれ出されています。 値段も当然高くなるため、私もそんなに 食べたわけではないのですが、感想と しては、冬場のものか、日本海沿岸や 東北・北海道など北国で食べたものが とりわけうまかったような気がします。 ご覧のものは、小樽駅からほど近い 三角市場(敷地も屋根も三角形なのでこの名が ついたそうです)の食堂で食べた海鮮丼です。 いくら、ウニ、カニ肉がメインでしたが、 量がはんぱでなく、ご飯は丼の底の方に 小さくうずくまっているような感じで、 箸を進めてもなかなか掘り当てられません でした。値段も、数百円くらいが相場の私 の昼飯にしては、結構高くて税込み2000円 でした。 ここまで豪勢だと、どこから食べたら いいのか、本気で迷いました。どこから 食べてもうまかったんですが・・・ |
丼めしの上に無造作にとんかつが3枚 乗せられ、ウスターソースがドバっと かけ回されている・・・一見、がさつで食欲 が無くなるような気がしますが、違うんです。 厳選された軟らかい豚肉が丁寧に 揚げられてて、ご飯もほっこりとたき上げて います。そして何よりもソースがまろやか で、カツとご飯を仲良く結びつけています。 そこらの市販のものではなく、きちんと メーカに作らせたオリジナルのものだ そうです。 ヨーロッパ軒という店名もすごいと思い ます。何でも、大正時代にドイツに留学 していた創業者が現地のソースを使って 考案したんだそうです。店の雰囲気も レトロ一色です。 |
人形町の玉ひでは18世紀から続く とり料理の老舗で、当初は初代の夫と妻の 名から一文字ずつとって「玉鐡(たまてつ)」 という店名だったそうです。 何代目かの主人が秀さんという方で 「玉鐡の秀さんの店」というわけで玉ひで に変わったとか・・・ この店が、鶏鍋の残りに卵を入れて 丼に盛ったご飯の上にかけたメニューを 考案したことが親子丼の始まりだそうです。 ただ、高級料亭の玉ひでが、“下品な 汁かけ飯”を出したと言われ、最初は こっそりと出前の場合だけ作っていたとの こと。今ではお昼時に、場合によっては 人形町駅まで行列ができるそうで、私も 1時間ぐらい並んだのちに食べることが できました。 鶏肉ではなく、しゃも肉が使われていて、 メニューが何種類かありますが、濃厚で 臭みのない味はくせになりそうです。 |
花咲がにの釜めし(根室) | かやくご飯(大阪/道頓堀) | 「山」の飯ごう雑炊(福岡/中洲) |
花咲ガニは全身とげで覆われて見た目の 悪いカニですが、中身はプリプリして とても濃厚な味です。名前の由来は、 根室の花咲港で水揚げされるからとも、 茹でると花が咲いたような華やかだから とも言われてますが、流通量は極めて 少なく、現地根室まで行かないとなかなか 食べられない種類のようです。 その花咲ガニを、これでもか、これでもか と炊きこんだ釜めしを、根室郊外の道の駅 で食することができました。 レストランの大きなガラス窓からは風連湖 の風光明媚な景色を楽しむことができ ました。冬は白鳥がやってくるそうです。 |
大阪の道頓堀付近でうどん屋に入った ときに、うどんにくっついて出てきたのが この「かやくご飯」でした。いわゆる混ぜ ごはんですね。かやくは「加薬」すなわち、 ご飯に加える具のことで、この時のもの は、油揚げ、人参、海苔なんかが入って ました。 酢めしに具を混ぜ込んだ五目寿司でも なく、油で炒めた炒飯でもなく、濃厚に 下味をつけて炊きこんだ釜めしでもない ・・・かやくごは飯あっさりとした味わいで うどんと一緒にいつのまにか食べ終わって いた、そんな感じでした。 |
もう40年以上前に学生時代を過ごした 博多での思い出の味です。コンパで したたか飲んだ帰りに、中洲のこの店に 立ち寄り、雑炊を食べてました。 店名通り、登山のときの山小屋のような 造りで、飯ごうに入れた雑炊と、どこそか 山から組んできたという冷たい水が、 酔い覚ましに心地よかったのを覚えて います。 数年前に出張で福岡に行ったら・・・・ 何とまだ続いてたんですよね。懐かしかった です。もちろん食べてきました。私の好み は、餅とめんたいのトッピングです。 |
メニュー3 麺類編 |
喜多方そば(福島/喜多方) | 旬彩庵のへぎそば(新潟) | 信州そば(松本) |
会津若松の北にある喜多方は、ラーメン で知られた枡が、実は蕎麦も有名なんだ そうです。 冬場に訪ねた時に、ちょうど何かの 集まりがあってて、打ちたての蕎麦に ありつけました。寒い時でもツルツルと のどごしが良かったです。 |
初めてへぎそばを食べたのは、仕事仲間 と出張で新潟にいった時だった。少し緑が かった色で、一口大にいくつも丸められて いて、複数の人数で食べるのに適して いました。ツルツルといくらでも入りました。 あとで聞くと、フノリという海藻をつなぎに 使っていて、「へぎ=片木」というのは四角 の容器のことだそうです。 もともとは新潟の小千谷など魚沼地方で 食べられていたそうですが、私は新潟市で しか食べたことはありません。 写真は、新潟駅北口にある旬彩庵の へぎそばです。この店では、ほかにも 新潟の地酒や魚など色々と味わえます。 |
「信州信濃の新そばよりも、わたしゃ あんたの傍がいい」とふるくから言われて いるように、信州長野地方を抜きにして 蕎麦を語ることはできないようです。 松本や安曇野に行くと、白い蕎麦の花が 畑一面に咲いている風景をよく目にします。 今は長野産の粉で作った蕎麦は、東京でも わが宮崎でも味わううことができますが、 やはり現地で、青空に映える日本アルプス を仰ぎ見ながら、おおらかにかきこむときの 味わいはなんとも言えません。 |
横手やきそば(秋田/横手) | 八重山そば(沖縄/竹富島) | 六傳屋の黒ゴマ担々麺(京都/先斗町) |
秋田の横手市は東北の冬の風物詩 “かまくら”で有名ですが、もう一つの名物 が、このやきそばです。麺はちぢれていない ストレート麺で、焼いたのち皿に盛ってから 目玉焼きをちょんと乗せるのが横手流 だそうです。ネーミングも「焼きそば」では なく、全てひらがなの「やきそば」とし、 その理由は漢字の「横手」の文字が 目立つからだそうです。(横手やきそば 暖簾会HP) かまくら祭りに立ち寄った際に、泊まった ホテルのすぐそばの店で、食べました。 ソースは濃いめですが、目玉焼きをつき 崩しながら一緒に食べるとまったりとした 味で、確かにやみつきになりそうです。 |
そばといっても、本土のそばというよりは どちらかというと中華めんに近い気がします。 聞いたところによると蕎麦粉は一切入って おらず100%小麦粉つくり、しかも中華麺 と同様に灌水で打っているのだそうです。 那覇で2~3回ソーキそばを食べましたが 今回、竹富島で出た八重山そばとの違いが よくわかりませんでした。ソーキ(豚の スペアリブ)が入っているかどうかということ ではなく、太くちじれた沖縄そばに比べて、 石垣や竹富などの八重山そばは麺が細くて まっすぐなんだそうです。ちなみに八重山 でもソーキをトッピングすることはあるそう です。 この店に入り、そばがテーブルに運ばれて きたとき、「お好みでどうぞ」と渡されたのが、 島とうがらしを何かに付け込んだ小瓶でした。 「入れすぎると辛いですよ」と言われ、おそる おそるふって食べました。タバスコみたいな ものなのなんでしょうね。 |
関西方面の学会が終わった後、仕事仲間 たちと、夕食を食べに京都先斗町を歩いて いたら、土手焼きのおいしそうな店を 見つけて入りました。六傳屋といいます。 2階に通され、ビールで乾杯し、土手焼き をはじめいろいろなメニューが運ばれた 中に、この担々麺がありました。 部下の女性があまりにもおいしそうに 食べているので、私も小皿に盛ってもらい 口に入れたら、強烈なスパイスの香りが 鼻に突き抜け、口の中に痛いほどの刺激 が走りました。すぐに冷たい水をのみながら 彼女に、「これ、辛すぎない?」と尋ねたら この辛さがいいんじゃないですか、と こともなげに返されました。私的には とても耐えられる味ではなかったのですが、 ほかの若い部下たちは口々に、うまいうまい と食べていました。 |
メニュー4 パン・粉もの編 |
Pan de Pan のパン(北海道/阿寒湖) | 木村屋のあんパン(銀座) | おやき(松本) |
観光バスで、阿寒湖に降り立ったときが ちょうどお昼時で、湖のそばをうろうろ していたら、イートインできるパン屋さんを 見つけて入りました。 ご覧の3個のパンと抹茶オレを購入し 真っ赤な色の椅子・テーブルで食べました。 北海道産の小麦を用い、阿寒湖の伏流水 でこねられているそうです。 |
銀座の木村屋は、明治の初めに、酒種 とあんこという日本古来の材料を使って あんパンを世に出しました。この和洋折衷 の食べ物を明治天皇がたいそう好まれた という話が伝わっています。 店内に入ると、独特の甘い香りが ただよい、木枠の大きなケースに、たくさん の種類のパンがずらりと並び、いつも おおぜいのお客さんが列をなしています。 若いころは、何個も買って帰り、家に着く のを待ちきれずに、飛行機のなかで つまみ食いもよくやってました。 |
なす、野沢菜、かぼちゃ、大根・・・・・ 平凡な食材を使っただけなのに、小麦の 生地にくるんで焼いたら、中華マンや ピザに勝るとも劣らない絶妙の味が 生まれます。 信州を旅する時は、いつも各地のおやき を味わうのが楽しみです。もともと囲炉裏の 灰の中にくべて焼いていたらしいのですが、 最近ではごま油などで中華風にシャーッと 炒め焼きしたものも売られてます。 私的にはかいかにピリッとした感じの 野沢菜あんのものが好みです。 |
月島のもんじゃ焼き(東京) | 角煮まん(長崎/中華街) | だるま煎餅(川崎大師) |
名前は古くから知ってましたが、初めて もんじゃ焼きを食べたのは、40代に なってから、東京の月島ででした。 関西のお好み焼きに比べて、どっしり感に 欠け、ゆるくて、はかなげで、見た目が 頼りない気がしました。使う道具も、お好み 焼きの堂々とした大きさのコテに比べ、 “はがし”と呼ばれるちっちゃなスプーン状 のもので食べろと言われたときは、正直 いってセコい食い物だなあと思いました。 焼き方も独特で、お好み焼きのように 一気にドバッと鉄板に広げたり、ひっくり 返したりするのではなく、まず“固形物” リッチな部分を丸くワッカを作るように 乗せて“土手”をつくり、そのわっかの中に ゆるい“水溶物を”トロトロと流し込んで いきます。程よく焼けたら、土手と中味を 少しずつ混ぜながらいただきます。焼くのも 食べるのもけっこう手間がかかりますが、 その分、ビールなどをグビグビやりながら 楽しむことができます。多分イラチな大阪人 には耐えられないスローペースなので、 関西では敬遠されるのかもしれません。 最後に、鉄板に張り付いて少しこげた 小片をしめに食べると、香ばしさが口中に 広がります。もんじゃ通の人は、“せんべい” と呼んでいるそうです。 |
横浜、神戸と並んで日本の3大中華街の 一つ、長崎中華街で見つけたファストフード です。 ハンバーグ、ホットドック、ドラ焼きなど 具剤(あん)を炭水化物の生地にはさんで さっと食べるやり方は、世の東西をとわず ふるくからありましたが、豚の角煮を はさんで食べる中華風の角煮まんも なかなかの味でした。 トロトロに甘辛く煮込まれた角煮が ふわっとした生地に包まれていて、 かみしめるとふわっ⇒とろっ⇒ふわっ⇒ とろっの繰り返しの後、混然一体になって 香りが口中に広がります。 中華街って、立ち食い、歩き食いが できるので、旅人にとっては、たまらない 魅力なんですよね。 |
羽田空港から都内に向かうには、バスは 別として、モノレールか京急線に乗りますが 京急線は、蒲田から西に向かえば、川崎、 横浜、横須賀と神奈川県内に足をのばす ことができます。 妻と一緒に横浜に住む彼女の叔母夫婦 を訪ねる途中、時間があったので、 京急川崎で下車し、川崎大師に行って みたことがありました。 お大師さんということは、弘法大師空海に ゆかりのお寺なのですが、今を去る890年 前、川崎で漁師をしていた平間兼乗と いう人が、夢枕に立った弘法大師の指図 で海に網を入れたところ、木像が引揚げ られ、これを祭って平間寺を開山したと いうのがその起こりだそうです。 参道はいつも人通りが多く、黄な粉餅、 くづ餅、揚げまんじゅうなどいろいろな お土産が売られてますが、私は醤油の 香ばしい香りを漂わせる昔ながらの 煎餅が目にとまりました。中でも川崎大師 の縁起物として売られているダルマを かたどったダルマ煎餅に手が伸びて、 ついつい食べ歩きをしてしまいました。 |
メニュー5 カレー・鍋物・汁物編 |
中村屋の印度カリー(新宿) | 胡月のカレー(福岡) | 三吉おでん(仙台) |
新宿東口、かつてフジテレビの番組 「笑っていいとも」が毎日生で放映されて いたスタジオアルタ前から50mほど東に 行くと中村屋のビルが見えてきます。 中村屋で出されるのは「カリー」で カレーではありません。最初は“どこが 違うの?”と思ってましたが、食してみて 何となくわかったような気がします。 我々がカレーと言っているのは、思うに 日本の家庭食・・・ふだん自宅や近所の レストランなどで食べられる日本人の 舌に合わせたジャガイモ、ニンジン、 タマネギなどがゴロゴロ入って、肉も ビーフやポーク中心で、しかも最初から ライスとルーが仲良くひとつの皿に 盛られたものではないかなと思います。 創業して約120年の中村屋のルーは 本場インドのカリーそのものでね薫り高い スパイスと鶏肉で構成されています。 (ちなみにインドでは穢れているとされる豚と 尊い神の動物とされる牛は、それぞれの 理由で食されないのだそうです。) 私は、日本のカレーも、印度カリーも どちらも大好きです。 |
大学に入学して、福岡で一人暮らしを 始めた私は、大人の味のカレーを知りまし た。それまで、母が作るあのジャガイモや 肉がゴロゴロと入った即席カレーしか 知りませんでしたが、サークルの先輩に 連れられて中洲の電停近くにあった胡月と いうレストランで、具の形がほとんどなく、 スパイスの強烈な香りがするサラサラの 辛口のカレーを食べて、大人になった気が しました。歳もちょうど二十歳ころだったと 思います。 コンパでの飲み会や映画館に行った 帰りによくこの店に通い、ヤミつきになる ほど食べました。昭和が終わるころまで この店はあったようです。 写真は当時のものではなく、10年ほど前 出張で博多を訪れたとき、このカレーの ノウハウを受け継ぐ方が天神で始めた という店で撮ったものです。かなり似ては いますが、あの当時の強烈な食感は残念 ながら味わえませんでした。ひょっとしたら カレーが変わったというよりは、私の舌や 感性が老化したのかも・・・ちょっと寂しい 感じですが、しょうがないですね(笑) |
仙台の三吉おでんには、懐かしい思い出 があります。三十代の終わりころ、仕事上 の2週間の研修を埼玉の所沢で受けていた 頃、中日の土日の休日に、仙台まで遊びに 行きました。一緒に研修を受けてた宮城県 庁の方が、「三吉おでんで夕食を取って ごらん」と勧めてくれたので、立ち寄って みました。 カウンターとテーブルで30人くらいの席は 全て埋まり、あらためて地元の人気店だ と思いつつ帰ろうとしたら、カウンター内に いたねじり鉢巻きのマスターから「どこから 来たの?」と聞かれました。「九州の宮崎 から」という私の答えをきくやいなや、カウ ンターに座っていた常連のサラリーマン風 の二人連れを追い立てて私を座らせて くれました。この二人は私に向かって にっこり笑い、「この店はうまいから味 わって帰ってね」と出ていきました。 九州では珍しいはんべんやねじり 鉢巻きのタコなどを、あっさりと澄んだ ダシでいただきました。 何年か前にまた仙台に行き、訪ねたところ この時のご主人は亡くなられたそうですが、 息子さんが跡を継がれたとのことで、 店も味も健在でした。 |
ちゃんこ鍋(両国) | タケヤ味噌工場の味噌汁(諏訪) | きりたんぽ鍋(秋田/横手) |
やっと日本人横綱稀勢の里が誕生した 大相撲ですが、画像のちゃんこを両国で 食べた日は、ちょうど初場所千秋楽で モンゴル人の横綱白鵬が何度目かの 優勝をした直後でした。全盛のときでした。 国技館から出る優勝パレードを見送った 後、予約していたちゃんこ屋に、妻や娘と 行きました。 普通、鍋料理というと、すき焼きの牛肉、 水炊きの鶏肉、石狩鍋のシャケ、土手鍋 のカキといった感じに、入れる具が特定 されるものですが、ちゃんこだけは、何でも ありなのではと思いました。むしろスープや 具の名前を冠にして〇〇ちゃんこといった 具合に懐の大きな鍋なのだと思います。 この日食べたのは、鶏のツミレを中心とし たソップ炊きのちゃんこでした。特にスープ が抜群で、お代わりを重ねてしまいました。 |
真冬に諏訪に行ったことがあります。 諏訪湖の「御神渡り」が始まるころで、湖面 は完全に凍結し、キリキリと痛いような寒さ の日でした。湖のすぐそばにタケヤという 地元で味噌を作る工場があり、併設された 売店では、1杯100円で、味噌汁が売られて ました。 体が凍えきっていた私は、もちろんこの 味噌汁を所望しました・・・優しい、ほっかり するような香りと味でした。 |
きりたんぽは、ご存知のように、杉の棒に 半ば潰したご飯を塗り付けて作る秋田の 特産品で、真剣ではない稽古用の槍の たんぽ(白い布でくるんだ穂先の部分)に 似ていることから、この名がついたそうです。 きりたんぽ=切りたんぽなので、切って ない原型のものは、単に「たんぽ」と呼ぶの が正しいとか・・・どうでもいいことですが。 このきりたんぽ、食べ方は大きく分けて ①そのまま味噌をつけて囲炉裏で焼く、 ②鍋の具として煮込むの2通りのようです。 旅人がたべる場合は、①は、観光地 などでも売られているファストフードで、 食べ歩きできますが、②は料理店や旅館で 作ってもらうか、お土産として持ち帰って 自宅で料理することになります。 横手のかまくら祭りに行ったとき、泊まった ホテルのレストランで鍋を食べましたが、 シンシンと冷え込む雪の夜に、フーフー しながらかきこむ、たんぽは最高でした。 |
メニュー6 肉・魚介・卵・野菜編 |
牛タン(仙台) | ホタテ(北海道/利尻島) | ハンバーグ・クリームコロッケ(京都/四条) |
仙台の繁華街にある「一福(いっぷく)」と いう名店の牛たんです。皿の左側3枚が 味噌漬け、右3枚が塩焼きです。これに ごはんとテールスープが付いた定食を 食べました。ほかにも角切りの煮込み、 ユッケ、カレー、弁当などバラエティに 富んだメニュー構成でした。 店の入り口に貼られたポスターに、 「(仙台に来たら)まずは牛たん」と書かれて います。そもそも何で仙台はこんな牛たん 文化が開いたのか?調べてみるとそれほど 古いわけではなく、戦後仙台に進駐した 米軍が大量に牛肉を消費した結果、不要 となった舌(タン)としっぽ(テール)が大量に 廃棄されていたそうです。 地元の焼き鳥屋さんがこれに目を付け、 タンを塩焼きに、テールをスープにして 出したのが始まりとのこと。 最初は珍味扱いで市内の家庭で食べら れることはなかったのが、県外からの 転勤族に圧倒的にウケて、今では仙台の 名物となったんだそうです。 |
三度目の北海道の旅のときは、思い 切って、北の果ての離島、利尻・礼文まで 足を延ばしました。 利尻の漁師小屋みたいな出店で、この 肉厚でジューシーなホタテが炭火に乗せ られ、なんとも言えない香ばしいにおいを 放ってました。 2個買ってまず周りのヒモの部分を 味わいます。コリコリとした食感がたまり ません。そしてモッチリ、シコシコの貝柱へ ・・・瞬く間にたいらげて、貝の底の スープをすすると、これがまた絶妙の 味でした。2個目は少し余裕をもってと 思ったのですが、あっというまに、胃の中に 収まってました。利尻の磯の香りのする 漁師小屋で、とれたてのホタテを味わう・・・ 至福のひとときでした。 |
京都四条のとあるレストラン(名前は忘れ ました)で食べた洋食メニューです。 普通のハンバーグとコロッケですが、 きちんと仕事がしてあって、それなりに 旨かったのを覚えてます。 子どもの頃、たまに行く洋食レストランで こうしたメニューを家族と食べるのは、 ハレの日の大イベントだったように思い ます。 |
サラダ(京都/ハーベスト) | 温泉たまご(別府/Hうみね) | ゴーヤチャンプル(那覇) |
よくは覚えてませんが私の小さいころは、 家庭で野菜を生で食べるという習慣は 無かったように思います。せいぜい大根、 白菜、ニンジン、タマネギなどが味噌汁や カレーなどの一部としてに加熱されて出され てたように記憶しています。 小学生のころ、近所のおばさんの家に お呼ばれで夕ご飯をごちそうになったとき、 生の野菜に酸っぱい液体の調味料を かけて食べるように言われてなんだか ウサギにでもなったような心持ちで口に 入れましたが、この液体調味料が強烈に のどや鼻を刺激し、むせかえってしまい、 全然美味しいという感じではありません でした。酢と油と胡椒から成るこの調味料 が「ドレッシング」というものであることは、 だいぶあとになって知りました。 今は、写真の店のように有機農法などの 育て方や、ドレッシングにこだわったサラダ の美味しいレストランが普通に存在する ことに隔世の感を持っています。 |
数年前、私の妹が大分の病院で足の 手術をしたことがあり、彼女を見舞い 方々、別府の温泉に一泊どまりの旅を しました。 別府といえばいわずと知れた有数の 温泉町・・・ひと風呂浴びて、夕食を楽しんだ のですが、色とりどりの料理のはじっこに この温泉卵が置かれてました。 もともと卵好きの私は、卵焼き、目玉焼き、 ゆでたまご、卵かけごはんなど普段から よく食してますが、温泉卵はなかなか作る のが難しくて、味わう機会があまりありま せん。 酔っぱらっていい心持ちになったあとの シメに、いっきに蓮華ですくい取り、ツルン と口にいれたら、絶妙のあじでした。 |
今は沖縄料理の定番として知られた ゴーヤですが、わが宮崎でも古くから ニガウリとかニガゴリと呼ばれて 食べられてきました。厳密には何らかの 違いがあるのかもしれませんが、ほぼ 同じ食材のような気がします。 何といってもあの生命力には驚かされ ます。真夏の太陽のもとで、放っておいても グング゛ンとツルを延ばし、でっかい実が いくつもいくつもぶら下がっています。 私は中年のころまで、あの苦さが なじめずに、ほとんど食べたことはありま せんでしたが、老境にさしかかり、苦味を 美味しさのひとつと感じれるようになった ことや、最近は少ない苦味のものが主流 になったこともあって、普通に食べられる ようになりました。 ゴーヤの代表的な調理法のチャンプルは ゴーヤの苦味と、卵のマイルドな甘みが 合体して、焼酎によく合います。 |
メニュー7 寿司・おにぎり・天ぷら・揚物編 |
寿司(石巻) | お好み寿司(下関/唐戸市場) | 柿の葉寿司(奈良/吉野) |
東北の寿司は、近海ものの新鮮なネタと 米どころ自慢のピカピカのシャリで握られる ためたまらない魅力があります。 この画像は、平成23年2月上旬に行った 石巻の駅近くの寿司屋さんで食べたときの ものです。つまり、あの大震災の約1か月 前のときです。カウンターとテーブル 合わせて10席程度の小さな店でしたが、 文句なしにうまかったのを覚えています。 津波が石巻全体を襲う映像をTVで 見ながら、あのときの小さなお寿司屋さん のご夫婦のことを思い出していました。 御無事であればいいがと案じています。 |
九州から本州への入り口、下関港にある 唐戸(からと)市場では、土日に一般向けの 「活き活き馬関街」というイベントが行われ ています。 市場の各店が、広い場内でそれぞれ 腕をこらした寿司、刺身、天ぷらなどを並べ 集まった客は、思い思いにあちこちを回り 手にしたトレイにお好みのものを乗せて もらいます。下関特産のフグやプリプリの えびなどをつまみながら、缶ビールを プシュッと開け、グビグビと飲み干すし、 また何かつまむ・・・至福のときです。 |
奈良盆地では、古くから酢でしめた サバやシャケなどを酢飯に乗せ、柿の 葉っぱでくるんだ寿司が食されてきました。 柿の葉には殺菌力があり、内陸部で 新鮮な魚介類が手に入りにくかった奈良 地方ならではの知恵だったようです。 流通が迅速、自由にできるようになった 今でも、柿の葉を開くときのちょっとした 高揚感や独特の香りが、この寿司の たまらない魅力です。 |
若芽のおにぎり(青森/金木町) | 葵丸進の天ぷら(浅草) | 串カツ(大阪/新世界) |
若芽とは、ワカメではなく昆布の若い芽の ことです。金木町の斜陽館(太宰治の生家) を訪ねた時、隣にあったレストランで食べ ました。軟らかい歯触りの若芽をぷっちり とかみ切ると、口の中いっぱいに昆布の 香りとプチプチの触感がふわっと広がり ましたる。 海苔巻き、高菜巻きなど、ご飯を植物性の 何かで包むおにぎりは、食べたことは ありますが、昆布の若芽というのは、 このときが初体験でした。 |
元々、丸進(まるしん=角を立てずに進む) という店名だったそうですが、創業者の 出身地茨城の殿様、水戸徳川家の家紋の 葵をいただいて「葵丸進」に変えたそうです。 最初に出張で上京し、浅草周辺をぶらっ と歩いてたときに偶然飛び込み、東京らし からぬ“白い”天ぷらに舌つづみを打ったの を思い出します。関東の天ぷらは黒くて 甘辛いものが多くて、それまではあまり 食べなかったのですが、この葵丸進の 天ぷらはサクサクしててあっさりした味 なので、浅草にいったときは、よく入るように なりました。 店頭でもテイクアウトの販売をしていて、 お昼ころには、けっこう人だかりができて います。 |
大阪のシンボル通天閣の周辺は新世界 ・・・失礼な言い方ですが“ガラの悪い” 街が広がっています。朝から酒を飲んで いる大阪のオッチャンたちが、赤い顔を して関西弁で声を張り上げています。 こんなディープな街ですが、旅人に とっては、日の高いうちから堂々と飲んで フラフラと歩き回っても浮き上がらずに 歩ける場所でもあります。 ここの名物はなんといっても串カツ。 お好みの具を選んで、ハイボールを一緒に 注文すると、すぐに出てきます。 もちろんタレは二度着け禁止・・・揚げ たてのカツを大口でほおばり、冷えて シュワシュワのハイボールを流し込むと、 口の中に“新世界”が広がります。 |
メニュー8 スィーツ・ドリンク編 |
柴又の草だんご(東京) | かき氷(日暮里/ひみつ堂) | 氷ぜんざい(沖縄/恩納村) |
映画「男はつらいよ」シリーズで、主人公 車寅次郎の生家は、葛飾柴又の参道沿い にある「とらや」というだんご屋さんという ことになっていました。 おいちゃん夫婦が営む小さな間口の この店では、妹さくらが忙しそうに、客に だんごとお茶を出し、裏の印刷工場では タコ社長と、さくらの夫ひろしがこれまた 忙しそうに働いている・・・昭和の繁栄を もたらした庶民的な中小企業の風景が 描かれていました。 柴又の帝釈天に至る参道を歩くと、 実際に何軒ものだんご屋が連なり、ご覧の ような草だんごを食べることができます。 このだんごに使われるヨモギはどうしている んでしょうか・・・そういえば映画の何作目 かに、近くの江戸川の堤防で、さくらが ヨモギを摘む風景が描かれていたように 思います。今もそういう風景であってほしい と私は思います。 |
私は、かき氷に目がありません。昨今は、 電動かき氷機で荒めに削った氷に人工着色 の甘味料をかけ、て発泡スチロールのカップ に入れた夜店風のかき氷を目にすることが 多くなりました。 私の理想のかき氷、それは・・・うだる ような真夏の午後、昔ながらの手回しの 機械で、透き通ったブロックの氷を細やか にかいて、ふんわりと切子のガラスに盛り、 みぞれでもミルクでも何でもいい、とにかく 人工甘味料なしのお好みの蜜をかけて いただく・・・そんな店があったんです。 東京は日暮里駅の西口から延びる 商店街「谷中銀座」、「夕焼けだんだん」と 呼ばれる階段を下りて左側の路地に 入ったところにある「ひみつ堂」です。 日光の三ツ星氷室というところで、冬の間 じっくりと凍らせた天然氷を使い、果物や ミルク、ヨーグルトなどを使って作った オリジナルの蜜を用いて、手回しの削氷機 でかくと、ご覧のような絶品が出来上がり ます。私はまだ2回しか行ったことありま せんが、いずれも40~50分くらい、 汗をかきかき並んで食べました。 |
9月に、私たち夫婦と娘、長男夫婦と 2歳になる孫娘の6人で恩納村のビーチ ホテルに泊まりました。 ホテルの傍の道の駅で食べたのが この氷ぜんざいです。甘い小豆が乗った かき氷で、普通、氷金時とか氷あずきと 呼ばれるものだと思うのですが、沖縄では 必ず「ぜんざい」というそうです。 この小豆は、沖縄名産の黒砂糖で炊か れていて、濃厚な甘さです。 沖縄の9月というと、まだまだ猛暑の 最中で、小豆を氷の中に突き崩しながら ひとさじ、ひとさじ口に運ぶと汗が少しずつ 退いていくのがわかりました。 |
梅が枝餅(福岡/大宰府) | 甘酒(神田明神) | サントリー工場のハイボール(京都/山崎) |
学問の神様菅原道真を祭った大宰府 天満宮の参道で売られている焼き餅です。 餅の中央に道真ゆかりの梅の花が刻印 されてますが、別に梅の実が入ってたり 梅の香りがするわけではありません。 ほのかに甘いこし餡を薄い餅の生地で 包み、特製の4個分の鉄製焼き型に はさんで火にかけて焼き上げます。 持ち帰って食べてももちろんおいしいの ですが、天満宮の境内で焼き立てを ふーふー言いながらかぶりつくのが格別 です。 |
江戸は神田の明神下というと、野村胡堂 の名作「銭形平次」が有名ですが、もう 一つの名物が参道入り口で商われている 甘酒です。 神田明神には3度ほど行きましたが、 なぜかいつも真冬の寒い時期で、熱々の ほっこりした甘酒が体を温めてくれました。 何とにく冬の飲み物と思われがちですが、 実は汗をかいてバテ気味になる真夏こそ 疲労回復にぴったりで、別名「飲む点滴」と 言われているそうです。 江戸の昔から、真夏に甘酒売りがかけ 声をあげながら売っていたそうで、「甘酒」 は俳句では夏の季語なんだそうです。 |
大阪と京都の中間地点、あの本能寺の 変のあと、明智光秀と羽柴秀吉の合戦が 行われた山崎の地に、ウィスキーメーカの サントリーの工場があります。 工場見学を予約すると、有料ですが、 見学の最後にウィスキーの試飲をさせて くれます。ストレート、水割り、ロックなど ウィスキーの楽しみ方はいろいろありますが 私は、炭酸で割ったハイボールが一番 好きです。 このとき案内をしてくれたコンパニオンの 女性が何と娘の大学時代の友人だったと いうオチまで着いてました。 |
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