ぶらり旅とつくに編(海外の旅)         

 旅をテーマにした「まこちよか旅」に、海外編がないのは何故だろう? そんな疑問を持った方も多かったのでは・・・・・・
今カミングアウトします。そうです、国内47都道府県全てを踏破(?)し、旅人を自認する私、スエさんは生まれてこのかた、
海外には1度も行ったことがありませんでした(!)。長時間の機内滞在が苦手なこと、国内の旅により大きな魅力を感じてたこと・・・
理由を挙げれば色々ありますが、何と、この夏、初めて海外に足を伸ばすことになったのです。
 5月に10年間有効のパスポートを取り、6月に旅行代理店でプランを組んでもらい、満を持して7月にでかけた先は、台湾の台北市。
ほんの2時間半で行ける海外の旅でした。
 これから海外も旅先に加えようかな・・・前とうって変わって色々と思案をめぐらし始めたスエさんです。今回は試験的に
動画(私がUPしたYouTube動画へのリンク)を何カ所かに仕込んでいます。併せてご覧になってください。

初めての海外・初めての台北(台北市 平成26年7月)

九份(台北)の夕暮れ


 我が家では、妻は独身の頃、旅行会社の添乗員をしていて、カナダ、USA、フィリピンなどを旅しています。長男は
大学勤務のため留学や学会などで、たしか南米とアフリカを除く大陸全てに足を伸ばしています。次男もオーストラリア、
モルジブ、イタリアなど、長女もオーストラリア、ハワイなどを経験済みです。結局、海外経験の無いのは父親の私・・・
旅のサイト「まこちよか旅」を主宰するスエさんだけです。現役の頃は、職場の同僚との海外慰安旅行の企画や、
上司の方からの海外研修のお勧めなどがありましたが、何となく定年後のこの年まで国内しか知らない旅人に
なっていました。

 今回の旅は、今年の春頃から妻と娘が計画していました。最初、私は門外漢だったのですが、
可哀想だからお父さんも連れて行ってあげる」的な娘からのお誘いを受け、少し“よだきい”
(注:宮崎の方言で「面倒くさい」「おっくう」)けれども行ってみようかということで、パスポートを取り、親子3人の
台湾旅行の計画がまとまりました。
 ところが、出発の前夜、何と妻が突然体調をこわしたのです。数日、宮崎だけでなく全国的に空前の暑さが
続いていました。還暦を超え、元々やや病弱の妻は、たぶん熱中症気味だったと思います。出発時刻は夕刻
(福岡空港経由)だったので、朝すぐに旅行代理店に走り、残念ながら妻の分をキャンセルして出発しました。
最初は部外者だった私が娘と一緒に出ていくのを見送る妻は、心中とても残念だったと思います。

 翌朝、福岡空港からキャセイパシフィック(これも初めて乗りました)便で、いざ台北の桃園空港へ・・・
ほぼ2.5時間の旅でした。かくして私は還暦を過ぎて初めて異国の地をふんだわけです。
(おおげさですが・・・)
 台北の桃園空港に到着 台北市内(古いビルが多い・バイクの数がハンパじゃない
ここまたは右端の画像をリックすると、私のYouTube動画が開きます 
 空港で迎えの現地ガイドのWさんと合流し台北市内へ。車から市街地の通りを眺めながら、やたらバイクと古いビルが
多いのに気づきました。Wさんに尋ねると、台北は人口密集地(何でも人口密度がバングラデシュに次いで世界2位とのこと)
のため、市民の多くが乗用車を持つとただでさえすごい渋滞が収集がつかなくなるらしく、大多数はバイクで移動するとです。
当然狭い土地では一軒家は持ちようがなく、これまた大多数の人たちはマンションやアパートのビルディング暮らしという
わけです。
 さて、車は宿泊先の大蔵久和大飯店(オークラプレステージ台北)に着きました。チェックインして一休みしたあと、
夕方から、キューフン(九份) 観光の迎えが来ました。
 旅の計画段階では、キューフンの具体的なイメージは描け
ませんでした。現実に目にした私の印象は、“アメ横と
浅草仲見世と京都産寧坂と輪島朝市を足して4で割った
ような所”としか言いようがありませんでした。今も言葉では
うまく説明できません。
ジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」に出てくる
湯屋のモデルと言われている「阿妹茶楼」です
 (画像又はここをクリックすると私のYouTube動画が開きます)
キューフンは元々は小さな村に過ぎませんでしたが、19世紀末に金山が発見され
“ゴールドラッシュ”により発展しました。今は金も出なくなったそうですが、飲食店などさまざまな
店が立ち並ぶレトロな風景が、台湾の映画「非情城市」の背景に用いられたりしたことから、
台湾の一大観光地になっているようです。
 入り口にある中国風建物  いよいよキューフンの通りへ 
珍しいものが色々売られてました。何かよく分からないものも・・・
 ピーナッツとアイスクリームのクレープ  エリンギの焼き物 で、で、でっかい!  ???
やがて日は暮れました。先ほどの「阿妹茶楼」で本格的な中国茶をいただきました。
 
 3階の広いテラスから
眺める風景は最高です。
本格的な中国茶
 (画像またはここをクリックすると、
私のYouTube動画が開きます)
 夕闇が迫り、夜景がくっきりと・・・
 台北滞在の2日目です。
 今日の観光に使われるバス  白壁の窓にも中国の風情が・・・ 龍山寺の正門
 台湾の初代総統「蒋介石」を顕彰する中正祈念堂 忠烈祠の衛兵交代式。顔の表情一つ変えることなく、
一糸乱れぬ見事な隊列で、監視の交代を行います。
 (画像又はここをクリックすると、私のYouTube動画が開きます)
 
 蒋介石の像  見事な透かし彫り 娘は何かの占いをしてました
(父親としては気になります・・・)
日本ではあまり見かけない
漢方処方の調剤薬局
 滞在3日目。いよいよ最終日です。台北市内の由緒ある建物を中心にタクシーで見て回りました。下の画像は、
総統府、日本の植民地時代には台湾総督府が置かれていた建物です。1919年(大正8年)に日本人技師の
設計で竣工しました。
 台湾は日清戦争後の講和条約により中国(清帝国)から日本に割譲されました。形は植民地ですが、どうも当時の
日本は欧米列強がアフリカやアジアで行った搾取目的のみの統治とは違う形態をめざしていたようです。総督その他の
幹部として任命されたのは、樺山資紀。桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造など政・財・軍関係の
トップの人たちでした。日本人の租税負担率が5割という時代に莫大な予算をつぎ込んでインフラやソフト面の整備を
行いました。(東京人No342/2014)
 結果的に昭和20年の敗戦で日本の統治は終わりを告げたのですが、かつての日本人の手になる建築物のかなりの
数が、未だに現役で使われているようです。台北市内を歩いていて私は、昭和あるいは大正の古き日本の面影・・・・・
もう日本には残されていない郷愁のようなものを感じました。
 
 監察院(旧台北州庁舎):日本の
行政管理庁のような機関らしい。
 台湾の“国父”とされている孫文が
滞在した純和風建築物がある中山公園
(画像またはここをクリックすると、
私のYouTube動画が開きます)
圓山大飯店(台湾グランドホテル) に立ち寄りました。
国賓をおもてなしする際に使われる豪華なホテルです。 
 桃園空港の搭乗口までの通路
  こうして、2泊3日の台北の旅は終わりました。冒頭に書いた初めての海外といった感覚はあまりなく、どこか国内の
暑い場所に来ているような感じでした。というのも東京や大阪に行っても最近チャイナ系の人たちや彼らの言葉に
接することもできるし、市街地の至る所に日本語の文字(けっこう間違い文字も多いですが)も見かけるし、日本語の
上手な現地ガイドの方ばっかりだったし・・・・・気負って出かけた割には拍子抜けしてしまいました。
 台湾と中国本土、日本と中国の間には様々な歴史的問題があって複雑な関係ですが、少なくとも台湾の方たちが
私たちに示してくれた雰囲気は、“ご近所の皆さん”のそれに極めて近いものでした。(画像は、台湾グランドホテル
から見た風景です。台北101のタワーが見えます。/画像又はここをクリックすると、私がUPしたYouTube動画が
開きます。)

(25.12.01UP)

                           


                            BGM:いかつり船 by HP音楽研究室さん