作品創作の環境についてⅥ・・すこし硬い話ですが
国勢調査によると宮崎県には文化芸術関係者が2、500人ほどいると発表されていました。
音楽・演劇・文学・書道・写真・絵画・彫刻・工芸・・それ以外の方もいらっしゃるのだと思います。
同じ分野には、精神的物質的支持者・鑑賞者・愛好家・作品購入者など、すそ野として関わる多くの方々がいる事でしょう。
今般、宮日美術展と宮崎県美術展が統合し「みやざき総合美展」が発表されました。
それは「新部門」が増えた事で終わりでない運営上の改善も求められています。
「作品創作の環境についてⅡ」で提言をしているので参照していただければ幸いです。
結論を言えば、文化芸術全般の関係者(パイとすると)の発展のために努力するのは行政の責任でもあり、
そのための県民目線に立った運営上の配慮・工夫が必要ではないか!ということです。
なににも帰属せず・ぶれず・頼らず・・いうべきことを言う!
しかも、石川氏は「新美術展」の有識者・実行委員でもあるのです。
美術教師と画廊の減少を「新美術展」に期待できるのか?!
発表の場を広げ、愛好者が実物に触れ、時には作品購入し日常を楽しむ「きっかけ」になることを期待すると評論される。
宮日記事では「新美術展開催に700万円」の見出で、内容は19年度の県美術館の事業費より290万円圧縮という。
(新聞の宣伝広告費の減少分なのだろか・・・?)
「宮日美術展」と「県美術展」が統合し「新しい美術展」が開催されるわけだが、
1+1=2以上になるような事業計画でなく、むしろ縮小なのである。
仮に「宮日美術展」が、入場単価を上げて有料入場者が10,000人ほど毎回あるとしたら、
事業として成り立つだろうから開催は続き統合もないだろう。
だが、そうならない事情があることを推察できるのです。
「県美展」にしても、有料入場者の増減になんの責任を負わない公務員等では、
前例どおり・保身的で事なかれ主義に仕事に専念するだけでないだろうか・・?!
また美術教員の減少が、地域文化の衰退であるかのように結び付けるが、制作発表しなくても身分保証されている美術教師が、
身銭で国内外の公募展等に参加し自分を試し、その部門の奥深さに触れ認証される努力をしているのだろうか・・!?
市井の創作者は「貧乏と多忙さ」を楽しみながらも
①好きな創作で②人々と共感し③価値・対価を得るよう自己マネージメントしているのです。
社会洗礼を受けた市井の創作者・作家の経験に向き合う視点なく、恣意的な学識経験者(?)等だけで
「新美術展」の方向が語られる限り進歩や正しい継承は期待できない。
美術教員は「教員免許の資格」で成り立つが、
資格ない創作者は、愛好家・鑑賞者・購入者等の支持支援を得ながら社会的に生存します。
同じく「東京芸大出(他美大)」イコール「芸術家・創作者・作家」でないのです。
文化の衰退には、そうした創作者・作家・愛好家・鑑賞者・購入者という
パイを大きくする環境こそ大切なのである。
投稿日 2020年2月27日 鳥刻家 渡邊 耕作