作品創作の環境について 48
●身近な地域に残る戦争遺跡!!
2021年8月です。
6日広島原爆・9日長崎原爆・15日終戦。
終戦から76年。
戦争について考えずにはいられない月です。
「悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない・・!」との言葉のあとに、教訓や行動がどうあるべきか!!
現在の神社や紹介碑 昭和35年に再建造営され現在の姿。 造営される前の佐野原神社・・聖地とよばれ境内に踏み入れ一木一草もとってならない立て札あり
佐土原に住んで26年前、自治会の総会で転入者として紹介された。
丁度、「町長選挙」(合併前)の時、
総会で「町長に誰を選ぶか・・?」という提案があった事に驚いた。
総会後も地元の町会議員・県会議員がうじゃうじゃいて酒を酌みかう。
聞けば自治会と別に講中に住民は加わり冠婚葬祭のすべてに加わるという。
そうした村社会に巻き込まれる構図が、
併せて思想・信条はじめ保守的で後進的な世界観を築いている。
ある時、地区内にある「佐野原神社」の祭礼行事を自治会が担当する規約を採択してしまう。
宮崎市合併前までは、町議会長が聖地保存会長・役場総務課長が指揮をつかさどっていました。
戦前の観光パンフ・発行佐土原町など
佐野原神社と歴史をみると.
●満州事変1931年(昭和6年)●中国に満州国建設1932年(昭和7年)。●満州国を認めない国際連盟を脱退1933年。
●佐野原聖地顕彰会1934年(昭和9年) ●君島知事佐野原参拝1935年(昭和10年)●観光佐野原・案内パンフ
●宮崎聖跡巡り案内パンフ(佐野原掲載)1938年(昭和13年)
●日中戦争1937年・●太平洋戦争1941年
皇国史観を立ち上げ
国民に多くの犠牲を強いて戦争に突入した。
佐野原神社の石碑には、「神武天皇東征2600年」祈念(昭和9年10月・1934年)とされている。
つまり戦勝祈念することが引き継がれ再建造営されたものが佐野原神社です。
戦前の宮崎聖巡りのパンフ(日向観光協会・昭和13年 9月)・一日目に佐野原神社を載せている。
そのイニシアをとったのが、戦前も戦後も公務員なのです。
これが戦争から教訓を得ようとしない戦後保守の姿なのでしょう。
戦前は「神武天皇東征2600年」と皇国史観(神話)で戦争追行し、
現在「記紀編纂1300年」「ひむか神話街道」として観光利用するのも行政である。
新しい憲法にかかわらず変わっていない。
史実にもとづかない歴史認識で住民を巻き込むのは、はなはだ害毒である。
そうした、史実による戦争遺跡と説明すれば神社の清掃はじめ維持されないので明文化しないのです。
こんな現実があることを忘れず、対話もないまま終わらせないことが、私にとって戦争の教訓・行動です。
現在の行政による看板 君島清吉知事による「神武天皇東征」 記念碑(昭和10年) 佐土原観光図・バス・汽車を使った案内をしている。
この問題をこれからも深めたいと考えています。
暑さがまだまだ続きます。
体をご自愛いただき創作を楽しみましょう!!
バードカービングKOUTAROU
gorosuke@miyazaki-catv.ne.jp