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私のカメラ歴(その1)

次男として生まれた私は、子供のころから長男と比べ撮ってもらった写真が
少なかった為、よけいに写真に対しての関心が高かったように感じます。
(どちらでも2番目の子供によく聞かれる話ですが・・・)

      第1期    ●小学生時代のSL(蒸気機関車)撮影

当時はまだ蒸気機関車が走っていましたが、コストや煤煙の問題等で近々SLが消えていくということが分かり、世間もにわかにSLブームになりました。
私も親父のカメラを借りてD51やC62などを撮影しにいろいろ行きました。
ちょうど近くに吉松機関区やスイッチバックで有名な矢岳の真幸(まさき)駅があったため、わざわざ切符を買って写真を撮りに行ったりしました。
その他、宮崎駅には2連結の機関車やターンテーブルがあったので機関車が線路変更する機会を待ってシャッターチャンスをうかがったものです。


       第2期    ●中学生時代の写真クラブで現像体験

部活動としては入学当初からバレーボール部に入っていましたが、1年生の時だけはこっそり「写真クラブ」に入りました。(あとで怒られ2年からはバレーボールクラブになりましたが・・・) 
クラブとは言え、時間中ほとんど誰もがカメラ片手に校内の被写体を求めて歩き回っており、在籍期間中に他の部員と話すことは少なかったように記憶しています。
ただし、この時初めて「現像・焼付け作業」と言うものを体験できました。
写してきたフィルムを現像し、機械にセットしピントを確認しながら焼付けをします。
露出を考えながら、秒数を数えて取り外し感光液につけます。そのあと浮き上がってきた画像を見ながら、自分の気に入った濃度で取り上げすぐに定着液に浸して出来上がりを待ちます。
限られた枚数の印画紙しかもらえなかったので沢山は焼けませんでしたが、学生らしいモノクロの仕上がりがとても印象的でした。


       第3期    ●大学時代の旅行の写真

大学時代は、もっぱら遊び主体で趣味的な写真はほとんどなかったんですが、たまたま仲の良かった友人が写真が好きで一緒に住んでた(同棲ではなく金がなかったので男3人で家賃を折半してました)こともあり、ドライブやツーリングなど旅行の度に風景などを撮ってました。
特に熊本は「阿蘇」「大観峰」「天草」「菊池渓谷」など風光明媚な観光地が多く、被写体には事欠きませんでした。
また、九州のヘソである熊本は九州内のどの県に行くにも比較的近く、フェリーに乗って長崎・雲仙までとか大分は秋の紅葉を狙い九重や温泉めぐりと非常に便利なところでした。

        
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