<2004年9月>

【脱力生活】

今朝も5時に起きた。
ジョギングの気分ではなかったので、のんびり散歩をした。
無理をせず、その日のフィーリングや、気持ちのいいほうを優先だ。

以前はジョギングするといったら、心拍数を計るハートレートモニターを使用し、いちばん脂肪が燃えるペース(最大心拍数の60〜70%)をキープして走ったりしていた。
でも今は、「あんまりがんばらない」生き方に方向転換している。
効率よりも、もっと大切なことがあることに気づいたから。

夜10時に読書をしながら就寝、朝5時(理想は4時)にパッと起きる生活。
今の私にとって最大の快楽は、日中の仕事をバリバリこなして、夜は完全リラックスできること。
去年、夜中まで原稿書きをやっていたことを思えば、こんな幸せな生活はない。

(2004/9/1)

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【交通事故】

男子生徒が交通事故にあったと知らせが入り、雨の夜に郊外の病院へ車をとばした。
幸い命に別状はなかったが、かなり大きな怪我をしていてかわいそうだった。
なぜこんないいヤツがと思ったが、きっと同じくらいすごくいいことが今後起きるのだから、早く治ってほしい。

どんな出来事でも、その時点ではそれが100%悪いことだとか、100%良いことだとは断言できない。
それがきっかけで生活の流れが変わり、また違った人生が展開してくるのだから、どういう意味があったのかは最後までわからない。
今回の怪我を乗り越えて、また大きく成長してくれると信じている。

(2004/9/9)

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【美しい夕焼けを見るために】

生徒のお見舞いに行くため、海沿いの有料道路を走っていたら、すばらしい夕焼けになった。
宮崎の秋の夕焼けは、本当に美しい。
しばらく車を止めて、西の空を眺めていた。

“Let there be enough clouds in the sky so we can see a beautiful sunset.”
(空にたくさん雲がありますように。夕焼けが美しく見えるから)
そんな言葉を思い出した。

雲ひとつない青空は、日が落ちると暗くなるだけだ。
変化のないモノトーンな人生は、見方によっては退屈だともいえる。
つらいことも含めて、たくさんの雲があったほうが、人生の夕暮れ時に美しい夕焼けを見ることができるのかもしれない。

(2004/09/14)

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【便利とは?】

最近ふと考えて、不思議に思っていることがある。
パソコンという便利なものができて、毎日のように仕事で活用しているのに、どうしてみんな、あいかわらず忙しいのだろう。
昔と比べて、凄まじいスピードで事務処理ができるようになったのだから、仕事量は10分の1くらいに減って、あとは遊んでいていいはずなのに。

パソコンがない頃にも、人はけっこうのんびり暮らしていて、ちゃんと仕事は成り立っていたはずだ。
睡眠時間が、今の半分だったわけでもない。
ということは、今やっている仕事内容をチェックしてみたら、本当はしなくてもいい無駄なことが多いのではないだろうか。

【LOVE & FREE】

一人でカレーライスを食べながら、高橋歩の「LOVE & FREE」を一気読み。
ちょっとキザだけど、今日の自分の心にしっくりきた言葉をいくつか。

「足踏みしていても、靴の底は減るぜ」

「心ない政治家よりも、心ある掃除のおばちゃんのほうが、世の中の役に立ってることが多い」

「オマエは、愛する女性という宝を既に見つけている。いったい、他にどんな宝を探して旅してるんだい?」

「未来のために、今を耐えるのではなく、未来のために、今を楽しく生きるのだ」

「NO RAIN NO RAINBOW(雨が降るから、虹も出る)」

「BELIEVE YOUR トリハダ 鳥肌は嘘をつかない」

「必要なのは、勇気ではなく、覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める」

「大切なことに気づく場所は、いつも、パソコンの前ではなく、青空の下だった」

「夕陽に感動する余裕を持って、毎日を生きよう。夕陽は、いつもそこにある」

「夢があろうとなかろうと、楽しく生きてる奴が最強」

「自由を求めることなく、自由を叫ぶことなく、さりげなく、自由に生きればいい」

(2004/9/16)

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【NEVER TOO LATE】

NHK特集が、元気な100歳以上のライフスタイルと、彼らの体と脳を分析していた。
有名でなくても、すごい人はいっぱいいることに感動。
彼らから見ると、私の両親はまだ若造、私などはハナタレ小僧だよ。

障害者施設を経営するAさんが、その分野で遅れている中国にノウハウを紹介しようと決意し、中国語を学び始めたのが、なんと95歳。
なんと3年で目標を達成、つたないながら、最後まで中国語で講演。
「若いときに1日で覚えられたのが、今では3日やれば覚えられる」(プラスの言葉づかいに注目)
「記憶力の限界に挑戦するのが、おもしろい」

脳梗塞で倒れ、まともに歩くこともできなかったBさんは、93歳でジョギングを始め、99歳でマラソン大会に出場。
「すべてに悲観的だったが、ちょっと走ってみたら、何も考えなくなった。これからは何か問題が起きたら、ただ走ればいい」
「朝早く家を出て走っていると、鳥たちがびっくりして騒ぐのが楽しい」

そういえば、インドの聖地まで出かけて、体や心の病気が治ったなどというのは、実は単なる運動効果だと聞いたことがある。
山の上まで歩いて汗を流し、いい空気をいっぱい吸えば、たしかに体も心も爽快になる。
うつ病や引きこもり、登校拒否なども、あれこれ理屈を言う前に、まず外に出て自然の中で体を動かすことだろう。

脳の海馬や前頭前野の反応を調べてみると、テレビのバラエティ番組を見ているときはほとんどゼロ(要注意)、俳句を作っているときは活発に動いている。
Aさんの場合、すでにマスターしている韓国語を読んでいるときはそこそこ、勉強中の中国語ではかなり脳を使い、なじみのない言葉の場合はほとんど反応しない。
つまり、個人の能力を少しだけ上回る身近な課題に、常に挑戦している状態が、脳をいつまでも若く保つ秘訣ということになる。

「すべては生活習慣である」「始めるのに遅すぎることはない」ことを実感した。
汗ばむ程度の軽い運動と、少しだけ知的レベルの高い学習。
リラックスした生活を楽しみながら、「ちょっとだけがんばる」のがよさそうだ。

(2004/9/18)

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【正観さん延岡講演会】

今日から1日おきに3連続、県内各地へ小林正観さんの講演会を聞きに行く。
講演の半分はダジャレの連発だが、無宗教で唯物論の立場から、毎回おもしろい話を聞かせてくれる。

<占い>

未来を占えるという人は、当然、その占いが当たることを期待する心理状態になる。
相手にとって良いことを予言したときは、その人に良いことが起きますようにと願う。
反対に悪い予言の場合は、自分の面子を保つため、悪いことが起きるよう祈ることになる。

他人の災難を願う人間に、神が味方することは絶対にありえない。
それは悪魔に魂を売る行為であり、未来からの正しい情報は、その人のところにきていない。
妙な占い師に悲惨な未来を告げられても、それは実現しないのだから、まったく気にする必要はない。

<交通安全のお守り>

ある保険会社が、車1000台あたりの事故率と、それぞれの車の特徴を調査したところ、興味深い結果が出た。
車の中につけている交通安全のお守りの数が、多ければ多いほど、事故率が高まることがわかったのだ。
お守りの数が少ないほど事故にあう確率が低く、1つもつけていない車は、ほとんど大きな事故を起こしていない。

この原因として考えられるのは、人間のイメージの力である。
お守りをつける人は、「事故が起きませんように」と、無意識のうちに事故現場を想像してしまう。
イメージしたものは現実化しやすいので、事故を避けようとする恐れが、皮肉にもその現象を呼び寄せているのだ。

<彼氏いない歴○年>

「私、彼氏いない歴○年なんです」などと口にする人には、その事実を悪用しようとして、ろくな男が近づいてこない。
事実でなくてもいいので、「対象が何十人もいて、選びきれないのよね」と言おう。
そうすると、その数十名を乗り越えてでもこの人にアタックしようという、レベルの高い男が現れる。

同じように、「私の人生はツイてない」と言う人からは、明るい人たちが離れていき、ますますツキに見離される。
「私はツイてる」が口ぐせの人は、その人の人生にかかわっている人たちを喜ばせて、ますます運が良くなる。
たとえウソでもいいから、プラスの言葉をつぶやけば、自分の潜在意識が作用して現実となり、周りの人たちの細胞まで活性化させる。

<幸せボタン>

話していると咳が出てしまうが、別に病気ではないし、体調不良で悩むこともない。
睡眠不足のときにかぎって咳が出るので、自分にとっては「もっと睡眠をとれ」というサインにすぎない。
むしろ体調を整えるために役立っており、感謝の対象でさえある。

30年以上ある肩こりも、押してもらうと気持ちがいいと感じる、「幸せボタン」である。
治らないほうが幸せで、治ってしまうと幸せが味わえない。
物事の考え方を全部このように変えてしまうと、楽しい人生が展開してくる。

(2004/9/23)

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【正観さん5時間講座】

この講座は一般の講演会と異なり、かなり深いところまで語られるので、予約制で人数制限があった。
精神世界の話あり、実名も出てくるので、録音は厳禁(知らなくて正観さんに注意された)。
実業界の成功者たちも、最終的には「人知を超えた力」の存在を意識するので、特にアヤシイ話というわけではないが。

正観さんの話を聞くと、いつも心が軽くなる。
講演は3000円程度で、一年中日本全国を回っているので、機会があればぜひ聞いてほしい。
前回に続き、公開してもいいと思われる話の中から、いくつか紹介してみよう。

<33.3%>

ある主婦が、深刻な表情で相談してきた。
「うちの主人はいつも怒ってばかりで、息子は引きこもり状態です。2人を見ていると、私まで暗くなってしまうんです」
正観さんの即答。
「夫と息子を変えようと努力すると、あなたも暗くなって、家の中が100%暗くなるんですよね。では、あなただけでも明るくすれば、少なくとも3分の1、つまり33.3%は明るくなるんじゃないですか」

彼女は、「それもそうだ。もういい、私だけ好きなことをして、勝手に明るくやっていよう」と決めて、若い頃に経験のあるダンスの教室に通いはじめた。
あっという間にいちばん上手くなり、先生の代理まで任されるようになった。
毎日が楽しくなって、ある日鼻歌を口ずさみながら料理をしていると、「なんでそんなに楽しそうなの?」と、息子が自分で部屋から出てきた。

とうとう息子も、、母親といっしょにダンス教室に通うことになった。
なんといっても若いし、引きこもっていたくらいだから心のやさしい子だったので、年上の女性たちからモテてかわいがられた。
すっかり明るくなった母親と息子で、家族の66.6%が明るくなったので、やがて父親も少しずつその影響を受けはじめた。

どんな問題にも、必ず解決策がある。
それは、「楽しいこと、喜ばれることをすると、すべての運命が好転していく」という原点に戻ること。
人を変えようとすることをやめて、自分が変わろうと発想を転換することも、楽に生きるひとつの方法なのだ。

<幸せの前半分>

正観さんが小学校生の頃、両親の仲が悪く、夫婦喧嘩の末に母親が実家に帰ってしまうことが多かった。
姉も母親とうまくいっていなかったので、父親は息子に命じて、いつも電車で母親を迎えに行かせた。
父親が何も手伝ってくれないので、自分で漢和辞典を調べながら時刻表を読み、毎月のように遠い町へ出かけていた。

このときの猛勉強のおかげで、正観少年は膨大な鉄道関係の知識と、高い国語力を身につけた。
母親の実家は、自宅から100キロ以上の所にあり、その当時は途中下車をすることがができた。
知らない町で降りて散策する楽しみを知った彼は、やがて全国を講演で回りながら文章を書く、旅行作家となった。

両親が不仲で、母娘の関係もまずく、父親が暴君で不親切であったことは、果たして「不幸」なことだったのだろうか。
実は数年後、数十年後には、めちゃくちゃツキまくっていたということになる。
物事の因果関係がわかってくると、実はそれが、幸せの前半分だったことに気づく。

<頑張らない>

幼い頃にほめられた経験が、芸術の分野で天才をつくる。
ピカソの父親は画家だったが、息子の絵を見たとき、とんでもないレベルにあることに気づいた。
遺伝子や親子であることに関係なく、まったく違う魂が入ったことを確信し、画家をやめて息子をほめ続け、創作活動をサポートした。

努力や頑張りだけでは、どうしても片づかないものがある。
才能がないのに、自分の好みだけで追うことを、「努力する」という。
それはもうやめて、天から与えられた才能を、喜んで受け入れて使ったほうがいい。

努力して頑張るのは、人間の力を過信した「おごりたかぶり」であり、天に背いていることになる。
自分の好き嫌いを取り去り、素直に与えられたものに従うほうが、天が味方をしてくれて簡単に成功できる。
これを「頑張らない生き方」という。

松下電器の創業者である松下幸之助は、病気のために一年の半分しか働けなかった。
病院のベッドで寝ている間に、次の商品のアイディアを考えて、社員に指示を出していた。
半年しか働けないという「才能」に逆らわなかったからこそ、たくさんの人を動かし、伝説に残るような大きな仕事ができたのだ。

自分はもちろんのこと、家族、友人、上司や同僚など、すべての人の天分を見抜く。
欠点を責めず、その人の天性を生かすことによって、ツキを味方につける。
与えられたものを敵に回さないとことで、お互いにラッキーな人生を歩むことができる。

(2004/9/25)

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【正観さん都城講演会】

一本の大木から作った一枚板カウンターが茶房にある、夢見が丘に出かける。
ラッキーなことに、「みっちゃん」の愛称で親しまれている社長さんに、海辺の喫茶店の構想を話すことができた。
今日は二次会にも残ったし、正観さんと身近で話すこともできて、ツイてる3日間だった。

驚いたのは、いっしょに連れて行った女子学生の手相が、両手の感情線と頭脳線の間に十字が入っている、10万人に1人の存在だったことだ。
これは「神秘の十字」と呼ばれるもので、彼女は精神世界へ踏み込んで研究をするという才能を与えられているらしい。
ちなみに、正観さんの両手のひらにも、くっきりと十字が入っている。

さらには、彼女と1歳違いでで名前が1文字違いの、外見上の特徴が非常に似通っている女性が会場にいた。
その女性は長野県から母親と来ていて、二次会まで残っていたのだが、母親同士がまたよく似ている。
偶然と笑い飛ばすこともできるが、私自身もテコンドーを通じて自分にそっくりの人物と運命的な出会いをしているので(エッセイ集「HOW TO 旅」に写真を載せている)、こういうことはおもしろがるほうだ。

<病気の共通項>

乳ガン、子宮ガン、卵巣腫瘍など、女性特有の病気で死に至る人には、人格上の共通項がある。
「女になんか生まれたくなかった」「次に生まれるなら絶対に男がいい」などと言い続け、女性であることを否定するような生き方をしてきたことだ。
体は言葉に敏感に反応するので、マイナスの言葉を口に出すと、その通りに細胞が壊れていく。

本人たちに言わせると、「体が悪いから、愚痴も言いたくなるのだ」ということだが、宇宙的に見ると、どうも逆らしい。
不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句(これを五戒という)といった、否定的な言葉を口にするような体質、性格だからこそ、病気になるという仕組みになっているようだ。
病院に行くことなくこれを治すには、「うれしい・楽しい・幸せ・愛してる・大好き・ありがとう・ツイてる」(七福言葉という)の肯定的な言葉を、日頃から声に出して言うことだ。

<健康食>

コーラやコーヒー、ジュース類を好んで飲むのを見て、健康にうるさい人は、添加剤・着色料・防腐剤などを心配する。
健康の情報は持っているが、実際はまったく気にしないし、今まで病気で倒れたことは一度もない。
かえって、玄米食などに徹する健康オタクの人のほうが、栄養失調や病気で寝込んだりしている。

その理由は、「これは体に毒なのよね」と自分に言い聞かせながら、食べたり飲んだりしているからだ。
毒だと言い聞かされた飲食物のほうも、体の中に入って毒になるよう、本人の希望通りに作用する。
「私の体の一部になってくれてありがとう」と言いながら、食べたり飲んだりすると、全部が味方になって栄養に変わってくれる。

<太っている人の共通項>

これも、食べたり飲んだりするときに、自分に言い聞かせている口ぐせによる。
食べる前に、「私って、何を食べても太っちゃうのよね」。
お茶を飲むとき、「私、水を飲んだだけでも太っちゃうのよね」。
夜に食べるとき、「寝る前のひと口が、私を太らせるのよね」。

そう言い聞かされた食べ物は、体内に入ると、命令通りにその人を太らせようとする。
何を食べても絶対に太らないコツは、魔法の言葉を唱えること。
「私、どんなに食べても絶対に太らないんですよ」と言い聞かせてから食べることだ。

私たちは何気なく、無意識に否定的な言葉を口にしがちだが、その言葉を体の細胞は素直に聞いている。
鏡を見ながら、「年をとった」「老けた」とため息をつくのも同じで、ますますそれを加速させてしまう。
心に思っていなくてもいいから、「けっこうかわいい」くらいのことを言い続けていると、数年後にはものすごい差となって表れる。

<マイルド>

小学生の実験で、甘いチョコレートに「ばかやろう」を100回言って食べると、メチャクチャ甘くなった。
「ありがとう」を100回言うと、マイルドな甘さに変わった。
ハーフビターのチョコレートでは、「ばかやろう」ではひどく苦く、「ありがとう」ではマイルドな苦味を感じた。
200くらいの食べ物で同じように試したところ、「ありがとう」の言葉を投げかけると、一様にマイルドな味に変わることがわかった。

キーワードは、「ありがとう」を言うと「マイルド」になる、ということ。
珈琲豆でも、ブレンドの目的はマイルドな味にすることで、最高級品であるブルーマウンテンは、単独でマイルドの条件すべてを満たしている。
宇宙の法則では、高級品の条件は「マイルド」なのである。

子どもや弱者に対して、怒鳴ったり怒ったり、ヒステリックになってはいけない。
人間の成長、人格の向上とは、マイルドになること。
他人に対して強く、厳しくなるということは、自分の価値をどんどん下げていくことである。

<お金の法則>

お金が際限なく入ってくる方法は、貯め方ではなく、正しい使い方を知ることだ。
「出入口」であって「入出口」がないように、まず出すことが、入ってくるための方程式である。
水道の蛇口から水が出ているときは、同時にダム湖から水が与えられるが、もったいないからといって蛇口を閉じれば、その流れは止まってしまう。

お金から嫌われる使い方、ワースト3。
(1)ギャンブル (2)贅沢華美 (3)お金と水は、貯めると腐る。
このような人のところには、お金は入ってこなくなる。

お金が喜ぶ使い方、ベスト2。
(1)たそがれている店で使う。
流行っていて行列ができるような店には、できるだけ行かない。
同じ金額でも、1日1000人来る店なら1000分の1に過ぎないが、10人だけなら10分の1の価値に上がる。

たそがれている店ということは、マズイに決まっている。
しかし、「私の体の一部になってくれてありがとう」と感謝して食べると、味が変わってくる。
それでも足りない場合は、その食べ物に「ありがとう」を何十回も言うと、マイルドな味になる。

(2)貧しい人や若手の支援をする形で使う。
恵まれない子どもに寄付をしたり、商売を始めたばかりの人のいいお客さんになってあげるような、喜ばれるお金の使い方をする。
「頑張ってね」の一言よりも、直接自分の足で出向いてお金を払うような使い方が、お金にも喜ばれる。

ボランティア活動などに対して、お金でお礼をされたとき、「そんなつもりでやったのではありません」と受け取らないのは、傲慢な態度である。
「ありがとうございます。受け取らせていただきます」と言うのを、謙虚という。
前者はそのお金を自分のものだと思っているが、後者は「お金を一時預からせていただいて、人とお金に喜ばれるような使い方をします」という態度だから。

<托鉢(たくはつ)>

お釈迦様が、弟子たちに托鉢に行くように命じた。
そのときに言ったことは、「金持ちの家に行ってはならない。貧しい人々の家を回って、お金を集めてきなさい」。
弟子たちは、それは逆ではないかと驚いた。

釈迦は言った。
「貧しい人々というのは、自分が貧しいという思いから、他人に施しをまったくしてこなかった人たちである。豊かさというのは、まず人に与えることによって、自分にも与えられるのだ。托鉢とは、その人々を貧しさという苦界から救い出すためにやるのだから、貧しい人たちを回らねばならない」

10万円のゆとりがある人が1割の1万円を寄付するのと、1万円持っている人が千円を出すのとでは、たとえ金額が少なくても、千円のほうがはるかに価値がある。
与えれば与えられる、投げかけたものが返ってくる。
これは、宇宙の法則である。

街角に立っている僧侶の托鉢に対しても、施しをして「ありがとうございました」とお礼を言うのは私のほうであって、僧侶ではない。
施す機会のなかった私たちにお金を出させていただいて、人に喜ばれるために使っていただいてありがとうございます、というのが托鉢の意味である。

出すほうが先で、出せば倍返しで戻ってくる。
それをまた流していくので、お金のことを通貨=通過と呼んでいる。
すると喜ばれる度合いが増えるので、ますます使える金額が大きくなっていくというシステムである。

(2004/9/27)

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