<2009年8月>

【人生いろいろ】 8月30日(日)

妻の実家の家族と、赤ん坊のお宮参りで、 都城市三股町にある御年神社へ。
とんでもない大雨で、スーツもびしょびしょ、財布と携帯を水たまりに落とすハプニングも。
明らかに水につかった携帯が完全復活したのは、ひょっとして神さまの力?

写真館の人も、傘と服でカメラをかばいながらやってきた。
妙に明るい人で、「大変ですね」とねぎらうと、「いやあ、人生いろいろありますから!」。
雨とは関係なく、まったく本当に、人生いろいろあるもんだ(しみじみ実感)。

何だかんだでまる一日がかりだったので、帰る頃にはこれ以上ないくらい疲労困ぱい。
この歳でこんなタフな日々が続くと、さすがにこたえる。
神社でもらったお神酒に氷を入れて少し飲んだら、あっという間に睡魔に襲われ意識不明。

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【制限】 8月27日(木)

今日で、社会人になっていちばん長かった夏休みも終わり。
優雅な独身生活の予定が、急な出産でドタバタして、育児と家事に追われる日々となった。
明日からは本格的に仕事なので、ホームページの更新も微妙になるかもしれない。

計画していたことが何一つできなかったが、不思議と気持ちは穏やかだ。
一人だった時は、あれもこれもと詰め込んで、結局中途半端のまま新学期を迎えるストレスがあった。
赤ん坊が生まれて、制限をかけられても充実感につながることを、新たに発見した。

仕事では後進の人たちに、「制限の中の美」について語ることがある。
蹴りを禁じたために多彩なパンチが生まれたボクシングのように、制限があったほうが芸術性が高まるのだと。
あのモーツアルトでさえ、決して自由に作曲できたわけではなく、スポンサーたちの強い制限があったという。

忘れてはならない100%当たる占い、「あなたはいずれ死ぬ」。
一度きりの有限な人生、無限にある情報に溺れることなく、「選択と集中」を意識して行動したい。
自分の価値観に基づく制限を設けて、「本質に迫ること」だけにエネルギーを注ぐのだ。

大切なものを見極めて、それ以外のものを取り除く。
筋肉を鍛えながら、脂肪を削ぎ落としていくように。
たった17文字の制限の中で、本質に迫る表現を貫く「俳句の教訓」を思い出せ。

「無駄を楽しむ」とは、自ら制限した道を歩んでいる条件の下で許される、「本質を高める寄り道」のこと。
だらだらテレビのお笑い番組を見たり(芸人さんごめんなさい)、ゲームや携帯メールで時間を浪費することではない。
「馬は荷車の前に」であって、荷車の後ろに馬を置いても進みはしない。

■制限のない生き方は、1本のシャベルで広い畑を隅から隅まで耕そうとするようなもの。
 制限を設けて集中する生き方は、ここだと決めた場所を掘り進んで湧き水をみつけることができる。
 (レオ・バボータ)

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【ささやかな夢】 8月26日(水)



今日の昼食に昔懐かしいケチャップ味のスパゲティを作っていて、ふと思い出した。
私の究極の夢は、「主夫」になることだったんだよなあ(笑)。
奥さんに生活費を稼いでもらって、好きな家事一般や育児をすべて引き受けるという。

生来の人見知りで、人間関係も苦手。
もし社交家のイメージがあるとしたら、それは必要があって後天的に作り上げてきたキャラだ。
本当は仕事に出かけるより、家で本を読んだり文章を書くほうが性に合っている。

そんな私が、英語で外国人とコミュニケーションして、何千人もの生徒に20年以上英語を教えてきた。
一体どこで勘違いしたんだろう?(笑)。
つくづく思うのは、「好きなことと、得意なことは別」。

夕暮れ時、自宅前の大淀川を、家族3人で散歩。
ずっと胸の内に温めてきたささやかな夢が、今日静かに叶った。
ありがとう。

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【シェイプアップ】 8月25日(火)


本日の朝食、ロイヤルホストにて。
トースト&ボイルドエッグ・88サラダ・コーヒー・アサイーパワーボウル。


ファミリーレストランとして存在価値が薄れていたロイヤルホストが、ようやく生まれ変わった。
近所の大工町店が消えたのは、安さが売りのジョイフルに対抗するリストラだったのかも。
噂を聞いて江平点に行ったら、メニューやシステムがガラリと変わってた。

ロイホ唯一の長所は、アサイーを出すところ。
私はたぶん、宮崎一のアサイー二ストだろうから。
朝一番のアサイーパワーボウル、効いた。

夕方からジムへ。
今日は体がよく動いて、筋トレも有酸素も、久しぶりに追い込むトレーニングができた。
去年の今頃、身動きひとつできなかったことを思えば、自由に動けるだけでもありがたい。

終わったらシャワー直行。
最後は真水にして、全身アイシング。
気持ちいい〜!

産後の妻が、来年2月の誕生日までに、モデル体型まで戻すと決めたようだ。
当然私がコーチするが、私もその時までの目標を設定しよう。
今は少し脂肪がのってプロレスラーっぽくなってるので、また絞らないと。

目標設定といえば、ビジネス書によくある「スマート(SMART)の法則」。

Specific=具体的
Measurable=測定可能
Achievable=達成可能
Result-oriented=結果重視
Time-bound=期限つき

「来年の2月23日までに体脂肪率10%、180度開脚達成」
これでどうだ!

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【極楽湯】 8月24日(月)

ほぼ毎日、妻と交互に1〜2時間ずつ、気分転換の外出をしている。
家にこもってばかりでは、ストレスがたまるからね。
新型インフルエンザを子どもにうつさないように、帰ったらまず手洗い、うがい、アルコール消毒。

私は昨日がジムでトレーニングだったので、今日は温泉に行かせてもらった。
まず髪と体を洗い、湯舟につかって温まり、絞ったタオルで体を拭いて水をたっぷり飲む。
サウナに入り、7分ほどで汗が吹き出してきたら、水をかぶっていよいよ水風呂へ。

水風呂から上がって、デッキチェアに寝転んで脱力、ワンハンドレッドパーセント・リラックス。
この時の足先がシビれるような感じがいいんだよな〜、これ以上ない至福の瞬間。
本日はこれを、3本くり返してじっくり味わう。

風呂から上がると、食事処でヘルシーな豆腐サラダ・トマトサラダを食す。
最後は、文庫本を読みながらアサイーでシメる。
所用時間1時間、必要経費1000円、私にとっては何にも勝る贅沢である。

寝る前に、サプリメント補給。
トレーニング系、ホエイプロテインを豆乳で溶かしたもの。
アンチエイジング系、マルチビタミン・マルチミネラル・EPA・無臭にんにく。

それにしても、本当なら今日が出産予定日だったんだ。
すでに赤ん坊は1キロ以上体重が増え、ミルクをよく飲んでよく出している(笑)。
ここでは冷静な文章を書いているが、実際には親バカまる出しで、毎日くっついている。

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【朝の来ない夜】 8月23日(日)

まず、昨日書いたことの続編として。
去年は人生最高の晴れ舞台から、人生最悪の状況に叩き落とされた。
そして今年は再び、人生最高の幸せを与えられた。

まさに、「朝の来ない夜はない」ですよ…。
と、ここまでは、素人レベルのアドバイス。
酸いも甘いも噛み分けた?中年になると、もうひと声かけたくなる。

朝の来ない夜がないのなら、
「夜の来ない朝もない」ことも、忘れないでいてね。

朝と夜は、交互にくり返しやって来る。
それは絶対に避けられない(You must live with it.)。
「人生はいろいろある」のだと、早い時期に小さな悟り(small enlightment)を開いておくほうがいい。

似たような慰めに、「やまない雨はない」という言葉もある。
しかし実際には、長雨や梅雨が続いて、なかなかやまないことも多い。
淡々と、「雨が降ったら傘をさす」でいいのだと思う。

次に、子育て論。
仮に子どもが将来、「モデルになりたい」とか「歌手になりたい」などと言ってきたら、どうしますか?
客観的に見て、まず99%無理だと判断せざるを得ないケース(笑)、という仮定の条件で。

私はとりあえず、賛成してみるのもいいかと思っている。
残り1%にかけてみろ!みたいな、「根拠なきオーバーポジティブ」ではない。
それに惹かれている子どもの、潜在意識を無視したくないからだ。

たとえば、道を間違えたために偶然?出くわした、美しい風景。
約束をドタキャンされたために、予定が狂って電車で帰る途中、中刷り広告でピンときたキーワード。
これらはひょっとすると、自分の潜在意識があえてその方向に導いたのかもしれない。

途方もない夢を抱いて、何年も追い続けたとする。
もし夢が叶わなくても、その夢に向かったがために出合う人や出来事にこそ、意味がありそうな気がする。
そんな「シンクロ二シティ」を楽しむ心のゆとりも、長い人生にはあっていいんじゃなかろうか。

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【HA・NA・BI】 8月22日(土)


出産前旅行中に立ち寄った釜で、手びねりで作った陶器が届いた。
わざとゴツゴツ感をつけて、3つで家族をイメージしてみた。


写真の珈琲カップを作った時は、「生まれる頃には届くかな〜」と話していた。
早産騒ぎですっかり忘れていたが、予定通り?本日自宅に送られてきた。
いつか3人で、美味しい珈琲を飲む日が来るといいな。

今日は自宅マンションの東ベランダ、西の窓、北の窓から、それぞれ見事な花火が見渡せた。
雨で順延になり、たまたま3つの花火大会が今日に重なったようだ。
いずれ手狭になって引っ越すだろうが、こういう日はワンフロア1世帯のマンション最上階って楽しい。

去年の花火大会のことは、ほとんど記憶に残っていない。
左腕を大怪我したことがきっかけで、離婚後10年分のストレスが襲ってきたらしく、うつ状態に陥った。
結婚してまだ数ヶ月の妻に貧乏くじを引かせたのではと、ずいぶん落ち込んでいた。

今夜子どもを風呂に入れていたら、いちばん近い花火大会の音が「ドン!ドン!」と響いてきた。
去年の今頃、妻はどんな気持ちでこの音を聞いていたのだろう。
新婚初の花火大会や夏祭りにも出かけず、粗大ゴミ状態となった私の面倒を見続けてくれた。

「二人でゴロゴロできてよかった」と、妻は言う。
神経質な私ほどには、部屋の掃除や洗い物が気にならないので、意外に気楽だったのだと。
それが本当なら、私よりは細かくない彼女の性質のおかげで、何もできなくなった私は救われたことになる。

そう、どのような性格であっても、それに癒される対象がどこかにいる。
一般にネガティブにとらえられる特徴だったとしても、必ず生かされる場面があるはずだ。
逆に妻が完璧主義者で、当時の無力な私を責め立てていたら、下手すると自殺にさえ追い込まれたかもしれない。

暗い顔ばかりしている人も、それはひとつの才能であって、優秀な「おくりびと(納棺士)」になれるのかもしれない。
何時間でもゲームに熱中する子どもは、コンピュータのプログラマーとして成功する可能性がある。
一日中テレビを見ていたり、携帯メールに夢中な子どもでも、それなりに向いた仕事や生き方があると考えたほうがいい。

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【ささやかな親の願い】 8月21日(金)

私の夏休みも、あと1週間で終わる。
出産に始まり、育児で終わった、この1ヶ月間。
子どもの日々わずかな成長の変化を見つめ続けられて、幸運だった。

生まれる直前、考えに考えた末に名前が決まった。
男の子とわかるまでは、女の子の名前しか考えていなかった。
その後も、これだけは避けたいという条件がいくつもあって、なかなか夫婦でピンとくる名前を思いつかなかったのだ。

(1)×当て字で読めない名前 → 職業柄(妻も私も)ストレスの元とわかっている。
(2)×ホストさんみたいなオシャレすぎる名前 → 思い入れが強すぎてちょっと恥ずかしい。
(3)×親の名前から一文字を入れた名前 → 親とは別の人格で別の人生を歩むのだから。
(4)×英会話で使われると誤解を招く名前 → 例:My name is Yu.(私の名前はユウ(あなた)です)
(5)×ありがちな漢字の名前 → ○斗・○太・○人などポピュラーなもの。
(6)×「お」で終わる名前 → ○夫(笑)・○男など。
(6)×変なあだなをつけられそうな名前 → 蓮(れん)で「レンコン」とか。
(7)×有名人の名前 → 一朗(イチロー)・遼など。

※あくまでも私たちの考えなので、ご本人かご家族が上の条件のお名前の場合はご容赦を。

子どもの寝顔を見つめながら、思う。
一体この子は、これから先どんな人生を歩んでいくのだろう。
何に興味を持って、誰と出会い、どんな職業に就くのだろう。

はっきり言って親が大したことないんだから、特別な期待はしてないよ(笑)。
偉くならなくていいし、成功する必要もない。
自分の好きなことをして、健康で幸せに暮らしてくれればいい。

もし自分から求めてくれば、父が教えられる技術は、英語と格闘技だけ。
しかしそんなことより、「ジェントルマン」であってほしい。
困っている人を手伝ったり、弱い人を助ける心があれば、それで十分だと思う。

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【今日あれこれ考えたこと(1)】 8月20日(木)

<その1 幸せとは「集中」できていること>

毎日毎日、赤ん坊の世話で明け暮れている。
親バカとはまた別の次元で、人の幸せについてひらめいた。
人は「集中する」ことさえできれば、何をしていようが「幸せ」を感じるのではないか?

一時期「掃除ブーム」があって、私のところにもトイレ掃除の会みたいなサークルから誘いがあった。
ちょっとナチュラルでない活動という感じがしたので、丁重にお断りしたが。
「集中=幸せ」という観点からは、一心不乱に掃除に打ち込むのも、精神衛生上はいいのだろうと思う。

<その2 ストレッチで元気な100歳>

80歳を過ぎて画家となり、100歳の現在も風景を描き続ける、福井県の豊田三郎さんの取材番組を見た。
毎朝30分のストレッチを、65歳から一日も欠かさず続けてきたそうで、どこからどう見ても100歳とは思えない。
失礼ながら私は、プロフェッショナルがアウトプットしている作品より、それを支えるライフスタイルのほうに興味があるのだ。

赤ん坊が眠っている間はやることがなく、外出するわけにもいかないので、毎日格闘技のレクチャーDVDを見ている。
「技の研究や筋トレもいいけど、現実的にはこのおじいちゃんのように、毎日のストレッチこそやるべきじゃないの?」
おっしゃる通りです、奥様。

冗談抜きで、私が今後積極的に取り組むべき課題があるとすれば、それは「元気で長生きプロジェクト」だろう。
少なくとも、殴りかかられたらサイドステップして捌き、相手の死角からカウンターのヒザ蹴り、といったことではない(笑)。
アンチエイジングという言葉は好きではないが、「ハッピーエイジング」のために研究と実践を重ねようと思う。

日本笑い学会副会長の昇幹天さんによると、健康の秘訣は「食・息・動・想」。
食は「食事」、息は「呼吸」、動は「運動」、想は「心の持ち方」だそうだ。

「快眠・快食・快便」は、子どもの頃から母に言われていたこと。
「十分な睡眠、バランスのとれた食事、適度な運動」も。
結局、ワケのわからん健康法や民間療法より、「真理はいつもシンプル」だ。

<その3 勝間流ストレス・コーピング>

NHK「知る楽」で、スーパーウーマン勝間和代さんの一日密着取材を見る。
彼女のような密度の濃い生活を送ろうとは思わないし、誰もが「カツマー」になる必要もない。
しかしミッションに基づいた仕事の選択(=断る力)や、ワークライフバランスの考え方や技術は、参考になる点が多々ある。

起きていることはすべて正しい」に、ストレスをためないたった1つの「魔法の杖」が書いてある。
それは、「自分がしたくないことはしない」こと。
当たり前だと言うかもしれないが、忘れてはならないのが、「真理はいつもシンプル」。

「みんな、自分がしたくないことをしているからストレスが溜まるのです。
 そして次に考えるのは、どうやったら自分がしたくないことをしないようになれるのかを、人生の目標の1つとして大きく掲げることです」

番組で勝間さんが提示した考え方のうち、印象に残ったのが次の3つ。

(1)「とりあえず仕事」をやめ、「NOT TO DO LIST」を作る。

 TO DO LIST(やるべきことリスト)は誰でも作るが、「やらないことリスト」は意外と徹底しない。
 勝間さんがリストに書いたのは、「お酒を飲まない」「タバコを吸わない」「コーヒーを飲まない」「ゲームをしない」など。
 それらの薬物は砂糖のようなもので、そのときには幸せだが、後々ぜい肉になってしまうものだから。

 「やることを効率化するのではなく、やることを減らすことがいちばんの効率化
 物事に優先順位をつけるなら、その第1位は「やるべきことの量を減らす」ことだったのだ。
 いつの間にか多忙になる人(私もそう)は、人生が有限であることの意識が甘いわけで、これは真剣に考えたい事項。

(2)土日は完全オフ、平日は最低6時間の睡眠。

 平日は仕事に打ち込む日と、仕事+スポーツの日に分けている。
 「2時間スポーツをすれば、2時間寿命が延びると思ってますから」。
 一見ストレス発散のようでも、根本を改善しない非生産的活動を徹底して省き、将来への投資として運動を欠かさない。

 超多忙に見えて、平日の睡眠時間もしっかり確保し、週末は子どもとの団らんもたっぷり組み入れている。
 「三毒(妬む、怒る、愚痴る)を追放する」を実践し、メンタル・マネジメントも怠らない。
 どん底の生活から、「薄皮をはぐように」自らを改善してきたのだという。

(3)将来像から「逆算」した優先順位を、この瞬間に実行する。

 その場限りで人生を考えるのではなく、「死」から逆算して長期的な計画を立て、それに見合った行動を起こす。
 「死」からの逆算は難しいが、せめて1年後、3年後、5年後の自分と範囲を狭めて考える。
 「やったかやらないか、それだけの差です」。

 逆算できるということは、自分が何のために生きているかわかっているということである。
 40も過ぎれば、「人生の目的とは?」という問いに対して、自分なりの答えをつかんでいるものだ。
 「生き方のダンドリ上手」になって、今この瞬間何をすべきか(すべきでないか)、ある程度の基準は持っておきたい。

<その4 そこは「ツイてる」じゃなくて>

 勝間さんの言う「三毒(妬む、怒る、愚痴る)」は実はアレンジされたもので、仏教で言う三毒とは、「迷い」「欲望」「怒り」。
 その中でもやっかいなのが「怒り」であり、すべてに対する否定につながってしまう。
 怒りなどのマイナス感情から脱却する方法論として、ポジティブな言葉を唱えるというのがある。

 最近の私は、実はこの考え方に懐疑的である。
 怒っている時に「ツイてる、ツイてる」を連呼するのは、本音を抑圧する自己暗示であり、事実に対するごまかしともいえる。
 怒っている時には、「怒ってる、怒ってる」とでも唱えて(笑)、感情を「味わって」「流して」いけば、いずれ消えるのではないか?

<その5 赤ちゃんVIP待遇>

 ミルク飲んで満腹になったあと、人前で思い切りゲップして喜ばれるのは、赤ん坊だけだよな〜(笑)。
 世話されないと何もできない、無力な存在なのに、ただそこにいるだけで愛される赤ん坊。
 これって大人も見習うべき、究極の人の「あり方」ではないか?

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【ここで一句】 8月19日(水)

■「炊くほどは 風がもてくる 木の葉かな」(良寛)

良寛の身の回りの道具といえば、托鉢に使っていたすり鉢ひとつ。
これで顔を洗い、粥を煮て食べていた。
村々を回って布施の米が五合になると、五合庵に戻ってくる生活を20年間、静かに続けていた。

藩主が良寛の学識を埋もれさせておくのは惜しいと、使者をかわしたときの良寛の断りの言葉が、上の歌。
「立って半畳 寝て一畳 天下取っても二合半」と心定めれば、不況なんてどうということはない。
欲張るから、我を張ることになるのだ。

■「雨あられ 雪や氷と隔つれど もとは同じく谷川の水」

批判し合っている人間も、みんな似たようなもんじゃないだろうか。
「もとは同じく天の命」とでも見れば、大した違いもありやしない。
そういえば、人間の70%は水でできている(赤ちゃん80%・子供70%・成人60%・お年寄り55%)。

私たち一人ひとりは無数の波のひとつで、元は大きな海なのかもしれない。
一個のパソコンのように見えて、インターネットで世界中とつながっているようなイメージ。
だから、「思いは伝わる」のではないか?

ということは、誰かを攻撃するのは、自分を攻撃するのと同じなんじゃないだろうか。
人を指さして批判する時、それ以外の3本の指は自分の方を指している事実に気づいていたい。
みんな誰かの大切な子どもで、誰かの母親で父親なのだと考えて、「和顔愛語」でやさしくありたい。

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【赤ちゃんとの時刻(とき)】 8月18日(火)



「子どもは3歳になるまでに、すべての親孝行を終える」

そんな言葉を聞いたことがある。
かわいい、かわいいと「育てさせてもらう」というわけだ。

赤ん坊の世話は、今までの自我を脇に置かないと、とてもできるものではない。
与えるのみで見返りを期待しない日々が、忍耐を通じて親を成長させてくれる。

「育ててやった」は、親の理屈。
「勝手に育てた」という、子の屁理屈を生む。

「育てさせてくれてありがとう」は、親の愛情。
「育ててくれてありがとう」という、子の感謝さえ求めない。

「親がなくても子は育つ」
ある意味、そうなのかもしれない。
親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと」だから。

それにしても、有り難い(あえて漢字で書く)。
おかげさまで、失敗人生劇場の主役だった私が、去年から「人生二毛作」。
これ以上望むものは何もない、孫の顔を一目見て死ねる人生にでもなれば、望外の喜びである。

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【親育て】 8月17日(月)


退院の日に田んぼでなびいていた稲。
苦手だった夏が、これからは好きな季節になりそうだ。


朝食はコーン&マヨネーズトーストとりんご、昼食はメキシカンピラフ。
夕食は豆腐&ツナサラダと、五穀米の納豆ごはん。
栄養のバランスはトータルで考えているが、早くもネタ切れ気味(笑)。

感心するのは、夜中だろうが明け方だろうが、赤ん坊が泣くとすぐに妻が起きること。
機嫌をこわすこともなく、毎回「はいはい、ミルク?」とかいがいしく世話をする。
この単調で先の見えないくり返しは、男にはとても真似できない。

妻は、出産前から夜中に何度もトイレに起きるようになった。
あれはこの時期のための体の準備だというのだから、うまくできている。
子どもを産んだとたんにお乳が出るようになるなど、自然の摂理には驚かされる。

生活のすべてが、赤ん坊を中心に動いている。
ビジネス書にありがちな時間管理術、「計画」や「効率」といった言葉が遠のいていく。
我を捨てて与え続ける忍耐力が必要な子育ては、実は「親育て」なのかもしれない。

スティーブン・スピルバーグの言う子育ての秘訣、
“Enjoy your son.”
を思い出しながら、できる範囲で奮闘中。

*****

【そのママ】 8月16日(日)

朝食は「キャベツの巣篭もり」。
噂には聞いていたが、「クックパッド」ってすげ〜。
昼食はソース焼きそば、夕食は私の実家に招かれて、妹手づくりのプロ料理。

妊婦とその夫向けの日刊メルマガ「そのママ」が、すでに赤ん坊が生まれた今日も届く。
妊娠から出産までの知識や精神面を毎日サポートしてくれる、とても良心的なメルマガだ。
不安になりがちな妊婦への心やさしいアドバイスが、毎日不思議なくらいピンポイントで送られてきて助かった。

妻が授乳をはじめとする赤ん坊の世話、夏休み中の私が家事一般と、分担して過ごしている。
夜中から明け方は妻、日中は私が担当という感じでもある。
一日一日が、飛ぶように過ぎていく。

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【初体験(2) パスタをゆでる】 8月15日(土)

というわけで、予定よりずっと短かった「独身生活」が終わり、今日からは過去最多の3人家族に。
2週間前、妻が大きなお腹をかかえて部屋を出て行った。
そして今日、マンション最上階へのエレベーターには、小さな息子が一緒に乗っていた。

産後1ヶ月は安静にということなので、当分の間は私が「主夫」に。
きれい好きなので掃除や洗濯、皿洗いはパーフェクトだが、料理となるとまったくの経験不足。
慌てて料理の本をそろえたものの、付け焼刃ではすぐに限界がくるだろうな〜。

とりあえず今日は、妻のリクエスト(ひょっとして気づかい?)で、簡単なパスタ料理。
といっても、実はパスタをゆでることからして、生まれて初めての経験!なのだ。
イタリア料理店で「アルデンテ」を語っていながら、自分でやったことはないというマヌケぶり。

一人でスーパーに行くのも、記憶にないくらい超久しぶり。
どこに何があるのかもわからず、パスタソースひとつ買うプロセスにもドキドキした(笑)。
値段を見比べたりして、思わず節約モードの主婦感覚になってしまう。

妻に指導されながら作った、人生初のたらこスパゲティ、味はまあまあ。
たかが一食でヘトヘトなのに、毎日ごはんを作ってる主婦はすごい。
あれこれ組み合わせたり、片づけながら手際よく進めるなど、「料理はアート」ってわかるような気がする。

*****

【平凡な一日】 8月14日(金)

今日は一人でゆっくりしたいと思って、久しぶりの「ホック」でモーニング。
「トースト・オムレツ・サラダ・コーヒー」+「フライデー・フラッシュ・週刊ポスト・週刊現代・モーニング・ビッグコミックオリジナル」。
ああ、もう私は、週末の喫茶店のモーニングで雑誌を読むひとときさえ保障されれば、いくらでも働いてみせる。

昼食は実家で食べて、飼い犬コロを洗ったあと、ここ数日クセになったマッサージ器&爆睡昼寝。
午後はジムへ行って、スロー&クイックトレーニングとスロージョギング。
何も特別なイベントがないけれど、何の悪いことも起きない平凡な一日、これぞ庶民の幸せ。

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【初体験(1) 一人きりの映画館】 8月13日(木)

早朝、お盆の墓参りに。
両祖父母に、ひ孫が生まれたことを報告。
私や子どもをこの世に存在させるために、先祖全員が命を捧げてくれたのだ。

妻から連絡があり、新生児黄疸が気になるというので、またまた実家に行って都城市の国立病院へ。
幸い、異常なし。
自分が親に心配をかけたように、今は親となって心配をかけられている。

娘のときは生まれて間もなく院内感染?で高熱を出したが、医師が頑として認めようとせず、転院を拒まれ続けた。
おかげで県立病院に連れて行った時は、かなり深刻な状態になっていて緊急入院。
結果的に最悪の事態は免れたが、病院は慎重に選ばねばと、つくづく思い知らされた。

夕方は気分転換に、ミッキー・ローク主演映画「レスラー」を見る。
家族も金も名誉も失って、トレーラーハウスで生活する、元プロレスラー。
離婚して、独りでプレハブ小屋に住んでいた頃を思い出した。

ニコラス・ケイジを主役にしたがるスタジオと戦ってまで、監督がミッキー・ロークを起用した。
そのことが、役柄と同じく離婚後10年間のどん底を味わい仕事を干されていた、ミッキー・ロークの胸を打った。
低予算・小規模公開のマイナー映画が、アカデミー賞ノミネート、ゴールデン・グローブ賞受賞となった理由だ。

ダメな父親を憎みながら愛されたいと願う娘と、孤独と死を恐れて娘に会いに行く不器用な父親。
久しぶりに二人で港を歩くシーンは、個人的ツボにはまって泣けた。
泣けたんだけど、スクリーン前の客は私一人だけ(笑)。

夏休みだというのに、平日の宮崎の映画館はどうなってるんだ。
昔「ドラゴン ブルース・リー物語」を見た時、オタクっぽい男と2人だけという経験はあるが、完全貸切りは初めて。

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【アロマセラピー】 8月12日(水)

妻のリクエストと、子どもの顔が見たくなったこともあって、両親と一緒に車で1時間の妻の実家へ。
改めて見ると、赤ん坊って本当にちっちゃい!
離れて暮らす娘の弟、私の息子…、少しずつ実感がわいてくる。

午後は「無印良品」に、アロマディフューザーとアロマオイルを買いに行く。
入院中にアロマセラピーのサービスがあって、とてもリラックスできたので、さっそく自宅でもやることにした。
今日購入したオイルは、定番のラベンダー、スィートオレンジ、ユーカリ、そしてペパーミント。

アロマセラピーは、「植物のエネルギーをもらうこと」。
人間の五感のうちの1つ、「嗅覚」が癒される療法だ。
「聴覚」が癒される音楽もそうだが、明らかに脳波が変化するなど、効果が認められている。

下は、2学期に職場で講師をする「メンタルヘルス講座」の資料の一部。
自分の五感それぞれに、日頃からいい刺激を与えているだろうか?
ちなみに、いちばん右は私のベストチョイス。

■味覚(快食療法=フードセラピー)…グルメ
■嗅覚(快香療法=アロマセラピー)…アロマオイル
■視覚(快景療法=アートセラピー)…夕焼けを眺める
■聴覚(快響療法=サウンドセラピー)…音楽
■触覚(快触療法=タッチセラピー)…マッサージ

夜は「極楽温泉」に行ってサウナと水風呂、これもまた「触覚」セラピーかな。
とにかく大人は積極的に、「快の法則」を実践すべし。

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【脂肪燃焼のコツ】 8月11日(火)

「産後の肥立ち」を気づかって、退院後は妻と子どもを妻の実家に預け、一人で自宅マンションに戻って独身生活。
8月後半の出産日を前後して約2ヶ月間になる予定だったが、突然の早産で前半1ヶ月はワープ。
さらに後半1ヶ月も、妻がどうも実家では勝手が悪いらしく、早くも今週末には戻ってくることになりそうだ。

午後はたぬきコーチ古賀さんと、久しぶりにお茶。
今夜も講演会があるとかで、その直前まで語り合った。
あいかわらず研修講師として引っ張りだこで、全国各地を飛び回っているようだ。

夜はこれまた久しぶりに、ジムに体を動かしに行った。
今ハマっているのが、「スロー&クイックトレーニング」。
「スロー筋トレ→クイックストレッチ→クイック筋トレ→スローストレッチ」で、軽いウェイトでも筋肉にビシバシ効く。

脂肪を効率よく燃焼させるには、「有酸素運動→筋トレ」よりも、「筋トレ→有酸素運動」の順番がベター。
ウォーキングやエアロバイクをやる時、備えつけのテレビを見たり本を読んだりする人がいるが、私はやらない。
脳と体は連結しているので、今やっていること以外に意識を分散させると、脂肪燃焼率が下がるような気がするからだ。

ウォーキング(最近はスロージョギング)中は、脂肪がメラメラと燃えているイメージに意識を集中させる。
体が熱くなって汗をかき、「ウォーキングハイ」になるポイントが明らかに早まる。
単に夏だから暑いだけか?(笑)

そんなやり方なので、私の有酸素運動は、脂肪燃焼が高まる20分以上〜飽きがこない30分以下。
ウェイトも有酸素もストレッチも短時間集中、黙々とこなすひとときが、座禅のような時の流れになっている。
忙しい社会人には、この種の「道禅」がオススメだ。

*****

【入院中あれこれ】 8月10日(月)

助産婦さんたちが口をそろえて私に聞いてきたこと。
「旦那さん、お仕事のほうは大丈夫なんですか…?」
いい歳をした社会人が、平日に平気で1週間以上泊り込めるのが不思議だったらしい。

「大丈夫です。
 うちは完全週休2日制ではないので(第2・4土曜のみ休み)、生徒が来ない夏休みにまとめ取りができるんです。
 もちろん盆休みもずらせるし、もし足りなければ、夏休みなら年休も取りやすいので」

ちなみに、私が勤める学校の勤務条件は、宮崎の中ではとても恵まれている。
給料やボーナスも十分だし、私立だから異動もなく、福利厚生も充実していて「ありがたいなあ」と思うことが多い。
それでも「もっと」と望んだり、下手すると文句を言う人がいるのが、私には不思議でならない。

だから逆に、こうも思う。
10年も20年も働いてきて、妻の出産という一大事に、たった一週間も休みが取れないなんて悲しい。
県立高校の採用試験に2年連続で落ちた私は、今思えばとてもラッキーだった。

さてある日、一人のベテラン助産婦さんが、
「お二人は、歳の差カップルなんですか?」

もうこの質問には慣れているので、平然と答える。
「はいそうですよ、21歳差です。
 先日、石田純一さんに記録を破られたばかりですが」

するとその助産婦さん、
「実はうちもそうなんです、24歳差で。
 子どもは、主人が53歳のときの子なんです」
…負けた。

赤ん坊は、泣くのが仕事。
「夜泣き」といって「昼泣き」といわないように、夜中は2〜3時間おきにミルクをほしがり、満足したと思ったら今度はおしめ。
夜に顔を真っ赤にして大声で泣かれ、ほとんど眠らせてもらえないのは一種の拷問に近く、瞬間キレる人がいるのも理解はできる。

その「覚悟」ができておらず、世に蔓延する「私のカワイイ赤ちゃん♪」的なイメージ情報だけを信じていたカップルは、出産後にこそリアルな地獄を体験する。
セックスだけ楽しんで、生まれた赤ん坊を捨てたり虐待する事件が続発しているのは、にわか両親の未熟さ(=情報不足)を象徴している。
自分だってさんざん夜泣きして、親を悩ませてきたのに。

結婚とは、結婚式を挙げることではなく、結婚生活を続けることである。
同じく妊娠・出産とは、子どもを産むことだけではなく、生まれた子どもと一生つき合うということである。
病気をしようが、グレようが、反抗しようが、死ぬまで親として寄り添う「覚悟」をやめないことである。

夜泣きでめげそうになった時のために、ちょっと書いてみました(笑)。

*****

【ボディビル道】 8月9日(日)



今年で40回目を迎えるという、宮崎県ボディビル選手権大会。
友人のKさん(写真右端/38歳)が出場するので、応援に行ってきた。
始めて会場に足を運んだのだが、そこはまるで異次元の世界だった。

まず、観客の男性にやたらと胸板は厚く、腕が太い人が多い。
男子生徒から「先生、マッチョ〜」と言われる私が、ここではただのやせっぽち。
声援も独特で、「○番、キレてる!(=筋肉のカットがいい)」とか、「○番の三頭筋、いいよー!」など(笑)。

Kさんは、グランドチャンピオンシップ(歴代の優勝者同士の部)で見事優勝、さすが。
ゲストで全日本4位の木澤大祐さんにはビビッた、間近で見たが同じ人間とは思えない。
と言いながら私も燃えてきて、会場でホエイプロテイン1キロkgを買って帰った(笑)。

一般の部では、50代の2人がなんと入賞、私と同じ40代も2人いた。
マラソンに出たときも思ったのだが、やはり日頃から志を持って鍛えている人は老いない。
彼らはたぶん、「メタボ」という言葉を知らないと思う。

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【通行人のように】 8月8日(土)

昨夜は疲れがピークに達していたからか、無意識に我慢していた怒りが爆発してしまった。
「筋を通さず、我を通す」人と、大人の関係を築くのは難しい。
まだまだ修行が足りないな…。

妻が入院中に、雑誌で見かけて書き留めておいた言葉。
昨日の今日で読むと、妙に含蓄がある。

■人間は、天使でも、獣でもない。
 そして不幸なことには、天使のまねをしようと思うと獣になってしまう。
 (パスカル)

■Freedom for the thought that we hate.
 =私たちが嫌う思想が存在する自由(相手の思想の自由も守らねばならない)。
 (米連邦最高裁ホームズ判事)

車の運転中に、相手には聞こえない「警告」をつぶやき続ける人がいる。
「ほらほらおじいちゃん、危ないよ〜」とか、「早く行けってば、まったく」など。
何の効果もない上に、横で聞いている方は愉快な気分ではない。

私が運転するときは、車内の精神衛生上、自己中心的なセリフは吐かないことを「選択」している。
短気な私でも、そこまでは実践できてるんだけど。
あとは人生で出くわす苦手なタイプにも、路上の見知らぬ通行人と同じ扱いで、サラリと受け流せないかなあ。

この一週間の遅れを取り戻すかのように、今日のスケジュールは密度が濃かった。
録画番組を一気に見て、積み上げた本を読んで、母と妹に食事をごちそうして、美容室にも行けた。
妻と子どもは実家で、どうも調子が狂うが、つかの間の独身生活を体験するとしよう。

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【退院】 8月7日(金)



息子が生まれたら、その日の抜けるような青空を、写真に撮っておこうと決めていた。
いつか、「おまえが生まれた日、パパが見上げた空だよ」と話す場面をイメージして。
ところが当日はどんよりした曇り空(笑)、しょうがないから退院の日の空に変更。

今月後半までに出産の準備をして、余裕を持って入院生活を過ごすつもりだった。
それが3週間も早い突然の入院、破水から24時間におよぶ難産。
予想外・予定外・想定外の、突然の6泊7日だった。

結論として、「人生は思い通りに展開する」「思考は現実化する」なんて、絶対ウソだ(笑)。
考えもしなかったことが次々と起こるのが「現場の生活、格闘技でいえば「路上の現実」。
計画など立てず、「そうきたか」とばかりに受け容れて体験するのが、心の安定の秘訣ではなかろうか。

子どもの黄疸も治り、元気に戻ってきた。
出産のドタバタもそうだったが、こいつはきっと両親に教えているのだ。
「子どもは決して、親の思い通りにはならない」とね。

男の・子育ては楽しい」という本から、ホントにそうだな〜と思うことをいくつか抜粋。

■どんな子どもでも、病気をしないで大きくなることはない。
 多かれ少なかれ病気をして、親を心配させながら大きくなっていく。
 それは覚悟していたほうがいい。

■子どもだって天使あかりやっているわけではなく、ときどき悪魔にもなるし、こっちも生身の人間。
 ときには子どもをこづくことも、怒鳴りつけることもある。

■非行などは、多少は親の責任もあると思うが、環境、友人、偶然…。
 いろんな巡り合せで、どうにもできないこともある。
 そんな理不尽に我が子が襲われたら…。
 残念ながら、この世にそういう子を持つ親がいるのは事実で、キミがそういう人生を引き受ける運命にあった、と諦めるほかはない。

■子どもを育てるのは親ではない。
 花や草や木が自分で伸びるように、子どもも自分で大きくなってくれる。
 親ができることは、その手伝いに過ぎない。
 ある程度やったら、あとは「何か」に任せていいのだ。

■テレビ・ゲーム・漫画ばかりでは、自分でものを考える癖とも、体の芯からわき上がってくるものにつき合うこととも、まわりから静かに何かが入ってくることとも、縁がないまま育ってしまう。
 人には何もしない時間、何もすることのない時間が必要だと思う。
 だから、子どもを外に連れ出して、「退屈な」時間を過ごさせてやろう。
 そんな時間に、親子の会話が進み、詩が芽生え、心の深みが生まれる…そんな気がする。

*****

【空を見上げて】 8月6日(木)

昨日の妻の夕食は「お祝い善」でステーキが出て、今日の午後は病院のはからいでアロママッサージ。
子どもに新生児黄疸が出て、昼前から明日まで24時間、保育器に入ることになった。
なんとなく、自分を産んで疲れ果てている母親への、やさしい気づかいのようにも感じた。

そんなわけで、私も午後は自由行動となり、都城駅前の温泉に直行。
スーパー銭湯みたいだが、露天風呂・サウナ・アロマスチームサウナとそろって意外とマル。
それぞれ2本ずつじっくりやって、すっかりスッキリ。

最高だったのは、露天でデッキチェアに寝転んで、久しぶりに素っ裸で空を見上げたとき。
大気が不安定で、抜けるような青空になったかと思えば、雲がどんどん流れて突然天気雨が降り出したり。
まるで、くるくる変わる赤ん坊の表情のようで、バラエティに富んだ天体ショーが楽しめた。

そういえば最近、ものを考えることが少なくなった気がする。
いつも何かしら活字(本・雑誌)を追い、音(音楽・英語・レクチャー)を聞き、人と話している。
一人で温泉に来ると、私はいつもにわか哲学者となり、ボーッとしながらも思索にふけることができるのだ。

昼は「吉野家」で牛丼、夜は「すき家」でハンバーグカレー。
誰も見ていないのをいいことに、どちらも子どもみたいにかきまぜて食べた。
男には、独りで過ごす時間が絶対に必要だ。

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【女は強い】 8月5日(水)

親子3人での入院生活だと喜んでいたら、昨夜はさっそく赤ん坊の夜泣きの洗礼を受けた。
妻も私もほとんど眠れず、徹夜と睡眠不足が続いていることもあって、さすがにキツイ。
しかし出産時の妻を思い出せば、こんな苦痛は何でもないという気持ちになる。

妻が陣痛室や分娩室に入っている時、他の病室では生まれた赤ん坊の夜泣きがすごかった。
出産でヘトヘトになった先輩母親は、どうしていいかわからず大変だったことだろう。
しかしその時の私には、赤ん坊の声がうらやましくも美しいBGMにさえ聞こえた。

一応ビデオカメラはあったが、妻の命がけの場面でノンキに撮影などする気にはなれなかった。
もっと他に、妻と子のためにやるべきことがあるような気がした。
それでも何もできず、役立たずな男のマヌケさ加減に自己嫌悪を感じることこそ、男の果たすべき義務なのかもしれない。

夫の立会い出産は、妻が望めば法律で義務化すべきと思うほど、人生観が変わる貴重な体験だ。
「血が怖い」?「女として見れなくなる」?バカ野郎!
子を産む妻との覚悟が違いすぎるから、その後のバランスが崩れるのだ。

今はこうして、赤ちゃんを抱きながら幸せな気分にひたれるが、ほんの一日前はまさに生き地獄。
のたうち回る妻を見て、これが終わったら何でもしてやろうとか、もう二度と子どもは望まないなどと思っていた。
ところが妻は、「一度経験したから、次はもう少し大丈夫かも」…女は強い。

それでも出産は、人類最大の大仕事ではないか。
かつて日本で年間3,000人の母親が出産で命を落とし、10万人以上の赤ん坊が亡くなった。
平成16年には49人の母親が出産とともに死亡、5,541人の赤ん坊が生きることができなかった。

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【こだわりと売上げ】 8月4日(火)

着のみ着のままで病院に来て、そのまま入院の付き添い。
金曜日の退院予定まで6泊7日、何の準備もないまま寝泊りが始まった。
近くのスーパーで、安物のTシャツなど買い込む。

付添人に食事は出ないので、コンビニ食やスーパーの惣菜で食いつなぐ。
しかしすぐ飽きて、母に手づくりのおにぎりや玉子焼きを持ってきてもらう。
妹にはラジカセや本などを頼んで、なんとか仮の生活ができるようになった。

喫茶店のモーニングなしではリズムが狂う私を気づかって、妻が携帯サイトでいい店を探し出してくれた。
行ってみると今どき珍しい「純喫茶」で、「レトロ&ノスタルジーをコンセプトに、癒しの空間づくりをめざします」と書いてある。
私好みの、こだわりの店だった。

いい水を使い、18歳未満だけの客、大声で話すオバサンや酔っ払い、騒がしい子どもは「お断りしております」。
朝はモーニング、昼からはチキンカレーとホットサンドのみでランチなし、食事目的の客は「ご遠慮くださいませ」。
店の入口に、そんなプラカードがかかっているのである。

すっかり感心して中に入ったら、マスターとすっかり話が盛り上がってしまった。
ストレートに話してもらったのは、次のような内容。

・テレビ取材が入って、市外からも客が殺到したが、代償として雰囲気がこわれた。
・純喫茶の立ち位置を守るために客層を限定したら、売上げが3分の1以下に減った。
・地方にはこのような店を育てようという文化がなく、客は安いファミレスや居酒屋を選ぶ。

まったく同感、退院まで毎日この店に通おう。
宮崎市内でさえ、大人が静かにくつろげる喫茶店ができても、やがて日替わりランチやかき氷を始めてしまう。
それなりの客がひいきにしてお金を落とさないから、品のある店が育たないのだ。

それはともかく、今日から赤ん坊が母子同室ということで戻ってきた。
当然ながらいちばんいい部屋、ホテルでいえばロイヤルスイート(笑)を借りた。
二人の両親や妻の祖父母など、みんな大喜びで子どもに会いに来てくれた。

*****

【誕生日】 8月3日(月)

テコンドーで取材してもらったこともある、地元UMKテレビ宮崎の柳田哲志さんが、約1年ぶりにブログを更新した。
柳田さんは去年の6月、仕事中に重症(けいつい損傷)を負って大手術、ずっと入院している。
ブログには、とても興味深いことが書かれていた。

「私たちけい損(けいつい損傷)患者の間では、その怪我を負った日を“誕生日”と呼びます」

「思えばこの一年、これほど深く自分自身と向き合い、“生命”について、“人生”について考えた時間はありません」

私も去年の昨日(8月2日)、死をも覚悟した大怪我をしてしまった。
あれから一年。
私の息子が自分の誕生日に選んでくれた日は、まさに私の「誕生日」でもあった。

これは単なる「偶然」だろうか?
確率は365分の1。
「最大の悲劇」のちょうど1年後に、「最高のプレゼント」を与えられたことになる。

*****

【産みの「喜び」】 8月2日(日) 

明け方まで「地獄」は続いた。
午前5時過ぎにはパニック状態になって、助産婦たちに連れられて分娩室へ。
出産の状態にならない子宮口を、手で無理やりこじ開ける処置になるらしい。

分娩室から待合室まで、妻の悲痛な叫び声が何度も聞こえてくる。
その度に、こちらもキリキリと胸が痛んだ。
ここまで耐え続けたのだから自然分娩をと、祈るような気持ちになる。

昨夜から一緒についていてくれた妻の母親は、妻を産むとき、なんと5日間にも及ぶ大難産だったそうだ。
オロオロするばかりの私と比べて、さすがに冷静で落ち着いていた。
しかしふと見ると、分娩室の前で、両手を組んで一生懸命に祈っていた。

午前6時半、ようやく助産婦が来て「お産に入ります」と伝える。
「もう力が残っていないので、介助します」とも。
力なんか残ってるわけないじゃないか!と、怒りにも近い感情になっていた。

1時間ほど経つと、助産婦が私を呼びに来た。
妻と私は、立会い出産を希望していた。
似合わない服と帽子をつけさせられ、分娩室へ向かう。

私は妻が、すでにぐったりとなって、気でも失っているのではと思っていた。
ところが分娩室に入ると、妻はものすごい形相でいきんでいた。
人の顔からここまで水分が噴き出すのか、と思えるくらい、汗びっしょりになって。

「がんばらなくて、いいんだよ」
流行りの癒し言葉など、この野生的な現場においては何の意味もない。
人には全力で、いや限界を越えてでも、必死で頑張らないとどうしようもない時があるのだ。

助産婦が、分娩台に乗った妻の局部から、赤ん坊の頭を吸引する。
医師が妻の体の上にまたがって、両手でお腹をガンガン押し出す。
本当に21世紀なのかと思うくらい、生々しく原始的な光景だった。

妻の手を握り、顔の汗を何度もぬぐいながら、声をかけ続ける。
「あとひとふんばりだ」「がんばれ」「もう少しで生まれるぞ」
羊水と血液で濡れた、赤ん坊の髪の毛が見えた。

その時、二人で川沿いをウォーキングしていた時のことが頭に浮かんできた。
赤ん坊が大きいと言われ、少しでも早い出産をめざして、毎晩のように歩いていた。
私はいつも左側に並んで、大きなお腹をかかえて腕を振って歩く、少しふっくらした妻の横顔を見つめていた。

破水から24時間経った午前7時58分、妻は全身全霊を振り絞って、私たちの子どもをこの世に産み出してくれた。
本当によくやった、ありがとう。
私は持ってきた結婚指輪を、妻の左手の薬指にはめた。

どんな言葉を使っても陳腐に感じられて、言葉にできない。
その分、あとからあとから涙があふれ出てくる。
あれほど気丈に見守っていた妻の母親も、夫に電話しながら泣いていた。

息子へ。
お母さんは、命を削っておまえを産んだ。
ナマイキな口をきいて反抗したら、ぶん殴ってやる。

*****

【産みの苦しみ】 8月1日(土)

朝、珈琲を飲みながら文章を書いていると、臨月に入ったばかりの妻に破水らしきものが見られる。
今日はたまたま検診日だったので、予約の時間を早めてもらい、高速道路で都城市の産院に向かう。
24日が出産予定日なので、まさかとは思ったが、やはり破水で緊急入院となった。

医者が「今日明日中には産みましょう」と言うので、さすがに驚く。
早産ではあるが、子どもはすでに3200gになっている。
陣痛もなかったが、破水したからには出産に入るしかない。

お腹の中の子どもは、検診のたびに医者から「大きい」と言われてきた。
他の子と比較しないのが親の心得とはいえ、まるで巨大児が生まれてくるような印象があった。
だから妻はずっと、お腹をなでながら「3200gで生まれてきてね」と話しかけていたのだ。

昼前に陣痛促進剤を飲むと、不定期ではあるが、生理痛のような痛みが出てきたらしい。
それがやがて、10分おき、次に5分おき、そして夜には3分おきになる。
妻の表情が、だんだん辛そうになっていく。

いちばんの問題は、予定より3週間以上も早い出産になったため、体の準備ができていないこと。
初産で子宮口が硬い上に、出産には10センチ開く必要があるものが、まだほとんど開いていない。
このことが、妻の出産を予想以上の長時間におよぶ難産にした。

陣痛はやがて激痛へと変わり、もがき苦しむ妻に、ひたすらマッサージを続ける。
素人判断で、深夜0時には生まれるものと思っていたが、痛みに耐えるのみで子宮口は開かない。
午前3時になって診てもらったら、「まだ半分も開いていない」と言われ、期待していただけに落胆した。

「明日の朝8時に開いていなかったら、先生から話がある」と言われた。
たぶん帝王切開のことだろうが、一晩中苦しみ続けた結果が手術では、あまりにかわいそうな気がする。
しかし同時に、悶絶して絶叫する妻を見ながら、今すぐ手術して楽にさせてやりたい思いもあった。

「罪悪感」と表現するのが、その時の私の気持ちにいちばん近い。
こんな歳で再婚した上に、子どもまで欲しがったから…。
妻は、私に「もう一度赤ちゃんを抱っこさせてあげたい」と思っていたようだ。

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