<2008年2月>
【誇り】 2月29日(金)
卒業式を明日に控えた今日、ある生徒が数ヶ月ぶりに顔を出してくれた。
普通の高校生ではあり得ない、極端に悲しい出来事を経験して、学校生活が困難になった子だ。
私が職場のカウンセラーになって初めて担当して、同じような経験を持つ者として、お互いに深く話し合ってきた仲だ。
カウンセリングルームを利用しながら卒業をめざしていたが、フラッシュバックが重なって、再び自宅にこもりきりになった。
通常なら、同級生と一緒の卒業はアウトである。
しかしうちの学校の対応はとても温かく、全職員で精一杯のサポートをした結果、ついに明日の卒業が可能になったのだ。
その子の感謝の言葉の一つ一つ、涙の一粒一粒が、教師冥利に尽きるものだった。
本人の了承を得て、私は彼女を抱きしめたのだった。
私は今日ほど、自分の職場を誇りに思ったことはない。
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【ミニマル生活】 2月28日(木)
ブルース・リーは自分の格闘術を、「極限まで無駄を省いた動き」と称した。
彼の肉体もまた、言うまでもなくそうであった。
「シンプル・イズ・ビューティフル」。
人生は「無駄もまた楽し」なのだが、すべてに自分の神経が行き届く状態もちょっといい。
持ち物も、生き方も、ミニマル(minimal:最小限)でいきたいものだ。
自分が今まで集めてきたものの90%を処分した、という著名人が雑誌に載っていた。
今回の引越しをきっかけに、私もまた、ミニマル生活を実践中。
キッチン・ダイニング・リビングなどの共有物は別として、私個人の持ち物は、ついにクロゼット1つにまとまった。
タネを明かせば、実家の一部屋を資料室に使っているのだが、日常生活のモノは過去最少記録だ。
無駄なものがないということは、無駄なことに心を奪われないということ。
それが心の平安につながればなあ、と思ったりする。
今までさんざん本業以外にうつつを抜かしてきたからなあ(笑)。
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【サヨナラだけが人生だ】 2月27日(水)
2月19日に書いた、入院中のおばちゃんのお見舞いに立ち寄る。
今回はまったく私のことがわからず、「名前は何ていいやっと(いうの)?」と聞かれた。
たて続けに話をするのだが、歯のない方言も聞きづらく、内容もまったく意味不明。
以前と同じ目で見つめられているのに、知らない人として話しかけられている。
初めて認知症の前と後に接したが、ちょっとショックだった。
知り合いのおばちゃんでさえせつないのに、これが自分の親だったらつらいだろうなあ。
聞いた話によると、こんなことでナイーブに傷つくのは、男性がほとんどらしい。
女性は割とアッサリ受け入れて、同じ話をくり返されても「はいはい」と受け流すことができるという。
子どもの世話にしても、単純作業に対する忍耐強さは、明らかに女性のほうが上回っている。
現に、おばちゃんの娘さんに電話して様子を伝えたら、大笑いされた。
でもな〜、やっぱり悲しいよ。
「サヨナラだけが人生だ」という言葉が頭に浮かぶ。
歳を重ねるごとに、知人の葬式が多くなる。
有名人の死に驚くことや、老いや病気で別人のようになった人の姿を見る回数も。
認知症もまた、ひとつの「サヨナラ」なのかもしれない。
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【信じていない】 2月26日(火)
いろんな人からいろんな相談を受けるが、要するにどのケースも、「信じていない」んだな。
自分の人生が、紆余曲折はあっても、最後には「きっと、よくなる!」ということを。
もっと深く言うと、存在するすべてのものが、全体としていい方向に進んでいることを。
イヤな人や出来事に出合ってしまったとき、あまりに素直に悩んで落ち込んでしまう。
自分に必要な課題だとか、これを体験することによって成長できるなどとは思わない。
同じ精神レベルで生活していくから、くり返し同じようなことで悩み続けるハメになる。
信じきれないというのは「疑っている」わけだから、不信感で安心など得ることなどできない。
その点、たとえばキリスト教とか本当に信じてる人は、苦難に強いのかもしれないな。
いつも神様が見ていて、どんな逆境においても、乗り越えられるから与えられたと信じられるなら。
別に宗教じゃなくても、この大自然の奇跡を見れば、人知を超えた大いなる存在に気づくはずだ。
私はそこに、悪意を感じない。
日本人が占い師や霊能力者?が好きなのは、宗教がないからかもしれないな。
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【英語で闘わナイト】 2月25日(月)
「英語でしゃべらナイト」に、英語道の松本道弘先生が出演。
「30年ぶりにNHKから出演依頼があったよ」と、先日浅草から携帯に電話をいただいていた。
内容は軽いタッチだったが、「英語は道具ではなく武器である」など、いつもの松本節で健在をアピール。
松本先生の足元にも及ばないが、同じ英語と武道(先生は柔道)のコラボで親しみを感じている。
しかも一度メジャーになって、失礼ながらビジネスとプライベートのアクシデントで「知る人ぞ知る」存在へ。
オリンピックのスポーツ柔道に対して、地下格闘技の実戦柔術みたいな裏街道を歩いてこられた。
熱狂的な味方も多いが、敵もけっこういるというタイプ。
いずれにしても、松本先生の逆転の人生返り咲きをお祝いしたい。
アンチ松本派が何を言おうが、私は人が成功したり幸せになるのを見るのが大好きなのだ。
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【立場逆逆転】 2月24日(日)
2月3日に受験生になった体験記を書いたが、今日はまたまた立場が逆転して、英検の面接委員の仕事。
先日の自分のように、面接官を神のごとく勘違いする(笑)緊張した視線を浴びてきた。
あまりに彼らの気持ちがわかるので、思わず笑顔で「がんばってね」と余計な声をかけてしまった。
教師もそうだが、面接委員もまた、あなた方受験生がいるからこそやらせてもらえる仕事なのだ。
政治家や議員も同じで、威張るなんて勘違いもはなはだしい。
こちらが挨拶してお礼を言いたかったよ、実際。
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【大人の条件】 2月23日(土)
「知ってて知らんぷり」という言葉があるが、これって、大人の条件という感じがするなあ。
本当は知っているんだけど、あえて言わない、問い詰めずに見逃しておく。
ズルさと紙一重、という場面もあるだろうけど。
何でもハッキリさせないと気がすまない人、知ってる以上言わずにはおれない人って、やはり子どもっぽいと思う。
知らないことにして流しておくのは、意外と難しい。
組織で長年鍛えられた年配の人に、そういうことのできる大人が多いのはたしかだ。
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【環境次第】 2月22日(金)
自分で言うのもなんだが、本年度は仕事が絶好調だった。
それには理由があって、かねてから希望していた仕事内容にしてもらったからだ。
去年までの仕事も好きではあったが、自分の個性に合っておらず、周りの評価も低かったと思う。
上司の理解によって配置替えがあり、水を得た魚のように働き始めた(笑)。
この体験でつくづく思ったのは、良いとか悪いとかの評価は、あくまでも環境次第なんだなと。
リーダーが部下の得意分野さえ見抜けば、ダメ社員が一気に自信をつけ、一目置かれる存在になったりする。
魚を陸に上げたり、金づちを水に放り投げておいて、単純に「ダメな奴」と切り捨てないように。
特に教師は、生徒の可能性を絶対にあきらめてはならない。
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【そういうもんでしょう】 2月21日(木)
家の電器のことは全部おまかせしている、Hさんという人がいる。
新しいマンションのウォシュレットやエアコンの設置、テレビやインターネットの配線も、すべてお願いした。
量販店が増える中、店舗を閉じて個人でやっているそうだが、その技術とアフターサービスたるや見事。
大手にはできないフットワークの軽さと独自の情報で、立派にビジネスを成り立たせている。
このHさんから聞いたことで、印象に残っている言葉がある。
「友人で車の販売をしている者がいますが、こちらは欲しい車種を言うだけなんですね。
彼がいくらいくらだと言ったら、『そうか』と言うだけ。
信頼もまとめて買うんだから、他と比べて高いも安いもないんですよ。
そういうもんでしょう?」
安いほうがいいに決まっているが、安ければいいというものではない。
安いのにはやはりそれなりの理由があって、トータルで見たら高くついたりすることが多い。
お金はモノそのものの価値よりも、人の信頼に払ったほうが、結局は「得」なのだ。
「そういうもんでしょう」。
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【嬉しいのは気持ち】 2月20日(水)
修学旅行に行った生徒たちから、たくさんのおみやげをもらっている。
最近カウンセリングが忙しく、あまり指導ができないテコンドー同好会からのチョコレート。
カウンセリングルームを利用している生徒からは、素敵なオルゴール。
モノそのものよりも、旅行先で自分のことを思い出してくれたのがありがたい。
せっかくいい情報を教えてくれたけれど、もうすでに知っていた、なんてことがある。
そんな時も、お礼を言って思いっ切り喜ぶ。
「何をしてくれたのか」ではなく、「何かをしてくれる好意」そのものが嬉しいから。
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【おばちゃんと味噌おにぎり】 2月19日(火)
両親が共働きだった私には、育ての親といえる2人の「おばちゃん」がいる。
一人は、私が生まれた高千穂町で、3歳まで毎日預かってくれた人。
「この子は福耳だ、将来はきっと大人物になる」と言い続けていたそうだ。
後年お見舞いには行ったが、身寄りのない人で、最期は病室で独りで亡くなってしまった。
どん底であえいでいた時期も、私はあのおばちゃんの言葉を信じてここまでやってきた。
もう一人は、小学校に通っていた都城市で、母が迎えに来るまで面倒を見てくれたおばちゃん。
学校から帰ると、階段の下の倉庫にダンボールいっぱいのお菓子が置いてあり、1日1個取ってよかった。
いちばんのごちそうは、味噌を手につけて握ったおばちゃんのおにぎりだ。
ピンク色のソーセージにマヨネーズをつけるのが、最高のおかずだった。
このおばちゃんが、といってももう90歳近くだと思うが、最近うちの近くの病院に入院した。
去年おじちゃんが亡くなってお通夜に行って以来、久しぶりにお見舞いで会いに行った。
もう半分認知症が入っていたが、私を見ると「やっこ(私の愛称やっくんの訛り)」と言ってくれた。
あの大きかったおばちゃんが、白くて小さくてしわだらけになっていて、ちょっと泣けてきた。
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【辛いですね】 2月18日
初めて投稿したインターネットの掲示板に初コメントをくれた人から、再婚のお祝いメールがきていた。
離婚後で娘に会えず寂しい、という泣き言を書いたら、「辛いですね」という書込みがあったのだ。
買ったばかりのパソコンの前で、夜、独りのアパートで私は声をもらしながら泣いた。
寂しくてではなく、県外の顔も名前も知らない人が共感してくれた、その温かさに涙が出てきた。
「また新しい出会いがありますよ!」「気分転換しましょう!」「プラス思考!」「元気出して!」
こんな励ましは、ありがたいけれどあまり役に立たないし、必要もない。
人はただ、寄り添って話を聞いて、共感してもらったら十分なのだ。
Rさんありがとう、今の私は、あなたの「辛いですね」の一言からスタートしました。
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【ありがとうトイレ】 2月17日
「いつもキレイに使用していただき、ありがとうございます」
こんなトイレ便器の表示を、修学旅行中に何度か見かけた。
先に感謝することで汚せなくなるのを期待する手法は、もう一般的になった。
それでも平気で汚されるトイレと、ピカピカの美しいトイレに分れてしまう。
その違いは、私が見た限りでは、建物の「格式」の違いに過ぎなかった。
表示が同じでも、大衆的な店は汚なくて、美術館のような重みのある場所はきれいなのだ。
な〜んだ、ただそれだけなら策を弄してもしょうがないな、という気もした。
「一歩前へ」
格闘家だった須藤元気は、公園の小便器でこれを見て引退を決めた(笑)という。
個人的には、ユーモアがあるこっちのほうが好きだな〜。
しかし私は先日、イオンのトイレでもっと感心する表示を見た。
「床を汚さないように、もう一歩前でお願いします」
これでいいんだよ、奇をてらわないほうが、こちらも素直に言うことを聞ける。
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【宮崎に帰ってきた】 2月16日
関東3泊4日の修学旅行引率を終え、昨夜9時過ぎに宮崎へ戻る。
帰りに街でラーメンを食べ、週末夜の人口密度の低さに感動。
今朝庭に出てみて、暖かい日差しと空気の美味しさにまた感動。
■12日(火)
高徳院(鎌倉大仏)→長谷寺→鶴岡八幡宮→ホテルモントレ横浜。
■13日(水)
山下公園→横浜中華街→みなとみらい技術館→江戸東京博物館→浅草寺→オリエンタルホテル東京ベイ。
■14日(木)
東京ディズニーランド→ホテル。
■15日(金)
国会議事堂→原宿・渋谷→六本木ヒルズ→国立新美術館→羽田空港。
都内の移動は観光バスを利用したが、ガイドさんによって生徒の反応がまるで違った。
ただただマニュアル通りに早口で説明する人。
関連するクイズや占いで生徒の興味を引く人。
ドラマのロケ地や芸能人の話題でウケを狙う人。
みんな一生懸命だったが、仕事を「こなす」意識でやっているように感じた。
自分が「演じる」ことで精一杯で、肝心の相手を置き去りにしている。
だからテンションを上げて必死でやるほど、生徒がシラケてしまう。
私も授業や講演、セミナーでついやってしまうクセだ。
要するに、「まず相手の話題にふれる」ということ。
これって、情報の内容や伝え方以上に大切なことでは?
「宮崎から来ている」ことや、生徒たち自身について質問したガイドさんはゼロ。
ちょっとウチの学校について前夜にインターネットで調べれば、話題はいくらでも見つかるのに。
生徒たちの見学態度や食事のマナーについて、旅行会社の人からほめられた。
彼らは週1回「礼法」の授業を受けているので、公的な場での立居振舞いがしっかりできる。
個性だとかオレ流などと言って失笑される人と比べて、「型」を持っていると大人に見える。
「中身が伴っていない」と批判されようと、「形から入る→内面が変わる」方式は大事だ。
日本一「凶」が多いという浅草寺で引いたおみくじは、「小吉」だった。
「願望 半分叶えられるでしょう」
なんか、ささやかでいいよね〜(笑)。
「失物 ほとんど戻って来ないでしょう」
「引越 良くもなく悪くもないでしょう」
「結婚 特に良い結果には至らないでしょう」
おいおい(笑)。
裏には共通して「心得」が書いてあるのだが、これがなかなか味わい深い。
「大吉が出たからといって油断をしたり、また高慢な態度をとれば、凶に転じることもあります。
また凶が出た人も畏れることなく、辛抱強さをもって誠実に過ごすことで、吉に転じます」
ほ〜ら、やっぱり個人の心がけ次第で、運だって変わってくるんじゃないか。
六本木ヒルズの東京シティビューからの眺め。
「成功」なんてものをめざしていた頃は、こんなイメージも抱いてましたなあ(笑)。
このあたりのマンション、家賃が月250万円だって、なんじゃそりゃ。
ビルの間を縫うようにして、高速道路を走る。
どのビルの窓の中にも、同じようにパソコンに向かって働いている人たちがいる。
もう暗くなっているのに、何千人も、何万人も家に帰らず残業している。
レインボーブリッジから見る夜景がきれいなのは事実。
でもその多くは、遅くまで仕事をしているオフィスの電気じゃないの?
反対側の高層マンションは、不気味なほどに真っ暗だし。
平日の昼間だというのに、渋谷の街は人ごみで酔いそうだ。
人数が増えるほど、意味不明な独り言を続けたり、汚い身なりで路上に座る人も多くなる。
ほとんどの人が、しかめっ面や無表情で歩いている、いや走っていることに気づく。
生徒の一人が、駅から出るときもキップが出てくるような気がして、機械の間で立ち止まった。
すぐ後ろにいた若い女性がイライラして、「クソッ」とつぶやいた。
エスカレーターで立つ人は左側に寄り、もっと早く目的地に着きたい人は、動く階段をさらに早歩き。
今回の旅行で得たものがあるとすれば、「田舎者には都会は息がつまる」という実感かな。
狭い場所に無理やり何でもかんでも詰め込んでいて、どうも余裕が感じられない。
都会がいいとか悪いとかじゃなくて、私は川や夕焼けを眺めて暮らすほうがいいなあって。
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【宮崎6時間生放送!】 2月10日(日)
NHKの「おーい、ニッポン」で、「私の・好きな・宮崎県」をテーマに、なんと6時間!の生放送。
オープニングはもちろん、たった一人で宮崎を「今いちばん熱い県」にしてしまった、我らが東国原知事。
宮崎にゆかりのあるタレントが総出で、県内各地の人々や物産を紹介してくれた。
今まで都会に出て「宮崎出身」だと胸を張って言えなかったし、宮崎弁も笑われるだけで通じなかった。
しかし今日の全国放送でも、東京のスタジオでは「てげてげ」(だいたい・適当)などの方言が連発。
超マイナーな頃から、このホームページでも「宮崎最高!」を連呼してきたので、報われたというか夢を見ているようだ。
そのまんま東さん、つまり昔の東国原知事がどん底の時代、「文武両道」に擁護記事を書いたことがある。
それを読んだマネージャーさんから掲示版にお礼の書込みがあり、すぐあとにそのまんま東さんからもメッセージをもらった。
昨年の大復活から今日の放映までをふり返って、「感慨深い」の一言である。
東国原知事は、いずれ国政に行くだろう。
私の予想では、たぶん総理大臣までなると思う。
平成の坂本龍馬の活躍を見守りながら、応援していきたい。
午後からは墓参り。
毎月手を合わせながら、心の中で「ありがとう」だけを伝えてきた。
今日初めて、自分以外の「家族の健康と幸せをよろしく」とお願い事をした。
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【親を「教育」する】 2月9日(土)
先日、ある女子生徒が恋愛の相談に来た(プライバシーの問題があるので話をぼかす)。
私から見てとてもいい子なのだが、彼氏の親からよく思われていないという。
彼は親に反抗していて、家族の仲がうまくいっていないらしい。
この話を聞いて、私は自分の高校時代のことを思い出した。
ある日公園で彼女といると、彼女の父親が血相を変えてやって来て、無理やり連れて帰ろうとする。
短気だった私も「なんだコノヤロウ」みたいな口をきいたので、その場は最悪な状況になった。
生徒の彼氏も当時の私の彼女も、自分の親には「あの人は悪い人じゃない」と訴え続けていた。
しかし親たちは聞く耳を持たず、相手を不良扱いするのみ。
それでさらに、「もっとちゃんと話してくれよ」と相手を責めることになる。
このような問題を解決するには、どうすればいいのだろうか?
私がアドバイスしたのは、次のことだ。
それ、方向性が間違ってるんだよ。
彼氏がいくら必死で説明したって、彼自身が親に反抗的な態度をとっている以上、何の説得力もない。
この場合の説得力って、何だと思う?
それは言葉じゃなくて、「彼女とつき合いはじめて、この子はしっかりしてきたな」と親に思わせること。
彼女についての弁護なんか、いらないんだよ。
自分が変われば、ほっといたって「いい娘さんに違いない」ってなるんだから。
進路を決めるときだって同じ。
「私がこんなに希望してるのに、親が反対する」とか言う。
でもそれは親が悪いんじゃなくて、信頼できない自分の姿を見せてきたのが最大のミス。
3年間かけて、親を「教育」しないと。
「この子がここまで言うなら、応援しよう」と思わせるように、ずっと前から「催眠術」をかけておかないと。
今までさんざん熱しやすく冷めやすい性格をアピールしといて、土壇場で思い通りにさせろなんて、そりゃ無茶だよ。
この方法、実は今の彼女に教えられた。
実は今日、両親と妹を連れて、彼女の家族と食事会をしてきた。
離婚歴あり、子どももいて43歳という条件の私を、とても温かく受け入れてもらった。
彼女は、私が噂よりいい人だなどという弁護は、あまりしてこなかったようだ。
ただ、彼女自身が両親にとって信頼できる存在に、意識的に変わっていっただけ。
妹たちの面倒をみたり、親に感謝の気持ちを伝えるなど、成長ぶりを伝えてきただけらしいのだ。
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【めざせ明石家さんま】 2月4日(月)
写真は、今窓から見えている夕闇の風景。
今月から新しいマンションを借りて、春からの新生活に向けて少しずつ準備中。
仕事が終わっての「城」づくりなので、購入した家具を1日1つ設置するペースだ。
川沿いの1フロア1戸の最上階、夕焼けがパノラマで見える最高のロケーション。
普通は南向きが好まれるのに、西側がすべて出窓という偏屈さ(笑)。
四方が見渡せるように、群れから離れてポツンと建っている姿も好きだ。
窓から見下ろす堤防沿いには桜の木が並び、川を眺めるためのベンチが置かれている。
ジョギングしたり、バーベキューをしながら、いつもこの部屋を見上げていた。
実現したイメージを続けていたら、絶妙のタイミングで「思考が現実化」したというわけだ。
ここを選んだ理由は、例によって単純。
昔のテレビドラマ「男女7人夏物語」で、主人公の明石家さんまさんが「橋の見える川沿いのマンション」に住んでいたから(笑)。
終の棲家として「水辺に小さな庵をむすぶ」夢があるので、これで一歩近づいたかな。
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【サエない受験生】 2月3日(日)
1月20日の筆記試験に引き続き、産業カウンセラー資格の実技試験。
予想以上に厳しい内容だったが、人の心に向き合う仕事だから当然だろう。
まあしかし、これでようやく一段落だ。
それにしても、めっちゃ緊張した〜。
久しぶりに受験生を体験したが、他人に「審査される」というのはキツイ。
本番が練習通りにいかないというのも、改めて実感。
昨夜まで、二次免除をゲットした優等生である彼女の特訓。
自信なさげな姿に、「いつも人に言ってることと全然違う」と笑われる。
そう、恥ずかしながら今回改めて、「他人事だから言えるのだ」と実感。
名前が呼ばれるまで、呼吸などリラックス法を試みても、心臓バクバク、
うまく答えられなかったマイナス面にこだわり、いつまでもクヨクヨ、
プロのセラピストでもある彼女と比較して、自分のダメさ加減にションボリ(笑)。
よ〜くわかったよ、思い知らされました。
緊張してる人に「リラックスしろ」、落ち込んでいる人に「見方を変えろ」なんて無茶。
「頑張るな」というのも第三者のセリフで、本人は舞台に上がるしかないんだから。
「考え方を変えれば、すべてが違って見える」で通すのも、現実味のない極論だろう。
それも必要だが、やはり現状をなんとかしない限り、根本的な悩みはなくならない。
「すべて運命に任せる」なんてのも同じで、やはり人間の努力や行動あってこそ人生は変わる。
帰りに久しぶりの書店に立ち寄り、「えみるの赤いランドセル」を手に取る。
突然の交通事故で愛娘を失った、風見しんごさんの手記だ。
これは泣けた、二度と娘に会えない父親の気持ちが、痛いほど伝わってきた。
赤い目をして、タリーズに入ってアサイーヨーグルトと本日のコーヒーを飲む。
「こころのチキンスープ」を読んでいたらハマって、バスに乗り遅れた(笑)。
ハーフマラソン経験者としては楽勝の5キロを、自宅までジョギングで帰る。