<2007年6月>
【プチ紳士&淑女を探せ!】 6月23日(土)
ミクシィより
「プチ紳士を探せ!運動」をご存知ですか?
日常生活の中の、何気ない小さな優しさを見つけてレポートすることで、少しずついい世の中にしていこうよ、という活動です。
人のいい行いに焦点を合わせる習慣によって、自分がハッピーな気分になる。
それをできる範囲でレポートして、いい話が満載のホームページやメルマガでシェアすることで、より多くの人に喜んでもらえる。
そして自分もプチ紳士・プチ淑女になって、人にちょっとした気配りをするようになる。
実はこの2日間、この運動を本気で提唱している志賀内泰弘さんと会って話し、意気投合しました。
今後、私が九州局長のような立場で、宮崎を中心に、この「楽しい・がんばらない・強制のない」活動をやっていくことになりました。
もしよかったら、あなたも仲間に入ってくれませんか?
サポーターズクラブ(宮崎県)に登録してもらって、意思表示をしてもらえるとうれしいです。
もちろん、お金は一切かかりません。
義務もまったくありません。
見てもらったらわかる通り、宮崎はまだ、「みやざき中央新聞」の水谷さん・私・姫さん・「みやさん食品」の樋渡会長さんだけです…。
ぜひよろしくお願いします<(_ _)>
写真は、昨日たまたま出会った白い杖を持った方をサポートしている、志賀内さんと姫さん。
このちょっとした気持ちが、「プチ紳士・プチ淑女」なのです。
*****
【志賀内さん】 6月22日(金)
私が愛読している「みやざき中央新聞」さんの紹介で、以前から会員となっていた「プチ紳士を探せ!運動」代表の志賀内泰弘さんと飲む。
…と書きたいところだが、私はまったく飲めないので、食べる。
しかも、私はシーフードが苦手なので、特別お子様メニューで(笑)。
詳しくは明日の講演会のあとに書くが、もともと私と同じ考え方だったので、案の定話が盛り上がった。
その場のノリで、私は突然、志賀内さんから九州局長を任命されてしまった。
とても大ざっぱな組織のようだ(笑)。
*****
【しみじみ教】 6月21日(木)
先日紹介したブログ、「たかが、人生じゃないか!」より。
今まで無宗教を貫いてきた私だが、これには入信することを決断(笑)。
でも、ホントいいよ、しみじみ〜。
+++++
<しみじみ教>
しみじみ教の教祖は しみじみしている
いつでもどこでも しみじみしている
とってもうれしいことがあると
「とってもうれしいなあ」と しみじみしている
たまらなくつらいことがあると
「たまらなくつらいなあ」と しみじみしている
しみじみ教の教えは「常にしみじみすべし」 これだけ
朝目覚めて新たな一日のはじまりに しみじみ
夜寝る前に 過ぎし一日を思ってしみじみ
春夏秋冬 今生かされていることに しみじみ
重い病を患っても 老いて体が動かなくなっても
たとえ死の床にあっても 「しみじみすべし」 それだけ
しみじみ教の教祖は 何の役にも立たない
朝から庭のもみじを眺め しみじみお茶を飲んでいるだけ
悩める人の話を聞いても 何も言えず 何もできず
ま どうぞ一服と お茶をいれてるだけの自分にしみじみ
かえって相手になぐさめられたりして ますますしみじみ
もみじ散るこの惑星の小春日和の一期一会に しみじみ
しみじみ教はそれでも いやな思いをしたときに役に立つ
とってもいやな人に出会ったときも
「ああ とってもいやな人だ」と しみじみ
さらにとってもいやな人に出会っても
「いやあ 惚れ惚れするほどいやな人だった」と しみじみ
しみじみしているうちに ちょっぴり 惚れてきたりして
しみじみ教には教団も儀礼も戒律もない
もちろん献金もない(そもそも誰も教祖を知らない)
でも しみじみ教の教徒になるのは至って簡単
ひとりしみじみ お茶をすすればいいだけ
しみじみ教徒は集会を開かない(そもそもお互いを知らない)
この空の下のどこかに仲間がいると互いにしみじみ思うだけ
しみじみ教徒はそれでも ばったり出会ったりする
お互いに妙にしみじみしているからすぐわかる
「もしかしてあなたも」と しみじみ
「いやあいるもんですなあ」と しみじみ
お互い喜びも悲しみも察しあって しみじみ
しみじみ教徒は ばかにされても しみじみしている
損しても だまされても しみじみしている
ひどく裏切られても「人生だなあ」としみじみ
みんなに見捨てられた人と「人生だねえ」と しみじみ
しみじみ教徒が増えると つまらぬ争いが減り
しみじみ教がはやれば 世界はのんびり平和になるかも
しみじみ教の教祖は今日も しみじみしている
しみじみ教徒のことを案じて しみじみしている
きっといろいろ辛いであろうなあと しみじみ
なんとか耐えて 生き延びておくれと しみじみ
みな 苦しいときこそ 一層しみじみ道に励んで
しみじみお茶を飲むんだよと しみじみ
しみじみ教の教祖は しかし夢を見ている
いつの日か しみじみとこの世の生を終え
みな共にあの世に生まれでたあかつきには
初のしみじみ大祭を開いて しみじみ集い
「いろいろあったけれど いい人生だったねえ」と
みんなで しみじみお茶を飲む日を
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【研究授業】 6月20日(水)
今日は、この3週間指導してきた教育実習生K君の、研究授業。
昨夜は9時まで、学校でリハーサル。
今朝聞くと、それからアパートに帰って、夜中の3時まで部屋で練習したとか。
一生懸命でカワイイよね〜、色黒の男子学生だけど(笑)。
で、出来はというと、今までの中でダントツ。
指導教官の私としても、ゴキゲン。
やっぱりやっただけのことが結果に出るね、がんばってきてよかった。
というわけで調子に乗って、またしても夜中の0時近くまでジムでトレーニング。
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【バカボンのパパの言葉】 6月19日(火)
私が愛読しているブログ「たかが、人生じゃないか!」で、こんなのを発見。
なんか癒される(笑)。
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<バカボンのパパの言葉>
わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ
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「すべての心配からリタイヤした」ってのがいいな〜。
人生を半分降りるというか、心のプチ隠居生活。
だってみんな、「あの人がこう言った、こんな態度をとった」みたいなことばかり。
それはそれで、これでいいのだ?(笑)
夜は「研修コーチ育成講座」。
研修「講師」ではなく、研修「コーチ」。
コーチとは、「教え込む」のではなく、「引き出す」役目。
そして、その人が「行動に移す」ところまでコーチする。
基礎講座のラストである今日のテーマは、「教えない」。
「教える」プロの私としては、興味深いタイトルだ。
適切な質問をすることによって、「気づかせる」手法。
文字通り、教えてもらえずに、気づかされた(笑)。
ほとんどの学校教師の授業は、しゃべりすぎ。
特に英語なんか、教師ばかりがしゃべっててどうするの(笑)。
私は、「生徒が英語を使う場面が、教師よりずっと多い」授業をめざしている。
今後はこれに、「教えない」技術をミックスさせて、最強の英語教師になろう。
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【堂々第7版!】 6月18日(月)
私の初の著書、「英検準2級に必ず出る英単語859と英熟語580」が、また増刷となったらしい。
これでついに第7版。
30代のはじめくらいに書いた本だが、指定テキストとして使ってくれる学校があるようで、地道に部数を伸ばしてきた。
今まで私の本を買ってくれた方に、ここで改めてお礼を言いたい<(_ _)>
欲を出さずに、ちゃんと寄付を続けてますので…。
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【わずかな思いやりで】 6月17日(日)
朝から夕方まで、産業カウンセラー養成講座。
前回は不愉快な思いをする場面があったが、今回はグループと指導者が変わって、快適に学ぶ。
同じ内容なのに、メンバーによってまったく雰囲気が変わることに驚く。
指導者の態度や言葉によって、学ぶ側はやる気になったり、逆にやる気を失ったりする。
悪気がなくても、相手を和ませるための軽い冗談や、相手に同調する笑顔でさえも、傷つけることがある。
このあたりの微妙なさじ加減が、人間関係の難しいところだ。
映画「ハニーVSダーリン」をDVDで見る。
カップルの危機を描いたものだが、思い当たるフシがあるというか、あまりのリアリティに笑えないほどだった。
ほんのわずかな思いやりや、ちょっとした言葉かけを怠るだけで、愛していたはずのパートナーが憎き敵に変わってしまう。
男が理解できない女性の感情もうまく描かれているし、ラストも実に現実的だ。
夜はジムで、午前0時近くまで鍛える。
実は、昨夜も行って最終までやった。
そして誰もいなくなった(笑)。
筋肉なんて鍛えられるのも、生きてるうちだし。
週末の夜中までバカなことやってるけど、ある意味幸せなことですよ。
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【すべては生きているうちに】 6月16日(土)
実は昨夜は、高校時代の恩師で、しばらくは同僚でもあったH先生のお通夜。
朝、先生から「お世話になりました」という件名のメールがあったので見ると、息子さんからだった。
線香をあげてお顔を見せていただくと、最期まで病との壮絶な闘いがあったのだろう、面影がないほど痩せておられた。
H先生は国語教育の分野では有名な方なのだが、生涯一教師を貫いた。
現役時代に管理職を打診されたとき、「冗談は言わんでください」と答えたという話を聞いた。
ロマンチストで、「大空」という冊子(私のホームーページの「言葉」の原型)には、いつもさわやかな文章が綴られていた。
今でも忘れられない、H先生との一場面がある。
高校時代、荒れていて評判の悪い生徒だった私に、廊下でH先生が「大学はどうするのか」と聞いてきた。
「どこでもいいんです。僕はたくさんの本を読みたいだけですから」
私はぶっきらぼうにつぶやいた。
私は、進学校の受験一辺倒の教育に反抗していた。
その中でも、H先生だけは人間味のある教師として一目置いていた。
「僕は本を読むだけですから」
そう言う私に、H先生は破顔一笑、「そうか!」とだけ答えた。
ただそれだけの、なんということもない会話だ。
それでもあのときの「そうか!」という笑顔には、たくさんの意味が含まれていた。
あの暗黒の高校生活の中で、初めて教師に受け入れてもらった瞬間だった。
当時、H先生は40代後半。
私も今の生徒が一人前になった頃、棺桶の中でやせ細った姿を見られるのかもしれない。
すべては、生きているうちのことだ。
生きている間に、どれだけのことをやれるかだ。
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【ハッピー・バースデイ!詩絵里】 6月15日(金)
今日は、私の愛する娘の誕生日です。
13歳、中学1年生。
3歳で離れ離れになって、ちょうど10年が過ぎました。
今は、夜の11時過ぎ。
あの日、あと30分で、娘はこの世に生まれてきてくれたのです。
今夜は一人で静かに過ごしながら、あの瞬間の喜びを感じようと思います。
もし私がいなくなるようなことがあったら、これを読んでいるみなさん、娘をよろしくお願いします。
人を愛し、人に愛されて成長しますように。
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姫さんからのメッセージ:
お誕生日おめでとう。
パパは、あなたをずっと変わらず愛しています。
そっと見守っています。
そのことを私はいつか、あなたに伝えたい。
でも、あなたはきっとわかってるよね。
あなたを見守るパパの愛に気付いているよね。
一つずつ大人の女性に近づいてゆく詩絵里ちゃん。
素敵な女性になって下さい。パパの愛に包まれて、ずっと幸せでありますように。
お誕生日おめでとう。
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【偶然という名の必然】 6月14日(木)
朝、学校へ仕事に出かけると、生徒たちが明るい笑顔で「おはようございます!」とあいさつをしてくれる。
思わずこちらも笑顔になって、「おはよう!」とあいさつを返す。
ごく普通の光景かもしれないが、生徒たちは毎朝のように私を元気づけてくれる。
ストレートに書くが、私は自分の生徒たちが大好きなのだ。
でも、私は知っている。
彼ら、彼女たちにも、いろいろあるのだと。
見かけでは決してわからないと…。
それでも今日も学校に来て、笑顔でがんばっている。
午後は出張で、市内の中学校に行く。
中学2〜3年生たちを相手に、こちらの高校について説明をする。
なんと、今年から私が担当になったのは、この4月に娘が入学した中学校なのだ。
県内には140校もあるのに、信じられないような偶然に恵まれてしまった(一切作為はない)。
いや、これは「必然」なのか…。
私はどんな場面においても、いつも心のどこかで「娘の目」を意識している。
目先のことで損をしようが、人に誤解や批判をされようが、私の行動基準はただひとつ。
「パパ、かっこいい」
そう言われるような自分であること。
保護者の意向もあるだろうから、娘が3年後、私の勤める高校に入学する可能性は低いかもしれない。
しかしもし、幸運な偶然に恵まれたとしたら、そのとき私は最高の教師になっていたい。
この高校も、最高の学校にしておきたい。
少なくとも来年の今頃は、2年生になった娘の前に立って、堂々と話をしたい。
本気でそう思って、私は毎日仕事をしている。
女子生徒が悩んで相談に来たら、娘だと思って、誠心誠意アドバイスする。
「偶然という名の必然」を願いながら。
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【車をぶつけられる】 6月13日(水)
雨の中の通勤で混雑する朝、方向転換をしようとバックしてきた車に、正面をモロにぶつけられた。
クラクションを鳴らしたが、こちらをふり向きもせず逃げたように見えたので、やむなく追いかける。
結果的にちゃんと謝ってもらったし、私も修理代をタカるような男ではないので、最後はまるく収めた。
それはともかく…、オ・モ・シ・レー!
だって、「ネガティブな状態でいると、ネガティブなことを引き寄せる」って事例じゃん。
ここ数日、私としてはかなり久しぶりに機嫌をこわしていたのは、ご存知の通り。
そうするとほら、もうこれだから♪
私の場合は、宮崎弁で言う「いらんこと」をすると、すぐその反動がくるようだ。
逆にいいことをしたり言ったりすると、すべてがうまく回り始める。
その反応が、すごく早いのだ。
それが率直な実感だし、単なる偶然とは思えない。
アヤシゲと思われてもしかたないが、誰かが何かを私に伝えようとしているような気がする。
久しぶりに、「投げかけたものは必ず返ってくる」という法則を体感した。
「気づいた」ということは、半分以上解決したようなものだ。
たぶん私も無自覚に、思いやりに欠けた態度や言葉で人を傷つけていたはず。
だから私の目の前に、思いやりに欠ける人物が現れたのだろう。
夜は彼女が家に来て、大好きなカレーを作って元気づけてくれた。
めいっぱい愚痴らせてもらった(笑)。
話しながら、もう自分の心が快方に向かっているのを感じた。
さすがプロのセラピスト、感謝。
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【ヤバかった】 6月12日(火)
昨日は書けずじまいだったが、マジ死ぬかと思った。
ジムに行ってトレーニングをハードにやり過ぎて、酸欠で倒れたのだ。
ジムのスタッフが、「救急車を呼びましょうか!?」なんて言ってたような。
吐き気がして手が震え始めて、一瞬意識が遠くなった。
ここで死ぬのかな、と覚悟したのは、オーストラリアの海で溺れたとき以来。
あのときは学生だったから、部屋に残してきたエロ本が気になった(笑)。
今回は、オレの最期はフィットネスジムかい、と自己ツッコミが入った。
汗だくで死ぬのか、シャワー浴びたかったな〜とか。
幸い復活したが、ちょっと気になったことが。
「死にたくねェ!」とか、思わなかったのだ。
ヤケッパチな気持ちではなく、もう十分幸せだから悔いはないかも、みたいな。
これってどうなんだろう…。
今夜はオンラインで「研修コーチ育成講座」。
スカイプで全国のコーチたちと、テーマに沿ってディスカッション。
ファシリテーター(進行役)のとき、我ながら不器用なことをやってしまった。
準備&実力不足で、単に順番に意見を言わせるだけで終わったのだ。
ところが感想を聞くと、
「全員の意見をまんべんなく聞こうという、前向きな気持ちが感じられました」
なんていいコメントなんだ、と感心した。
欠点を指摘されるはずが、思いもよらない部分をほめられたのだから。
人の役に立つために、理論と技術を学びたい。
今は下手くそだけど、少しでもうまくなりたい。
そんな気持ちを台無しにする指導者を見たばかりだったので、余計そう感じた。
やはりコーチングとファシリテーションはすばらしい。
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【今日も感情を味わう】 6月11日(月)
野球の王貞治監督が、以前ガンの手術で入院するとき、次のようなコメントを残した。
「元気になって、また野球を楽しみたい。
みんなで団結して、試合に勝つ喜び、負ける悔しさをまた味わいたい。
だから頑張ってきます」
注目発言。
勝つ喜びだけでなく、「まける悔しさを味わいたい」。
王さんって、本当に野球が好きなんだ。
ネガティブな感情もひっくるめて、「味わいたい」とは。
これって、「野球」を「人生」に入れ替えてみては?
生きることが大好きな人なら、きっとこう言うだろう。
「人生を楽しみたい。
喜びや楽しさだけでなく、怒りや哀しみも味わいたい。
だから今日も生きます」
昨夜は夜中に目が覚めて、また昨日の怒りを思い出して、眠れなくなった。
これも人生の「味わい」ですかね(笑)。
以前、納税日本一の人が話していた。
「そんなこと言ってるけど、相手は寝てるよ。
そんな嫌なヤツのことなんかくり返して話すなんて、愛してるんじゃないの?
相手のことを呪って何か効果があると思ってるのかもしれないけど、何もないよ」
それを聞いたときは爆笑して、なるほどな〜と思った。
でも今は、「そりゃ金持ちの理屈ですよ!」とツッコミたい感じ。
だいたいオレ、絶対愛してないし(笑)。
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【感情を味わう】 6月10日(日)
朝から一日、カウンセリング講座。
来週の日曜もあるから、週末のモーニングは昨日でしばらくおあずけ(涙)。
今日は、ある講師の心ない発言に、珍しくヒジョ〜に腹が立った。
久しぶりに味わいましたよ、こんな感情(笑)。
同じ指導者の立場だからかなあ。
誰々の言葉や態度に傷ついた、なんて話は数え切れないくらい聞いてきた。
その度に、「見方を変えたらいいよ」とアドバイスしてきた。
でも、そんな余裕ないほどムカつくんだね〜、勉強になりました。
「生きることは味わうことだ、
物そのものを味わうとき生き甲斐を感じる、
味わうことの出来ない人が不幸の人だ」
私の好きな種田山頭火は、日記にそのように書いている。
これを評して、明治大学教授の齋藤孝さんは、次のように述べている。
「山頭火は、世間の競争原理からは逸脱していたが、「あじわう」ことの一点だけはひけをとらなかった。
この一点に人生を投じた」
というわけで、今日ばかりは屁理屈は置いといて、「怒り」という感情を「味わって」おります。
いつもの温泉「ぱうぱう」に行って、露天風呂→ロウリュ→水風呂のフルコース。
もうメシ食って寝るぞ。
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【父からの手紙】 6月9日(土)
「娘への手紙」というエッセイを、書き続けている。
そのせいか、書店で目についたのが「父からの手紙」(小杉建治)。
本の帯のコメントにひかれて、久しぶりの長編ミステリー小説を読む。
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父の愛は本当に強く、せつない…
文字どおり身を挺して家族を守る父親の思いの強さ。
つらい時、寂しい時に父からの手紙を読み返す娘のいじらしさに思わず涙が溢れます。
読後ここまで余韻の残る作品はほかにありません!
本当に、おすすめします。
東武ブックス 文庫担当(女性)
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感動である。
もちろん、自分の置かれている境遇や過去の体験によって、感情の揺れに差はあるだろうが。
私としては、この小説の伝えようとしているところは、心に深く刻まれた。
いや〜、泣いちゃったよ。
「阿久津伸吉(父)も麻美子(娘)も同じ大きな過ちを犯している。
その過ちとは自分を犠牲にして大切な者を助けようとしたことだ。
確かに、その気持ちは尊い。
だが、それは間違っている」
小説ってスゴイなあ〜。
さて。
ずっとソファーに寝転んで読んでいたから、夜はジムに行って、余韻にひたりながら鍛えよう!
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【大人の義務】 6月8日(金)
連日、さまざまな内容の相談を受けている。
じっくり話を聞き、相手の心情を理解しようと努力して、コメントを求められれば語る。
持っている情報は、すべて提供する。
「話を聞いてもらって、スッキリしました」
「元気が出てきました」
「そう考えれば楽ですね」
そんな言葉を聞いて、明るくなった表情を見ると、とてもハッピーな気分になる。
それで給料までもらっているのだから、仕事とはパラダイスみたいなものだ。
そういえば、英語のvocation(天職)とvacation(休暇)って、よく似ている。
今まででいちばんうれしかったのは、昨日生徒から言われた言葉。
「先生って、本当に楽しそうに仕事してますよね〜」
でもそれって、大人の「義務」じゃない?
つまらなそ〜に働く大人。
不機嫌そ〜な顔をしてる大人。
そんな大人たちを、子どもや若者がうらやましがるはずがない。
「大人ってオモシロそうだな〜」
「早く大人になってみたいな〜」
そう思われるような大人になろうよ。
何年も大人やってて、いつまで愚痴ってちゃダメだよ。
教師仲間で、ベンツに乗って、腕時計はロレックスって男がいる。
専門教科はバリバリだが、事務処理がやや大ざっぱなところが玉にキズと言われる。
でもオレは彼が大好き。
だって、面白い大人だから(笑)。
*****
【メンタルケア】 6月7日(木)
昨年の全国の自殺者数は3万2155人で、9年連続で3万人を超えたことが、警察庁のまとめでわかったらしい。
交通事故による死亡者数が毎年7000人以下というから、とんでもない数字といえる。
理由は人それぞれだからコメントはできないが、これだけは声を大にして叫びたい。
「日本の心のケアは遅れてるぞー!(怒)」
私も今ふり返ってみると、うつ病だったと思われる時期がある。
約10年前の離婚後のことだが、その頃はまだ「精神病院」というイメージの施設しかなかった。
「心の風邪」という感じで足を運べるメンタルクリニックが、まだ一般的ではなかったのだ。
もっと恐ろしいのは、さらにその数年前、母方の祖母が殺人事件に巻き込まれて亡くなったとき。
母親を殺された私の母の当時の状態は、とても文章などでは書き表せない。
しかし母は、専門家のメンタルケアを受けることもなく、家族の支えと自力と時間だけで今まで生き延びた。
母は―ある意味私も、自殺という道を選んだとしても、なんら不思議ではない状態だった。
たまたま、今生きている。
しかし、他人からは絶対にそうは見えなかったはずだ。
そこに危険がある。
宮崎では、臨床心理士の数はわずか68名。
公立の中学校だけでも、140校あるのに。
メンタルクリニックに予約しても、3ヶ月待ちというところさえある。
私が資格を取ろうとしている産業カウンセラーも、そう多くはいない。
でもいちばん問題なのは、一般の人々の「心」に対する意識の低さ。
カウンセリングやコーチングのプロに対して、
「話を聞くだけで、お金取るの?」
などと言う人が、まだけっこういる。
自殺者3万人という事実は、カネやモノの時代の終焉を告げている。
これからは間違いなく、「心の時代」になっていく。
「心の風邪」を甘く見たら、「心の肺炎」にかかってしまう。
「心のガン」になってからでは、もう手遅れなのだ。
アメリカが理想かどうかはわからないが、メンタルケアが日本より進んでいることは確かだ。
悩みをかかえたとき、精神科に行くほどではないが、友人知人の「人生相談」レベルでは物足りない。
そんなとき、個人のカウンセリングルームがたくさんあるという環境は、今後めざすべきモデルのひとつだろう。
*****
【相対的にデカイか】 6月6日(水)
宮崎ケーブルテレビの「五時生テレビ!」で、先日取材してもらった番組が放映された。
「スージーのマッスルGo!Go!」という、楽しいコーナー。
私が指導しているテコンドー同好会の練習に、筋肉モリモリの中筋清人さん(スージーさん)が参加するという内容。
取材スタッフの方々はとても好意的で、生徒たちが全員映るように編集してくれていた。
中筋さんも本番中、片隅で遠慮していたマネージャーにまで気を配ってくれる人だった。
私の自宅はテレビもインターネットも宮崎ケーブルテレビだが、これでますます高感度アップ。
カウンセラーとして次々と相談を受けながら、つくづく思ったこと。
「体調が良ければ、ほとんどの悩みは余裕でクリアできる」
解決法を探すより、まずは健康管理じゃない?
自分の外のことよりも、自分がパワフルでハッピーな状態でいないと。
ところで「健康」って、「健体康心」を略した言葉だそうで。
「体が健やかで、心が康らか」という意味。
やはり、どっちか一方じゃマズイんだね。
同じ出来事なのに、「不健康」な人には大きな悩みで、「健康」な人には何でもない。
つまり、本質的な「悩み事」というものは存在しない、ということになる。
その問題と自分の器を比べて、相対的に自分のほうが小さいときだけ「悩み」となる。
相対的に自分のほうが大きい場合は、「取るに足らないこと」となる。
ということは、私たちのすべきことはただ一つ。
「自分の器をデッカクしよう」
パワフルでハッピーな状態をつくることにだけ、集中しよう。
ふと気づくと、その「悩み」は「取るに足らないこと」に変わっている。
*****
【心の筋トレ】 6月5日(火)
ジム通いも約1ヶ月、今日は18回目。
有酸素運動(ウォーキング&ジョギング)も筋力トレーニングも、過去最高の負荷でやった。
「負荷」を増やすことによって、ますます脂肪が燃え、ますます筋肉が発達する。
負荷を増やさなければ、単なる現状維持。
これって、心も同じじゃないだろうか。
私はある時期から、何かが起こるたびに、「これでまた心の筋肉が鍛えられる」と考えるようになった。
新たな「負荷」に耐えられるように鍛えることで、「心の筋力トレーニング」の効果が出る。
負荷がなければ、現状維持どころか、力は衰えていく。
悩みの解決法や、視点の変え方を伝えたとき、
「それはわかるんですが、実際にやるとなると難しいんですよね〜」
まだそんなことを言う人は、5月16日の「落書き」を読み返してほしい。
話を聞いただけでトレーニングをサボり、
「一日で筋肉モリモリになりませんよ?」
って文句を言っているようなものなんだけど。
*****
【出来ない】 6月4日(月)
宮崎県の東国原知事が、「新そのまんま日記!」の6月4日に、「出来ない」というエントリーを書いている。
この人の感性とアイディアは庶民に近いものがあって、いろいろと楽しい企画を提案したところ…。
「出来ない」
東国原知事は、次のように書いている。
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才能の無い人間に限って、対案・代替案も出さず、ただ批判・否定する。
あの映画はつまらないとかあの本は面白くないとか、あの音楽は、あの絵は、あのやり方は、あの表現方法は・・・・・・・何でもとにかく批評・否定する。
楽して知的・社会派を気取れる。
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まったく同感。
このあたりに「やる側」と「見る側」の論理の差が現れる。
「じゃあ、おまえがやってみろ!」である。
夜、同窓の友人と久しぶりにスターバックスで会う。
ずっと独身だったが、最近いい女性との出会いに恵まれて、ついに結婚したという。
事情もあって、いっぺんに妻と子どもをかかえる父親になったそうだ。
結婚、家族、幸せ。
いずれも人それぞれで、さまざまな形があっていいと思う。
彼は、幸せで充実した表情をしていた。
こちらまでハッピーな気分になった。
*****
【脱サザエさん症候群】 6月3日(日)
長い一週間だった〜。
最近はカウンセラー養成講座のため、2週間に1回は週末がつぶれるので、貴重な日曜日だ。
朝はもちろん、喫茶店でモーニング。
この独りの静かなひとときが、残りの日々を充実させてくれるのだ。
30代までは、「サザエさん症候群」だった。
「サザエさん」のある日曜の夕方になると、「明日からまた一週間か…」とユウウツになる病気(笑)。
最近は夜中まで、ジムでトレーニングなんかしてるんだからね〜。
好きな仕事なら、こんなに違うんだ。
*****
【陰と陽】 6月2日(土)
写真は、職場で毎日更新している「今日の言葉」。
口もとは引力に逆らって上げ、まゆやめじりを下げましょうね、みなさん。
顔にバツ印のある人になんか、誰も寄ってこないんだから(笑)。
約1ヶ月間ジムに通ったら、自分でも見違えるような体に変わった。
簡単に言うと、脂肪が落ちて筋肉がついた。
筋肉のほうが重いので、体重のほうは−2kg減程度だが。
私は本を読んだり文章を書くことが多いので、その分、運動が必要だったのだ。
どんなに薄い紙にも裏と表があるように、どちらか一方だけでは決して成り立たない。
だから、「文武両道」。
わかっていたのに、ここしばらくはバランスを欠いていた。
武道にも、「陰と陽」の思想がある。
太極拳のある流派は、昼間は明るい場所で練習して「陽」を高め、夜は暗い墓場で練習して「陰」を深めるのだそうだ(^^;
それはちょっとコワイけど、「陰」が悪いことである、という考え方は改めたほうがいい。
「陰」という概念がなかったら、そもそも「陽」は存在できないのだから。
まあヘリクツはともかく(笑)、お勉強したら運動もしましょう、と。
ダイエットだけでやせようとすると、ヘンな体型になったりリバウンドしたり、下手すると拒食症になるのもわかるでしょ。
文章書きばかりやっていたら、肩が凝るのと同じなんだから。
バランスのとり方が間違ってるんだよ。
筋肉オヤジから、いきなり少女趣味なタイトルへ(笑)。
行きつけのジャズ喫茶「ビー・フラット(禁煙!宮崎最優良店)の中にある、 プリザーブドフラワーの「ローズペタルさんで一目惚れ&オーダーして作ってもらいました。
「赤い薔薇に珈琲豆」ってコンセプトがお洒落でしょ?
文筆活動のデスク上に飾りました。
創作意欲バリバリです!
でもこれって、男性にもオススメでは。
父の日のプレゼントに、予約してみてはいかがでしょう?
*****
【11億人の先祖って…】 6月1日(金)
こんなコラムを書いたことがある。
読むのが面倒な人のために要約すると(笑)、あなたに2人の親がいて、それぞれにまた2人の親がいて…みたいにたどっていくと、20代前で104万8576人。
30代までさかのぼると、平安時代の末期になり、先祖の総計は10億7374万1824人になるという。
そんな複雑な組合せの末に、今あなたがここにいるのは、奇跡としか言いようのない確率だから、感謝しましょうという話。
でも、ちょっと待てよ?
今の日本の人口でさえ1億ちょっとなのに、平安時代に11億人近くってありえない(笑)。
ということは、ということは…!
「あなたも私も、もとはといえば、み〜んな家族(^_^)人(^_^)」
そう考えると、「イジメ」(文字だけでも陰湿)とか、おかしいんだよ。
自分の家族をイジメで自殺に追いやって、どうするんだよ。
あいつウザイとか、ナマイキなこと言ってんじゃねえよ(いきなり江戸ッ子)。
だから私は、困っている人を助けたり、他人に親切にする人が好き。
今目の前にいる人はみ〜んな、誰かのお母さん(お父さん・姉・妹・兄・弟・娘・息子)なんだから。
「誰か」は、深いところでは自分の「家族」なんだから。