<2004年10月>

【秋の夜明けの珈琲】

今年もまた、珈琲の美味しい季節がやってきた。
秋は冷たい空気がピンと張っていて、空も海も真っ青で、夕焼けが美しいので大好きだ。
休日でも朝早く起きて、まず珈琲をいれ、窓の外の朝焼けを眺めながらあれこれ思索し、文を書く。

最近、朝目覚めてまどろんでいるときに、ふとインスピレーションを得ることがある(毎回メモしている)。
ここ数年、大量に情報をインプットしてきたので、それが熟成されて閃きとなって表れるのだろうか。
「心の内からの小さな声」に耳を傾け、素直にそれに従ってみようと思う。

自分のことだろ、もっとマジメに考えろ!

という本が、たまたま目の前にあったので、その中からピンときた言葉をいくつか。

■親友に対してなら責めないようなことで、自分を責めてどうする?

■すべての人に愛される人。あるいは、すべての人に愛されない人。あなたは見たことがありますか、そんな人を?

■「自分は十分ではない」 誰に対して?自分に対してだろう、違うか?

■「自分は誰か?」 答えのないことを自分に問うのはいい加減やめなさい。

■怒りの対象の存在を「絶対に許さない」と思う怒り。これは不健全だ。もうひとつは、「存在しなかったらいいんだ。でも、存在してはいけない理由はないんだ」と思う怒り。こちらは健全だ。

■ベッドのサイズに合わせて窮屈に寝るぐらいなら、ベッドのサイズを変えなさい。

■フランスの思想家、ボルテールは言った。「あなたの言うことに賛成はできない。だが、私は死ぬまで、あなたが発言する行為自体は尊重する」

■怒った後に自分に聞いてみるのもいいだろう。「自分の中の何を隠そうとしていたのか?」

■怒りの要因のひとつ。「私が自分で自分を価値のない人間だと思っていることを思い出させるな」

■古代のある王様が、海に向かって「波よ引け」と怒りました。あなたは、この王様を笑えますか?

■あなたは不安ですか?人生に保証を求めますか?私があなたに与えることのできる保証はこれだけです。「あなたが保証を求めている間はずっと不安でいるだろう」

■あなたが不安になっていたとしても、世界は終わらない。

■心配しても、起こることは止められない。

■とても怖がりで、安全だと思っていたベッドから生涯離れなかった人がいた。どうなったか知っていますか?壊れたマットレスのバネで死んだのです。

■不平を言いたいことは数え切れない。それをすべて言っていたら、疲れ切って何もできなくなる。

■他の人を変えようと努力するほどには、自分を変えようという努力はしないものだ。

■あなたが誰かを助けるのは、あなたにとって助けるという行為が必要だから。

■あなたが弱さを見せれば、相手も弱さを見せてくれる。

■あなたが関わりを持ちたいと思っている相手がこたえてくれないとき、悪いことは、あなたの願望が満たされないこと。良いことは、その人との関わりを発展させようと、時間を無駄にしなくてすむこと。

■練習は進歩するためにある。完璧になるためにあるのではない。

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【ビジネスヒント】

自宅でできて資金もかからないインターネットビジネスが大流行りだが、みな同じ成功パターンをモデリングするものだから、差別化が難しくなってきたように思う。
メルマガを出して、小冊子を配り、情報商材を売る。
メルマガがきっかけで本を出して、講演活動をする。

楽天日記やブログを書いて、人脈をつくる。
メルマガで相互紹介をして、読者数を増やし、知名度を上げていく。
パソコンの前で文章を書く時間が長く、顧客にはオートレスポンダー(自動的にメールを返信・送信する)で対応する。

そのほとんどが、アメリカでずっと以前から行われている、ダイレクト・マーケティングのテクニックということだ。
今後、日本でどこまで広がっていくのか興味深いところだが、私自身はいくつかの通信講座や情報を購入してみて、どうなのかなあ?と思うこともあった。
明らかな自動入力で「中元康夫さん、…」と呼びかけられても、親しみを感じるわけでもないし。

今年納税日本一になった、斎藤一人さんが話していた。
「私は外国の経営法とか、やったことがないんだよ。それより、いつもどうやったらお客さんを喜ばせることができるか、そればっか考えてるんだ」。
日本人には、どうもこっちの感覚のほうが、しっくりいくような気がする。

「顧客に○回メールを送ると○%の成約率につながる」とかいう理論に基づいて、何千人に一括送信している機械的な文章がいくら送られてきても、特にどうということはない。
むしろ、何ということのない個人あてのメールを1通もらったほうが、その人の店に行ってやろうという気持ちになるものだ。
一時的には目新しいビジネススタイルに惹かれても、結局は温かい人間関係を持てる人のところで買おうと思うようになる。

そのことを前提に、これからビジネスを展開していくときに考えておきたいポイントを書く。
まず、人間の基本的なニーズに焦点を当てる。
低次元から高次元の順番に並べると、(1)生存、(2)安定、(3)自己重要感、(4)変化、(5)成長、(6)貢献、(7)愛である。

それぞれの詳しい説明は省くが、この7つのニーズのうち、3つ以上が満たされると「中毒」になるという。
よって、非常に低次元ではあるが、犯罪は絶対に減らないわけだ(たとえば人前で銃を持つと(2)(3)(4)が得られる)。
なるべく高次元のニーズから、3つ以上を満たせる人間味のあるビジネス、それがこれからやるべき仕事だと思っている。

(2004/10/10)

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【プチアウトドア】

昨日、今日と、今年最高の秋晴れになった。
いつものように山で露天風呂につかって、心ゆくまで大自然を満喫してきた。
宮崎は私にとって十分な大きさの街で、ちょっと車をとばせば海・山・川があるので、住み心地は満点だ。

アウトドアも、本格的になると雑誌や専門書が出たり、グッズもブランドものまであるようだ。
私のスタイルは、あくまでも自然に触れるのが目的だから、安上がりで簡単なもの。
マイナスイオンの中で癒され、ゆったりくつろいでα波を出し、おにぎりでも食べられたら言うことなしだ。

青空でさわやかな気分になるのはたしかだが、雨の休日も大好きだ。
落ち着いて読書をしたり、文章を書いたりできる。
晴れたら外に出て畑を耕し、雨が降ったら家の中で書物を読む、そんな「晴耕雨読」の生活が理想だなあ。

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【松下幸之助】

「私が成功したのは、第1に体が弱かったこと、第2に学歴がなかったこと、第3に貧しかったことである」
こう言った松下幸之助は、晩年PHP(Peace and Happiness through Prosperity=物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう)という雑誌を創刊した。
そこに掲載された短文を編集した「大切なこと」から、いくつか心に響いたフレーズを。

喜びもよし、悲しみもまたよし。人の世は雲の流れの如く刻々に移り変わる。そう思い定めれば、あるいは人の心の乱れも、幾分かはおさまるかもしれない。そして、喜べども有頂天にならず、悲しめどもいたずらに絶望せず、こんな心境のもとに、人それぞれに、それぞれのつとめを、素直に謙虚にそして真剣に果たすならば、そこにまた、人生の妙味も味わえてくるのではなかろうか。

■まことに逆境は尊い。だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではないだろうか。逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。

■素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。お互いに、とらわれることなく、甘えることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。

■楽観していて、それでラクラクと事が運ぶときもあれば、思わぬ破たんに心あわてるときもある。悲観して落胆して、これでもうおしまいと思うそのなかに、はからずも道がひらけることもある。つまりは事の成る道が、悲観・楽観の人間の情を超えた、はかり知れぬところにあるともいえよう。楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

■どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人びとが求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。

■理屈を言って、べんかいを言って、人をそしって、自己を主張して、わめきにわめいているそんなとき、ふと心のすみでささやく声がある。自分もやっぱり悪かった、すまなかった―と。あやまりたいのである。あやまってしまいたいのである。けれどもあやまれない。だからまたわめく。わめきながら、また心の声がささやく。あやまりなさい、素直にあやまりなさい、そうしたら、どんなに心が軽くなることか。あやまらなくていい人は、この世の中、だれ一人としていないのだから。

■失敗するよりも成功したほうがよい。これはあたりまえの話。だが、三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険である。そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それもやがては「俺にまかせておけ」と胸をたたくようになったら、もう手のつけようがない。謙虚さがなくなって他人の意見も耳にはいらぬ。こんな危険なことはない。だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のためになりそうである。

■賢い人と愚かな人と、その間にはたいへんな差があるように思うけれど、もっと大きな自然の知恵から見たならば、それが人間である限り、賢さにも愚かさにもおのずから限りがあるわけで、どんなに賢い人でも、神や仏ほどの知恵もなければ、どんなに愚かな人でも、ほんとうは犬猫に劣るというほどの人もいない。自分で自分が思うようになるのは、実はほんのわずかである。

■自分の身体は、自分のものであって、自分のものではない。血のめぐり、内臓の働き、どれ一つをとってみても、自分の意志によって動いているものはない。つまり、大きな自然の恵みで生かされているいわば天からの授かりもの。天から預かっているものである。自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものといえば自分のものだけれど、これもやっぱり天から授かったもの。世の中からの預かりものである。

■この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。なぐさめを求めたくなるときもあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

(2004/10/11)

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【ビジネスヒント その2】

成功法則にせよ、癒しにせよ、多くの人が求めている割には、結論だけが書いてある本やネット情報がほとんどのようだ。
たとえば、「プラス思考をしよう」と言われても、それができない性格だから困ってるんだ、という感じで。
それはまるで、お金も時間もないのに「成功するためにはインドに行け」などと言われるようなもので、どんなに切り口を変えてみたところで、できないものはできない。

もうみんな、どうしたら成功するのか、知識としてはわかっているのだ。
それが行動に移せないから、継続できないから、次々と別のハウツーを求めてさまよっている。
その意味で、斎藤一人さんの「ツイてるって言うだけでいいんだよ」という超シンプル(実はけっこう深い)な方法論は、その驚異的な効果も含めて、革命的だった。

自己啓発系セミナーでは、その場で参加者同士で演習をさせるので、情報のインパクトは大きい。
しかしそれも、また日常に戻ってしばらくすると、一時的なハイテンションが薄れていく。
どんなタイプの人でも、どんな状況の中でも、まったく気力を使わずに実践・継続できる究極の簡単な方法を提供したい。

最近の出版の傾向として、「CD付」と「ノート形式」の本が増えているが、この理由には納得がいく。
呼吸法やイメージトレーニングは、音声でガイドしてもらわないと、文とイラストだけでは実行が難しいのだ。
ノート形式は、すでにベストセラーとなった本を再編集しただけと思われがちだが、実は図式化することにより、イメージとして右脳から潜在意識に落とし込む効果が大きい。

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【正観さんの言葉】

本の「しおり」に書いてあった言葉にいいものがあったので、ここに書いておく。

■自分がたいしたものと思えば力が入る。たいしたものじゃないと思えば力が抜ける。風にゆらぐ花のように、力が抜けていると美しい。

■人生は、自分が書いたシナリオどおり、良くも悪くもなく、幸も不幸もない。良し悪しも、幸も不幸も皆んな自分が決めている。

投げかけたものが返る。投げかけなければ、返らない。「うれしい。たのしい。しあわせ。愛してる。大好き。ありがとう。ついてる。」の祝福神の言葉。またその言葉を言いたくなる現象が、言った数だけ、降ってくる。

■空腹だと、おいしい。悲しいことがあると、喜びが大きい。では、その「悲しいこと」に感謝したくなりますね。

■病気をして知る「普通の日々」の有り難さ。事故をして知る「普通の日々」の有り難さ。何もない「普通の日々」こそ幸せな日々。

■「今、目の前の人を大事に」し、「今、目の前のことを大事に」すること。「今」を大事にする「心」が「念」。「念」を入れて生きていれば(種まきをしていれば)必ず芽を出し、花を咲かせます。泥の中からも。

(2004/10/11)

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【いのちの仕事】

ジャズ喫茶「ビー・フラット」で、ライブがあった。
サックス、ピアノ、ベース、ドラムスとも、いかにも好きといった感じで演奏しているのが印象的だった。
こんなに楽しそうに仕事をする人って、自分の周りにいるだろうか。

好きなことをやっているのだから、ハードな練習もまったく苦にならないはずだ。
どんな仕事にも大変な面があるものだが、それさえも「好きなことをするためのひとつの条件」になるのだろう。
仕事というのは一種の自己表現だから、しかめっ面で苦しそうに働いている人は、たぶん方向を間違っているのだ。

「イヤな仕事は絶対するな!」という本を読んでいる。
それによると、「運“命”を創造していく仕事」「天“命”をふまえた仕事」「使“命”に即した仕事」「生“命”が実感できる仕事」、つまり「いのちの仕事」に就いてこそ、すべてがうまくいきはじめる。
無理にプラス思考などと意識しなくても、最近ブームになっている成功法則が求めるような結果は、すべて自動的に得られるというわけだ。

成功法則そのものにハマっている人や、癒し系に夢中の人は、必死でその逆をやっていることになる。
「生活のための仕事」を続けながら、情熱や集中力を身につけ、ストレスを解消しようとしている。
「いのちの仕事」を優先してこそ、スキルの習得が速くなり、働くことが楽しく、アイディアが次々とわき、逆境にも打ち勝つ信念が持てるのだろう。

(2004/10/14)

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【威張らない】

「英語教育達人セミナーin延岡」、初開催。
午前中の仕事を終えて、急行で駅弁を食べながら延岡市に向かう。
午後は、TOEIC学習法の指導で有名な、千田潤一先生のパワフルな講演だった。

夜はスタッフで先生を囲んで、美味しい串揚げの店で食べる。
千田先生は、少しも威張ったところのない、気さくでユーモアあふれる人だった。
ここ数年間、かつて雲の上の存在だった人たちと縁のできた私を、「運気が上昇している」と評してもらった。

テコンドーでもそうだが、私が師と仰ぐ人たちの中には、他人を威圧するようなタイプがいない。
専門分野で確固たる自信を持っているので、決して怒鳴ったり叱りつけたりしない。
狭い世界で「厳しさ」が評価されようが、私が「やさしさ」に信念を持つようになったのが、武道や教育の世界で尊敬する人たちの影響である。

(2004/10/16)

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【天の評価】

仕事の一部ではあるが、自分の価値観からどうしても積極的になれず、ストレスを感じていることがある。
先日、ある人に相談したところ、即答で次のようなアドバイスをもらった。

「それは結局、自分の仕事を誰からいちばん評価されたいか、ということだよね。上司からほめられるためにやるのか、それともお客さんから感謝されるほうを選ぶか。もっと言うと、天から認められたらそれでよし、と胆をくくる生き方もある」

目からウロコが落ちた。
この人はある会社の社長さんだが、いつも笑顔で、部下に対してまったく威張らない人だ。
「厳しくすると、その人の目の前だけでは従ったふりをするけど、本心ではぜんぜん納得していないからね」

私よりずっと年下の女性からは、次のように言われた。
「もし自分の気持ちを抑えてそれをやったとしても、やらなくて文句を言われる以上のストレスを感じるでしょう。それなら、信念を貫いたほうがいいと思う」
単純明快、本日メンターに昇格(笑)。

私だって、日曜日の夜になると、明日からの一週間を思ってゆううつになる。
もう辞めようかな、と悩むことも。
しかし、あえてこんなことを書いたのは、今日ついに「胆をくくった」からなのだ。

(2004/10/17)

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【感謝するだけ】

出張の帰りに、祖父母の墓参りに立ち寄った。
最近母がちょっとしたアクシデントにあったが、奇跡的にかすり傷だけですんだことのお礼を、誰かに言いたかったので。
気のせいだとは思うが、墓参りをすると気持ちがスッキリして、何かに守られているような感じがする。

ある女優が神社にお参りに行ったとき、「何をお願いされたのですか?」というレポーターの質問に、次のように答えたそうだ。
「お願いすることはないんです。感謝することだけです」
さすがだ、たしかにその通り。

テコンドーの練習が終わって、お好み焼きを食べ、露天風呂でくつろぐ。
体を大の字にして空を見上げていると、風流なことに、雲の間から満月が顔を出した。
けっこう幸せな日々に感謝。

(2004/10/28)

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【コーチング】

宮崎唯一のプロコーチ古賀さんと初めて会う。
最近「コーチング」に興味を持って学んでいたところ、またまた不思議な偶然が重なって古賀さんのことを知り、時間をとってもらった。
イメージ通り、柔和で前向きな人だった。

ちょっとしたコミュニケーションのコツを知らないために、人を傷つけたり、無意味な争いに発展する例をたくさん見てきた。
教師としても、生徒の欠点を突いて厳しく指導するより、長所を伸ばしてほめるコーチングのスタイルのほうが、私には向いている。

さっそく来月からセミナーに参加して、理論と実践をくり返しながら、コーチングのスキルを身につけていこうと思う。
人を元気づけて、喜ばせて、その笑顔を見ることは、自分にとって何よりの喜びだから。
自分自身をコーチングして、ものの見方をポジティブに変えていくのも、楽しみのひとつだ。

(2004/10/29)

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【運を引き寄せる】

友人の女性Tさんの新築祝いに招かれる。
少し人里離れた場所にある、有名な彫刻家が作ったログハウスを手に入れたというのだ。
木の香りの漂う、それはすばらしい家だった。

Tさんによると、以前はアパート暮らしで収入も少なく、愚痴だらけの毎日だったそうだ。
しかし、一人さんや正観さんのものの見方を学び、日々感謝する生活に切りかえた。
「ツイてる」「ありがとう」を口ぐせにして、トイレ掃除も素直に実践を続けたという。

そのログハウスの値段は、とても手の出せる金額ではなく、他にも何組か購入を希望していたので、ほとんどあきらめていたそうだ。
ところが、持ち主がTさん夫妻の人柄を気に入って、数百万円の値引きを申し出てくれた。
さらに母親が持っていた株が突然値上がりしたため、Tさんはなんと頭金の20万円の手出しだけで、そのログハウスのオーナーになったわけだ。

単に「運がよかった」のか、自ら「運を引き寄せた」のか。
さまざまな財テクや節税法があるようだが、何かもっと大きな力にゆだねたほうが、運が高まるような気がする。
人生は、私たちが考えるよりずっとシンプルな法則で成り立っているのではないだろうか。

口ぐせや考え方を変えたところで、そう簡単に人生が好転するものか。
かつては、私もそう思っていた。
しかし実際にやってみると、目の前にシンクロニシティ(意味のある偶然)が次々と起きるようだ。

(2004/10/31)

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