■「不思議なことに、ワインだと楽しい話が多くなるから」
「焼酎だとこうはいかない、会社の愚痴が多くなっちゃう人が多いんじゃないかな。気持ちが楽しいと、自然と『ワイン飲もうか』って話になるんだよね」
「味の良さはもちろんですが、ワインの場合は、その場の雰囲気やその時間をともにした人など、総合的な要素も大切になってくる」
*****
宮崎のワインショップ「パリ16区」オーナー、寺原和博さんの言葉。
この店の地下にあるワインセラーには、離れて暮らしているぼくの娘の誕生年ワイン(シャトー・ピション・ロングヴィーユ・コンテス・ドゥ・ラランド1994)が眠っている。
彼女が二十歳になったとき、もし会えたらプレゼントするつもりなのだ。
職場の先輩にワイン・エキスパートの資格を持つ人がいて、彼の主催するワイン会の仲間に入れてもらった。
3ヵ月に1回ほど、フランス料理のフルコースを食べながら、さまざまなワインを味わっている。
アルコールはあまり飲めないのだが、珈琲通のためかワインの味は大好きで、何よりも会の楽しい雰囲気がいい。
ぼく自身、ワインといえば「赤か白か」くらいの区別しかつかないが、両親もヒドイ。
先日、父はコルク栓を開けるのに失敗して、ボトルの中にかけらが入ってしまったのを、珈琲のペーパーフィルターでこしていた。
そのワインに、母は「甘いほうが好き」と言いながら、ガムシロップを入れて飲んでいるのだ。
ぼくがワインにはまったのは、離婚直後のことだった。
近くの酒屋から安い赤ワインを買ってきて、毎晩のようにレンタルビデオを見ながらちびちび飲んで寂しさをまぎらわせていた。
ある意味ぼくの恩人だから、これからもずっとつき合っていこうと思っている。
以前ある料理屋のカウンターで食べているとき、横に座ったカップルがボトルワインをグラスにつぎながら飲んでいた。
いいよなあ、あんなの。
会話も食事もお洒落になるはずだよ。
おれなんか、グラスワイン半分飲んだだけで真っ赤だからなあ。
(2002/1/3)
*****
■「私はまだ78歳だ。引退には早すぎる。年寄り扱いしないでくれ」
年末にPRIDE18(アントニオ猪木プロデュースの総合格闘技イベント)を見に福岡に行ったとき、ホテルの部屋でたまたまつけた衛星放送で、ニューヨークに住むシニアの人たちを特集していた。
目に止まったのが、舞台俳優のカツラを作っているボブの部屋。
離婚してアパートに一人暮らしの、ヒゲづらの78歳だ。
仕事を終えると、照明を絞った部屋のリクライニングチェアーに深々と腰かけて、医者から止められている大好きなウイスキーを悠々と飲む。
家具類も年季が入っていてシブい。
朝になると自分でいれた珈琲をじっくり味わい、昼は近所のレストランの同じ席で、いつも日替わりのランチを食べる。
ちょっと前までガールフレンドがいたそうだが、今は別れてしまって、いっしょに食事をしてくれる女性を募集中だとか。
「この歳になると、なかなか彼女が見つからなくて」
えらく洒落たことを言うジイサンだなあと思っていたら、ニューヨークではけっこう有名な芸術家らしい。
いつでも開けっ放しのドアから、人気俳優たちが毎日のように訪れる。
とにかく舞台カツラを作って喜んでもらうのだけが楽しみで、今でもバリバリの現役として活躍しているという。
「私はまだ78歳だ。引退には早すぎる。年寄り扱いしないでくれ」
このあたりは、さすがアメリカ人。
年齢は単なる記号に過ぎない。
つまらない常識に囚われて、自分をがんじがらめにしたりしない。
たまに会っているメイクアップアーティストの娘も、
「私には、父の100分の1の才能もありません」
と尊敬している。
カッコイイなあ。
年を取ったら、こんなジイサンになりたい。
単純で恥ずかしいが、今日はボブが座っていたようなリクライニング・チェアーを家具店で注文してきた。
一目惚れして座ってみてメロメロになった商品で、10万円を越してしまったが、男の椅子だ!悔いナシ。
どうもぼくは、孤独を友にして趣味に生きる老人のライフスタイルに弱い。
どうやら自分が結婚生活に向いていないようだと、予感しているためかもしれない。
「独り」ではなく「一人」、自分が選択したシングル人生もまたいいような気がする。
それにしても、「まだ78歳だ」とは。
ぼくでもボブの年齢まで、まだあと40年以上はある。
「青春とは心の若さ云々」などという言葉は苦手だが、夢や目標を持ちながら、自分の本当に好きなことをしている人が生き生きしているのは確かなようだ。
(2002/1/4)
*****
■「彼の温厚で欲のないところが好きだった。でも向上心のないところで嫌になった」
知り合って3日で自分からプロポーズ、結婚2日目で夫のことがイヤになって離婚した、女優の葉月里緒奈の言葉。
当然ながら、マスコミは激しくバッシング。
「欲がない=向上心がない」わけだから、彼女の言っていることには矛盾がある。
何よりも、今までいろいろな俳優と浮き名を流しながら、会ったばかりの男といきなり入籍、瞬間離婚という「非常識」な行動が、一般庶民の感覚には受け入れ難いのだろう。
でもね、本当に恋愛や結婚が何の矛盾もなく、教科書通りに進むものなのかな?
ましてや彼女は芸能人、殺人を犯したり麻薬をやったりするような「犯罪」は別として、ぼくたちが嫉妬するくらい自由奔放に、勝手気ままにふるまって、女優としてさらに妖しい魅力を見せつけて当たり前なのでは?
少なくともぼくは、芸能人に学校の先生や公務員の発想は求めていないけど。
寿命の短かった人に、「それは人の一生として認められない」なんて責めるだろうか。
短期間とはいえ中途半端にせず、不倫でもなく、キチンと法的な手続きを自分たちの責任で取ったのだ。
事情も知らない第三者が、したり顔でどうのこうの言うべきことではないだろう。
葉月里緒奈は、「私は胸はないけど、お金はある」と言ってプロポーズしたそうだ。
知り合って3日目のその言葉を打算的に受け入れ、直後の離婚にもすぐに同意した男の側のイイカゲンさはどうなるの?
みんな読みが甘過ぎる。
恋愛や結婚の崩壊に「一方的な悪」などないのだ。
*****
恋愛が理屈じゃないのは明らかだ。
年齢や立場を超えてしまうのが現実で、大人なら誰でもそのことをわかっている。
ただ人間としての理性やモラルを守って、ストレートに表面に出さないだけだ。
そうでないと社会生活がメチャクチャになってしまう。
でも100%原則通りに生きていると、息がつまってしまうことだってある。
どう行動するかは個人の生き方によって違うが、基本的に恋愛に唯一の正解はありえない。
恋愛感情だけは、どうにもコントロールしがたいものだ。
世間で不倫や恋愛感情のもつれから、さまざまな事件が起こるのもしかたがないのかもしれない。
恋愛はキレイゴトではすまされない。
誰も傷つけずに成立する恋愛などありえない。
ぼくもこの歳なのでいくつかの恋愛をしてきたが、映画やテレビドラマのような気分を味わって人生が彩られる半面、自分の醜い部分を思い知らされて、自己嫌悪の連続でもあった。
一種異常な?精神状態に入るので、自分が自分でなくなってしまう。
あとで考えて赤面するような行動をしたこともある。
恋愛は非日常的な行為なのでルールはないと思うが、恋愛が終わったあとには絶対的なルールが存在する、というのがぼくの考え。
それは、
「別れたあとで相手の悪口を言ったり、親しいときのプライバシーを暴露しない」
ということだ。
ぼくは男だから女性に対する率直な印象を書くが、女性の特性として親しい友人を集めて泣きながら同情を買い、よってたかって男を悪者に仕立て上げることによって、失恋のストレスを発散させているように思う。
「ここだけの話」は翌日には「そこらじゅうの話」となり、噂には必ず尾ひれがつくものだから、その単純な言動が後日どのようなトラブルを招くか考えもしない。
それでいて、しばらく経つとちゃっかり次の相手とくっついて、過去のことなどすっかり忘れているように見える。
社会に生きる一員として、あまりにもシンプルな思考と行動。
それが「女は強い」と言われる理由かも。
男は、そんなことはしない。
過去に、すべては自分が選択したことと、やむをえぬ事情で恋が破れても一言も泣き言を言わず、一切責めることのなかった女性が一人だけいた。
ぼくは今でも彼女のことを尊敬しているし、ある意味今でも愛おしく思っている。
(2002/1/12)
*****
■「小説も映画も、最初の10分でおもしろいかどうかわかる」
親戚のおばちゃんの言葉。
映画「スパイ・ゲーム」を見に行ったが、ぜんぜんおもしろくなかった。
最近では「マグノリア」「スナッチ」と並んで「ワケわからん映画」のベスト3だ。
えらく老けてしまったレッドフォードに驚いたのと、映像の中に出てくるわざとらしいPanasonicやFUJIFILMの広告くらいしか印象に残っていない。
終わったあと、休日でけっこう多かった観客の全員が沈黙。
次の回を見る人たちとすれ違ったとき、誰もが同情の視線を浴びせていた。
エレベーターの中でも、みんな疲れた表情でうつむいたままだ。
映画の場合、最初の「いやな予感」というのは、たしかに当たることが多い。
でもこれからおもしろくなるんじゃないか、最後に予想を覆すような大ドンデン返しがあるんじゃないかと、淡い期待を抱いてズルズル見てしまうのだ。
でもほとんどが、「えっ、これで終わり!?」という感じのラスト。
欲求不満状態を中和させるために、翌日「ミート・ザ・ペアレンツ」をレンタルビデオ店で借りてきた。
B級コメディなのだが、もう大爆笑!
ストーリーも単純で、最初から「何?このわかりやすさは!」という感じ。
やっぱり映画はこうでなくちゃ。
ぼくはどうも、芸術性の高い映画が苦手だ。
それこそ最初の10分で、複雑な迷路に迷い込んだような気分になる。
登場人物が次々に出てくると、英語教師のくせに外国人の顔が見分けられなくて、誰がどういう役柄なのかわからなくなってしまう。
ところが、インターネットの映画評を読んでみると、ぼくがつまらないと感じた映画が高い評価を得ていることがけっこうあるのだ。
逆に、感動した映画がけなされていることも。
友人から「すごくよかったよ、オススメ!」などと言われた映画でも、ぼくの感性がズレているのか、それとも期待しすぎて見るためか、いまひとつ理解できないことがある。
たとえば話題になった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だが、どうして映画を見て暗い気持ちにならないといけないの?と思った。
突然歌いだしたり踊ったりする不自然なミュージカル仕立てが、どうも気恥ずかしい。
「A.I.」にはただガッカリ、たぶん「ハリー・ポッター」もぼくはダメだろう。
最初の10分を見て「はずしたかな〜」と感じたら、思い切って席を立つのも一つの方法かもしれない。
(2002/1/19)
*****
■「ハゲる前、腹が出る前に結婚しないとなあ」
20代の頃に聞いた同僚の言葉。
初婚、晩婚、離婚、非婚とさまざまなスタイルがあるが、世間一般でいう「適齢期」というものは依然として(特に田舎では)プレッシャーをかけてくる。
「自分が結婚したいと思ったときが適齢期」などと肩肘張ってみても、女性なら「それは世間体ではなく、出産など肉体的な条件からきた知恵なのだ」などと説得されると反論しにくい。
男でも「子どもが二十歳になったとき、自分が何歳なのかを考えろ」という理屈がある。
非婚を続けているぼくなど、今から再婚したとしても、子どもが二十歳になったときはすでに還暦を迎えていることになる。
小学校の参観日でも、若いお母さんやお母さんはうらやましがられるが、年配の両親を「うらやましい」と言う友だちはいないだろう。
冒頭の同僚の言葉も、そんな「賞味期限」のことを心配した本音だろう。
事実、彼は外見がまだ若いうちに結婚し、子どもをつくり、幸せそうな家庭生活を営んでいる。
30代後半で独身というのは、直接言われることはないものの、裏では変わり者扱いであることはまちがいない。
そういう意味で焦りがないわけではないし、再婚を拒絶しているわけでもないが、無理してまで平均的な人生を歩む必要もないように思う。
「30までに結婚して、2人子どもをつくって40までに家を建てて、無事大過なく一安心」ということを最優先させないということだ。
まあ、したくてももうできないのが実情だが。
もちろん、そのような堅実な生き方を否定するつもりではなくて、ここまで失敗続きの人生を送ってきた以上、今後どのような生き方をすれば「自分にとって」本当に幸せなのかをちゃんと考えないといけないなあ、と思っているわけだ。
結局はなるようにしかならないし、思ったとおりにはいかないものだけど。
まあ犯罪をおかすとかそういうことでなければ、ちょっとくらいマジョリティと違ったライフスタイルになってもいいか。
どんな人生を送ってきても、死ぬときに感じる人生の充実度には直接関係ないような気がするし。
少しでも平均点に近づけようと、今さらつじつま合わせの人生を送ってみてもねえ。
(2002/1/24)
*****
■「ピアノはヨーロッパの体の大きな人たちのためのものだから、私たち日本人のように見劣りする体格の人間が弾くには、体を大きく動かしたり、表情を大げさにするしかないんです」
留学帰りの日本人ピアニストが、演奏会の中で、ピアノを弾いているときの激しい動きについて司会者から質問されたときの言葉。
何かをやろうとするときに、どのような方法で目標に近づいていくか、どんなスタイルでパフォーマンスすべきかということは、始める前に十分考えておく必要がある。
書店に行くとあらゆるビジネス書、ハウツー本、成功哲学、健康法などが並んでいて、いずれも本を売るために「これこそ唯一絶対の方法」という勢いだ。
しかし、一人一人が違う個性を持っている以上、すべての人にピッタリ当てはまる法則などありえない。
当然、ある国の人たちには向いているが、日本人には向いていないという種類のものもある。
年齢によっても、まったく同じ方法を用いるわけにはいかないだろう。
英語学習法や格闘技の練習法についても、いつも同じことを感じている。
ぼくはこの2つについては、かなりワガママなほうだ。
その結果、一時的に上達が遅くなってもかまわないと納得してやっている。
よく言えば独自のスタイル、悪く言えば我流だ。
ただし、方法論についてはかなり研究しているつもりでいる。
自己流が過ぎてもいけないが、いわゆる「守・破・離」で、良い先生についてある程度基本を学んだら、あとは自分のことをいちばん理解している自分のスタイルにこだわったほうがいいと思う。
ぼくたちは情報収集や他人ばかりに気を取られて、いちばん大切な「自分を知ること」を忘れがちだ。
(2002/1/25)
*****
■「ロシアのペアも金メダルを剥奪されなくてよかった」
ソルトレークシティー冬季オリンピックのフィギュアスケートのペア自由演技で、ロシアの優勝についてフランスの審判員の不正な採点が発覚した。
国際オリンピック理事会では、銀メダルだったカナダのペアにも金メダルを与える決定をした。
ロシア組の金メダルはそのまま、銀メダルはなしとした。
冒頭は、その記者会見におけるカナダ組の男性の言葉。
同一種目で金メダル2つなんて納得しがたいだろうに、このようなさわやかなコメントができるとは、さすがスポーツマン。
ところで、相手のロシア組の男性は苦しい心境を語った。
「今回の出来事について、両親と話をすることさえできない。テレビはロシア人を悪者のように扱っている。審判を買収する金もない」
採点疑惑問題が起こってから睡眠不足になり、4キロ以上やせたそうだ。
今どきオリンピックがフェアなスポーツイベントなどと思っている大人はいないだろうが、審判や役員たちは、もう少し選手の身にもなれと言いたい。
本人が好きでやっていることとはいえ、4年間この瞬間のためだけに必死で苦しい練習に耐えてきたのだ。
つまらん思惑でスポーツマンシップを踏みにじってはならない。
ところで最近、オリンピックに出られる可能性があるからといって、それまでやっていた空手を捨てて、WTFテコンドー(ぼくの流派はITF)に入ってくる者が多いと聞く。
そんなものかね。
ぼくはこれからも、一時的なメジャースポーツよりも一生モノの武道を志す。
(2002/2/16)
*****
■「格闘技をやっている以上、お腹ブヨブヨじゃ相手に失礼じゃないですか」
元プロ野球選手の、長島一茂の言葉。
空手家である彼は現在、週刊プレイボーイの企画でさまざまな格闘家たちと本気で闘っている。
そのあとの対談で、寝技世界一の菊田早苗選手に肉体美をほめられて答えたものだ。
彼は1966年生まれの36歳、あの長島茂雄の息子ということで何かと騒がれたが、プロ野球では目立った活躍もなく引退。
ぼくは野球には興味がないが(ジャイアンツの桑田はこだわりがあって好き)、引退後の長島氏の選択は男として立派だと思っている。
彼は、タレントやスポーツキャスターの仕事をやりながら、実戦フルコンタクト空手の極真会館に入門したのだ。
話題づくりではない。
30を過ぎて、白帯から地道に道場に通い、新人戦などにも出場を続けている。
ぼくも極真出身だからわかるが、彼は有名人としてのプライドを捨て、多忙な仕事の合間をぬって、真剣に練習に取り組んでいる。
試合にはなかなか勝てない(そんな甘い世界ではない)。
しかし、負けて恥をかくことを恐れずにチャレンジしている姿は、同世代として胸を打つものがある。
一時期写真週刊誌が悪く書き立てたこともあったようだが、長島氏の活動と比較してあまりにもレベルが低い。
スキャンダルに群がって金を稼ぐ、体のたるんだゴロツキなど、はなから相手にならないステージに立っているのだ。
機能美のある肉体というものは、短期間ででき上がるものではない。
日々の地道なトレーニング、つまり意志の力が必要とされるのだ。
特に中年を過ぎてからは新陳代謝が悪くなるので、ある程度の節制も必要だろう。
その意味でぼくは、男女にかかわらずスポーツで体を鍛えている人や、武道家で常在戦場の心構えの人が好きで、人間的にも信頼がおける。
唐突だが英語を使える人も同じで、少なくともその人は目標に向けてコツコツ努力する、ちょっとくらいのことではギブアップしない忍耐力の持ち主であることは疑いがない。
長島氏は同じ対談の中で、次のようにも話していた。
「鯉10匹の中に金魚を入れると、その金魚は鯉と同じように大きくなるんですよね。
金魚は自分を鯉だと思うようになるんです」一流の人たちと接することの大切さは、ぼくも最近つくづく実感している。
(2002/3/24)
*****
■「一生懸命やったほうが、楽だよ」
同僚の体育教師が生徒に言ったひとこと。
人生最多忙といえる日々を送っている。
朝は誰よりも早く出勤し、誰もいなくなった夜更けに、警備員にあいさつして職場を出る。
帰り道で外食して、自宅へは睡眠をとりに戻るだけの毎日だ。
もともとプライベートでの趣味が多く、自分では「ジェットコースター人生」と名づけたくらいスピーディーで欲張りな生活を送ってきた。
英会話学校を経営しているアメリカ人の親友にならってお願いした、パートタイム秘書さんなしではとてもこなせない。
「手紙の返事も書けないくらい忙しいのは恥だ」という思いも強いのだけれど。
今年はこれから「英語教育達人セミナーin宮崎」「骨法整体治療会」「テコンドー南九州大会」など、文武企画の大きなイベントが目白押しだ。
どれも自信を持ってお勧めできるすばらしい企画ばかりなので、宮崎の読者のみなさんはぜひ来ていただきたい。
今年になって、職場の担当部署が変わった。
自分が選んで、いろいろな経験を積ませてもらって、お金までもらっている仕事に好き嫌いを言うのは恥ずかしいことだと思うが、事務処理が主だった去年までよりは、ぼくの持ち味を生かせる仕事内容だ。
上司にも恵まれている。
ただし、企画や広報の仕事であることと、多くの人たちとかかわっていかなければならないので、仕事量が半端ではない。
睡眠時間だけは確保するように気をつけているが、ぼくの責任においてクオリティの高い仕事がしたいので、気合を入れて取り組んでいる。
ワーカホリック(仕事中毒)にならない程度に、ほどよいハイテンションを保っている。
思えば、気持ちが仕事から逃げていた時期は、毎日がおもしろくなかった。
朝起きたときから、ため息をついていた。
少しでも楽をしてやり過ごそうと思うほど、時間がたつのが長く感じられた。
出し惜しみをせず、やればやるほどエネルギーが出てくるのが人間の不思議なところかもしれない。
(2002/3/24)
*****
■「背負うものがあるから」
職場の先輩の言葉。
Jackieさんはいいねえ、独身だし自由で。
給料やボーナスは全部自分のものだし、仕事だって、辞めようと思えばいつでも辞められるんだから。
たまには何もかも投げ出したくなることもあるけど、ぼくには家族があるし、自分の判断だけでは思い切った行動ができないんだよね。
自分が食べていけないのは自業自得としても、妻や子どもにまで迷惑をかけることはできないからね。
でもね、そういう背負っているものがあるから、なかなか身動きできないからこそ、ひょっとして幸せなのかなあって思うこともあるんだ。
なぜって、人生あまりにも選択肢が多いと、ついつい目移りしてしまって、一つの場所に留まることがバカらしくなってしまいがちだからね。
若い人たちのフリーターなんて、まさにその典型でしょう。
たとえつらくても、背負うものがあるからこそ頑張れるし、一つの場所で働き続ける充実感も得られると思う。
思い切った冒険はできないけど、迷わない分リスクが少ないから、将来も大きく崩れることはないだろうし。
Jackieさんはいろいろできるし身軽だから、迷いも多いんじゃない?
どちらが幸せだったのか、最後までわからないものなんだろうね。
(2002/7/4)