■ラヴ・ユー・フォーエバー
歳に似合わず、私が絵本を買いはじめるきっかけとなった本です。
愛する娘がいながらなかなか会えない、私の現状が影響したのかもしれませんが、立ち読みした書店で最後のページを開いたとき、不覚にも涙が出そうになりました。
「アイ・ラブ・ユーいつまでも アイ・ラブ・ユーどんなときも わたしがいきているかぎり あなたはずっと わたしのあかちゃん」
赤ちゃんを抱いてそう歌っていたお母さんも、やがて年老いて歌えなくなってしまう。
隣町から会いにきた息子は、母親を抱いて歌う。
「アイ・ラブ・ユーいつまでも アイ・ラブ・ユーどんなときも ぼくがいきているかぎり あなたはずっと ぼくのおかあさん」
その夜、自分の家に帰った息子は、生まれたばかりの女の子が眠っている寝室に入って、歌う。
「アイ・ラブ・ユーいつまでも アイ・ラブ・ユーどんなときも ぼくがいきているかぎり おまえはずっと ぼくのあかちゃん」
(2000/3/4)
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■ぼくを探しに
絵も文章も驚くほど単純ですが、その驚きと同じくらい深い内容だと思います。
「何かが足りない。それでぼくは楽しくない。足りないかけらを探しに行く」
体の一部が欠けた丸い形の主人公が、転がりながらじぶんのかけらを探す旅に出る。
なかなかぴったりのかけらが見つからず、見つかったと思ってもかけらに拒否されたり、しっかりはめておかなかったので落としてしまったりする。
きつくくわえすぎたら、壊れてしまった。
そしてついに、自分の欠けた部分にぴったりのかけらと出会う。
「誰かのものになったって、あたしはあたしよ」というかけらをはめてみたら、本当にぴったりだった。
まん丸になった主人公は、今までよりずっと調子よく転がりはじめる。
転がるスピードが早くなったので、「みみずとお話することも、花の香りをかぐことも、ちょうに止まってもらうこともできない」し、かけらがつまっていて「まるくなったと思ったら、今度はちっとも歌えない」
「なるほど、つまりそういうわけだったのか。それでぼくはころがるのをやめて、かけらをそっとおろし、一人ゆっくり転がっていく」
結婚って何だろう…。
私の場合は、この本を読んでそう思いました。
(2000/3/4)
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■ビッグ・オーとの出会い
『ぼくを探しに』の続編です。
今度はかけらの立場からの話。
「かけらはひとりで坐っていた。誰かがやってきて、どこかへ連れていってくれないか、と待ちながら」
しかし、「欠けたところが多すぎるやつ、かけらをむやみにくわえこんでいるやつ、仔細に見すぎるやつ」と、なかなかぴったりの相手にめぐり会えない。
そして「とうとうぴったりのやつにめぐり会った」が、「でも突然、かけらは大きくなりだした!」
相手が言う。
「君が大きくなるなんて、知らなかったよ。ぼくは自分のかけらを探そう。大きくならないのを…」
そう言うと、相手は去っていく。
ある日かけらは、まん丸のビッグ・オーに出会う。
ビッグ・オーはかけらを必要としなかった。
「かけらはひとりじゃころがれないんだ」というかけらに、「やってみたことあるの?」
ビッグ・オーは、かけらに自分で転がっていくように言って去る。
1人になったかけらは、生まれて初めて自分ひとりで転がろうと、不器用に動きはじめる。
やがて少しずつ角が取れて、かけらは丸くなっていく。
「ぼくはころがってるんだ!」
そしてビッグ・オーに追いつき、2人はいっしょに転がっていく…。
『ぼくを探しに』と同じく、この話の意味をどう取るかは、読者それぞれだと思います。
(2000/3/4)
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■いつでも会える
犬のシロは、かわいがってもらっていたみきちゃんが死んでしまって、寂しがって泣いていた。
ある夜、夢の中にみきちゃんが出てくる。
「シロ、シロ。もう、いっしょに、あそべなくなったね。いっしょにごはんもたべられなくなったし、あたまもなでてあげれない。でもね、そばにいるよ。いつでも会える。今もこれからもずっとかわらない」
「とおくて、ちかいとこにいたんだね。まぶたの裏でぼくらは、かわらない。ぼくらは、あの時のまま。ぼくは、シロ。みきちゃんにいつでも会える」
わずかな時間でしたが、先日久しぶりに5歳の娘と面会したとき、このお話を読んであげました。
娘は何を感じてくれたでしょう。
(2000/3/4)
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■君のために できるコト
気のきく「くまおくん」と、口下手「くまこちゃん」の物語。
くまおくんは、くまこちゃんを喜ばせようと、気をきかせて次から次に何かをやってあげようとする。
しかし口下手のくまこちゃんは、喜んでいるはずなのに何も言えない。
「僕がきらいなの? だって、くまこちゃんはなんにも、言わない。それなら、君の前からいなくなってあげる」
「あのね、あのね…」
くまこちゃんは泣きながら、ずっと言いたかった言葉をやっと口にする。
「ずっといっしょにいてくれる?」
「なによりも、僕が君のためにできる、いちばんのコト。あたりまえすぎて、わからなかったよ。ずっと、いっしょにいてあげる」
女性とつき合うと、私もついつい「くまおくん」になって、「くまこちゃん」の気持ちがわからなくなってしまうんですよね(笑)。
(2000/3/4)
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■葉っぱのフレディ
フレディという名の1枚の葉っぱが体験する、生命の誕生と成長、老い、そして新しいいのちのための死。
リストラにあえぐサラリーマンたちの間で静かなブームにもなったという、「自分の力で考えることをはじめた子どもたちと、子どもの心を持った大人たち」のための好著です。
私は、以前と比べて死ぬことが恐くなくなってきています。
娘の中に、私の血と遺伝子が生き続けるという事実によるものでしょうか。
でも、死ぬ瞬間に後悔はすると思います。
まだまだ娘に伝えたいことがいっぱいあるからです。
私が本を出し続けるのも、このホームページを作ったのも、すべてはそのためでしょう。
(2000/3/4)
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■はじめてのおつかい
5歳のみいちゃんが、お母さんに頼まれて、赤ちゃんの牛乳を買いに初めてのおつかいに行くお話。
夜、娘が眠るまでよく読んでやった絵本です。
今も私の部屋に置いてあります。覚えているかな…。
(2000/3/4)