<川の流れを見守る>

「僕は1年目の頃、指導医の先生に2つのことを教わったんです。
 1つ目は「治療とは患者さんを愛すること」。
 2つ目は「川の流れは止めることはできないが、その流れを変えることはできる。それが精神療法だ」です。
 1年目、2年目は、それが驚くほどうまくいったんです。
 自分に合った考え方だと思ったんですよ。
 でも、少しずつ疲労がたまっていって、3年目にうつ病になってしまったんです。
 僕のどこに間違いがあったんでしょうか?」

「1つ目は賛成です。
 しかし、2つ目はちょっとどうかなと思いますね。
 先生、この川を見てくださいよ。
 一人で流れを変えられるわけないでしょう。
 小さなドブ川なら話は別ですが。
 たとえ医者でも無理がありますね。
 強引ですよ。
 そりゃ、病気にもなります。
 僕だったらこう言いますね。
 『川の流れを、そっとそばで見守ってあげる精神療法もある』ってところですかね。
 川は、激しく流れることも枯れそうになることもあるでしょう。
 でも暖かい目で見つめながらどんな時でもずっとそばに居続けるんです。
 それで十分だと僕は思いますよ。
 川の流れるままにですよ」

*****

精神科医がうつ病になった』(泉基樹)より。

著者の若き精神科医は、勤務を始めた年、先輩の指導医に次のように言われる。

「医者の力なんて微力だが、少なくとも『川の流れを止めることはできないが、その流れを変えることはできる』。
 そう信じて俺はこの仕事をしている」

これはいい言葉だと思って、私も自分の読書メモに抜き書きをした。
しかし著者はこの言葉を意識しすぎたあまり、疲労とストレスを蓄積したあげく、うつ病になり休職を余儀なくされる。
いわゆる「名言」はモチベーションを上げるには有効だが、言葉そのものにとらわれると、時として弊害を招く。

著者はその後、リハビリも兼ねて週に1回、デイケアで勤務することになる。
今回の「言葉」は、そこで主任をしていたベテランの看護士と著者のやりとり。
場面は、患者たちと川に遠足に行ったときのことだ。

「川の流れを、そっとそばで見守ってあげる精神療法もある」

著者はこの主任の言葉にハッとなり、
「新しい第一歩を踏み出すためのヒントはこんなところにあった」
と語っている。

単純な話だが、私もまた、この違った視点を新鮮に感じた。
ほんのちょっと前に「川の流れは変えられる」に刺激されたのも忘れ、気づきを得たような気分になっている。
「川の流れに乗る生き方」とか、「流れにとらわれず、上流に原因を求める」、「川に近づかない」など、多角的な見方はいくらでもあるのに。

「ことわざ」は古くからの知恵とされ、世界中に共通の意味を持つものが広がっている。
しかしことわざには、明らかに矛盾する「真理」が多い。

「二度あることは三度ある」と、「三度目の正直」。
「思い立ったが吉日」と、「果報は寝て待て」。
「渡る世間に鬼はなし」と、「人を見たら泥棒と思え」。

この事実こそ、人間や物事には二面性、いや多面性があるということを物語っている。
いかなる名言・箴言・法則も、そのわずか一面しかとらえてはいないのだ。
私が「好きな言葉は?」「座右の銘は?」と聞かれて即答できない理由は、まさにこれである。

さて、この本「精神科がうつになった」(文庫本あり)は、著者の体験談が小説タッチで描かれている。
ありきたりの教科書的なうつ病本と違って、引き込まれて一気に読み通した。
今年のベストテンに入れてもいいかもしれない。

ところが某ネット書店の読者レビューを見ると、やはり最低に近い評価をつけている人が何人かいる。
「甘い」、「ロマンチストのきれいごと」、「うつ病はこんな簡単には治らない」、「この著者は環境に恵まれ過ぎている」。
どれも似たような主張で、重度のうつ病患者かその家族や親戚、著者と同業者のコメントと想像がつく。

この発想のパターンについて、カウンセラーの立場から私の考えを述べたい。

友人の未婚女性が、子どものいる女性に意見を述べたとき、「子どもを産んだ経験もないくせに、偉そうに言う資格はない」と切り捨てられたという。
彼女は「独身女性にもそれなりの苦労や悩みがあるのに、そんなミもフタもないことを言われたら、話合いさえできない」と憤慨していた。
私も彼女の意見に同意した。

日々生徒たちの相談を受けながら、どう客観的に見ても、親や教師が子どもの状態を理解しようとしていないのでは…と感じるケースがある。
「甘えだ、怠けだ、サボりだ」と主張して譲らず、「努力だ、根性だ、気合だ」と叱咤激励するのみで、まったく歩み寄ろうとしない。
「プリクラも携帯もない青春」を過ごしてきた古い大人から、「小学生がブログを持つ現代」のストレスに、自分の価値観を押しつけるのは無理がある。

著書を酷評して溜飲を下げたがる病人や同業者、未婚女性を上から目線で見下す母親、子どもの心の病を認めようとしない(ある意味虐待)親や教師。
もし彼らが、戦争体験者に「戦場で人を殺したこともないくせに、生意気な口をきくな!」と言われたら、何と答えるのだろうか。
極端な話、原始人から「食うために毎日危険な狩りに出る必要もない奴に、不満を言うとは笑止千万!」と言われたとしたら?

今回の内容に関して、大切なことは次の3つである。

(1)「聞こえのいい言葉」に、とらわれすぎるな。
(2)上には上がいる、軽々しく人を見下すな。
(3)上の(1)と(2)を忘れるな。

(2009/12/1)

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