<分かち合った時>
「私は長いこと生きてきて、ようやく幸福のために何が必要かわかった気がする。
それは、田舎で静かな隠遁生活を送り、人々の役に立つことだ。
人に良くすることは簡単だ―親切にされることに慣れていないから、感謝される。
さらに必要なのは、人の役に立ちそうな仕事をすること。
あとは、自然、書物、音楽、隣人を愛すること。
そして何より必要なのは、人生の伴侶と、子どもへの愛だ。
他に何を望むことがあるだろうか」
『家庭の幸福』(トルストイ)
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「イントゥ・ザ・ワイルド(荒野へ)」という、実話を元にした映画がある。
裕福な家庭に育った青年が「自由であること」にこだわり、すべてを捨てて放浪の旅に出る。
ラストシーンで、死を目の前にした彼が、ふるえる手で書き留める。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」
(HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED)
どうせ死んでしまうと思えば、すべては無駄なひまつぶし。
いくら成功して金持ちになったところで、死ねば何の意味もない。
それでも生きる価値があるとしたら、何をすればいいのかなあ、と最近考えていた。
1つだけ、ぼんやりと浮かんできた答えがあった。
それは、「人生は喜ばせ合いごっこ」。
人を喜ばせたら自分も嬉しいし、みんなが幸せになれる。
もう1つがきっと、「分かち合うこと」なんじゃないだろうか。
一人勝ちなんて、孤独感が深まるだけで、何もおもしろいことはない。
人と喜びを分かち合って初めて、幸福が実感できるのが人間だ。
「イントゥ・ザ・ワイルド」の中で、主人公が愛読するトルストイの「家庭の幸福」が引用されていた。
今の私の心境にきわめて近いので、今回の言葉とする。
原文の英語は、次の通り。
I have lived through much, and now I think I have found what is needed for happiness.
A quiet secluded life in the country, with the possibility of being useful to people to whom it is easy to do good, and who are not accustomed to have it done to them; then work which one hopes may be of some use; then rest, nature, books, music, love for one's neighbor.
Such is my idea of happiness.
And then, on the top of all that, you for a mate, and children perhaps.
What more can the heart of man desire?
(2009/9/7)