<人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ>

若い頃からの習慣で、わたしは毎年春ごとに、わたし個人の生活信条を文章にすることにしている。
すなわち、私の<クレド(信条集)>である。

はじめのうちは、これが何ページもにもわたる長いものだった。
生活の根幹にかかわる問題をすべて網羅しなければ気がすまず、何もかもきちんとつじつまを合わせなくてはならないと思いつめていたからだ。

年を重ねるにつれて、わたしの<クレド>は次第に短くなった。
ここ数年来、わたしはこの<クレド>をやさしい言葉で1ページ以内にまとめる決まりにしている。
飾らない単純な言葉にも深い含みがあると、つくづく思う。

あまりにもいろいろなことを頭に詰め込みすぎると、かえって血のめぐりが悪くなる。
すぎたるは及ばざるがごとしで、何でも知っているというのは、何も知らないのと同じことである。
思索の人生も、なかなか楽ではない。

わたしは、充実した人生を送るために必要なことは、すでにあらかた知っているのだということに思い至った。
しかも、それはそんなに難しいことではない。

わたしにはわかっている。
もうずっと前からわかっていた。
なら、わたしはそのわかっているところに従って生きてきたか、となるとこれはまた話は別だけれども…。

人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。
わたしはそこで、何を学んだろうか。

 何でもみんなで分け合うこと。

 ずるをしないこと。

 人をぶたないこと。

 使ったものは必ずもとの所に戻すこと。

 ちらかしたら自分で後片づけをすること。

 人のものに手を出さないこと。

 誰かを傷つけたら、ごめんなさいと言うこと。

 食事の前には手を洗うこと。

 トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。

 焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。

 つり合いの取れた生活をすること―毎日少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。
 毎日必ず昼寝をすること。

 おもてに出る時は車に気をつけ、手をつないで、離れ離れにならないようにすること。

 不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。

この中から、どれなりと項目を1つ取り出して、知識の進んだ大人向けの言葉に置き換えてみるといい。
そして、それを家庭生活や、それぞれの仕事、国の行政、さらには世間一般に当てはめてみれば、きっとそのまま通用する。
明快で、ゆるぎない。

わたしたちみんなが、そう、世界中の人々が、3時のおやつにクッキーを食べてミルクを飲み、ふかふかの毛布にくるまって昼寝ができたら、世の中どんなに暮らしやすいことだろう。
あるいはまた、各国の政府が使ってきたものは必ずもとの所に戻し、ちらかしたら自分で後片づけをすることを基本政策に掲げて、これをきちんと実行したら、世界はどんなに良くなるだろう。
それに、人間はいくつになっても、やはり、おもてに出たら手をつなぎ合って、離れ離れにならないようにするのが一番だ。

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(ロバート・フルガム)より

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The essence of all good strategy is simplicity.
(優れた戦略すべての真髄は、単純さである)
―エリック・アンブラー

「短いことはいいことだ」

フルガムさんがそう気づいたきっかけは、意外にもガソリンスタンドだったそうだ。
自家用のポンコツ車に、誤ってスーパー・デラックス・ハイオク・ガソリンを入れてしまった。
そのため古い車は「消化不良」におちいり、交差点でエンストしたり、下り坂では騒音を発した。

「わたしは、はたと膝をたたいた。
 わたしの頭と心でも、よくこれと同じことが起こっているではないか…」

情報の海で溺れそうになったり、知識を詰め込みすぎて、いざ必要な時に取り出せなくなったり。
多くの人が陥っている状況を考えると、少なくとも「クレド」については、「シンプル・イズ・ベスト」。
たくさんの名言をストックするより、1つの座右の銘を口にするほうが有効なのは明らかだ。

たとえば、ユーモアに対するドイツの厳格な定義。
「にもかかわらず、笑うこと」
この一言をつぶやくかどうかで、眉間にシワを寄せたままか、こわばった顔がふと和らぐかの違いが出てくるだろう。

フルガムさんのような個人的「クレド」も、思考や行動の指針として役に立ちそうだ。
私が今取り組んでいるのは、ちょっと古臭く聞こえるかもしれないが、「家訓」づくり。
最近子どもが生まれたが、私が父親としては年を取っていることもあり、人生の知恵を言葉として残しておこうと思った。

家訓づくりのすすめ」といった本を見ると、歴史上の人々が残した家訓も、短いものから長いものまで実にさまざま。
私は「足るを知る」でシンプルに原理原則をまとめ、想像力と応用力を養う意味でも、文を深読みさせる方向でいる。
「人生に必要な知恵が、すべて幼稚園の砂場にある」のなら、私が生きている間でも十分間に合うと思うのだ。

(2009/8/19)

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