<ナースの法則>

先日、まる一日がかりで大腸内視鏡検査を受けた。
時間が長いので本を5冊持って行ったが、場所が病院だったためか、「ナースの法則200」がいちばん楽しめた。
「看護婦と患者」の関係が、「教師と生徒」のそれに似ているからかもしれない。

(以下、■マークが法則の抜粋、文章は私のコメント)

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法則の正しい読み方は、時間をかけて、気持ちをゆったりもって、斜め読みはせず、一つひとつを消化するように読んでいただくことです。(まえがきより)

 まさにその通り。
 「何気ない一言に真理が宿る」のである。
 「言葉狩り」に夢中になって何千もの言葉を読みあさり、生活に何の変化も起きないのでは本末転倒だ。

 私のビジネス本の読書ポイントは、
 「1 Book, 3 Lesson.」 & 「1 Book, 1 Action.」。
 「1冊の本で3つ学び、1つ行動を起こす」ということで、十分元が取れる!

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■誤薬で問題なのは、薬の内容がビタミンか抗がん剤かではなく、「間違えたという事実」である。

 私たちは、日常の何気ないひとコマの「本質」にもっと意識を向けるべきではないか。
 今とった行動が、表面的には小さなミスに過ぎなかったり、目先のトラブルを避けたとしても、潜在意識的にはどうなのか。

 たとえば運転をしていて、パトカーが見えるとスピードを落とし、使っていた携帯を隠す。
 減点と罰金は逃れても、無意識レベルでは「私はその場しのぎでごまかす、かげひなたのある人間だ」と自分に言い聞かせているようなものだ。
 「一事が万事」よりたちの悪い、「一事が暗示」である。

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■あまり細かいことを気にしない妊婦の、お産の進行は早い。
 同じく医療者の心配を気にせず、マイペースな妊婦のお産も進行が早い。

 案外そんなものかもしれないね。
 みんな、情報の洪水で溺れている。
 溺れないためには、水から遠ざかるか、浅いところで泳ぎを楽しむしかない。

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■患者さんをみる中で、私たちは一種独特の、勘や直感を培っていく―。
 このプロセスは、理論か経験かという議論を越えて、確かに存在するものだと思います。

 あるある、「見えないものを見る」とか「空気を読む」といった、場数を踏んだ者だけが持つ能力。
 いくら「テクニック」だけを学んでも、「感動の言葉」をたくさん知っていても、役に立つことは少ない。
 言葉では説明できない領域だが、それを説明してみせるのがベテランでもある。

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■看護とは、手で見ること。
 「看」の文字は「手」と「目」でできている。
 手で触れることで、わかることもたくさんある。

 まさに「手当て」。
 「百聞は一見にしかず」、さらには「百見は一触にしかず」。
 「100の理屈よりも1の行動」なのだ。

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■自分の親を入院させられない病棟では、働かない。

 教師である私なら、親を「子」、病棟を「学校」に置き換える。
 誇りの持てない職場なら、潔く去るか、誇りの持てる職場にすればよい。
 少なくとも、会社の文句を言いながら給料をもらうな、とは言いたい。

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■病院は、怪しい行為があることを忘れてはならない。
 病院だから患者を裸にしたり、胸や肛門、膣等に触れたり、注射をしたり、手術をしたりできるのだ。

 一般人が同じことをしたら「犯罪」、プロとして責任の重さに気づくこと。
 医者でも教師でも、お互いを「先生」なんて呼ぶ気味の悪い職業は珍しい。
 校則が時代と大きくズレているのには理由があるが、少なくともそれに気づいていること。

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■看護婦は嫁、患者は姑。
 医者は嫁の伴侶のはずなのに、その苦労に最も無理解な夫の役回り。

 「教師は水商売」って、昔先輩教師が言ってた。
 生徒をその気にさせつつ、クレーマーやモンスターペアレントの相手もしないといけないから。
 授業中に落ち着かない生徒を追い回しながら、NHK「プロフェッショナル」風に、「職業、カウボーイ。」とつぶやくこともあったっけ。

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■暴れている患者の前に立ってはいけない、殴られる。
 必ず横から入ること。

 これは実戦から導かれた理論だな。
 格闘技と同じく、相手の死角から「見えないパンチ&キック」で攻撃すること。
 あ、ナースは攻撃まではしなくていいのか(笑)。

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■大声を出す人に平伏し、小声の人に尊大にならぬこと。

 同感、教師も生徒も誰でも、相手によって態度を変えるのは卑怯だ。
 コワモテな人は、それで相手がビビることを学習したから、戦略としてそうしているのだ。
 そんな単純な手に乗るもんか、それより立場の弱い人にやさしく接すること。

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■医者より看護婦、看護婦より看護助手、助手より事務。
 患者が言いたいことが言える順番。
 患者は医師の前ではいい子になって、大人しくなる。
 決して本性を現さない。

 逆に言えば、本音や苦情を聞かされていちばん悩まされるのが事務、そうでないのが医師か。
 学校では、暗い話ばかり聞くカウンセラー、次が生徒に手を焼く教師、実態を知らぬは親ばかり?
 いや、やっぱり親が大変かな…。
 いちばん「大変」だけど、いちばん「大切」な人。

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■百の言葉より、うなずいて聞いてくれたことのほうが心に残る。

 「入院患者の多くは、毎日部屋の掃除をしてくれる職員に、本当の気持ちを打ち明ける」。
 「ただそこにいることが必要なときがある」
 要は口先よりも姿勢、内容よりも回数と時間だな。
 ただし潜在意識的には、たとえ家族と過ごす時間が少なくても、その分深く思えば伝わるらしい。

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■「医師と看護婦は車の両輪」などという、甘い言葉に騙されるな。
 「両者には歴然とした違いがある」という認識から出発せよ。

 「役づくりのためなら何でもしろ!」が、ハリウッド映画俳優の合言葉だそうだ。
 とりあえず演じる、中途半端な演技で終わる、もう一度やり直せたら違う風にする…すべてブー。
 人生という舞台で、自分が演じる役割に「成り切る」努力に徹すること。

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■医師は、たとえ新卒でも医師である。

 「ナースが医師をけなせば、患者も馬鹿にする」。
 言葉を変えると、「親が教師をけなせば、子どもも馬鹿にする」。
 その結果、子どもへの教育効果が得られず、結局は自分たちが損することに気づかない。
 それが「クレーマー」と「モンスターペアレント」(自分でそう思っていないから重症)。

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■医者はハレの仕事、看護婦はケの仕事。

 「ハレ」は表立って晴れがましいこと、「ケ」はその反対。
 愚痴を言えば、カウンセラーも「ケ」、人の裏の暗い部分を扱う仕事。
 「しんどいことも多いが、それだけ人間の本質を見つめることができる」。

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■白衣を脱いだら真の自分に戻れ。
 遊ぶときは遊ぶこと。
 白衣を脱いでもはめを外せないとストレスの原因にも。

 実はこのシンプルな法則が、個人的にいちばん胸にきた言葉。
 考え方はひとそれぞれだが、私は今まで長期休みを英語教師やカウンセラーとしての「研修」と位置づけてきた。
 気分一新できない失敗をくり返してきたので、これから1ヶ月の夏休みは、思い切って仕事を離れようと思う。

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■患者が悪い場合もある。
 あまり自分を責めないこと。

■患者は若くてやさしい看護婦に甘え、こわいベテランに採血をしてもらいたがる。
 患者さんは、やはりしたたかである。

■(新人に)やって見せ、言って聞かせてマニュアル見せても覚えない。

 この「患者」や「新人」を生徒に置き換えて、思わずひざを打つ教師が多いのではないか。
 生徒に限らず、厳しい人にはおとなしく従い、やさしい人の前では無秩序に騒ぐのが人間のずるさ。
 「だから最初に厳しくしろ」「ナメられたら終わり」と教わったがが、教育が性悪説のままで果たしていいのかなあ。

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■「今日一日、看護婦であった」といえる仕事を一つしなさい。
 忙しさに流されていると、「忙しかった」以外何も残らない。

 これは、自問自答に限る。
 「今日一日、教師(カウンセラー)であったといえる仕事を一つしたか?」
 「夫(妻)」「父(母)親」など、「○○であった」に入るのは何でもいいだろう。

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■「患者にやさしくせねば」と、尽くしてばかりの生活に自分を見失っている人。
 もっと自分を大切に。

 はい、反省してます。
 「愛情を注ぐ」「大切に扱う」「話を聴く」「許す」ことが大切…。
 「他人に」と早とちりした人は要注意、これらすべては「自分に対して」の話です。

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■看護目標を立てる前に、自分自身の人生目標を。

 「何をするか」ではなく、「なぜするか」。
 ついでに言うなら、「どんな気持ちでするか」。
 命(=時間)を費やすなら、そもそも何のために?の「そもそも論」に戻ること。

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■「後悔を生まない選択はない」。
 そのことを話すだけで、ほっとする家族もいる。

 人生なんて、毎日ロクなことが起きやしない。
 そう最初に思い定めておけば、何も起きなければ「御の字」、まかり間違って良い事があれば「有り難い」。
 これがマイナス思考の有効な活用法、プラス思考は、この時代に即さない。

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■「自分だったら」と投影しているうちは、本当の相手は見えてこない。
 「その人だったら」と考えることである。

 相談に乗るのが好きな人は、他の何十人分もの人生の問題を抱え込んで、苦しむことになる。
 必要があってその人に起きた問題を、別世界の自分が解決しようなど、傲慢の極み。
 自分の問題だって、その人が解決してくれるわけではないでしょう。

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■世の中の多くのことは、「好き嫌い」で決まる。
 理屈ではない。

 同感、人間は「感情の動物」であり、「理性の動物」とは呼ばれない。
 「感情」と「勘定」で動く。
 であるなら、こっちだって好き嫌いで決めようぜ!

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■嫌なことから逃げ出さない。
 そのままでは、いつまでたっても解決しない。

 そうかなあ?
 自然界の動物で、生存の必要があってやむを得ない場合を除いて、逃げない動物なんていないけど。
 意外と、ひたすら逃げて逃げて、生き延びるのが正しい生き方なんじゃないかなあ、なんて最近思う。

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■患者には、わがままを言う「権利」がある。
 でも、それをすべて許す「義務」は誰にもない。

 「義務」であれば、「果たさない」なら「マイナス」、「果たす」ことでやっと「ゼロ」。
 そこには「プラス」が存在せず、これを「悪魔の数学」という。
 「義務」でなければ、自分からやってあげることはすべてプラスだから、「神の数学」。

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■誰も悪くなくても、人は死ぬ。

 人間は生まれた瞬間から、死に向かって生き始める。
 病気だろうが事故だろうが自殺だろうが、すべての死は等しく「寿命」なのかもしれない。
 何をしても死ぬときは死ぬし、死なないときは死なないのだから、命は天に預けるというのはどうか。

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■年々、許せないことが増える。
 でも、あきらめられることも増える。

 年をとることの、最大のメリット。
 たぶんいい意味で、「どっちでも・何でも・どうでも」よくなってくる。
 特に願うこともない神社参りの、なんと気楽なことよ。

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■看護の仕事から受ける最大の報酬は、自分自身の「人生哲学」を持つことができるようになるということです。

 人間が語る以上、「100%は仮説」に過ぎない。
 ならば、自分だけのミクロコズム(小宇宙)を心の中に創造し、現実の中で「人生哲学」を持つしかない。
 デジタルだらけの世の中、「考える」ことだけは、絶対的に「アナログ」なのだ。

(2009/7/30)

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