<なぜ「トラック」が必要なのか?>
あのトラックはどうしてこの世に存在するかわかるかい?
大きなものを運べればいいなぁという思いが先で、そのために必要なものが作り出された。
それがトラック。
先にトラックが作られて、後からこれって何に使えるかなぁって考えたわけではない。
つまり、「大きなものを運びたい」と思っている人には必要かもしれないけど、そういう願望を持っていない人にとっては必要ない。
大切なのはその思いじゃろ。
ところが多くの人は、その思いがない。
思いはないけどトラックを欲しがる。
持っている人のほうがなんとなく幸せそうに見える。
そこで頑張って手に入れようとする。
ところが実際に手に入れてみてから気づく。
これ、手に入れたはいいけど、何に使おう。
維持費だけでも大変だぞってな具合に。
「トラック」が「お金」に変わったところでまったく同じなんだよ。
おまえさんが、自らの生きる目的をしっかり持ったとき、手に入るものすべてはそれを実現するために必要な道具となる。
その道具を手に入れたときに不安を感じることなどはない。
それがどれだけ大きな物であれ、多額のお金であれ、不安とは無縁になれる。
手に入ったことに感謝することはあれ、不安に駆られることはない。
おまえさんが考えなければならないのは、どうやってお金を儲けるかではない。
どうしてお金を儲けなければならないのかなんじゃよ。
『「福」に憑かれた男』(喜多川泰)より
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先日の英会話の授業で、こんなフレーズが出てきた。
If you had $1,000,000, what would you buy?
(もしあなたが100万ドル=一億円持っていたら、何を買いますか)
外国人講師が、“Mr.Nakamoto, how about you?”とふってくる。
ここはそうシリアスに考えず、生徒のために、適当な例になるよう答えればよい。
“Well, if I had $1,000,000, I would buy an island.”
(そうですね、もし私が100万ドル持っていたら、島を買うでしょう)
でも私は別に、島なんて欲しいとは思わない。
家でも別荘でもそうだが、維持費のかかるものを「所有」するのがおっくうなのだ。
たまにカオハガンやグアムに遊びに行ければ十分。
そこで、ふと思った。
「一億円は欲しいけど、もし一億円が手に入っても、買いたい物がない」
ということは、私には本当の意味で、「一億円」は必要ないということだ。
30歳前後の私は、たかが小市民レベルではあるが、人生のバブル期だった。
お金も物も十分にあり、本を出版し、道場を持ち、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌に次々に取材を受けた。
ただ、足りないのは時間だった。
離婚をしたことで、その「時間」まで、あり余るほど目の前に提供された。
しかし、あれほど望んだ「成功」に、何の魅力も感じなくなった。
確かに欲しかったものを手に入れたのに、何だ、この虚しさは?
生徒たちに夢を聞くと、「○○(職業名)になることです」と、口をそろえて言う。
夢があるのはいいことだが、「なること」やをゴールに置いてしまうと、必ず行きづまってしまう。
「なって、それからどうするの?」、その先が大事なのだ。
私たち夫婦の結婚披露宴をプロデュースしてくれた、フリーのウエディングプランナー、さいたみつこさん。
彼女の楽しそうな仕事ぶりを見ていると、「なること」で終わらず、「なってどうしたいのか」がいかに大切かがわかる。
さいたさんが手がけているのは、「結婚式」の仕事ではなくて、「幸せづくり」なのだと思う。
かつての愚かだった私のように、ただ漠然と「成功」を夢見る危険性は、上の言葉の中にある。
「自分の人生を使って、何をしたいのか?」
この問いには、まだ元気なうちに真剣に向き合い、時間をかけて「本物の答え」を出す必要がある。
私が以前から自戒を込めて警告し続けている、「成功おたく」「幸せ依存症」「情報メタボ」。
なぜ彼らが次々と「教祖」を変え、セミナーをはしごし、ネットサーフィンに夢中になるのか。
そして、どんなにお金と時間をつぎ込んでも、心の平安が得られないのか。
その答えが、上の文章である。
「なんとなくトラックが欲しいなあ」という、主体性のない、幼稚な憧れはもう捨てよう。
自分にはこういう「思い」があって、そのたに必要十分なのは何々だ、という発想にシフトチェンジしよう。
(2009/1/25)