<喫茶店の言葉 その2>

> 法然上人というのは大切なことを「易しく」教えた方だなという感じがするのです。
> そして親鸞聖人は法然上人が易しく教えられたことを「深く」極められ、また蓮如上人はその深いことを「広く」伝えようとされた。
> こういう、「易しく」「深く」「広く」という3つのお仕事をなさったお三人を大きな関心を持って眺めてきたのです。
> 私は松原先生のお仕事を遠くから拝見させていただいて、「易しく」「深く」「広く」の3つの他にもう一つ、「長く」というのをおやりになっているなと敬服しておりました。


「松原先生」とは、たぶん龍源寺の前住職、100歳を越えた松原泰道さんのことだろう。
大切なことを「易しく」、易しいことを「深く」、深いことを「広く」、広いことを「長く」。
何かを人々に伝えるときの、大事なキーワードだ。

「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」と言ったのは、作家の井上ひさしさん。
「明るい話は深く、重い話は軽く」は、永六輔さん。
「小さいことを大きく、大きいことを小さく」は、東国原知事の頑張りを認めたくない人たち(笑)。

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> 1つだけいえるのは、介護に「ありがとう」という相手からの言葉を求めてはいけません。
> 介護される側の立場も苦しい。
> 自分で何もできないというのは、一番辛いことでしょう。
> 仏教では、人に何かを施すことを布施といいますが、本来は「布施行」という行の一つなのです。
> それは、自分のためにする行為であって、相手から感謝を期待するのは間違いです。


年末に読んだインパクトある本の1冊が、玄侑宗久さんの「無功徳」。
「〜してやったのに」と、見返りを求める心が、恩着せがましさと不機嫌を生む。
「功徳」など最初から求めない、回りまわって「ご利益(りやく)」でもあれば「有難い」、くらいで軽くいきたい。

ボランティアをやっている人から、こんな話を聞いたことがある。
「最初はみんな感謝してくれるけど、そのうち慣れて、世話をしてもらって当然のような顔をされる」
それでいいではないか、自分のための「ボランティア行」なのだから。

以前「私はこんな慈善活動をしています」などと書いた記憶があるが、今思えば恥ずべきことだ。
すでに相手に喜んでもらって、自分も豊かさを感じさせてもらったのに、さらに人に知らせるとは…。
「いかにもエコ志向」みたいなアピールも苦手だ、そんなの当然のたしなみなんだから。

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> ばんそうこうの方言、「リバテープ」。
> その語源は、熊本にあるのです。
> 昭和35年創業の、その名も「リバテープ製薬」。
> いまでも同名のばんそうこうを販売しています。
> その一商品が広まるうちに、やがてばんそうこうそのものを指すようになり…。
> だから熊本、および九州内ではほぼ通じると思って大丈夫です。


そうだったんだ。
地方にしかないものを、全国で通じると思って恥をかいたことは多い。
大阪の喫茶店で「しろくま」を注文してアゼンとされたが、向こうは「アザラシ」とか「シマウマ」なんて言われたくらいの衝撃だったろうな。

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> 「生活のシフトチェンジは、速やかにパワフルに行うべきです。
> 大きな変化は一気にやらなければ、なかなかできません。
> ダイエットに何年もかけていては、やせられないのと同じです」
> 高城さんの理想は、スーツケース4つ分の持ち物での暮らしだ。

> さらに、沖縄でのパーティ体験が高城さんの考え方を決定的に変えさせた。
> 「パーティーといっても、砂浜宴会です。
> 海辺で音楽を聴いて、ビールを飲んで、野宿。
> それがすごく楽しくて、気持ちよくてね。


これはたしか、服や本のコレクターとして有名な人の話だったと思う。
思うところあって膨大な荷物を処分し、身軽な生活に切り替えたそうだ。
私も経験したが、まるでメタボの体から、脂肪がスッキリなくなったような爽快感だった。

高城さんは、砂浜の宴会以来、長年悩まされてきた肩こりが不思議なくらい消えたという。
機械にマッサージさせるより、川沿いの散歩のほうが体調が良くなる。
幸せは人工的な建物の中ではなく、自然とのふれあいの中にあるのだ。

私の同僚のオーストラリア人は、休日は外に出てサーフィンをしたり、サーフボードを磨いたり。
英会話を教えている平日とは、まったく違う時の流れを持っている。
家でごろ寝をして、ボーッとした顔で出勤した私の隣で、いつもスッキリした月曜日を迎えている。

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> 女性にわかってもらう必要はありませんよ。
> ハタからみておかしいこと、理解しがたいことをやるからこそ、男のロマンなんです。
> ただ、僕も父親になり、40歳を超えたということで、健康づくりの目的に新しい要素が加わったことも確かですね。
> 双子の娘たちは今3歳ですが、せめて20歳になるまでは、この体を持たせないと、と思うようになった。
> ですから、ロマンとはほど遠いのですが、「長持ちする体」も一応目指しています。


これは、長嶋一茂さんのインタビュー記事から。
格闘技好きな彼の「男のロマン」は、「人を一撃で倒せる肉体をつくること」。
野球選手を引退後は、私もやっていた極真空手に入門し、今でも体を鍛え続けている。

後半が共感できるね(笑)。
私ももうすぐ45、今年子どもが生まれても、二十歳になる頃はすでにじーちゃんである。
還暦なんかとっくに過ぎて、古稀を迎えようとするところではないか。

服を脱いで、自分でガッカリするような体にだけはなりたくない。
「ナルシスト」と負け惜しみで言われることにめげず、キチッと体を仕上げている人がやはり好きだ。
でもこれからは、私も「長持ちする体」づくりを真剣に考えなければ。

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> 北折「おいしいものを食べると、脳内βエンドルフィンが分泌されます。
> このβエンドルフィンは喜びの感情でも出るので、出るきっかけを、“食べること”から“グラフを見ること”に置き換えていく。
> それがこのダイエットなんです。
> グラフをつけ続けてて、何かの拍子に1kg増えちゃったとしますよね。
> もったいない!と思うんです。
> で、食べる量を減らした翌日、下がってると、やったぜ!と、
> βエンドルフィンが出るんでしょうね。
> 我慢とか努力でないから、超楽なんです」


これはたしか、NHK「ためしてガッテン」で紹介された、記録するだけの「死なないぞダイエット」の著者、北折一さんかな。
小遣い帳さえつけられない私には「レコーディング・ダイエット」なんて絶対無理だが、同じβエンドルフィンを出すなら、他のやり方もあるよ、というところがいい。
自分に合ったやり方さえ見つければ、苦労は苦労と認識されず、成功はオートマチックなのだから。

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> 桑田「野球というのはいろんな可能性のあるスポーツです。
> たとえば、どんなに打てなくても、守備が下手でも、走るのが遅くても、「ボールを投げたらすごい」という選手は、それだけでスーパースターになれます。


野球音痴の私は、甲子園やプロ野球を見ていてビックリしたことがある。
次々と三振を取るピッチャーが、バッターボックスに立ったとたん、ろくに打てない平凡な選手になる。
しかも、それが当然のように受け入れられている事実。

考えてみたら総合格闘技でもそうで、打撃・投げ・締め・関節技と、すべてがトップレベルの選手はいない。
たとえば自分の得意な打撃をベースに、寝技は仕掛けられた時に対応できるような練習をする。
それだけプロの世界の一分野は深く、アマチュアとの差は絶望的なのである。

桑田真澄さん的な見方をすると、たしかにそのことは可能性につながる。
何もかもできる必要はない、1つだけでも極めれば、プロとしてやっていける。
教育の世界で言われる、「短所を直すより、長所を伸ばせ」とは、まさにこのことである。

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> 日原さんの摂取カロリーは、1日1300キロカロリー(成人男性の標準が2000〜2500キロカロリー)。
> 朝は野菜や果物のジュースにオリーブオイルをテーブルスプーン1杯注いだものと、コップ1杯の牛乳、コーヒーに粉末状の大豆レシチンを混ぜたものを飲む。
> 昼は、コップ1杯の牛乳と、クッキーを2〜3枚。


いわずと知れた、聖路加国際病院院長の日野原重明さん。
成長期の子どもや活動量の多い若者はともかく、基礎代謝量が低くなる中年以降は、そう多くのカロリー摂取は必要ない。
運動量も減るのに食生活は変わらない、そんなオジサンやオバサンがメタボになるのは当然である。

さらに考えたいのが、「情報メタボ」である。
インターネットでやたらと情報は仕入れているが、実生活に何の役にも立っていない人が多い。
情報メタボには情報ダイエットしかない、人生の残り時間を何に使うのか、真剣に考えよう。

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> 一つ目の命が、“人生”、
> 二つ目の命が、“思い出”、
> 三つ目の命は…“魂”です。
> “心のDNA”と言ってもいいかもしれません。
> たとえばこうやって桜を楽しく囲む心…
> お互いのためにお弁当を作り合い、おいしくいただく心…
> そういう心のDNAは、百年後の松下先生を知らない人たちにも、世代を超えていつまでも受け継がれていくもの。


マンガ「玄米せんせいのお弁当箱」より。
よく言われる「2つの死」(肉体的な死・人々の記憶から消える死)を連想する。
3つ目の「心のDNA」が続いていくとすれば、たとえ存在していたことを忘れ去られたとしても、「永遠に生きられる」といえるのではないだろうか。

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> ここには良い草も悪い草も 一緒に生えます
> 良い草が 悪い草に 負けてしまうこともあります
> それでも悪い草だけを 刈り取ることはしません
> 収穫の神様が 良い実と悪い実を 分けるのです


最後を飾るのは、この言葉だ。
実はこれだけは、「喫茶店の言葉」ではなく、ある中学校のトイレに貼ってあったもの。
あまりの深さに、思わず携帯で写真を撮った。

(2009/1/15)

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