<喫茶店の言葉 その1>

自他ともに認める、喫茶店のモーニング好きである。
コーヒーとトースト、スクランブルエッグとサラダ。
学生時代から20年以上、休日の朝は喫茶店にいる。

一人でボーッと過ごすひとときが、一週間という生活の単位を、うまくリセットしてくれる。
朝早くからやっていて、適度に放っておいてくれる店がいい(禁煙なら最高なのだが…どなたか情報を)。
平日はテレビや雑誌を見ないので、世間的な情報に触れる唯一の場でもある。

週刊誌などを読んでいて、ピンときた文章やキーワードをメモする。
携帯メールで自分のパソコンに送ったり、面倒なときは写メールにすることも。
出典が定かでないが(問題があればご連絡ください)、去年集めた中から、コメントをつけていくつか紹介します。

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> 「身分を隠して、一日をお過ごしになられるとしたら、どこで何をなさりたいですか。」
> 2007年、ヨーロッパ訪問前の記者会見で問われて、美智子皇后はこう答えられた。
> 「学生の頃に通った神田や神保町の本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて立ち読みをしたいと思います」


「そんなことくらい、いつだってできる」、自分の自由に祝杯を上げたい。
いつも思うのだが、どの分野であれ、有名人にだけはなりたくない。
いつも人の目を意識して、どれだけ不便を感じることだろうか。

ビル・ゲイツさんが、「今いちばん欲しいのものは?」と問われて一言。
「プライバシー」。
世界一のお金持ちでも買えないものを、私たちは、あふれるほど手にしている。

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> 俵「結婚は仕組みというか制度であって、恋愛というのは気持ちの問題ですからね。
> ときめきを持つということとは、バッティングしないと思います」

> 弘兼「心がときめくようなことというのは、NK細胞という免疫細胞を活性化させて免疫力を高めることが医学的にも証明されています。
> そういう意味では、もう50過ぎた、60を過ぎたということで『恋なんかしちゃいけない』と自己規制をして生きるより、『あの人、感じいいな』、『話してみたいな』というような『心の不倫』とでも呼ぶべき感情を持っていたほうが、心身ともに健康だともいえます。


歌人の俵万智さんと、マンガ家の弘兼憲史さんの対談より。
ご説ごもっともであるが、「枯れない老人」というのもどうかね、と最近思うようになった。
「アンチエイジング」もいいけれど、もっと自然な「ハッピーエイジング」のほうが安心して見ていられる。

武道の世界でも、「年を取っても強い」と主張する流派がある。
しかしお年を召した「達人」が、たとえばK-1に出ても、数秒で失神KOされるのは必至である。
そもそも老人を相手に、本気で闘おうなどと考える若者はいないわけで…。

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> 王座に君臨した期間はわずか100日足らずと短かったが、藤原は自らの名前をムエタイ史に深く、濃く刻んでみせた。
> 岩手から上京し、牛乳配達をしながら世界最強の夢を追い続けてきた。
> 恋も遊びも封印し、己の信じる道を脇目も振らずに突っ走ってきた。
> だから、後になってこう言えるのである。
> 「あの試合(モンサワン戦)はオレの宝物だよ」
> 青春は愚直に生きたほうがいい。


日本人で初めて、ムエタイ(タイ式ボクシング)のチャンピオンとなった、藤原敏男さん。
「人生の一時期を輝かせて、その思い出を胸に現役を退き、後進に道を譲り、やがて老いてゆく」
ここでもまた、「その生き方のどこが悪いの?」と、居直りたくなる。

引退した途端にブクブク太り、活躍していた頃の面影もなくなる、スポーツ選手や格闘家。
ちょっとくらい節制したらいいのに、くらいは思う。
しかし島村洋子さんの本「品格バカが多すぎる 」に、次のような文章があって、なるほどなと思った。

「沢田研二は太ってしまった。
 その太りっぷりが育ちが良さげで、鷹揚で素敵だ。
 郷ひろみが往年の自分を維持するために必死でがんばっているのと比べても、ずっとかっこいい」

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> 僕は父親と息子って二本のレールみたいなもんだと思うのね。
> ずーっと接点はない。
> でも、釧路湿原なんかで日本の線路が寄り添ってスーッと延びてるときれいじゃない。
> あれが親子の理想型のような気がする。


プロゴルファーの中嶋常幸さんの言葉。
一芸に秀でた人は、いいことを言うなあ、とメモ。

> そのあたりでやっと、自分が(死を前にした病床の)親父に「ごめんな」って言った意味がわかったんです。
> 親父は親父で一生懸命生きて、不器用だったけど親父なりの方法で自分を愛してくれていた。
> でも、僕は親父を愛さなかった。
> 「愛せなかった」のは不幸なことだけど、「愛さなかった」のは罪なんです。
> その罪をどっかで感じていたから「ごめんな」という言葉になったんだ、と。


これも中嶋さん、深い。
自分はあの人を「愛せなかった」のか、「愛さなかった」のか…?

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> (野茂がメジャー初マウンドに立った1995年5月2日、サンフランシスコ。
> スタンドに詰め掛けた多くの日系人の中に、第二次世界大戦中、収容所に抑留された日本人たちがいた。
> 年老いた彼らは野茂が三振をとるたびに涙を流す。)

> 「自分たちは野球が好きだった。
> でも、『日本人は野球なんかできっこないだろ』と言われ、収容所では球拾いをさせられた。
> いま、野茂がその鬱憤を晴らしてくれている」


> 彼らが打ち振る日の丸は本当に美しかったが、この話を野茂にした際に、彼が返した言葉が奮っていた。
> 「その話はとても嬉しいけど、僕は野球人です。
>  『なに人』として野球をやっているわけじゃない」


今でも、先陣を切った野茂さんが、いちばん偉かったと思っている。
イチローさんや松井さんよりも、ずっと。
日本人ピッチャーに熱狂するアメリカ人を見て、「日本人はすごいんです!」なんて喜んでた自分、ちっちゃかった。

> 9年前の春、野茂と電話で交わした会話をよく覚えている。
> 野茂はそのとき、メッツを解雇され、カブスの3Aでプレーしていた。
> もしや落ち込んでいるのでは、と心配してかけた電話だったが、彼の第一声は明るかった。
> 「いやあ、いい景色ですよ。感動的ですよ」
> 聞くと、遠征先のソルトレイクで、初めて雪山をバックに投げたのだという。
> 彼は人生を、そして野球を愉しんでいる―――。
> 私は正直、少し羨ましく思った。


「何をやるかではなく、どんな気持ちでやるか」
「どこに行くかではなく、誰と行くのか」
そんな言葉を思い出した。

何よりも大切なのは、自分がそれを愉しんでやるということ。
出世もお金も、あとから結果としてついてくるものでしょう。
それ自体を目的にしてしまったら、あんまりおもしろくないんじゃないかな。

時効ということで書くが、私の出た学校の事務室の愛想の悪さは、地元では有名だった(今は変わったらしい)。
自分の仕事を「価値の低いもの」と、勝手な「我」で差別していないだろうか。
どうせやるなら、上機嫌でやろうよ。

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> 「休む勇気」も大事なポイントだった。
> これまで試合直前の調整時期も恐怖から逃れるため、がむしゃらに体を動かした。
> 野木トレーナーからは「休みの日に練習するのは、サボるのと一緒」とオーバーワークをたしなめられた。
> 今回は休む時はしっかり休んで、本番に備えた。


ボクシングWBC世界フライ級王者、内藤大助さんの、前回の世界戦前の様子について。
ウエイト・トレーニングをするとわかるが、鍛えた部分が回復するまで待たないと、かえって筋肉が発達しなくなる。
がむしゃらに頑張るといえば聞こえはいいが、単なる無茶で周りに迷惑をかけてはならない。

「休むのも仕事のうち、特にカウンセラーとしては、人並み以上の心身の健康管理を」
そう心していたにもかかわらず、現実にふり回されて、オーバーヒートになってしまったのが昨年のこと。
今年からは、家族のためにも「無理しない」。

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> 「最初は怖くてしょうがなかった。
> でも、ぼくたちの仕事は電柱に昇るんじゃなくて、昇ってから上で作業すること。
> だから怖がってなんていられないんです」
> まだ幼さの残る19才のKさんはそういって、また電柱に昇っていく。
> 昇り終えた彼の顔つきは、責任を背負ったひとりの大人のそれに変わっている。


「私のやるべきことは△△するんじゃなくて、△△したあとに○○すること」
このように表現できることは、意外と多いのではないだろうか。
○○することが本来の目的であって、△△は通過点に過ぎない、というように。

今、3年生たちが大学入試を目の前にして、緊張した表情で過ごしている。
「がんばれ」と応援するしかないが、言うまでもなく、大学合格が終着点であってはならない。
もちろん、仮に不合格になっても、くさる必要はない。

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「その2」に続く

(2009/1/15)

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