<しみじみ教>
 
しみじみ教の教祖は しみじみしている
いつでもどこでも しみじみしている
とってもうれしいことがあると
「とってもうれしいなあ」と しみじみしている
たまらなくつらいことがあると
「たまらなくつらいなあ」と しみじみしている

しみじみ教の教えは「常にしみじみすべし」これだけ
朝目ざめて新たな一日のはじまりに しみじみ
夜寝る前に過ぎし一日を思って しみじみ
春夏秋冬今生かされていることに しみじみ
重い病を患っても 老いて体が動かなくなっても
たとえ死の床にあっても「しみじみすべし」それだけ

しみじみ教の教祖は 何の役にも立たない
朝から庭のもみじを眺め しみじみお茶を飲んでいるだけ
悩める人の話を聞いても何も言えず  何もできず
ま どうぞ一服とお茶をいれてるだけの自分に しみじみ
かえって相手になぐさめられたりしてますます しみじみ
もみじ散るこの惑星の小春日和の一期一会に しみじみ

しみじみ教はそれでも いやな思いをしたときに役に立つ
とってもいやな人に出会ったときも
「ああとってもいやな人だ」と しみじみしてればいい
さらにとってもとってもとってもいやな人に出会っても
「いやあほれぼれするほどいやな人だ」と しみじみ
しみじみしているうちに ちょっぴりほれてきたりして

しみじみ教には教団も儀礼も戒律もない
もちろん献金もない(そもそもだれも教祖を知らない)
でも しみじみ教の教徒になるのは至って簡単
ひとりしみじみ お茶をすすればいいだけ
しみじみ教は集会を開かない(そもそもお互いを知らない)
この空の下のどこかに仲間がと 互いにしみじみ想うだけ

しみじみ教徒はそれでも ばったり出会ったりする
お互い 妙にしみじみしているからすぐわかる
「もしかしてあなたも」と しみじみ
「いやあいるもんですな」と しみじみ
しみじみするばかりで会話は弾まないけれど
お互い喜びも悲しみも察しあって しみじみ

しみじみ教徒はばかにされても しみじみしている
損してもだまされても しみじみしている
ひどく裏切られても「人生だなあ」と しみじみ
みんなに見捨てられた人と「人生だねえ」と しみじみ
しみじみ教徒が増えると つまらぬ争いが減り
しみじみ教がはやれば 世界はのんびり平和になるかも

しみじみ教の教祖は今日も しみじみしている
しみじみ教徒のことを案じて しみじみしている
きっといろいろつらいであろうなあと しみじみ
なんとか耐えて 生きのびておくれと しみじみ
みな 苦しいときこそ一層しみじみ道に励んで
しみじみお茶を飲むんだよと しみじみしている

しみじみ教の教祖は しかし夢見ている
いつの日か しみじみとこの世の生を終え
みな共にあの世に生まれ出たあかつきには
初のしみじみ大祭をしみじみ開いて しみじみ集い
「いろいろあったけれど いい人生だったねえ」と
みんなで しみじみしみじみお茶を飲む日を

しみじみ合掌

だいじょうぶだよ 』(晴佐久昌英/女子パウロ会)より

*****

日々、不登校の生徒や、相談室までは来ても教室には行けない生徒の保護者から相談を受ける。
来室されるのはほとんどがお母さんで、朝ベッドから出てこない子どもに悩んでいる。
「高望みはしない。ただ普通に学校に通ってくれさえすれば…」、みなさんそう言われる。

目の前で苦しんでいる人を見ると、問題を解決してあげたい、何か手助けをしたいと思うのが人情というもの。
しかし一般的に、カウンセラーは意見も述べないし、具体的なアドバイスもしない(私には例外が多いが…)。
ただその人の感情に寄り添い、ありのままを受け入れ、話を聞きながら本人の心の整理をサポートするだけだ。

その問題は、「今その人に必要だからこそ起きた」とも考えられる。
カウンセラー自身の問題ではないので、あくまでも客観的に、来談者が第一歩を踏み出すお手伝いに徹する。
こう書きながらも、この一見クールな立場を受け入れられるようになるまでの、居心地の悪さを思い出す。

「他人事だからそんな簡単に言えるんだ」、自分が悩んでいた頃は、相談相手にいつもそう言いたくなった。
しかし今考えると、「他人事」だからこそカウンセリングが成り立つわけだ。
相手と一緒に悩み苦しんで、胃が痛くなって白髪が増えるようなカウンセラーを、誰が信頼できるだろうか。

人は誰も、自分で自分の体を持ち上げることなどできない。
しかし多少の力があれば、他人の体を持ち上がることはできるのだ。
「他人」であるカウンセラーが必要な理由は、ここにある。

「ただ普通に学校に通ってくれさえすれば…」
ため息まじりにつぶやく母親に同情しながらも、不謹慎ではあるが、心のどこかでうらやましく感じる部分があった。
10年以上子どもと離れている私には、そうやって悩むことすら許されなかったからだ。

娘が生まれる前、私は世の多くの親たちと同じく、「健康であることだけ」を願っていた。
3歳というかわいい盛りに会えなくなり、次第に健康以上を望み始める贅沢な変化を知らぬまま、今日に至っている。
だから不登校で悩んでいるお母さんたちにも、なんとかして、あの頃の気持ちを思い出してほしい。

これから子どもに恵まれるのなら、ぜひその成長過程で、あれこれ悩んでみたい。
学校で悪いことをした時には、喜んで出向いて先生に頭を下げよう。
もし不登校になったら、子どもと一緒にとことん苦しもう。

「そんなことを言えるのは、まだ経験していないからだ」
その通り、私もいずれきっと、そう言いたくなるだろう。
だからこそ、今の気持ちを忘れないように、「他人事」である「カウンセラー」の気持ちを書き綴っておくのだ。

上の「しみじみ教」は、もう長い間、心が疲れたときに読み返している詩。
子育てに限らず、良いことだけを歓迎し、悪いことを忌み嫌うのではなく、どちらも「しみじみ」味わいたい。
それこそが、放っておいても必ずいろいろある人生を、愛する者の態度だと思うのだ。

(2009/1/10)

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