<プラス思考から「プラス志向」へ>
「私の場合は、(教育者として)悪い影響も与えていますが、
それよりも良い影響を与えてるほうが多いと信じています。
ですから、結果的には良い教育者だと思っています」
「その人の置かれている立場や職業により多少の差はありますが、
悪い点と良い点とで、良い点のほうが上回っていればいいのではないでしょうか」
「悪い点を減らすことのみに力を注ぐよりも、良い点を増やすことに力を注ぐことのほうが、
教育者、また人としては、大事なことではないかと思います。
最終的に、プラスマイナスの差がプラスのほうにある程度ふれていれば、教育者としては十分だと思います」
岩崎恵一『明るい開き直りのすすめ』より
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著者の岩崎さんは14歳で渡米した後、高校教師など職を転々としてきた。
現在はオーストラリアのゴールドコーストで独立して、スポーツアカデミーを開校。
42歳でプロの総合格闘家としてデビューした、ハチャメチャな人(失礼)。
最後までイッキ読みしたこの本の中で、いちばん心に残った「言葉」は、「はじめに」の中にあった。
「最終的に、プラスマイナスの差がプラスのほうにある程度ふれていれば十分」
大怪我をしてへばっていた私の、心の琴線に触れた。
目覚めて、活動して、眠る。
食べて、消化吸収して、出す。
出会って、交わって、別れる。
生まれてきて、いろいろあって、死んでいく。
このシンプルな三幕構成、それがすべての人の人生だ。
究極の、プラスマイナスゼロ論。
私自身の「いろいろあって」の中に、今年は左手首をザックリ切る体験が用意されていた。
手術後のひと夏、ほとんどじっとしたまま。
妻の手を借りないと、シャワーもまともに浴びられない。
読書をしようにも、腕の傷口が痛くて本も持てない。
テレビでオリンピックを見れば、選手たちの野生動物のような肉体に劣等感が増すだけ。
ジムから足が遠のいて体が鈍り、せっかく鍛えた腹筋に不要な脂肪が蓄積されていく。
自分に厳しすぎる?
いやいやそんなことはない、私は自分に甘い。
ところが、「自分に甘い」と低い自己評価をすること自体、自分に厳しい証拠だから始末が悪い。
体はもちろんだが、私は思ったより精神的にダメージを受けていたようだ。
パックリと開いて骨まで見える傷口と、流れ出る大量の血を思い出して、毎晩のようにうなされた。
妻がいなかったら、ひょっとしたらうつ病になっていたかもしれない。
大局的には、人生はプラスマイナスゼロ。
そして人は、どんなに修行しても、決して悟り続けることはできない。
たくさんの欠点をさらけ出し、たくさんの失敗をくり返すうちに人生が終わる。
「プラマイゼロでもともと」であるなら、何もなかった平凡な一日こそが、本来の姿なのだ。
そのゼロに、ちょっとだけでもプラスの出来事が加わったら、上出来ではないか。
これが本当の「プラス思考」、言うなれば「プラス志向」だ。
朝起きて、仕事に出かけて、夕方家に帰って来る平日。
そこに数分間の夕焼け空が広がり、家族の和やかな夕食のひとときがあれば。
それは実は、最高に幸せな一日のしめくくり。
今日一日も、この1時間も、この数分間も。
何もなければそれでよし、ほんのわずかでもプラスのほうにふれていれば、大いに喜ぼうではないか。
自分に優しい、「プラス志向」でいきましょう。
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追伸:
今夜は妻と散歩していて、昭和18年創業?のとてもレトロな食堂を見つけた。
店内の雰囲気も、料理の味も値段も、はるか昔にタイムスリップしたようだった。
怪我の傷口がうずいて憂うつだったが、今日はこのビッグ・プラスで大逆転!
(2008/8/25)