<帰り道を元気でハッピーに>

Spread love everywhere you go:
first of all in your own house.
Give love to your children, to your wife or husband, to a next-door neighbor....
Let no one ever come to you without leaving better and happier.
Be the living expression of God's kindness;
kindness in your face, kindness in your eyes, kindness in your smile, kindness in your warm greeting.

Mother Teresa

どこに行っても、愛を広めなさい。
まず最初に、自分自身の家庭から。
愛を持って接しましょう、あなたの子どもに、妻(夫)に、そして隣人へと…。
あなたに会った人の帰り道を、来る前より元気でハッピーにしてあげましょう。
神の思いやりの、表現者の一人になりましょう。
思いやりの表情を、思いやりの目を、思いやりの微笑みを、思いやりの温かい声かけを。

マザー・テレサ

(訳:中元康夫)

*****

2008年8月2日、私は一人でマンションの部屋にいた。
結婚式や披露宴で撮った大量の写真を整理しようと、床いっぱいに並べていた。
実家に行っている妻に、その様子を写メールで送ってやろうと、携帯カメラを構えていた時のことだ。

次の瞬間、私はこなごなに砕け散ったガラスの中に、血だらけになって倒れていた。
何が起こったのか、しばらくわからなかった。
部屋の大きなガラス戸に、立ちくらみで倒れこんだのか、寄りかかっていてガラスが割れたのか?

左手首に、妙な違和感があった。
見ると、まるでホラー映画で人が切り裂かれたような、深刻な傷がそこにあった。
皮膚がたれ下がり、筋肉も切れ、骨まで見えるほど深い傷から大量の血があふれ出てくる。

大変なことをやらかしてしまった。
この事故はただごとでは済まない、すぐにそう悟った。
血の気が引き、気を失いそうだったが、血だらけの手で救急車を呼んだ。

タオルで傷口を強く抑え、止血を試みた。
パニック状態で呼吸が荒れ、その場に座り込む。
このまま死には至らなくても、二度と左手が使えなくなることは覚悟した。

救急車が来るまでの間、必死の思いで、妻と実家に電話をした。
あとで聞いたら、まともな会話にならず、悲痛な絶叫が聞こえたらしい。
意識が遠のく中、救急車のサイレンの音が聞こえた。

3名の救急隊員がドアを開け、冷静で手早い処置をしてくれる。
私を落ち着かせるため、あとで医者に聞いて背筋が凍ったほどの傷口を見ても、平然とふるまっていた。
妻のウエディングドレス姿の写真の上に、真っ赤な血が落ちているのが見えた。

救急車の中、もうろうとしながら、いろいろな思いがわき上がってきた。
予想もしない突然の大怪我は、自分が今まで犯してきた過ちへの警告なのか?
もしそうであるなら、今度という今度は、エゴを捨てて人のために生きよう…。

これが妻や(これから生まれてくる)子どもでなくてよかった。
もし将来起きる悲劇の身代わりの意味があるなら、喜んで引き受けよう。
自分の怪我で家族の厄払いができるなら、それは本望だ…。

車のドアで指をつぶし、自然石割りの演武で手の骨を折るなど、この数年間大きな怪我が絶えない。
致命的な怪我で命を落とす運命だったのを、小出しに分散してくれているのかもしれない。
もしそうだとすれば、むしろありがたいことだ…。

土曜日の午後だったので、近辺の病院は空いておらず、救急対応の病院に運ばれた。
4〜5人の医療スタッフが出迎えて、手術室のベッドに運んでくれる。
救急隊員の人たちにお礼を言う余裕がなかったのが、今でも悔やまれる。

レントゲンと点滴のあと、手術は約1時間半かかったらしい。
傷口の消毒の時、あまりの激痛に叫んでしまったのは覚えている。
麻酔をして医者が縫い始めても、体が反応してビクン、ビクンと動いていた。

切れてしまった筋肉と筋肉の膜、そして皮膚を、合計32針も縫う大怪我だった。
不幸中の幸いで、あれだけ深い傷だったにもかかわらず、動脈と神経が切れていなかった。
命に別状はなく、不自由が残ることは言い渡されたが、左手が使えなくなる結果は避けられた。

手術室を出ると、妻と彼女の母親、両親と妹がかけつけてくれていた。
こんな事態に独りきりでないことに、心から感謝した。
精神安定剤の影響か、まだ頭がボーッとする中、髪や体についたガラスを妻が払ってくれた。

そのまま実家に連れて行かれて、ソファに横になった。
意識も戻ってきたので、右手でペーパーバックの“Chicken Soup for the Soul”を開いた。
その最初のページにあったのが、冒頭のマザー・テレサの言葉だった。

読みながら、うっすらと文字がにじんできた。
これも何かのメッセージだろう。
これからは私も、分身であるこのホームページも、あなたの帰り道を元気でハッピーにする存在でありたい。

(2008/8/6)

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