<喫茶店で英語の雑誌を読む> 渡部昇一
大学で英語を教える人間として、英語の週刊誌を読むのに、努力感がいることを私は恥じた。
それで行として英語の週刊誌を読みはじめたのである。
とにかく新刊の週刊誌が来たら、それを持って静かで、音楽もバロックかクラシックの喫茶店に入るのである。
人間は弱き者であるから、何かよいことをするためには、インセンティブ(刺激)が必要なのである。
このインセンティブが1杯のコーヒーであり、喫茶店の中での1、2時間である。
喫茶店で外国の雑誌類を読む―このことについて、ひとつ有効なヒントを与えることができそうである。
特に、許されるならば20年、30年の時間を考慮に入れて、次のようなことをおすすめしたい。
まず英語なら英語週刊誌を1つえらぶことだ。
そして選んだ方の雑誌は、今後少なくとも20年間は毎週とると決心するのだ。
その次にもう1つ決心する必要がある。
それは当分、どんなことがあっても1コラム以上読まないということだ。
いくつも読みたいという誘惑が起こっても、ストイックに押えるのである。
そして各号の表紙をやぶり、その裏に読んだ記事を貼り付けるのである。
そうすれば1年経っても大した量にならないから、保存場所に頭を悩ますことはないであろう。
表紙は面白いものが多く、しかもあとで記憶を呼びもどすのに便利だからとっておくとよいと思う。
このように量は厳しく制限するのだが、そのかわりに、必ず単語帳を作らねばならない。
タイムやニューズウィークを読めば、いかにボキャブラリーに不足しているか痛切にわかるであろう。
受験英語とは別次元の英単語がわんさか出てくるのである。
そしてこの新顔の単語をマスターしない限り、金輪際、英語の雑誌を読めるようにはならないのだ。
そして5年続けるのである。
そうしたら量を増やしてもよい。
もう1欄増すのだ。
しかし無理に増すことはない。
同じ調子で更にもう5年続ければ、自然に増していることであろうから。
このようにして10年、20年と続いた蓄積は気休めか、宝の山かわからないと思われるだろう。
しかしある時、真田佐平(伊藤整『氾濫』の主人公)が推計学と自分のデータを結び合わせたように、君の蓄積と「何か」が結び合わさって新しい運命を開く公算が大である。
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つぶやき:
ライフスタイルづくりで大きな刺激を受けた「知的生活の方法」に続く、「クオリティ・ライフの発想」
の中にあった一節。
私も外国語大学出身の英語教師として、いまだに英語を読むのに努力感がいることを恥じている。
そこで久しぶりにこの文章を読み返し、個人的な「行」としての英語学習に取り組むことにした。
この実践のポイントは、
(1)学ぶ対象をストイックに絞り込み、
(2)自分なりのインセンティブをつくって、
(3)かなり長期的な展望で学習を継続することだ。
私の場合は「山ごもり効果」と称して、さまざまな知的誘惑に満ちた自分の部屋を離れ、図書館や喫茶店でやるほうが集中できる。
温泉宿に本を持っていくと、一晩で一気に読んでしまうのに似ている。
告白すると、最初にこの文章を読んでから、実はすでに20年近くが経過しているのだ。
いったい今まで何をしていたのか、という気持ちになる。
何でもいい、特に若い人には何度もかみしめて読んでもらい、今のうちに小さな実践を決心して続けてほしい。
(2004/1/10)