<忘却すること>


(写真:長谷川如是閑研究序説


記憶すべき事を忘却するは、はなはだ不便なり。
忘却すべきことを記憶するは、はなはだ不幸なり。

(長谷川如是閑)

*****

つぶやき:

長谷川如是閑(にょぜかん/1875-1969)さんは、評論家、ジャーナリスト。
私は、彼の仕事そのものよりも、この1枚の写真に心惹かれる。
離婚して独り暮らしを始めた頃、この写真を通して自分の晩年のイメージを重ねていた。

たぶん、深夜のひとときであろう。
本がぎっしり詰まった棚の前で、もうもうと湯気をたてて珈琲をいれる、独りの老人。
書を読み、文を書きながら、ゆったりと流れる時間。
独身を通した大人の男にしかわからない、暮らすという行為の中の余裕が感じられる。

さて、言葉。
一般的に、人は記憶力がいいほうが賢いとされる。
と同時に、人間は忘れる動物でもある。

覚えておくべきことを忘れるのは、「不便」。
しかしまた、「忘れる」というのも、生きていく上で意味のある「能力」である。
忘れたほうがいいことをいつまでも覚えているのは、「不幸」なのだから。

それはこの10年間、私が身をもって実感してきたことだ。
たとえ「不幸」だとしても、それがまぎれもない私なのだ。

今は深夜。
さて、今の私なりの珈琲をいれよう。

(2007/10/7)

もどる