<平直行>

いつもそうだけど、僕は何かを手にする前にたいがい何か自分をほんの少しだけ変えることをしてきたように思う。
そうするとなぜか夢に近づくことができた。

具体的なプランがあったわけではない。
自分では全く考えもつかない形で、いつの間にか格闘技のプロとして毎日を暮らすようになった。

僕はその流れの中にいつもいた。
自分が望んだのだけれど、きっとそれ以上に何か不思議な流れに、僕は乗った。
自分が思いもよらないようなことって、きっとある。
僕は不思議といつもその流れの近くにいた。

僕はある日、決めたのだ。
「忙しい!でも、忙しい時にもっと一生懸命に頑張ると、意外と疲れないんだな。暇でだらだらしてる方が、実は疲れるんだ。自分の好きなことを、どうせなら本当に疲れて、周りが見えなくなるくらいまでやってみよう。それは別に一生じゃないだろうから、格闘技のそのことだけ、プロになることだけ考えて、毎日やってみよう」
―そう決めたから、それをやったから僕はプロになれたようにも思う。

きっと世の中に無駄なことってないんじゃないかと思うのだ。
もし無駄なことがあるとすれば、きっとそれは自分で無駄にしてるだけなんじゃないのかなって思う。
だから僕は生徒にそう話をするし、自分も気をつけていきたいと思っている。
まあ難しいことだから、たまにはサボるけど。
あんまりソレばっかりになっても、なんだか息苦しいばっかりだろうし。
そんなわけで、無駄がないんならサボることにも意味があるかな―とか、自分で自分に言い訳しながら、僕もたまにはサボってます。

せっかく一生懸命にやってきたことが、年を取るにしたがってできなくなる。
普通はこうなってゆく。
でも、達人はいつの間にかスルスルと相手の技をかわして、いつの間にかやっつけてしまうのだろう。
それと全く同じように、危ない目になんか遭わないですむのだろう。
達人だから。
危ないことを知っているから、危ないことはやらないし、そんな所には近づかない。
まるで、日常で護身術を―自分が身につけた武術を、無意識に使っているようだ。
きっと、長年の修練で身についたものがあるのだと思う。

柔術みたいな打撃があるんじゃないかって、ずっと思っていた。
相手を吹っ飛ばす力で相手を叩く。
あるいは相手を吹っ飛ばさないで軽く崩して、何もできなくなった相手を叩く。
相手とぶつかり合うんじゃない。
相手の力をそのままいただくような打撃。
そして、今までの常識とは全く違った身体の使い方が、絶対ある。
手は手だけで使うんじゃない。
身体は一つなんだから、きっと身体の中からつながっている手として使うような気がする。

上手な身体の使い方は、きっと強い力を出すだけじゃない。
健康にも良いはずだ。
身体を鍛えること、身体を整えること。
これはきっと別々じゃない。
今は、強くなるために身体を鍛えることが、下手をすると身体を痛めることになっているように思う。
だけど、本当は違う。
強くなるために健康を損なってしまう。
こんな、おかしなことはないはずだ。
鍛えることと健康になることは、本来一つのはずだ。
それを昔の人は、普通にやっていたんじゃないだろうか。

(「平直行の格闘技のおもちゃ箱」より)

*****

つぶやき:

平直行さんは私と同世代のプロ格闘家で、今は引退して後進の指導にあたっている。
K-1やPRIDEがメジャーイベントになる前まで、格闘技界の重要な過渡期を引っ張ってきた人だ。
とても頭のいい人で、以前から彼の書く文章に注目してきたのだが、今回それをまとめた本が出版された。
武道の覚書きにも書いているのだが、軽そうなタイトルとは違って、格闘技と武術の秘伝が満載のすごい本だ。

この文章を別にしたのは、成功法則はどの世界でも共通項があるものだと、改めて感じたからだ。
何か好きなことを一生懸命にやっていれば、何らかの力が味方してくれるようなのだ。
そして、自分でも思ってもみなかったような流れの中にいたことに、あとで気づく。


(2006/3/16)

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