<本多静六>
人生計画を、
「40までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、
60までは専心究学、
70まではお礼奉公、
70からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」
と定め、
かつ毎日1頁以上の文章執筆と、
月給4分の1天引き貯金の2つの行を始めた。
そして40歳で貯金の利息が本俸以上になり、
宿願―万巻の書を読み、万里の道を往く―を実行、
洋行9回、足跡を6大州に印し、
370冊余の著書を公けにした。
(本多静六「私の財産告白」より)
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つぶやき:
本多静六さんは、慶応2年(1866年)生まれ。
11歳で父を失い、農業をしながら苦学した。
19歳で入学試験に落第、悲観して古井戸に身を投げたが死に切れず、思い直して猛勉強。
それ以来、努力精進が趣味となり、ドイツ留学から帰国後は大学の助教授となった。
そのときに立てた人生計画が上の通りで、教職につきながら複数のアルバイトをこなし、大きな財産を築く。
60歳の定年後、「人並みはずれた財産や名誉は幸福そのものではない。身のため子孫のため有害無益である」と悟り、そのほとんどを匿名で慈善事業に寄付。
「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。
富も、名誉も、美衣美食も、
職業道楽の愉快さには比すべくもない」
私は、この細心かつ豪快なおじいちゃんが大好きなのだ。
規模はずっと小さいが、見習って実践しているのが「文章執筆」と「天引き貯金」。
これまで波乱万丈をやっていたので、40までに億万長者にはならなかったが、実は静六さんをモデリングして生活している。
当時であれば、教師が金儲けのことを語るなど、かなりの抵抗があったのではないか。
しかも、本職の足しになり勉強になることを選んで、アルバイトにつとめよとアドバイスしている。
静六さんの主なアルバイトは、「著述原稿として印刷価値のある文章」を毎日1ページ(32字×14行=448字)ずつ書き続けたこと。
1週間旅行したら7ページたまるが、次の1週間は1日2ページにして取り返す。
年末の俗事で時間をくっても、元旦の早朝に学校へ行って書きだめする。
42歳で腸チフスにかかって38日間入院したときは、退院の翌日から1日3ページ書いたそうだ。
なんと25歳からこの「行」を始め、50歳では1日3ページの執筆が習慣となり、85歳の時点で驚くことに370冊以上の著書を出している。
「学問の切り売り」と称して、本業や著述活動の他にも講演や事業の相談など、本当にいろいろやったらしい。
教師を続けながら多くの本を書き、ビジネス活動を展開し、億万長者となって寄付をする静六さんのライフスタイルは、私の好みにピッタリなのだ。
(2005/7/18)