<あたりまえ> 井村和清

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ

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つぶやき:

高校時代から手放せない本の1冊「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、ガンに侵された若き医師の、妻や子どもに向けての遺稿集だ。
私のエッセイ集「HOW TO 旅」の最終章のタイトル、「別れた妻へ、そしてぼくのたった一人の娘へ」や、このサイトの「娘への手紙」にも影響している。

「31。もっと生きたい。あと5年。あと5年あれば、すべての基礎をつくれるのに」
うめくように書かれたこの一文に、この5年間いったい何をなしてきただろうかと、深く反省させられた。
これからわずか5年間で、後悔しないような生き方、いや死に方が、あなたにできるだろうか。

「あたりまえ」は、井村さんの死の直前に書かれたもの。
不満や愚痴を言いたくなるたびに、何度も読み返しては気づかされてきた。
この詩を読んで周りを見回してみると、なんと傲慢な人の多いことか。
朝目覚めたとき、それだけで感謝の念がわいてくる自分でありたい。

(2004/6/26)

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