<川は岸のために流れているのではない>

川は岸のために流れているのではない

川は
岸のために流れているのではない

川のために
岸ができているのである

わかりきったことである
それだのに

教師の考え
学校の方針に合わない子どもを
「悪い子」「問題の子」「困った子」として
切り捨ててしまう風潮が横行しているのは
どういうことか

子どものために「教師」があるのである
子どものために「学校」があるのである

「できない子」のための岸になろう
「困った子」の岸になろう
そして
ともどもに
「真理」「真実」の海をめざそう

そういう教師になろう
そういう学校を創ろう

川は岸のために
流れているのではないのだから

東井義雄

*****

つぶやき:

自分が教師になってみると、息をつく暇もないほど忙しい中、「いい子」のほうが楽なのは否定できない。
私語や居眠りを注意しながら、やる気のない表情の前で授業をするのは、誰だって苦痛だろう。
担任クラスの生徒が次々と問題を起こすと、愚痴のひとつも言いたくなる。

一般論として、最近の学校は管理体制が厳しくなり、現状のマイナス面が強調されがちだ。
責任を問われる教師たちは、自己防衛策として他の教師を批判し、上の目を気にしはじめる。
敏感な生徒たちは、そんな教師たちの雰囲気を察して、少しずつ心が離れていく。

生徒をビシッとシメる「厳しい教師」は、上からの評価が高くなる。
「やさしい教師」たちは、甘い、指導力がないと言われる。
厳しい教師の前ではおとなしく、やさしい教師の前ではけじめなく騒ぐ生徒が増えていく。

何かを創り出そうというより、問題を起こさないように、ストレスで辛そうに働くのが「仕事」だろうか?
どうもこれは違うぞ、とあれこれ考えてみたら、あることに気づいた。
「岸のために、川を流そうとしている」

多くの教師は、「愛」ではなく「恐怖」から行動してしまうのではないだろうか。
生徒のためというより、自分が非難されないように、まず表面を整えようとする。
だからこそ、厳しい教師は理由も聞かずに生徒を怒鳴れるし、逆にやさしい教師は、生徒を本気で叱ることができない。

生徒が「問題」を起こすのは、本当に悪いことなのだろうか?
少なくとも私は、教師に迷惑をかけ、裏切りながら成長してきた。
その過程で、教師が体面や感情で怒っているのか、それとも相手のためを思って叱ってくれているのか、見抜いていたと思う。

私たち教師もまた、生徒に本質を見抜かれている。
川は、岸のために流れているのではない。
生徒は、学校のために生きているのではない。

(2004/4/27)

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