<今さら「英語教育批判」批判>
ある雑誌に、日本の英語教育について次のような記事が載っていた。
「中学・高校と6年間も英語を勉強するのに、話せるようにならない」
「文法や読解中心の受験英語は、役に立たない」
いまだに性懲りもなく、こんな時代遅れというか、非現実的な主張をする人がいたとは…。
もう読み飽きた内容に目を通しながら、あきれたというのを通り越して、恥かしくなってしまった。
まかり間違って、私の知人がマスコミでこんな的外れな話をしようものなら、すぐに呼び出して説教だ。
したり顔で批判しているこの方は、次のような現実を知っているのだろうか。
「6年間の授業時間の合計は、30日程度に過ぎない」(6年間=2,000日以上)
「出てくる単語の数は、英字新聞2枚にも満たない」
ある意志を持って操作された「数字」に、ごまかされてはいけない。
「赤ちゃんはまず聞いて、それから話せるよになる」なんていう「詭弁」にも、けっこう要注意。
大人は赤ちゃんじゃないんだし、そもそも赤ちゃんが「読み書き」なんてできるわけないでしょう。
「操作された数字」の一例として、日本人のTOEICの平均点が、世界で下から何番目とかなんとか。
分母が違うの!受験者の。
海外は超エリートばかりが少数受験してて、日本は実力バラバラの人たちが、たくさん受けた平均なんだから。
うちの学校には、優秀な音楽科の生徒たちがいるが、彼らにこう聞いたらどうだろう。
「音楽の授業を受ける『だけ』で、すぐピアノが弾けるようになるぅ?」
冷た〜い視線が返ってくるのは、まず間違いないだろう。
練習が必要なのだ、練習が。
音楽やスポーツなら当然の「自主練習」が、英語となるとまったく考慮に入れられない。
野球部も、キツイ練習をこなした夜でさえ、「素振り」をくり返しているというのに。
「2週間で英語ペラペラ、新開発の超メソッド!」
「聞き流すだけで、ある日突然、口から英語があふれ出る!」
こんなデタラメな「学習法」を次々とハシゴしたあげく、何年たっても基本的な力すらついていない。
私はこの傾向を、「まゆつばダイエット症候群」と呼んでいる。
「カロリー制限と運動」という「幹」から目を背け、「○○ダイエット」など、お気楽な「枝葉」ばかり追いかける人々。
膨大なお金と時間を浪費して、結果的に何の効果も見られないのが、安易な「英会話」とよく似ているからだ。
もう1つ。
ある英語教育雑誌のインタビュー記事に、次のようなタイトルを見つけた。
東大出身で、国際的にも活躍している、ベテラン女性歌手の言葉だ。
「英語は役に立つ道具でしかない。
それがわかっている人は上達するわ」
ビックリして、わざとイスから転げ落ちるリアクションを取ろうかと思った。
言葉をメロディに乗せて歌うプロが、英語という「言葉」を「役に立つ道具でしかない」とは…。
もちろん中身を読んだら、「伝えようとする心が大切」みたいなことも話してはいるのだが。
英語に限らず、言葉を単なるコミュニケーションや情報収集の「道具(ツール)」と呼ぶことに、私は抵抗を感じる。
またしても意味不明な格闘技のたとえになるが、「強けりゃいいのかよ?」である。
「役に立つ道具」が少しくらい上達したからといって、それが何だと言いたい。
シドニーで道に迷った時、親切に教えてくれた人にお礼を言ったら、“It's my pleasure.”と言われた。
「どういいたしまして」を、「私の喜びです」である。
少なくともあの瞬間、その3語を「道具」だとは、私は思えなかった。
短い文章で対象を広げすぎだけど、日本にいながら、まだ幼少のうちから英語を学ばせようとする親。
少なくとも私の卒業生たちには、そんな母親(父親)になってほしくないなあ。
子どもは英語の発音を恥かしがらず、飲み込みも早いから、つい舞い上がってしまうんだろうけど。
英語は、中学校から普通に学べば十分。
私は留学もしていないし、何の英才教育も受けていないが、必要なレベルの英語はちゃんと使えるようになった。
自分で「練習」をしていたから。
(2009/1/22)