<今一度、プラス思考を見直す>
プラスだけの電池。
表だけのコイン。
影のできない日ざし。
頂上だけの山。
全員が「勝ち組」の社会。
スタートのないゴール。
そんな不自然なもの、あるわけがない。
上があるから下があり、東があるから西がある。
束縛感なしに自由の概念はなく、死があるからこそ生が存在する。
「生徒のいない学校!」
「女しかいない社会!」
私には、そんなふうに聞こえてしまう。
「プラス思考」、「ポジティブシンキング」には、落とし穴がある。
当然あるべきマイナスは「負」、ネガティブは「悪」なのだという。
「一方しかないんだ」、「片方しか見るな」というのは、明らかに無理がある。
いつも不思議に思う。
プラス思考なら、なぜマイナス思考もまた「プラス」だと考えられないのか?
ポジティブシンキングなら、ネガティブにな人も「ポジティブ」に受け入れたらどうか?
何でもかんでもプラスでは、息が詰まる。
妙にテンションが高く、いつもポジティブを演じている人を見ると、痛々しくさえ感じる。
どんな心の傷をかかえているのだろう、一体何のトラウマに囚われているのだろうと。
「ピンチはチャンス!」…。
ピンチは、「ピンチ」でしょう?
そこから何を学ぶかが大事なのであって、無理にこじつける必要はない。
「私は運がいい、ツイてる!」
「絶対うまくいく、大丈夫!」
「Yes, I can!」(アメリカ人がよくやる)
わざわざ自分にそう言い聞かせること自体、自信がないと宣言しているようなものだ。
受験生が部屋に「絶対合格!」と貼りだした時点で、不安を表明しているのに似ている。
やっかいなことに、すべては潜在意識にパラドックス(逆説)として刷り込まれてしまう。
ピーマンが好きな人が、あえて自分にアファメーション(自己暗示)をすることはない。
「オレはピーマンが好きだ、ピーマンが好きだ、ピーマンが好きだ…」なんてやらない。
そんなこと、自分にとっては、すでに当たり前のことだからだ。
職場に向かう時、毎朝のように「私は職場に必ず到着する、到着する、到着する…」とつぶやく人?
たぶん、少なくとも賢明な読者のみなさんの中には、おられないと思う。
結果に対して疑いがないから(事故にあう可能性があるにもかかわらず!)、暗示をかける必要がないのだ。
「ごまかすな」
これが、かつてプラス思考で大失敗した、私からのメッセージです。
不安定な自分をヘンな言葉で抑えつけようとせず、そのまんま受け容れてあげればいい。
「頑張る」や「気持ち」を、「顔晴る」とか「氣持ち」などと書き直さなくてもよい。
「運がいい時もあれば、そうでないときもある。
うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。
自信もあるが、不安もある。
でも頑張ってやってみる」
それでいいではないですか、人間らしくて。
だって、それがあなたの本当の姿なんだから。
下手な催眠術より、お茶を飲むように、普通に「出勤」しましょう。
(2009/1/18)